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フランシス・ウーリー 「トリック・オア・トリート、互酬、社会関係資本」(2010年10月31日)

●Frances Woolley, “Trick or Treating, reciprocity and social capital”(Worthwhile Canadian Initiative, October 31, 2010)


幼少期はヒルスヴィルで過ごしたのだが、ハロウィンがやってくる度に、「トリック・オア・トリート」と叫びながら近所を練り歩くのは、ワクワクする体験だったし、・・・物凄く疲れもしたものだ。歩く距離は大したことなかったが、こちとら、ひ弱な両の脚ときている。勾配が急な私道を歩くのは、なかなかの重労働で、すぐにも足が棒になってしまったものだ。

ヒルスヴィルにある家々を「トリック・オア・トリート」と叫びながら訪ね回る子供の数は、減少傾向にある。その一方で、車で10分ほど離れた近場の郊外に、「トリック・オア・トリート」の標的とするのにうってつけの条件を兼ね備えた住宅地が開発されるに至っている。その郊外に住む層の世帯所得は平均を上回っており、隣近所には子供のいる家庭も多い。私道も短いし、車の交通量も少ない。住宅も密集している。

隣町へ(遠征して)の「トリック・オア・トリート」は、あくまで例外的な現象に過ぎないのかどうかは詳しくは知らないが、「トリック・オア・トリート」の標的とするのにお薦めの場所のランキングを紹介している記事もあるようだ(私には思いも付かなかったのだが、ランキングを作成する上では、犯罪発生率も重要な要因として加味されているようだ)。「トリック・オア・トリート」の狙い目となる地に遠征して、吸血鬼だとか、ライオンだとか、幽霊だとかになりきれば、60分きっかりで(お菓子を詰め込むために携帯している)枕カバーをチョコレートでいっぱいにするのも可能なようだ。

隣町へ(遠征して)の「トリック・オア・トリート」に関しては、(好悪の入り混じった)何とも複雑な感情を抱いてしまうというのが正直なところだ。いい面は、はっきりしている。住宅が密集している地域であれば、ちっちゃな魔術師や魔女がそこらを闊歩しても、安全だし、心温まるものだ。私の住まいは「トリック・オア・トリート」の狙い目とされる地の真っ只中にあるが(今のところ、訪問者の数は55人、いやそれ以上を数えている)、ハロウィンに我が家の門を叩く訪問者の数が少ないと、ひどくがっかりすることだろう。現段階までに訪問者に差し出したキャンディの総額は、15ドル相当。その一方で、その見返りとして、金額に換算すると15ドル以上の喜び(満足)を得ている。痛みを伴わない所得再分配策の一種、と言ってよかろう。

それと同時に、少々すっきりしない思いを抱いているのはなぜなのか?

その理由の一部は、ハロウィンで訪問者に差し出されるキャンディはギフト(贈り物)の一種、という思いにある。ギフトの贈呈には、「互酬」という社会的な機能が備わっている。数年前にお隣さんは、我が子にキャンディをくれた。今度は、私がお返しする番だ。お隣さんの親切心に報いる機会だ、というわけだ。しかしながら、別の町から訪問者がやってくるとなると、どうだろうか? 「互酬」は分散されてしまうことになるだろう。

我が家の門を叩く子供がどこからやって来たかに応じて、キャンディをあげたり、出し渋ったりするというのは、狭量ではあるが、話はそれだけにとどまらない。ハロウィンへの参加を拒む大人は無視できない数に上っているが、「ギフトをあげても、お返しがもらえないじゃないか」という思いがその原因の一つとなっているかもしれないのだ。

ハロウィンは、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)を構築する機会でもある。顔見知りの範囲を広げる機会、お互いの近況を報告し合う(情報を共有し合う)間柄を構築する機会でもある。子供たちが町の境界を越えて「トリック・オア・トリート」に出向くようになったら、町ごとの社会関係資本は一体どうなってしまうだろうか? お隣さんと顔見知りになるには、どうしたらいいだろうか?

子供たちが町の境界を越えて「トリック・オア・トリート」に出向くようになったら、若夫婦が集まるコミュニティは一体どのような性格を備えるようになるだろうか?


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