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ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』世界の芸術家の役割」(2021年2月8日)

The problems of authenticity under capitalism
Monday, February 8, 2021
Posted by Branko Milanovic

 『Capitalism, Alone』〔邦題『資本主義だけ残った――世界を制するシステムの未来』西川美樹訳、みすず書房、2021年〕の最終章で、私は、富の拡大によってもたらされる私生活の様々な変化(と、それによってこれまで家族の中で提供されていたサービスが商品として調達できるようになること)と、私生活の中に資本主義的関係性が「侵入」してくることによる、私生活の様々な変化について論じている。論じた問題の内の1つが、高度に商業化された社会では家族の有用性が低下し、社会が豊かになっていくにつれて、家族の人数が明らかに減少していく(というよりもむしろ、孤独な生活への選好が見られる)現象である。

 ここでは、超資本主義社会が構成される上で生み出される行動規範と、価値があると考えられる成果的営為の間の根本的な矛盾に我々が直面しているという、もう一つの問題について考察したい。主題は、芸術における真正性1 の問題だ。これは、社会科学ではそれほど重要視されていない。複製可能な商品を取り扱う際、資本主義の利点は、他の誰かのニーズが満たされる場合にのみ利益が得られるということだ。これにより、買い手の個人的なニーズと生産者の利益目標という2つの目的が一致する。

 しかし、芸術の場合はそうはいかない。なぜなら、芸術は、個性や独自性、真正性を必要とし、それによって発展するからである。大衆の靴の好みを推測し、そうした靴を作ることは良いことであり、有用なことだ。しかし、文学や映画、絵画などで大衆の好みを推測しようとすると、正しく推測できればお金持ちになれるかもしれないが、芸術的創造の観点からすれば、大衆の好みを推測したところで非常に簡単に模倣され、儚いものとなってしまう。芸術においては、我々はある個人の世界観に興味を持つのであって、大衆の好みや偏見を模倣する個人の能力には興味がないのだ。

 いくつかの極端な例でそれを説明しよう。我々がカフカの『日記』を読むと、それが彼自身の、真実でありのままの世界観を表現していると確信する。実際カフカは、日記を自分のために書いたのであって、世に出版されるなどとは思わず、燃やしてくれとはっきりと言っていたのである。例えば、マルクスの1848年の原稿は、ほとんど偶然に保存され、書かれてから1世紀以上経ってから出版されており、同じことが言える。作品が好きか嫌いかは、好みや興味の問題である。しかし、この二人の作品が真正(本物)の作品2 であることは間違いない。

 しかし、多くの人がお金を払って見たいと思うような結末にするために、様々な観客の反応を調べ上げた上での結末が用意された映画を見るようになれば、同時にそのような企てによって作者の役割が薄れ、場合によっては完全に消滅してしまうのは間違いない。これは小説にも同じことが言える。お金儲けを主な目的にして書かれた小説であれば、大衆の好みに合わせて、作者の個人的な意見(あまり受けが良くないかもしれない意見)をできる限り出さないようにしなければならない。すると、新たなアイデアや挑戦的なアイデアを求めている人は、そのような小説を読む必要がなくなってしまわないだろうか?

 このように、我々は非常に奇妙な〔作者の〕役割の倒錯に直面する。作者は、観客を喜ばせ、収入を最大化させるためにに、自分の真正性を失くそうとする。すると、このようにして出来上がった作品は、大衆の好みを推し量ることができるという点だけで価値付けられ、作品それ自体の(内在的な)価値がなくなってしまう。

 この問題は、資本主義の下でのほとんどの芸術的創造に存在する。スティーヴン・スピルバーグから無数の(そしてすぐに忘れられてしまう)ベストセラー作家に至るまで、誰もが多くの例を挙げることができる。

 一方で、〔過去だと〕芸術家は常に「権力者(i potenti)」のために製作してきたとも言える。作品は〔権力者によって〕依頼されたものであり、技術に関わる部分を除いて、芸術家自身の個性はほとんど表現されなかった(最も明白になっていたのが絵画や彫刻であり、芸術家はテーマを〔権力者から〕与えられ、それを表現する技術によってのみ評価されていた)。当時の芸術の創造者達は、現在のように芸術の商業化を完全に自家薬籠中の物としていなかったこともあり、これが利点となっていた。今日の大量生産と比べれば、当時は「職人技による」商業化だったのだ。

 今では、専門家は「これは売れるだろう」という基準で論題を選んでいる。私は一度だけブック・エージェント(書籍販売業者)と会話したことがあるが、私が書くべきことについて彼が語り出した瞬間、もう二度とブック・エージェントとは会話をする気になれなくなった。読者を喜ばせ、訴訟を避けるために文章が繰り返し編集されている。最も異常なのは、小説の作者がワークショップに参加し、他のみんなと同じように書く方法を教わることで、より自分自身の声を抑え込んでいることだ。

 これは、利益をあげることだけに目的があるなら全て理にかなっている。実際、エージェントをつけた方が良いと私が言われる理由の一つも、エージェントは作者にとって最良の契約を出版社から取り付けることができるからだ。しかし、それこそが問題を生む。エージェントが最良の契約を取り付けるのは、作者の真正性を抑えることによってのみ可能になるからだ。

 このように、人間の営みの中には、過度な商業化が最良の結果を生まない領域もある。この問題は、買い手を喜ばせることで利益が得られるシステムと、多くの人による共有が不可能となっている本質的な個人主義を重視するシステムとの間の根本的な矛盾に由来しているため、解決策はない。

〔訳注:本サイトの『資本主義だけ残った』に関するエントリは以下となっている。
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:フランス語版出版に際して、マリアンヌ紙によるインタビュー」(2020年9月11日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:ブルガリア語版出版記念インタビュー」(2020年12月26日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』ギリシャ語版出版記念インタビュー」(2021年1月16日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』の著者が明かす四つの重要な裏テーマ」(2019年9月24日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』よくある批判への回答:アリッサ・バティストーニの書評について」(2021年5月14日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』 いくつかのマルクス主義的論点:ロマリック・ゴダンの書評への返答」(2020年10月4日)

  1. 訳註:本物であること。唯一無二であること。 []
  2. 訳註:似たような作品が競って作られる中で、本物の作品として君臨しているものを「真正の(authentic)」作品として表現する。 []

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