●Mark Thoma, ““Government Isn’t Always the Problem””(Economist’s View, November 02, 2010)
政府も解決役を務めることがある。
Maxine Udall:・・・(略)・・・政府が問題解決の重要な一翼を担った例の中で個人的にお気に入りなのは、ペニシリン――大勢の命を救った抗生物質――が開発されるに至るまでの顛末だ。
時は1940年、(イギリスの)オックスフォード大学に籍を置くハワード・フローリー(Howard Florey)&エルンスト・チェーン(Ernst Chain)の二人が、アオカビの培養液から粉末状の化学物質(ペニシリン)の抽出に成功。すかさず、連鎖球菌を注入した8匹のマウスを使って実験に乗り出す。8匹のうち4匹だけにペニシリンを投与したところ、いずれも急速な勢いで快方に向かった(その一方で、ペニシリンが投与されなかった残りの4匹は、間もなくすべて死亡)。「エウレカ!(見つけたぞ!)」。誰もがそう叫ぶかもしれない。その後は知っての通り・・・でしょ?
いや、違う。全然違う。
フローリーとその仲間は、ペニシリンとマウス実験の結果を携えて、イギリス、アメリカ、カナダにある有名どころの製薬会社を訪問して回った。しかしながら、どの会社も、ペニシリンの量産技術を開発するために金を出そうとは言いたがらなかった。新薬として売り出し中のサルファ剤の効き目が(細菌の抵抗力が高まるのに伴って)弱まりつつあったというのが、その主な理由。ペニシリンもはじめのうちは効力を発揮するかもしれないが、しばらくすると(サルファ剤のように)効き目が失われてしまうかもしれない。そうなったら、(ペニシリンへの)需要は先細る一方になってしまう。「利益は出ますかね?」と(製薬会社の)幹部陣からもっともな突っ込みが入ったわけだ。
それでは、一体どのようにしてペニシリン(および、後続の数多くの抗生物質)は広く行き渡るようになったのだろう? ここで登場するのが、米政府だ。米軍もちょっと加勢した。今にも戦争が始まろうとしている時だ。新たな抗生物質がもたらしてくれるかもしれない恩恵に無関心でいられるだろうか? 何しろ、先の大戦(第一次世界大戦)で命を落とした兵士のおよそ半数は、感染症が原因で逝ってしまったのだから。
ペニシリンの量産を実現するだけではなく、その効能を4倍も高めることに成功したのは――それも、驚異的なスピードで――、米農務省に勤務する公務員の科学者集団だった。想像してほしい。官庁にお勤めの科学者殿が素早く手際よく何かをお作りになる。そして、その何かに改良まで施してくださって、下々の民の生活を楽にしてくださるというのだ。・・・(略)・・・米国の納税者(が支払う税金)と米政府が助け舟を出さずに、民間部門と「市場」にすべてが委ねられていたとしたら、ペニシリンの開発は暗礁に乗り上げて、ペニシリンが世に出回ることもなかっただろう。・・・(略)・・・
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