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ピーター・ターチン「エリート達の内輪での競争:複雑な社会の動態を理解するための重要な概念」(2016年12月30日)

Intra-Elite Competition: A Key Concept for Understanding the Dynamics of Complex Societies
December 30, 2016
by Peter Turchin
elites, norms, social change, structural-demographic

国家レベルの複雑な社会は、社会と政治の不安定性の大波という苦境に周期的に陥るが、これを説明する最重要要因の一つがエリート達の内輪での競争である。この考えは、約30年前にジャック・ゴールドストーンによって提唱された。ゴールドストーンは、イングランド内戦1 、フランス革命、17世紀のトルコと中国での内乱の構造的な前兆を分析することで、この考えを実証的に検証した。他の研究者達(セルゲイ・ネフェドフ、アンドレイ・コトラエフ、そして私を含む)はゴールドストーンの理論を発展させ、古代ローマ、古代エジプト、古代メソポタミア、中世イングランド、中世フランス、中世中国、1848年のヨーロッパでの諸革命、1905年と1917年のロシアでの革命、アラブの春の暴動のような異なる社会における、ゴールドストーンのこの考えを検証した。もっと身近だと、近代民主主義国家の安定性もまた、エリート間の過度の競争によって蝕まれることを最近の研究は示唆している(アメリカ史における構造人口動態分析に関しては“Ages of Discord(『不和の時代』)”を参照)。なぜエリート達の内輪の競争は不安定化の重要なトリガーになるのだろう?

エリートとは、社会権力を掌握している総人口における極一部(約1%)の人間のことだ(私は過去のエントリと特にそのコメント欄での議論で、このエリート概念の複雑な側面を明示化している、参照して欲しい)。例えばアメリカ合衆国の場合だと、選挙で選ばれた政治家、高級国家官僚、フォーチュン誌のトップ500企業の所有者や経営者達(これらだけに限らないが)を含んでいる(“Who Rules America?”〔『誰がアメリカを支配しているのか?』〕を参照)。個々のエリートが引退すると、引退したエリートは、野心を抱いているエリート予備軍から補充される。エリート志願者達は、志願するポジションに座っているエリート達より常に多く存在している。エリート間での競争とは、エリート階級へ加入することに野心を持っている志願者達を、成功者と挫折者に仕分するプロセスのことだ。競争は、多層的な水準で発生している。したがって、下級エリート(例えば州議会議員)は、次の水準(例えば国会)、さらには大統領を最終目的にしている志願者かもしれない。

エリート間での適度な競争は、社会が秩序立ち、効率的に機能するのに必ずしも害悪ではない。実際、より優秀な候補者が選別されるので通常は有益だ。さらに競争は、無能だったり腐敗している役職保持者を淘汰するのにも役立つ。しかしながら、エリートが競争する社会的影響は、競争を制御し、社会を生産的な形態に導く規範や制度に決定的に依存していることに留意することが重要だ。

他方、エリートの過当競争は、社会・政治的不安定性を増大させることになる。社会において権力的地位の供給は、相対的、あるいは絶対的に非弾力的である。例えば、アメリカにおいて、下院議員は435人、上院議員は100人、大統領は1人しかいない。エリート志願者の数が大幅に増えると、挫折者もどんどん増えることになる。そして、挫折者の内の一部(非常に野心的で冷酷な人間)は、アンチ・エリートに転じることになる。つまり、挫折したエリートの大群が、急進派の集団や、革命運動の温床と化すのだ。

エリート志願者が過当競争することもう一つの帰結は、許容可能な政治的振る舞いを定めている社会規範に影響を及ぼすことだ。規範は、多数派が従うことによってのみ効力を発揮し、違反者は罰せられる。こういった規範の維持は、エリートの責務になっている。

しかしながら、エリート間での競争が激化すると、ライバルの権力網が台頭し、敵対者を出し抜くために、政治的誓約のルールが徐々に蝕まれていくことになる。政治立候補者達は、自身の長所や、政治綱領の長所で勝負する代わりに、人格的暗殺(歴史的事例では文字通りの暗殺)のような「卑劣な手段」に次第に頼るようになる。結果、必要以上の競争で、向社会性2 や協調的規範は灰燼に帰すことになる(これは、政治的様態限らず、一般的な現象でもある)。

『ガイウス・グラックスの死』3 (フランソワ・トピーノ=ルブラン)出典

このように、エリート達の内輪での競争は社会的機能に非線形の影響(適切なレベルでは良い影響を、過度なレベルは悪影響)を与えている。エリートの過剰な競争を引き起こす社会的影響力とは何だろうか?

権力地位の供給は相対的に非弾力的であるため、ほとんどの作用は需要側にある。簡単に言えば、エリート間の競争を激化させているのは、エリート志願者(または「エリートの過剰生産」)の必要以上の拡大である。現代アメリカを例に考えてみよう(ただし、強調しておきたいのは、複雑で大規模な人間社会が約5000年前に出現して以来、その全てで似たような社会的作用が働いてきている。)

アメリカには、エリートの地位への候補者を生産する「ポンプ」は主に2つある。教育と富だ。教育面だと、特に重要なのが(政治的キャリアのための)法律の学位と、(企業で出世階段を登るための)MBAである。アメリカ弁護士協会によると、過去40年間で弁護士数は40万人から120万人へと3倍増加している。同じ期間、ビジネススクールから授与されたMBAの数は6倍に増加している(詳細は『不和の時代』を参照)。

富の面でも、過去40年間にかけての所得と資産の不平等の拡大によって、似たような数字の拡大が見られる。諺にある〔億万長者は人口の〕「1%」が、「2%」になり、さらに「3%」となり、さらに…となっている。例えば、今日だと、1000万ドル(1995年のドル換算)以上の資産を持つ世帯は、1980年代と比較すれば、5倍になっている。これら富裕層の中には、立候補者に献金する人もいれば、一方で自ら公職に出馬することを選ぶ人もいる。

アメリカにおけるエリートの過剰生産は、もう既にエリート間の競争の激しさに拍車をかけることになっている。政治的競争をエスカレートしていることの適切な代替指標は、議会選挙戦の総選挙費用だ。(インフレ調整のドル換算で)1998年の24億ドルから2016年には43億ドルに増加している(“Center for Responsive Politics“参照)。もう一つの明確な兆候は、政治演説と政治的手続きを規制する社会規範が崩壊していることだ。これは2016年の大統領選で紛れもなく明らかになっている。

過去の社会分析では、エリートが内輪で激しい競争を行えば、暴力的な形態へと移行することが示されている。このプロセスの典型的な帰結は、政治的暴力の大規模な発生だ。これは大抵は国家の崩壊や、革命や、内戦(もしくはこの3つ全て)に最終的に至ることになる。

  1. 訳注:イギリスで1641~1653年にオリバー・クロムウェル率いる議会派と王党派との間起こった内戦。『清教徒革命』とも呼ばれる。 []
  2. 訳注:反社会性の対義語。人の社会に対して肯定的にコミットするような性質や態度のこと。 []
  3. 訳注:ガイウス・グラックスは紀元前154-121年にかけて活動した古代・共和制ローマ期の政治家。護民官に就任後、騎士・平民階級に便益をもたらす諸改革を実施しようとするが、元老院の反対から改革は頓挫し、最終的には自殺に追い込まれている。 []

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