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ランダル・レイ「現代貨幣理論への“カンザス・シティ”アプローチ:成立史から辿るMMT入門」(2020年7月)

The “Kansas City” Approach to Modern Money Theory
by L. Randall Wray
Levy Economics Institute of Bard College
Working Paper No. 961
July 2020

目次

  1. 表券主義ー貨幣国定説
  2. 信用貨幣:貨幣サーキットと内生的貨幣
  3. 貨幣の性質
  4. バランスシートの統合および整合: あるいは、政府支出の実態
  5. 部門別収支
  6. 金融不安定性
  7. 機能的財政、需要管理、完全雇用
  8. MMTと雇用保障
  9. 結論: MMTと政策

要旨

現代貨幣理論(MMT)は、異端派経済学内の流派の一部を統合したものである。主権通貨を発行する国家において、金融・財政の運営を記述することに焦点が当てられている。以上の観点から、ジョージ・フリードリヒ・クナップの国家貨幣のアプローチ(チャータリズム:表券主義)を応用し、さらにジョン・メイナード・ケインズの『貨幣論』を採択している。MMTは「主権通貨の発行者と、その主権発行通貨の利用者の違い」を強調している。この違いが強調されているのは、「財政・金融の政策余地」「期日までに全てを支払う能力」「信用力」「超過債務」などの問題に関係しているからである。しかし、MMTは、A・ミッチェル=イネスに倣って、主権通貨発行者と非主権通貨発行者の間には類似性があることを認めている。それゆえ、信用貨幣論(ポストケインズ主義者が通例呼ぶ用語では「内生的貨幣理論」)と、貨幣国定学説(Staatliche Theorie des Geldes)の統合を行った。MMTはこの統合を、政策分析に活用し、為替制度、完全雇用政策、金融・経済の安定性、そして現代経済が直面している現状課題(不平等の拡大、気候変動、人口高齢化、長期停滞、開発の不均衡)などの問題に応用している。本論文では、ミズーリ大学カンザスシティ校(UMKC)とバード大学レヴィ経済研究所におけるMMTへの取り組み、「カンザス・シティ」アプローチの発展について焦点を合わせてみたい。

キーワード:現代貨幣理論(MMT)、機能的財政、チャータリズム(表券主義)、貨幣国定学説、部門別収支(三部門収支バランス)、カンザス・シティ・アプローチ、雇用保障(ジョブ・ギャランティー)、主権通貨(ソブリン通貨)

序論

現代貨幣理論(MMT)の誕生は、1990年代のオンライン・ディスカッション・グループ、「ポスト・ケインジアン思想(Post Keynesian Thought:PKT)」にまで遡ることができる。ヘッジファンドのマネージャーであったウォーレン・モズラーは、1996年1月にPKTに参加した。モズラーは自身の論文『ソフトカレンシー経済学(Soft Currency Economics:SCE)1 』 (Mosler 1996)を起草中であった。モズラーは、参加して最初の数週間で、主権通貨の分析における基礎原理を提示し説明している。基礎原理とは以下である。「税金が主権通貨の需要を生み出す」「主権国家が債権を売りに出すのは、実際には借り入れ操作ではなく、銀行システムから余剰準備を除去(drain)するためである」「主権国家は、自国通貨を使い果たすことはない」「政府は、失業対策として最低賃金で雇用を提供すべきである」。PKTの参加者の多くは、この考えを受け入れず、敵対的ですらあった。しかし、少数の参加者は、このモズラーの一連の要旨が、異端派経済学の中で根幹となっているのを認識していたのである。総じて賛意を示した人物に、バジル・ムーア(内生的貨幣論の一翼を担っていたホリゾンタリストに関与)、ポール・デヴィッドソン(ケインジアン「原理主義者」の一員)、ビル・ミッチェル(ずっと以前に失業に対して「バッファーストック(緩衝材)」アプローチを開発していた)、マシュー・フォーステイター(経済史と経済思想史家として活動しており、教え子のパブリナ・チェルネバ2 は、モズラーのSCE論文の批評を書く為にリクルートされた)、そして私が含まれていた。

このPKTでの最初の面識からしばらく後、1996年6月、モズラーとチェルネバは、ブレトンウッズで開かれた会議を主催した。この会議には、ムーア、チャールズ・グッドハート、そして私が、モズラーや多くの金融市場関係者(及び少数の規制当局者)と一緒に参加し、マクロの政策分析の新しいフレームワークを広めることを目的としていた。このフレームワークの基礎を説明するために、モズラーは、私を説得し、資金援助した上で、新しい本を書かせている(Wray 1998) 。程なく、研究センターが2つ設立された。ビル・ミッチェルは、オーストラリアのニューカッスル大学に「完全雇用と公平性センター(CofFEE)」を設立し、モズラー、フォーステイター、そして私は、「完全雇用と物価安定センター(CFEPS)3 」を設立した。その後、ミッチェルは、CofFEEの支部をマーストリヒトに開設した。CofFEE、Levy、CFEPSでは長年にわたり多くの会議やセミナーが開催され、我々の分析を精緻化するだけでなく、様々な異端派の流派の中から、MMTの基礎を見出している。

以下、「カンザス・シティ」アプローチ4 ――レヴィ研究所とミズーリ大学カンザスシティ校(UMKC)で発展した研究を説明する。並行して発展したCofFEEの「ニューカッスル」アプローチは〔「カンザス・シティ」アプローチと〕それぞれ異なる異端学派の基盤から始まっているのだが、共通点がある。モズラーがソブリン債市場の動態から独創的な発明をしたのと同じく、現実世界の観察に基づいている。アメリカにおいて、MMTが辿ってきた道に焦点を当てることで、私は〔「カンザス・シティ」アプローチを〕他の2つより特別視しているわけではない。発展過程で、我々はほぼ常に交流を重ねており、また異なるバックグラウンドは、お互いのアプローチを迅速に発展させるのを可能とした。1996年1月初旬のモズラーの最初の投稿から始まり、1998年半ばには、新しいマクロ経済学の基盤が、極一握りの研究者によってまとめ上げられたのである。そのわずか20年後、MMTは、異端派経済学として極めて稀な成果を達成した:世界中の新聞の見出しに掲載され、即座にまずエスタブリッシュメントの政策立案者・政治家・経済学者に糾弾され、その後突如として、世界的なパンデミック対応に必要な理論として受け入れられたのである5  。

1.表券主義ー貨幣国定学説

1986年にイタリアでヤン・クレーゲルと論文を執筆していた際、私はケインズの『貨幣論』を通じてクナップの貨幣国定学説に初めて出会った6 。私はクナップのアプローチを執筆中の論文と自著“Money and Credit in Capitalist Economies(資本主義経済下におけるマネーと信用)”(1990)の第2章に取り入れた。この自著では、イスラム金融、西ヨーロッパでの銀行業の台頭、イギリスでの近代銀行業の発展、資本主義システムでの貨幣の使用が与えた論理についても概説した。同書の残る部分では、民間銀行取引への内生的貨幣のアプローチの展開に焦点を当てている。以降も、私は国家と貨幣のつながりに興味を惹きつけられ、貨幣の起源に関する研究を専攻した。

ボローニャにいる間、私はオットー・シュタイガ―に会い、貨幣の起源を私有財産の台頭に結びつけた彼の研究を読んだ(Heinsohn and Steiger1983)。そこからケインズの「バビロニアの狂気」(バビロニアにおける貨幣への執着7 )の時代の著作に触れ、それ以来ずっと初期の計算貨幣に関心を持ち続けることとなった。1970年代後半にはルイス・ヘンリー・モーガンの”Ancient Society(古代社会)”(1877)を読み、部族社会について学んでいたため、私は貨幣の「物々交換起源説」を信じなかった。部族社会での贈与交換は、非貨幣市場での交換という物々交換の逸話とは似てもにつかない。また部族社会には貨幣が存在していなかった。したがって、貨幣は文明の台頭と関連づけて考えなければならない。 1990年代にマイケル・ハドソンはレヴィ経済研究所で講演を行い、貨幣はメソポタミアの寺院によって(貸借の)記録管理の目的で発明されたと主張した8 。メソポタミアにおいて最も重要な食料は穀物であったため、寺院労働者への毎月の給与を、大麦粒の単位であるミナ(mina)で測定するのは理にかなっており、ケインズの考えとも一致していた。(ハドソンはまた、聖書の十戒について興味深い解釈を提示している。十戒で説かれるほとんどの戒律が貨幣と負債に関係しているというのだ。例えば、隣人のロバを欲してはならないという戒律は一見異常で見過ごされているが、隣人の妻を欲してはならないという有名な戒律の後に続いている。ハドソンが説明したように、これは隣人を負債で束縛するのと関係があり、姦淫とは何の関係もない。)

1997年4月、私は制度主義思想協会(AFIT)での会長講演で、貨幣の起源について既存の見方とは異なる見解を発表し、貨幣と権力の結びつきを強調した9 。私は1996年の夏から1997年の秋にかけて書かれた2冊目の著作“Understanding Modern Money(現代貨幣を理解する)”(1998a)で、貨幣の起源だけでなく表券主義のアプローチについても再検討した。その頃まで、私たちはレヴィ経済研究所で働いており、そこでA・ミッチェル=イネスの1913年の記事を発見した(以下で論じたように、その少し後で、あらゆる信用貨幣の性質をより明確に論じた彼の1914年の記事を発見した――Innes[1913, 1914]およびWray [2004]を参照)。私にとって、イネスは貨幣の起源だけでなく、貨幣の性質、そして国家の貨幣と民間の信用貨幣の間の繋がりを明らかにしてくれた存在である(以下を参照)。また、ケインズ(1914)が1914年に“Economic Journal”誌でイネスの1913年の記事について書評を書いていたことも発見した。これが5年後のケインズの「狂気」につながった可能性がある。また、興味深いことにケインズは、1924年にクナップの著書をドイツ語から英語に翻訳し出版するのに一役買っていたようである。

この期間中、マット(マシュー)・フォーステイターは、植民地時代のアフリカ(および植民地時代のアメリカ――以下を参照)とタカラガイ(子安貝)の「商品貨幣」などの有名な例の研究を通じて、「租税が貨幣を駆動する」というモズラーの論文を裏付ける実証的証拠をもたらした。フォーステイターが示したように、植民地の総督は、植民地経済を収益化する方法は、王冠の通貨で支払われるように税金を課すことにあるのをよく理解していたのである。イネスが主張したように、商品貨幣の例は存在しない。金貨でさえ、その価値は税金を支払う必要性によって規定されている。フォーステイターは、これがタカラガイの貝貨やヤップ諸島の有名な「石の車輪の貨幣」にも当てはまることを示した。ロビンソン・クルーソーとフライデーが物々交換の取引コストを排除するために便利な交換媒体を選択したという、経済学者が語る比喩は全て誤りであることが示された。貨幣は個人の発明ではなく、むしろ権力の道具であった。私の1998年の著書では、さまざまな歴史的実例を検討している。例えば、アダム・スミスによる18世紀の貨幣と銀行業に関する研究、ケインズの『貨幣論』と著作集の第28巻における解説、中世ヨーロッパのタリースティック(木製の割り符)についてのイネスの論考、植民地時代のアメリカ(スミスも取り上げた)、そして、アメリカの南北戦争中の通貨問題とインフレに関する南北での異なる経験。貨幣の創造と進化における国家の役割を裏付ける証拠は膨大にある。

最後に、フォーステイターこそが、アバ・ラーナーの「貨幣は国家の創造物である」という議論を明らかにした人であろう。「金(きん)の歴史がどうであれ、現在、正常にうまく機能している経済においては、貨幣は国家の創造物である。貨幣の極めて重要な特性――全ての人々が受領する――が成り立つかどうかは、国家がその貨幣を受領するか否かによって決まる」(Lerner 1947、313)。ラーナーはさらに、「国家は“自国への支払い、その他の義務において指定する貨幣で受領する”と宣言するだけで、いかなるものも貨幣として受領可能にすることができる。これにより、不換紙幣(しばしば“法定不換紙幣”と呼ばれるもの)でさえも、“納税者等が受領することを知っているので”、国に対し(納税等の)義務を負わない人々も同様に受領するようになる(Lerner 1947)」と論じた。簡潔に言えば、「租税は貨幣を駆動する」のである。

1997年、チャールズ・グッドハートは“One Government, One Money(一つの政府、一つの貨幣)”と題した論文を発表し、「オルタナティブな学派である表券主義では、通貨を創造する力を一般的な政府の安定した存在、特に課税を通じた資金調達能力と密接に結びついたものとして捉えている。その結果、“1つの政府には1つの貨幣”というほぼ普遍的な経験的観察を説明または予測することは何ら難しくない」と論じた。 ウェイン・ゴドリーは1992年の論文で以下のように論じた。「EC(欧州諸共同体)での単一通貨の導入は、加盟国の主権と主要な問題に対して独立した行動をとる力を実質放棄するのを最初に強調しておく必要がある。 ティム・コングドン氏が非常に熱心に主張しているように、自国通貨を発行し、自国の中央銀行から資金を引き出す力こそが、国家の独立を規定する上で主要な役割を果たすのである。国家がこの権力を放棄または失うと、地方自治体または植民地の地位に降格することとなる。」

これが、MMTが当初からユーロの実験に懐疑的であった理由である10

ハイマン・ミンスキーは、論文で「創世記」(原初の物語)にまで遡らないよう、私に警告した。しかし、ミンスキーは、我々が国家による貨幣を受領する理由は、「通貨で支払わなければならない税金などの義務があるためである」と教室で説明していたのを覚えている11) 。ミンスキーは続けて銀行貨幣の例えを展開し、我々が貨幣を受領するのは、銀行に負債を返済しなければならないからである、と説明した。クナップ、イネス、ミンスキー、グッドハート、および歴史的な経験から学んだことに従って、私たちは以下のように自分たちの見解を要約した。
「MMTは、通常、各国が独自の計算貨幣を選択し、その計算貨幣を単位とする通貨を発行し、その通貨で支払い可能な義務(税金など)を課す」。これは表券主義の観点から見た簡潔な貨幣観であり、MMTの分析の多くはこの認識から出発している。

2.信用貨幣:貨幣サーキットと内生的貨幣

1980年代に渡って、ポストケインジアンたちは内生的貨幣アプローチを取り入れた。バジル・ムーアは「ホリゾンタリズム(水平主義)」と名付けた理論を開発した。これは、外生的に決定される利子率の下で、貨幣供給と準備預金供給の両方を水平的なものとして考えるものである。一方で、貨幣供給を(中央銀行による)外生的なものとして考え、金利は市場によって決定される内生的なものとして考えるのがマネタリストの「バーティカリスト(垂直主義者)」アプローチであり、ホリゾンタリストとは対照的な考え方であった。マルク・ラヴォア(1985)はフランスの経済学者の初期の研究に基づいて、貨幣のサーキット・アプローチを復活させるのに貢献した。これは現在の仏伊サーキット派アプローチに繋がっている。彼らの銀行業務に対する見解は、真正手形学説(貨幣は生産プロセスにおけるファイナンスのために創造されるという考え)を想起させるものであった。また、マルクス、ヴェブレン、そしてケインズという3人の異端派の「父」によって採用された、生産の貨幣理論(生産はより多くの貨幣の獲得を目的に、商品生産を目的とした貨幣から始められるという考え)とも一致していた。ホリゾンタリストとサーキット派のアプローチは両方とも、貨幣は「どこからともなく」創造されると主張し、教科書にあるような信用乗数の物語を棄却した。中央銀行は、銀行が清算目的で利用する準備預金を提供しているのである(そしてホリゾンタリストの考えでは、中央銀行はオーバーナイト金利の目標を達成するために、銀行の準備需要に常に応えなければならない)。

ただし、どのアプローチにおいても、政府の役割は過小評価されている。(サーキットアプローチの第一人者であろう)アゥグスト・グラツィアーニは、「政府は“シニョリッジ”を持たず、自らの負債を使って債務を清算することはできず、政府は貨幣の利用者と同じルールに従う」と主張している(Graziani 2003)。実際、サーキットアプローチのほとんどの説明では、政府は含まれてすらいない。同様に、ホリゾンタリストの議論においても政府は除外されており、中央銀行の役割は一般的に、オーバーナイト金利目標の設定と銀行の準備需要を完全に満たす存在に限定されている。ホリゾンタリストはMMTに対して最も激しい批判をしている異端派の一つである。しかし、上述したように、ムーアはPKT〔オンライン・ディスカッション・グループ”Post Keynesian Thought(ポスト・ケインジアン思想)”〕におけるモズラーとの初期の議論に参加し、国債の売却は「準備預金の排出」であって、借入ではないというモズラーの主張を最初に理解した人物の一人である。

私は1990年の自著の中で、銀行学派/通貨学派の議論(1830〜40年代)から、マルクス、ケインズ、シュンペーターに至るまでの内生的貨幣アプローチの歴史を探った。そこでは、ケインズの『一般理論』までは内生的貨幣の考えが一般的、もしくは支配的ですらあったが、戦後になって「ケインジアン」とマネタリストの両方が外生的貨幣と信用乗数アプローチを採用したことを論じた。内生的貨幣の復活は、ニコラス・カルドアとラドクリフ委員会(1959)、1950年代後半のジョン・ガーリーとエドワード・ショーの研究、ジェームズ・トービン(1963)、そしてミンスキー(1950年代後半以降)に遡ることができる。ムーアやその他のホリゾンタリストは、『一般理論』におけるケインズの貨幣の扱いが外生的(中央銀行によって固定されている)であると解釈し、ケインズの流動性選好説は内生的貨幣と矛盾すると主張している。私は1990年の自著やその他の記述において、ケインズの流動性選好説(『一般理論』の第17章)を、ケインズの内生的貨幣アプローチ(『貨幣論』において明確にされている)と統合した。またそこで、『一般理論』の第13章と第15章は主流派の(外生的貨幣供給を伴う)IS―LM分析に繋がったものとして解釈できるが、ケインズの第17章における資産価格決定のアプローチでは流動性選好説が厳密に説明されており、これは内生的貨幣に完全に一致して論じられている12

私は学位論文と1990年の自著の中で、現代の銀行業の実務について、詳細な制度的分析を行った。そこで、(後にシャドー・バンキングと呼ばれるようになった)「ノンバンク金融業」の出現と、銀行によるオフバランスシート取引の利用が増加していることについても議論している。私は、銀行による直接融資が、1986年の時点で、非金融機関によって発行される負債増加量のわずか18%にまで減少していることを示した。また、証券化やデリバティブの利用といった新たなトレンドは、銀行がリスクをヘッジできるように見えるかもしれないが、「オンバランスシート取引とオフバランスシート取引の相互依存性、あるいはショックの分散化が、システム全体にショックを伝播させることに繋がる」と警告した(Wray 1990, 215–16)。そして私は、信用リスクが実際には少数の巨大金融機関に集中してきており、これがFRBを悩ませるだろうと主張した。すなわち、最終的にFRBは最後の貸し手として行動するために、オフバランスシート項目ですらも救済せざるを得なくなるということである。それから約20年後、2007年に始まった世界金融危機において、まさにそれが起こったのである。

最終的に、私はミンスキーの「誰でも貨幣を創造できる。問題はそれを受け取ってもらうことだ」という見解に従うことになった。1990年の自著の中で、私はミンスキーの「負債のピラミッド」という概念を用いている。このピラミッドでは、最も受けとられやすい政府の負債が頂点にあり、次に商業銀行の負債、そして「ノンバンク金融機関」の負債、非金融法人企業の負債、最後に中小企業や家計の負債が最下層に位置している。このピラミッドは、負債の受容性と流動性を反映したものであり、ピラミッドの下位に位置する主体は、支払いにおいてピラミッドのより上位にある負債を用いる。ミンスキーの「貨幣と銀行業務」についての理解は、商業銀行の「真正手形」という旧式の見方に焦点を当てたホリゾンタリストやサーキット・アプローチの開発者、そしてその支持者たちよりもはるかに洞察に富んだものであった。ミンスキーは証券化の重要性を最初に認識していた人物の一人であり、1987年に「証券化できるものは証券化される」と主張している(Minsky and Wray 2008)。その後彼は、1990年代初めに、レヴィ研究所における一連の論文や会議の中で1980年代のイノベーションに伴う金融システムの大幅な変化を分析した。レヴィ研究所での彼の研究プラグラムでは、「経済の資本発展を促進するための金融システムの再構築」という改革に取り組んだ(彼が亡くなった後も続いていた)。私はそこで、1998年から2007年の世界金融危機に至るまでの崩壊に繋がる金融投機について警告を発している13

一部の批判者は、MMTが民間金融システムを除外している、との誤った主張を繰り広げている。これは事実とかけ離れた主張である。カンザスシティやレヴィ研究所のMMT支持者は、ミンスキーの肩の上に乗り、金融システムの発展について最前線での分析を行ってきている。

3.貨幣の性質

上述したイネスの1913年の論文に加え、我々は1914年の彼の2つ目の論文にもまた影響を受けている。イネスは、政府の貨幣について最も明確な説明をしているだけでなく、政府の貨幣を信用貨幣のカテゴリーに含め、負債の普遍的な法則を提示している。負債の発行者はその返済に応じなければならない。これは、政府、銀行、ノンバンクにも同様に適用されるが、上述した負債の受容性の程度の違いを無視するものではない。イネスはこれを「償還」と呼んでいる。納税者が税金の支払いのために自国の通貨を政府に返還すると、納税者と政府の両方が償還される。納税者にはもはや税金という負債はなくなり、政府の自国の通貨を受け入れる義務は果たされる。四式簿記では、2つの資産と2つの負債が同時に両当事者の貸借対照表から削除される。

すると、貨幣の性質とは何だろうか。第1は、計算貨幣――記録保持のための計量単位――である。第2は、記録そのものである。ケインズ([1930]1976)は、計算貨幣を「名称または記述」と呼び、記録そのものを「モノ」と呼んで、両者を区別している。「それ故に、政府はまず第一に、契約上の名称または記述に一致するモノの支払を強制する法の権威として具現化する。」 ケインズは続けて、これは少なくとも約4000年前から続いていると述べている14) 。これがMMTが政府の貨幣から始める理由である。そして民間銀行から始まるサーキット・アプローチや、政府が計算貨幣を選択して、ピラミッドの頂点にある負債を発行し、計算貨幣建ての民間契約を強制する際の、重要な役割を無視するホリゾンタリズム(水平主義)と、MMTが異なる理由である。

貨幣は私有財産の台頭から発生している、というヘインソーンとシュタイガ―の意見について上述した。これは最初私の興味を引いたが、ケインズの推測とハドソンの研究と対立する。1998年に本を執筆している途中、私たちはフィリップ・グリアソンの研究を発見した。グリアソンは抜きん出た貨幣学者であり、貨幣の起源を短い本(Grierson 1977)で考察し、説得力のある代替案を提供している。彼は、計算単位で負債を測定するという概念は、古代の部族の贖罪金の慣行から出てきた可能性があると論じた。贖罪金の「罰金」は現物で測定されていたが、文明社会の進化に伴い、罰金を課す公の集会において、負債を測定するために計算単位(大麦の穀物単位など)に落ち着いたのではないかと彼は論じた。

このことは、貨幣の起源をメソポタミアの神殿の記録管理にあるとするハドソンの話にうまくつながっている。これはまた、redemption(贖罪、償還)やdebt jubilee〔訳注:直訳すると「負債記念催事」。旧約聖書に登場する債務帳消しの年〕など、貨幣と負債に関係する多くの用語が宗教的に密接に結びついていることと説得的であり、なぜ負債(debt)と罪(sin)が同義語であるのかも説明している15 。貨幣は取引コストを削減する交換媒体を求めて生まれたのではなく、むしろ負債から生まれたものであり、それ自体が社会的な関係である。すべての人間社会はお互いに負債を認識しているが(実際、他の多くの動物もそうである)、負債を一つの測定単位で「貨幣化」することは大きな飛躍であった。グリアソンが主張するように、「貨幣化」は長さや重さ、体積などの便利な尺度を思いつくよりもはるかに困難である。これらには膨大な社会的合意も必要となっている。そして、ケインズやグッドハートが強調しているように、民間機関が計算貨幣を作成した例はごく少数であり(クナップや私が1990年の本で論じた、北欧のgiro money 〔振替貨幣〕が例となるだろう)、過去「少なくとも4000年」を支配したのは、政府が選択した計算貨幣だった。

ステファニー・(ベル)ケルトンは、イネスが他にも貨幣に関する記事を書いているかどうかを調べるために大英図書館を捜索したところ、「Martyrdom in our Times(我らの時代の殉教)」と題された西欧文明における刑罰の歴史を調査した興味深い小冊子を発見した16 。この本では重要な要点が示されており、イネスの貨幣と負債に関する三部作の第三部と位置付けることができる。部族の慣行による贖罪金を貨幣の「創世記」の物語と位置づけているグリアソンの分析を拡張して、贖罪金は近代西洋の「司法」システムの「創世記」と同様として位置づけられる。初期の刑務所は処罰のためではなく、むしろ家族が政府に罰金を支払うのを確実に履行するための存在であった。借金の支払いを確実にするために、メソポタミアで妻が「女奴隷」として拘束されていたのも同様である17 。イネスが論じたように、刑罰の目的で投獄が大規模に行われるようになったのは、18~19世紀になってからである。西洋の歴史を通して、投獄は主に裁判まで被告人を拘束するため、または有罪判決を受けた人を借金や罰金が支払われるまで拘束するのに使われていた。罰するために、あるいは更生させるために、あるいは「贖罪」として「社会への負債を支払う」のを強制するために、罪人を刑務所に収容すべきである、との近代的な概念は、極めて近年になるまでは、司法の概念では異質なものであった18

西洋における「司法」の進化は、犯罪を防ぐため(それによって〔行政機関が〕罰金を課す能力をなくすため!)ではなく、「収入」の源として被害者の補償を受ける権利を徐々に剥奪することを引き起こした。資本主義の発展と、それに伴う失業者や離散者階級の成長に伴い、支払い能力のない者による犯罪が増加し、死刑の適用が拡大した。被害者が徐々に補償から除外されたため、彼らは当然、死刑の拡大を支持した19 。囚人を大量に収容するのはコストがかかるため、特に奴隷制が終わった後は、囚人は安い労働力として貸し出されるようになった。労働力が不足すると、保安官は労働者として「chain gangs(鎖で繋がれた囚人)」を補充するために逮捕者を創出した。1930年代には労働組合が囚人労働の利用を制限していたが、1990年代には世界の大企業による囚人労働の利用という「罰則的ケインズ主義」が復活した20 。このことから、文明は贖罪金の伝統を「現代貨幣」へと導く道と「現代的な監獄」へと導く道――それぞれが負債と償還について独自の概念を持っている――の二つの道に沿って変化させたという仮説を立てることができるのだ!

我々はこれまでに、貨幣の社会性と負債性を強調した他の研究者の研究(ジェフ・インガム(2000)とダドリー・ディラード(1980)らを含む)も多く取り込んできた。償還の原則は、アメリカの植民地時代の紙幣(アダム・スミスも着目している)に関する比較的最近のファーリー・グラブ(2019)による研究で、最もよく説明されている。グラブが示しているように、初期の植民地では、硬貨の発行は禁止されており、英国通貨の不十分な供給に依存せざるを得なかった。故に、植民地では、紙幣を発行するというアイデアを打ち出した。植民地は、特定の枚数の紙幣を印刷して直接使用するのを許可する法律を可決している。これと同時に、新しい税法を可決し、数年間で発行された紙幣の価値と多かれ少なかれ等しい額の税収を増やすことが期待されることになった。税収が入ってくると、納められた紙幣は燃やされる。税金は償還のためのもので支出のためのものではない、との認識に立って、この税金は「償還税」と呼ばれていた。支出は紙幣が発行によって予め財源として確保されていたので、税金の目的は紙幣をもってして税金の支払いに充てるための需要を作り出すことにあった。一度償還された「歳入」21 は、他の目的に充てられることはなかった。

経済学者たちは長い間、貨幣といえば輝く金属に目がくらんできたので、商品価値としての効果の希少性に関心を絞ってきた。このことで、物々交換説を支持するかのような商品貨幣観につながっており、貨幣の価値の決定について危険な誤解を与えている。金本位制の放棄は、一般的には貨幣価値が錨から外れて漂い、政府は「信頼」を喪失し無責任な存在に成り下がると考えられてきたため、長い間、インフレへの道筋と考えられてきた。しかし、徹底した調査によって、まず貨幣は金属硬貨よりも何千年も前から先行しており、次に硬貨の価値は通常、貴金属の含有量に決定されていなかったことが明らかになっている。最初の硬貨は紀元前7世紀にアルゴス王ペイドンの下で作られた(Wray 1990, 7)22 。その後、硬貨に貴金属を使用することは一般的であったが、それらの硬貨は日常の商業に利用するには価値が高すぎたのである。メソポタミアと同様、ほとんどの商業は信用の利用を通じて行われ、「石板にチョークで書く」ことで記録され、通常は収穫時に年に一度、あるいはそれ以下の頻度で負債が決済された。(1300年~1600年期のロンドンに関する研究については、McIntosh [1988]を参照)。ヨーロッパの王たちは、イネスが主張したように、負債の記録であるタリー・スティック(合札)に大きく依存していた。いずれにしても、硬貨のほとんどが、硬貨の商品価値をはるかに上回る名目上の価値で流通していたのである。

貨幣の名目上の価値は「公金支払所」、すなわち発行主権者が政府への負債の支払いとして発表した価値で設定されていた。この価値は、単に発表するだけで変更することができ、町の触れ役(town crier)を派遣しての、「切り下げ(cry down)」が可能となっていた。これは、度を越さない限り、税負担を増加させる効果的かつ適切な方法であると認識されていたのである。ローマ法では、裁判所は硬貨の名目上の価値のみを執行すると宣言されている。硬貨は、貴金属の「実際の」価値ではない(イネスによる結果的に正しかった断言のように)。私は、〔ローマ帝国では〕「征服の時代」を通じて硬貨に貴金属が使用され続け、硬貨の発行者の管轄外での支払いの必要性――特に傭兵の雇用と提供に――結びつけた(Wray 1998a)。貴金属硬貨の価値の高さは、「兵士や水兵」の給料の支払いにおいて特に有用であり、多額の一時金と不定期の支払いを伴うことが認識されてきたが、一度発行されると、納税で償還される(Crawford 1970)23 。これらの兵士や水兵は故郷から遠く離れている可能性があるため、硬貨の発行者は戦争に負けた場合に備えて、価値が具体化された貴金属によって、国外での何らかの価値の保持を保証していたのである24  。

4.バランスシートの統合および整合: あるいは、政府支出の実態

MMTは、現代的な中央銀行がオーバーナイト・レートの目標を設定している事実をいかなる時も受け入れている。アメリカでは、FRBが直接、準備預金を貸し出す際の割引率を設定し、銀行がお互いに準備預金を貸し出す際の金利であるフェデラル・ファンド・レートに目標値を設けている。世界的な金融危機以前だと、FRBは準備預金に利子を払っていなかったが、金融危機以降、準備預金に支払われる金利を使って、フェデラル・フェンド・レートの床を設定したことで、割引率が天井として機能するようになった。中央銀行は、「市場」レート(アメリカではフェデラル・ファンド・レート)が目標からどの程度乖離するかを決定する裁量権を持っている。1994年以前だと、FRBは目標金利を発表していなかったため、市場が目標を見出さなくてはならなかったが、現在では,FRBが目標金利の変更を発表すると、すぐに目標に向かって動くようになっている。準備預金を保有している金融機関の中には、割引窓口を利用できない機関もあるため(そのため、フェデラル・ファンド・レートは割引率の天井を超える程に上昇することもあり得る)、今でも多少の変動はある。こうした議論はすべて、ポスト・ケインジアンの内生的貨幣と水平主義の考え方と整合的である。

モズラーが導入したのは、国庫短期証券の売却を金融政策の一環として、つまり(借入オペレーションではなく)準備預金の除去(drain)として捉えるべきだという考え方である。MMTは、国庫支出は全て準備預金への入金という形で行われ、受取銀行は政府支出の受取人の預金口座への入金を行うと論じている。部分準備制度では、これが過剰な準備預金を生み出すことになる。FRBが準備預金に利息を支払う以前は、システム上の超過準備がフェデラル・ファンド・レートを下押しし、下落圧力が緩和されなければレートがゼロに向かって下落する可能性があった。債券の売却は、準備預金の引き落としにつながり、下落圧力を和らげる。

モズラーの(債券トレーダーとしての)洞察によれば、債券売却が国庫によるもの(新規発行)であっても、中央銀行によるもの(公開市場での売却)であっても、どちらの場合も、準備預金を取り除くという機能は同じである。ステファニー(ベル)・ケルトンと私は幸運にも、カリフォルニア州立大学サクラメント校でジョン・ランレットのもとで貨幣と銀行を勉強していた(年次は数十年違いだが)ので、こうしたオペレーションのT勘定を訓練されており、すぐさまモズラーが正しいということが分かった25 。政府支出は銀行システムに準備預金を投入する一方で、徴税や債券売却は準備預金を取り除く。一般に、財務省が債券売却を行えば、財政的借入オペレーションと呼ばれている。ところが中央銀行が債券売却を行えば、金融政策オペレーションと呼ばれている。これは不可解ではないか? 振り返ってみると、この点は水平主義では完全に見過ごされていたのではないか――水平主義では、財務省による支出、徴税、債券売却による準備預金へのインパクトについて何も議論されていなかった。通常、財政政策が銀行の準備預金に与える影響は、中央銀行による純粋な「金融政策」オペレーションの影響よりも桁違いに大きいのだから、これは不可思議である。

確かに、実世界のオペレーションはより複雑であり、ディーラー銀行、特別預金銀行の租税公債勘定、中央銀行の財務省口座など、多くのステップと機関関係者が関与している。MMTでは、簡単な説明のために、財務省と中央銀行を「政府のバランスシート」に統合し、財務省と中央銀行間の内部操作を排除し、特別預金銀行が関与するいくつかの中間段階を無視していることがある。このことで、MMTは単純化しすぎていると非難するポストケインジアン経済学の分派を生み出すことになった。しかし、MMTは当初から、アカデミックな経済学者(もちろん、ポストケインジアンも)が試みたことのない水準で、すべての運用上の詳細を完全に明らかにしようとしてきたのである。ケルトンがこの研究を始めたのは私が1998年に著書を執筆していたときである26 。FRBと財務省の間の整合の詳細は、ケルトン(Bell 2000)によって、その後、アメリカではスコット・フルワイラー(2010)とエリック・ティモワーニュ(2016)、ブラジルではフェリペ・レゼンデ(2009)によって拡張された。しかし、彼・彼女らの業績が示すように、モデルを単純化した「統合」は、中間ステップをどれだけ深く踏み込んでも最終的な残高は変わらないので、ミスリードになることはない。

正統派(そして多くの異端派経済学者)は、政府が家計や企業が直面しているのと同様の予算制約に直面していると主張しているが、MMTは、通貨の発行者は(立法者が採択した予算以外では)予算制約に直面していないと論じている。典型的な説明では、制約は次のように表現される。G = T + dB + dHPM ここで、Gは政府支出と債務の利払い、Tは税収(移転を差し引いたもの)、dBは新規国債発行、dHPMは「ハイパワーマネーの印刷」(現金と準備預金の新規発行)である。さらに、資金調達の方法は、支出に際して税金を使うか、借金をするか、貨幣印刷をするかを政府が選択するものとして捉えられている。借り入れは金利を押し上げ、民間の借り入れや支出を押しのけてしまう可能性があり、貨幣印刷はインフレを引き起こす可能性があるとされる。

MMTはこれに異議を唱え、上記は事後的な恒等式であって、事前の制約ではないと論じている。さらに、「資金調達」は常に銀行の準備預金への入金(及び民間銀行による受取人の口座への入金)という形で行われるのであり、政府は税金を使うか、貨幣を使うか、債券を使うかを「選択」するわけではない。実際、会計期間の終わりに予算が「均衡」あるいは黒字になったとしても、支出には通常、この3つすべてが含まれている。これは、財務省や中央銀行の自縄自縛の手続きによるものである。特別な「赤字財政」などというものは存在しない。政府は支出する分だけ「資金調達」されるのであり、赤字は事後的に計上されるのみである。中央銀行が準備預金に利子をつけた場合、超過準備を銀行システムに残すか、債券売却によって除去するかを選択することができる。その意味でのみ、債券を「使う」か、ハイパワードマネーを「使う」かの選択があると言えるが、その選択は支出が発生した後に生ずるものだ。さらに、1年間の税収は内生的に決定される(そして大部分は循環的に決定される)ものであり、税収は支出のための手段として用いられる裁量的な選択ではない。

政府赤字は(クラウディングアウトや貸付資金仮説の話のように)金利を上昇させるものではなく、他の全ての点でも同様に、銀行の準備預金の純入金につながるため、オーバーナイト金利に下降圧力をかける。これがモズラーのオリジナルの洞察であった。国債の売却は、中央銀行が金利を目標値を下回らないようにするために過剰な準備預金を除去(drain)する。財務省が市場が購入を渋るような満期の債券を発行することを選択した場合、その満期の金利を押し上げる可能性があることは事実かもしれない。しかし、それは「公債管理」の誤りであり、政府赤字の必然的な結果ではない。中央銀行が準備預金付利を支払うようになれば、目標金利を維持するための債券売却はもはや必要ない。

例えば、中央銀行による財務省への当座貸越の提供を禁止するというような、採用している運用手順の問題で、国債発行の措置が必要になる可能性もある。その場合、財務省は支出の前に新規発行分の国債を売却することになるかもしれないが、その際、中央銀行は銀行が国債を購入するために必要な準備預金を確保しておく必要がある。これは、準備預金の融資や、財務省の新規国債発行に合わせた公開市場での購入によって実現する。しかしながら、中央銀行は常に新規発行国債を市場から取り除くことが出来る(例えば「量的緩和」(QE)などを通じて)。

何兆ドルものQEを何度も実施した後だけに、インフレに関しては、銀行に準備預金を残存させておくか、国債を売却して準備預金を除去するかに違いはないことが明らかになっている。準備預金は銀行システムの中に残留するだけであり、外に出てインフレを引き起こすことは出来ない――超過準備によって可能なのは、オーバーナイト金利をゼロ、ないし中央銀行によって支払われるサポート金利まで引き下げることだけである。QEは事実上、長期債から準備預金へのデュレーション取引であり、政府債務残高の満期を引き下げるものであったため、銀行の収益を低下させた。中央銀行が不良債権(無保険の住宅ローン担保証券など)を購入したという点では、債務超過の銀行の支払能力を高めることができたかもしれないが、政府がそのような銀行を強制的に整理(resolution)するつもりでもない限り、銀行の経営にはほとんど影響を与えなかった。要するに、我々が当初から主張してきたように、QEは貸出や支出を押し上げるものではなく、中央銀行による資産購入だけではインフレにはならないのである27

しかし、これは政府が大きすぎる支出を行ったり、間違えた方向に支出してしまう可能性がないことを意味してはいない。ただ単に、もしインフレが起こるとすれば、引き起こすのは(純)支出であって、借入か貨幣印刷かの「選択」ではない。民間支出が多すぎると、同様にインフレ圧力を引き起こすことになる。ステファニー・ケルトンが言うように、「レジは民間支出と公共支出を区別しない」。いずれにしても、インフレの危険性を示すのは「過剰な支出」であって「過剰な貨幣」ではない。政府の支出の仕方は、インフレとは無関係の話なのである。

5.部門別収支

1990年代初め、ウェイン・ゴドリーがレヴィ研究所に着任した。彼は自身で開発した部門別収支アプローチを用いて、米国経済のモデル化に着手し、1995年にはレヴィ研究所における最初の論文を発表した。1997年夏の終わり頃、長期滞在のためにレヴィ研究所に赴任した私は、新しく書いていた著書の原稿をゴドリーを含むレヴィ研究所のメンバーに読んでもらった。その頃、ゴドリーは米国で、民間部門の赤字が拡大していることについて警告を発していた。これは彼が1999年に発表した論文“Seven Unsustainable Processes(7つの持続不可能なプロセス)”の中で強調されている。MMTには、政府の赤字は非政府部門の黒字を生み出し、政府の債務は非政府部門の純金融資産を意味するとの認識が既に取り込まれていた。これはミンスキーの“big government(大きな政府)”アプローチ(次の章で述べる)の重要なポイントであった。

ゴドリーは、海外部門を明示的に取り込み、資金循環勘定を用いたストック・フロー一貫モデルを提示した。これはすぐにMMTにも取り込まれた。ゴドリーと私は共同で、フィナンシャルタイムズ紙でのいくつかの論説記事や、レヴィ研究所での論文(Godley and Wray 1999)で、「ゴルディロックス」経済の崩壊が近づいていると警告した。ゴドリーはユーロの計画案の将来に関して懐疑的であり、ステファニー(ベル)・ケルトンは、自身の論文で、このゴドリーの懐疑論を応用し、私は1998年の著作の中で、一節として取り込んだ28 。1998年にケルトンとエドワード・ネルは、ニュースクール大学でユーロに関する会議を開催し29 、ウォーレンはロンドンでの開催を援助した30

最も重要なポイントは、部門別収支は必ずバランスしなければならないことにある。つまり、政府の財政収支の帰結は、他の2部門の収支から切り離して考えることはできない。どの部門であれ黒字(収入が支出を上回っている状態)になることは可能であるが、それは他の部門が少なくとも1つは赤字(支出が収入を上回っている状態)になっていることを意味する。民間部門の黒字が減少したり、海外部門の黒字が減少したりしない限り、歳出を減らしたり、増税したりしても政府の赤字を減少させることはできない。各部門の収支は相互に複雑に絡み合って決定されるため、財政政策や金融政策はそれぞれの部門別収支に対して不確実な影響を与える。米国の場合、堅調な成長においては一般的に民間部門の黒字の減少と海外部門の黒字の増加を伴うことが分かっている。基本的に、これらの最終的な結果は漏出(国内民間部門の貯蓄と純輸入)の減少であり、政府の注入(赤字)の減少を可能としている。

しかし、このような部門別収支の動きは、それらに対抗するような力をも動かしている。というのも、民間部門の黒字の縮小は一般的に負債比率を高め(ゴドリーの最も重要な持続不可能なプロセスの一つであり、このことはミンスキーの金融不安定性仮説においても強調されている。下を参照。)、さらに財政収支の黒字化と経常収支赤字の拡大という2つの動きが経済から需要を奪うことになるからである。これが限界点に達すると(「ミンスキー・モーメント」)、金融危機が発生し、その結果として、成長の鈍化、民間部門の黒字の増加、経常赤字の減少、そして財政赤字の増加を伴うことになる。均衡財政を維持したいと考える財政タカ派は、それを実現するために民間部門と海外部門の収支をどうやってコントロールするのか説明しなければならない。

MMTは、政府の財政収支が経済を安定させる役割を果たすべきである、との立場に立つ。そのためには正景気循環的な徴税と反景気循環的な支出のような自動安定化装置を設計する必要がある。確かに、財政赤字が大きすぎればインフレを助長する可能性がある。米国の場合、連邦政府による徴税は既に十分に正景気循環的であることが示唆されているが、どちらかといえば支出が十分に反景気循環的ではないため、第7章のテーマでもある景気サイクルに逆らった支出の動きを強めることに焦点を当てるべきである(Wray 2019)。また、次の章のテーマでもある民間部門に内在している金融不安定化の傾向への対処も有益だろう。

6.金融不安定性

ハイマン・ミンスキーは、景気循環の過程で金融の脆弱性に向かって進化する現代資本主義の固有の傾向についての理解を深める上で、最も重要な貢献をした。彼の金融不安定性仮説は、1950年代後半から1970年代半ばにかけて構築され、彼の著書“John Maynard Keynes”(1975)〔邦訳『ケインズ理論とは何か』〕で余すところなく説明されている。彼は「投資金融理論」を追加することで、ケインズの「景気循環投資理論」を拡張することを主張した。

ミンスキーの銀行業と金融への理解は、彼の指導教官(シュンペーター)の「資本主義の行政官(監督者)としての銀行家」という観点に、我々が「ノンバンク」と呼ぶものの重要性を認識していたガーリーとショーの貨幣と銀行業への幅広いアプローチと統合したものである。後にポール・マッカリーはそれらを「シャドーバンク」と改めて名付けた。ミンスキーはまた、リッターがキャッシュフローとバランスシート(貸借対照表)を統合して資金フロー・マトリクスを作成したことをよく理解していた。彼は、すべての経済主体は、資産のポジションを取るために負債を発行する「銀行」として分析できると主張した。彼はさらに、誰でも「貨幣」(計算貨幣で表される負債)を発行できる、問題はそれを「受け取らせる」ことにあると論じた。そして、前述のように、彼は金融革新の最新動向に通じていただけでなく、金融革新がどのように流動性を拡大し、潜在的な脆弱性を高めてきたかを認識していた。これらすべての点で、彼は貨幣と銀行業に関する概念の一般化を限界まで押し進めた31

ミンスキーは、前例のない繁栄と金融の安定の時代を生み出したニューディールと戦後初期の改革の重要性を認識していたが、この安定が人々の行動を変えるだろうと1950年代に既に警告し始めた。彼は、制度は不安定性を抑制できるが、市場に備わっているプロセスはその有効性を低下させるだろうと主張した。ほとんどの景気循環分析とは異なり、ミンスキーの見解は、「市場の見えざる手」は不安定である一方で、制度の「見える手」(特に政府の見える手を含む)が見せかけの安定性を生み出す可能性があるというものであった。しかし、この制度の「安定性が不安定性を生み出す」のである。ミンスキーは1990年にレヴィ経済研究所に移ったとき、彼の関心は、過去1世紀にわたる金融システムの長期的変化の分析に向けられ、それぞれ異なる特定のタイプの金融システムを伴う資本主義の各段階を特定した。ミンスキーは、(ハインツ社のピクルスの宣伝文句をもじって)「57種類の資本主義」が存在すると常々冗談を言っていたが、この研究は1980年以降の「マネー・マネージャー(資金運用者)資本主義」(MMC)の台頭に焦点を当てている。彼の見解では、これは大恐慌に陥った「金融資本主義」の時代と同様の段階であり、彼は大恐慌が「再び起こる」かもしれないと懸念していた(その題名から1982年の著書“Can “It” Happen Again?〔「それ」(大恐慌)は再び起こるか?、邦訳:『投資と金融:資本主義経済の不安定性』、日本経済評論社、1988年)”はこれに由来している)。レヴィ経済研究所で、彼は金融システムを「再構築」するための提案を策定するために、「米国と世界の経済情勢に関するハイマン・P・ミンスキー会議」を設立し、毎年4月の恒例行事として長期間にわたって開催した。彼の見解では、資本主義を改革するための鍵は、金融改革であった。何故なら彼は資本主義を「金融システム」と見なし、また金融システムが進化するにつれて、資本主義の形態も進化したと考えたからだ32

ミンスキーは長い間、「大きな政府」と「大きな銀行」の両方が経済を安定化させる役割を果たすべきだと主張していた。 前者は財政政策、後者は中央銀行の政策である。ミンスキーは、連邦政府(の財政規模)が大恐慌前の経済の約3%から第二次世界大戦後には20%以上に拡大したことは、民間支出の変動を相殺するための経済に重きが置かれたと主張した(ケインズと同様、ミンスキーも民間投資を景気変動の主な原因と見ている)――政府の予算均衡が反循環的に動いているため、好況と不況に対する資本主義の自然な傾向を弱める可能性がある。彼は反循環的な予算の3つの効果として所得効果、キャッシュフロー効果、そしてポートフォリオ効果を挙げている(Minsky1986)。 1つ目は、通常のケインジアン乗数の概念である。ただしミンスキーは、政府の利払いだけでなく、移転支出の自動変動も強調した。 2つ目は、カレツキの利潤の公式から導き出されたものであり、ミンスキーは1975年に著書を出した後、自身のアプローチにこれを取り入れている。景気後退における政府の財政赤字の拡大は、投資の減少による利潤への影響を相殺することができる33 。これは、企業が債務を返済できるよう利潤のフローを維持し、フィッシャーが定式化したような債務デフレーション(企業が債務の支払いを行うために資産を売却しなければならなくなり、資産価格を押し下げる現象)を防ぐのに役立つ。最後に、政府の赤字は、まさに企業が安全な国債を切望するときに国債をポートフォリオに組み込み、借入が再開されたときに担保として使用できるため、回復を促進する。

ミンスキーは、第二次世界大戦の巨額の財政赤字の遺産の1つは、民間のポートフォリオ内の大量の政府債務であると主張していた。これによって、民間企業や家計が借り入れを開始した戦後の好況の間、(安全な資産で満たされた)堅調なバランスシートを維持するのに役立ったのである。

「大きな銀行」である中央銀行の最も重要な役割は、金融危機における最後の貸し手として機能することである。これは資産価格に床を設定する(これもまた、フィッシャーの言う債務デフレを防ぐのに役立つ)。これは、金融政策であると同時に、総需要に床を設定する際の財政政策の役割を果たしている。しかし、ミンスキーは暴走する多幸症の傾向も懸念していたため、総需要に天井を課すための財政政策を望み、さらに資産価格に天井を設ける金融政策も望んでいる。したがって、堅調な景気拡大によって財政は黒字化に向かうはずである、とした。最後の貸し手政策に対応するのは、中央銀行による銀行業の監督と規制だった(また米国の場合は、財務省が連邦準備制度と責任を共有する通貨監督庁(OCC)と連邦預金保険公社(FDIC)を通じて行われる)。主流派の経済学者とは異なり、ミンスキーは中央銀行が準備預金の管理を通じてマネーサプライを管理できるとは信じていなかった。代わりに、彼は主に銀行が購入した資産の質を監督することによって、銀行の貸付に影響を与えるのが望ましいと考えている。

ミンスキーは、ミルトン・フリードマンやアラン・メルツァーのようなマネタリストによる2つの主要な政策提案、つまりマネーサプライの成長率ルールと、準備預金を供給するための公開市場操作の使用に反対した。1つ目の政策には効果がなく、ミンスキーは早くも1957年には、銀行はイノベーションによって準備預金を節約することができるため、準備金の量を管理しても、中央銀行は貨幣の成長を管理できない、と主張している。2つ目の政策は、銀行が保有する資産の質に影響を与え、よって銀行が融資する貸付の種類にも影響を及ぼす中央銀行の能力を低下させることになる。ミンスキーは、銀行に準備金の割引窓口を強制することが望ましいと考えた。これによりFRBは、他の銀行と同様に、借り手の帳簿(この場合、準備金が必要な銀行)を見る機会を得るだろうと主張した。 FRBはリスクの高い貸付や奨励したくない活動への貸付を減らすために、銀行の行動の変更を要求することができる。これは、監督と規制におけるFRBの役割を前進させるのに役立つ。残念ながら、ミンスキーは最終的にこれらの論争の両方に敗れた。FRBは1960年代に公開市場操作にさらに傾倒し(その後数十年にわたって、経営難の銀行への緊急貸付のために割引窓口の利用が増加した)、1979年にはボルカー議長の下で明示的に貨幣成長率〔マネーサプライ・ターゲット〕を採用した。これらはそれぞれ独自の方法で、1960年代初頭の比較的堅固な金融システムから、ミンスキーが1980年代までに「マネー・マネージャー(資金運用者)資本主義」(MMC)と呼んだものへの転換をもたらすのに寄与した。

7.機能的財政、需要管理、完全雇用

前述したように、フォーステイターは、ラーナーの機能的財政アプローチをMMTに持ち込んだ。主な論点は、「政府の予算は機能的であるべき」ということにある。すなわち、政府予算において、歳出を歳入と等しくする、財政赤字を対GDP比で任意の比率(例えばマーストリヒト条約の基準である3%)以下に抑えたり、政府債務を対GDP比で安定的に維持する(例えばマーストリヒト条約の基準である60%以下)などの、予め想定されたなんらかの「バランス」の達成を目的とせずに、公共の目的に奉仕するように策定されるべきである、ということである。ラーナーは、政府を「自動車のハンドル」に例えたことで有名である。(大抵は)財政政策を使用することで、GDPをある種の「ゴルティロックス」率(インフレを引き起こすほど加熱させず、失業を引き起こすほど冷やしすぎない)で成長を維持できる、というものだ。これはもちろん、1960年代のケインズ経済学の政策的含意についての一般的な解釈であり、経済の「ファインチューニング:微調整」に例えられている(むろん戦後初期のケインジアンは、金融政策の有効性にあまり信頼を置いていなかったため、財政政策が強調されている)。

ミンスキーは、総需要管理に対してラーナーのケインジアン的アプローチに影響を受けていたが、ファインチューニング(微調整)に関するあらゆる概念を否定した34 。ミンスキーにとって、戦後経済で最も危険な傾向は、暴走した多幸症的好景気であり、経済の崩壊ではなかった(景気後退が本格的な不況へと加速するのを、政府は防ぐだろう、と彼は考えていたからだ)。これは正確には、政府が需要を下支えし、金融危機に介入できるとの認識が、最大の危機をもたらすというものであった。もし政府がこれ〔不況の防止〕を可能としているなら、深刻な下振れリスクの危険性が取り除かれ、楽観主義が高揚することになる。これは、ケネディ―ジョンソン期の「貧困への戦い」に対して、ミンスキーが強い批判を行ったことからも明らかであった。確かに、政府は需要を押し上げて経済を完全雇用に近づけることができる――雇用の一部は貧困層にも波及する――が、これはインフレと金融の不安定性を引き起こし、完全雇用が維持できなくなるだろう、とミンスキーは主張した。政府がブレーキをかけて逆戻りしてしまうことで、貧困と失業の問題は解決することはできない、とミンスキーは警告した35

さらに、ミンスキーは、急進左派の主張――貧困と失業は資本主義システムの失敗を表している――に「困窮家庭への現金給付(welfare)」は「保守的な反証」となっていると批判した。彼は、困窮への対応として、政府による慈善事業が基礎になるべきではない、と主張している。ミンスキーにとって、完全雇用の達成は容易だが、維持は難しいものであった。ケインズは『一般理論』の24章で、資本主義の2つの大きな欠点について警告している。「完全雇用の制御の失敗」と「過度の不平等」である。ミンスキーは3つ目「資本主義には金融不安定性に至らせる特質が内在化されている」を追加した。これら欠点に対処するために、我々は「困窮家庭への現金給付」を万能薬とせず、制度的な改革が必要なのだ、と。

ミンスキーは、「困窮家庭への現金給付」を中傷することで私を挑発していたものだった。当時、彼がニューディール型の雇用プログラム(彼は“employer of last resort(最後の雇い手)”と呼んでいた)を推進しているのは知っていたが、「困窮家庭への現金給付」に対する彼の敵意は不可解だった。私は彼の初期の研究について何も知らなかったので、高い総需要の維持、ヘッド・スタートによる幼児教育〔訳注:いわゆる「ヘッド・スタート・プログラムのことである。5歳までの幼児と身体障害児を対象に、連保政府が様々な福祉サービス行う福祉プログラム」〕、成人への技能訓練の提供、“貧困の文化”への取り組み、これらに依存したケネディ―ジョンソン政権期のアプローチに彼がダメ出ししている立場の文脈も把握できていなかった。一方で私は、〔ネオコンの創始者〕ダニエル・パトリック・モイニハンの「貧困は、貧者の行動を変えることによってのみ軽減できる」とのテーゼも拒絶した。私は、「困窮家庭への現金給付」に関して、典型的リベラルの見解を保持していた。ミンスキーの1986年の著書には彼の見解のヒントがいくつかあった。例えば、「困窮家庭への現金給付」やフードスタンプがコストの総額を押し上げ、それによって価格圧力を生み出しているといった論拠である。ミンスキーは1960年代から1970年代前半までの文書で貧困、失業、最後の雇い手について扱っているが、私はまだ知らなかった。私はそれら文書を、ミンスキーが亡くなってから、彼の研究室とレヴィ研究所の地下に保管されていて膨大な数の箱を調べて発見した。私は、これら文書を発見しただけでなく(内のいくつかは、2013年に出版された短い本に収められている)、彼が1990年代初頭に取り組んでいた本の原稿も発見した。その原稿では、アップデートされた理論的枠組の中で批判と代替案が示されており、「困窮家庭への現金給付」アプローチがインフレと金融の不安定性を助長するであろうと彼が考えた理由がより明確となっていた。

ミンスキーは、資本主義に内在する欠陥に対処するための政策アプローチを説明する際に、1986年の著作で以下のように主張している。「政策目標として、雇用よりも、投資と‘経済成長’を重視するのは間違いである」。彼は、成長に焦点を当てれば、不平等と不安定性を増大させる可能性があると警告した。彼がミンスキー(1986, 308)で企図した最後の雇い手(ELR)のアプローチにおける重要な論拠は以下となっている:

1.「政策課題となっているのは、不安定性、インフレ、失業をもたらさない完全雇用の策定である。この政策における主要な手段は、企業の長・短期的の利潤の期待に依存せず、最底もしくは最低賃金に沿った無限に弾力的な労働需要の創出である」

2.「“雇用の提供”と、“労働者を雇用することでの収益性”を切り離すことができるのは政府だけである。よって、無限に弾力性がある労働需要は、政府が生み出さねばならない」

3.「〔政策は〕恒久的なプログラムとなることで、公共サービスや環境改善など、移転支払い型の政府では得られない生産活動を提供するとともに、人的資源の創造や改善も行う」

4.「税金を納める必要があるという事実が経済の貨幣に価値を与えている。…税金を納める必要があるということは、税の支払い手段である貨幣を獲得するために人々が働き、生産するということである。」

その後、私は、ミンスキーの1969年の手書き原稿を発見した。彼は以下のように説明している。
「私は、最後の雇い手プログラムを賃金支援法と名付けた。政府が全ての人への雇用する用意する立場に立つ、との条件設定は、農産物価格の支援プログラムに類似している」36
ビル・ミッチェルは後年、この考えを単独で開発している。ミッチェルは、正統派のNAIRU(インフレを加速させることがない失業率)や、マルクス主義の失業者予備軍に代わる、新しい安定化手段として、雇用の「バッファー・ストック」を提唱した37 。ミンスキーが、「困窮家庭への現金給付」に敵対的であった理由、そしてELRのアプローチが、農業のバッファーストックによる農産物価格の安定化と同じように、雇用のバッファローストックによって賃金を安定化し、インフレと金融不安定性を引き起こさず、持続的な完全雇用を達成できるとした理由、これらが明らかになり始めたのである。

ミンスキーが、1960年代から1970年代半ばまでの様々な論文で説明していたように、「ケインズ主義的な」景気刺激策は、ほとんどの場合、総合化され寡占化された先進的な部門(例えば軍産複合体)への支出に的が絞られているか、民間投資への税制上の補助を提供するものとなっていた。ミンスキーの見解では、これらはいずれもインフレと金融レバレッジを促進するであろう、とされていた。対照的に、失業者への支出に的を絞り、労働者をあるがままにあるが場所で活用すれば、低所得者個人や地域社会に直接の便益をもたらすことになる。彼は、ケインズ主義による需要サイドや、新古典派による供給サイドへの「トリクル・ダウン」政策――つまり、景気刺激策や税的補助金よりも、「トリクル・アップ」政策を好んだ。〔ELR〕プログラムによって賃金の底を徐々に引き上げ、同時にトップの賃金を抑制することで、所得の不平等を減らすのをミンスキーは望んでいた。

雇用保障案に対する進歩派の批判者の多くは、カレツキの有名な論文に言及している38 。カレツキはこの論文で、資本主義経済では〔政府の直接雇用による〕完全雇用は政治的に不可能である、と主張した。
「完全雇用の維持は、社会・政治的な変化を引き起こし、実業界のリーダーによる新たな反対を刺激するだろう。〔資本家は以下のように懸念するだろう、〕“解雇”は懲戒処分としての役割を果たさなくなり、上役の社会的地位は損なわれ、労働者階級の自信過剰と階級意識が高まるだろう…完全雇用は労働者の価値観からは不相応であり、失業は“通常の”資本主義制度において不可避の一要素であることを、階級的本能によって労働者自身に教え込まねばならない」 (Kalecki 1971, 140–41).

カレツキは論文でこれを多く論拠付けているが、ミンスキーが「経営福祉国家」と呼んだ資本主義の形態(ヨーロッパでは「社会民主資本主義」としばし呼ばれている)、つまり大きな政府・大企業・大規模労働組合による、(実質的に完全雇用に近い)手厚い雇用が実現したことで、カレツキの主要主張は今や時代遅れになってしまった。さらに、多くの国において、社会的セーフティネットや手厚い生活保護制度すらも資本家に数十年かけて受け入れられた。最後に、カレツキが完全雇用を達成するために論じていた手段(公共インフラ支出への拡大など)には、現代の雇用保障政策のようなものは一切含まれていなかった39

私の見解では、完全雇用の達成の試みにケインズ的な呼び水刺激策を使用することにミンスキーが反論したことは、カレツキの議論より説得力があった。仮に資本家が呼び水刺激策に「賛同」したとしても(ショーン・ロビンソンが「軍事ケインズ主義」と呼ぶものを、資本家が支持したことで、賛同したと論じられるかもしれない)、総需要の高維持によって、インフレと金融不安定を引き起こし、完全雇用は持続可能でなくなる、とミンスキーは主張した。完全雇用の維持管理において1960年を実験と見る限りにおいて、総需要管理はインフレ圧力と金融の不安定性に貢献している。「経済を完全雇用に移行可能な手段(例えば総需要の押し上げ)」は、完全雇用を維持できないかもしれない、とミンスキーは主張した。なので、彼は、政府支出を、直接失業者に向ける代替政策を提案したのである。

振り返ってみると、ミンスキーの初期の著作には、驚くほどの先見の明があった。貧困との戦いは失敗に終わり(Bell and Wray 2004)。金融不安定性は、復讐のように再来した。1960年代後半から1970年代初頭のインフレ懸念は、ケインズ以前の新古典派経済学を最も悪質な形態で再燃させ、そして労働者の組織化を破壊し、不平等を増大させる、新自由主義の台頭に至らせたのである。クリントン大統領は、「貧困との戦い」を棺桶に入れて最後の釘を打ち、最終的に「周知されているような福祉」を終わらせた。ターゲットを絞った雇用プログラムで経済を安定化させるミンスキーの代替的アプローチを、私はミンスキーについての講義で常に取り上げており、我々のMMTの見解において推し進める最重要政策となった。

8.MMTと雇用保障

前述したように、MMTの始まりは1996年初頭に遡ることができる。ミンスキーは、当年1月初旬に、サンフランシスコで開催されたアメリカ社会科学協会の年次総会で論文を発表し、ニューヨークに戻る途中でセントルイスの主治医のもとに立ち寄った。彼は、進行癌と診断され、すぐに治療を開始したが、秋に逝去した。結果として、ミンスキーは、MMTの創設には直接関与していない。私は、自身の研究について話し合うために、彼を尋ねている。ELRの提唱を含めて、彼と話したことを覚えており、執筆中の本のタイトルについて思案中で、“modern money(現代貨幣)”との言葉に言及した。ミンスキーは眉をひそめたが、この話題に関して、彼は全自著から私に何も伝えず、彼がレヴィで取り掛かり始めていた本の原稿の作業中のタイトルに“modern money”という言葉を使っていたことも教えてくれなかった。いずれにせよ、1997年3月に、我々はEastern Economics Associationのためのパネルディスカッション「ハイマン・ミンスキーと“Government as Employer of Last Resort(最後の雇い手としての政府)”に関する公開討論会」を開催した。この論題に関する私のレヴィでの最初の論文は、当年11月に出版されている (Wray 1997)。この論文では、ミンスキーの1986年の著作より多く引用したが、私がまだ発見していなかったミンスキーの初期の著作からは引用していない。

ミンスキーは「最後の雇い手」という言葉を使っていたが、これはニューディール時代に使われていた言葉であり、中央銀行の「最後の貸し手義務」を、財政政策による下支え機能に応用したものである、と彼は述べている。民間の金融システムは、流動性が枯渇した場合、自己救済が不可能なので、中央銀行は完全に弾力性のある準備預金の供給に備えておかなければならない。同様に、流動性選好が高まれば、民間の投資支出は崩壊するだろう〔訳注:不況等での民間の「流動性選好=現金保有動機の高まり」は民間投資の激減を意味し、結果的に失業者が増大することを意味している〕。完全に弾力的な労働需要を供給できるのは政府だけであり、民間雇用主による、失業者の救済は期待できない。中央銀行は資産価格の天井と床の提供が期待されているが、同様に財政当局は、ELRプログラムを通じて総需要の天井と床の保証が可能となっているはずである。基本的に、ミンスキーは、ELRを、中央銀行の最後の貸し手機能に対応する財政政策とみなした。むろん、ミンスキーは、他の種類の反景気循環的な財政支出も支持するであろうが、失業者に雇用を充てることを鍵とした。以上理由から、ミンスキーは、ケインズ的な景気刺激策と「困窮家庭への現金給付」プログラム双方に懐疑的であった。後者〔困窮家庭への現金給付〕は必要であるが、政府は慈善事業を貧困対策の基礎にしてはならない、と彼は主張している。

ミンスキーは、基本賃金を固定したELRプログラムは、インフレを招かないだろう、と主張した。前述したように、彼は、農業価格支援プログラムによる価格の天井と床の提供に比較している。農業価格支援プログラムは、農産物の価格を上昇させることなく、価格の下落を防ぐことはできる。不足時点で、価格圧力を軽減するために、政府は農作物のバッファーストック(在庫)を放出することができるからだ。ELRプログラムも同じように作用する。対照的に、「困窮家庭への現金給付」とフードスタンプ〔食料配給券〕プログラムは、共に供給を高めることなく生産物への需要を増加させるので、潜在的なインフレ要因であるとミンスキーは考えた40 。ミンスキーは、ベースとなる賃金が相対的一定水準に保たれている限り(彼はELRプログラムによる賃金を、平均労働生産性の上昇に応じたペースで決めるのを想定していた41 )、ELRの労働者が何か生産的な活動を行っている限り、ELRによる代替案は価格を安定させると考えた42

カンザス・シティ/レヴィの雇用保障案は、常にミンスキーの先導下にあった。ミンスキーの提案のように、我々も提案もまた、労働者を「あるがままに、あるが場所で」担う普遍的プログラムとなっている。職務上のスキルを向上させ、社会的に有用な成果を達成するであろうことを目的としている。資金は国から提供され、プログラムはすべての参加者に同一賃金を支払う。そしてこれには、福利厚生のパッケージ(生活賃金にプラスして、医療や育児等の給付金の支払い)も含まれている。この賃金が、国の実効最低賃金となる(ミンスキーは、失業者がいれば、実効最低賃金はゼロであると常々主張していた)。「合衆国政府に、ニューディールのプログラムを運営していた人と同じくらい有能な行政官ははたしているのか? とりわけ、レーガン大統領が政府能力の信頼を破壊してしまった後だぞ」とミンスキーは声を大にして問うていたものだった。我々はこの点を肝に銘じて提案を組み立てた。ミンスキーと我々との主な違いは、彼はELRをWPA(中央管理)でモデル化したのに対して、我々のELRは高度に分散化されている(地方自治体や非営利団体がプロジェクトを組織化する)点にある。

9.結論: MMTと政策

MMTの大部分は、主権通貨がどのように「機能するか」 を説明する記述的なものであり、主権通貨の発行者のために利用可能な政策空間として開かれている。記述的部分は、進歩派でも保守派でも政策立案として利用できる。MMTの開発者の大部分は進歩的だが、右派と左派の両方が持つ誤った考えを暴くために、現在の貨幣システムがどのように機能するかを説明しようとしてきている。MMTの記述的な大部分は、ほとんどの場合MMTの提唱者が提唱している政策から切り離すことができる。しかし、我々は、以下の3つの政策を、MMTから直接派生したものであると考えている。すなわち「雇用保証(JG)」「変動相場制」「金利ターゲティング」である。

批判者の中には、雇用保証をMMTに絶対不可欠なものでないと主張する人もいる。批判者らは、雇用保証はよくても追加政策であり、MMT内の進歩派の支持者達が不必要に追加したものだと考えている。これは誤りである。MMTのすべての開発者(ウォーレン・モズラーやビル・ミッチェルのニューカッスルのアプローチを含む)は、最初期から雇用保証を基本的な政策の一つとして盛り込んでいる。MMTは、雇用保証を主権通貨の価値を管理するための最も重要な政策と考えている。

上述したように、MMTは、債務が主権通貨への初期需要を生み出すという意味で、「税がお金を動かす」と主張している。これによって、通貨がなんらかの価値を持つことを保証しているのである。しかし、MMTは、通貨の価値は、「通貨を得るために何をせねばならないかによって決まる」と主張している。15ドルを得るために1時間働かなければならないとすれば、それが通貨の価値を確立する。1時間労働が15ドルと等しくなるのである。雇用保証プログラム(JGP)が基本賃金として15ドルを支払う場合、働く意思のある人は誰でもその賃金を得るのが保証される。〔JGPが導入されると〕他の雇用主たちは少なくともその賃金と対等にしなければならないだろう。より高い技能や他のより大きな需要のある労働者は、より高い賃金を受け取るだろう。他の雇用主が雇用保証プログラムから彼らを競り落とそうとするためである。

MMTはJGPを通じて、主権政府を価格設定者(price-setter)、そして数量受容者(quantity-taker)とみなしている。MMTは、雇用保障をミンスキーのアプローチと同様に、雇用・賃金・総需要・物価の安定化装置であると主張している。基本賃金を設定し、労働力の緩衝在庫(バッファーストック)として運用させれば、単に総需要の安定化だけに頼るよりも効果的に賃金と物価を直接安定させるのに役立つ。

また、雇用保障を主要な失業対策に活用すれば、金融不安定性は助長されない。ミンスキーが論じたように、富裕層への減税や投資の助成といった典型的な保守の供給サイドへの政策を選択すれば、投機ブームが助長される可能性がある。これは、最先端の産業部門を対象とした典型的なケインジアンの景気刺激策も同様である。このような政策は不平等を拡大させ、この数十年間で、所得分布の少なくとも下半分は、生活水準を維持するために借金に頼らざるを得なくなっている。こういった政策とは違い、雇用保障は、職を提供し、賃金の底上げに利用でき、平等性を高め、金融の脆弱性への傾向を減少させる。以上の理由から、雇用保証はMMTの不可欠な構成要素となっている。

MMTの基本となる残りの2つの政策は、変動相場制と中央銀行による金利ターゲティングである。変動相場制は政策空間を最大化し、政府が自国通貨の債務を強制的にデフォルトする危険性を排除する。自国通貨を貴金属または外貨に固定する国は、金属または外貨の十分な入手手段を保持しなければならない。固定相場では、交換を約束することで、自国通貨や公債は、実質的には金属や外貨立ての債権となる。これら債権を保証するために、国内政策は〔外貨との〕交換のために十分な準備金を維持する必要性から決定されなければならなくなってしまう。これは一般的に、経常収支の黒字を計上/ないし、資本収支を通じて金属や外貨の供給者を満足させるための、緊縮政策がイコールとなる。MMT支持者は、必ずしもすべての国が変動相場制にするべきだと主張しているわけではない。単に、変動相場制でない国は主権通貨発行の国内政策上の利点を利用できない、と主張しているだけである。場合によっては、為替レートの固定または管理が、個々の国にとって最善の政策となることがある。

MMTは、中央銀行がオーバーナイト金利の目標を設定し、準備金の需要に対応する(accommodate:アコモデート)というホリゾンタリスト(水平主義者)の見解を常に受け入れてきたが、この見解は現在、中央銀行関係者にも一般的に受け入れられている。しかしながら、従来の見方(ホリゾンタリストのアプローチを支持する人たち)とは異なり、MMTは需要を管理するために、金利政策の利用(間接的なインフレ管理)を、支持していない。第一に、中央銀行が通常の金利目標の範囲内で総需要に対して大きな影響力を持つのを可能にするほど、支出が金利に対して十分に弾力的である証拠はほとんどない。第二に、中央銀行の金利政策(過去10年間の非伝統的な量的金融緩和やマイナス金利政策さえも)が、インフレ率を望ましい方向に動かすことができた証拠はほとんどない。第三に、超高金利(例えば1979年以降のボルカーのマネタリズムの実験が引き起こした)への急激な上昇は、投機バブルを崩壊させる可能性があるが、それは現在価値の逆転、破産、倒産、金融危機をも齎している。こういった出来事の損失は莫大であり、金融機関へのより厳しい規制と同様に、信用規制もより効果的な可能性が高い。こうした理由から、MMTは財政政策に力点を置くと同時に、金利操作ではなく金融機関に対する量的・質的規制に焦点を当てることを提案している。

MMTは低金利で安定した金利目標を好む。MMTは、国債の実態は、借入オペレーションではなく、金利政策のツールとして見るべきだと認識している。なので、準備預金への付利は国債発行に代わる実行可能な代替手段であり、いずれも金利目標に沿ったオーバーナイト金利の維持に役立つと考えている。この〔オーバーナイトの金利設定の〕目的のためには、(例えば1~3ヶ月の)短期債で十分である。なぜなら、短期債は、準備預金へ付利の優れた代替品となっているからだ。ミンスキーとMMTは共に、政府による利払いを一般的に非効率な形態の政府支出と見なしている。利払いは高所得者、法人所有者、外国人に回される傾向がある。この理由から、金利目標は低く維持されねばならない。さらに、ケインズが論じたように、政策金利は経済の基盤となる金利を設定する。金利目標は高ければ高いほど、代替的投資のハードルは高くなる。他のすべての条件が同じなら、高金利は民間と公共の利益になる投資を減らすことになってしまう(中央政府はどんなに高くとも常に利払いを問題なく支払うことができるが、地方政府は異なる立場にあり、公共インフラへの利払い費用は、直面する総費用を大幅に増加させる可能性がある)。

ケインズは、リスクフリー債権の利子を除去させての、「金利生活者の安楽死」を提唱した。利子は、リスクを負った人のためだけの報酬であるべきだ、と。これは恒久的なゼロ金利政策(ZIRP)の提言であり、ビル・ミッチェル、ウォーレン・モズラー、マット・フォーステイターなどのMMT支持者によって承認されている。私は一般的政策としては賛成だが、個人、年金基金、保険会社への無リスクの貯蓄債券の売出しには、公益性があると考えている。この場合、条件を満たした購入者にのみ債権の保有を認め(個人を対象にした場合は所得と資産によって制限を設け、機関投資家に関しては条件を課す)、金利は議会によって設定されることになる。

以上が、MMTの開発者全員が受け入れている基本的な政策である。むろん、MMTの支持者は公共の目的を促進するために他の政策提案も策定している。そうした策定には、必ずしもMMTの教義に従う必要はないが、「現代貨幣」がどのように機能しているのかを理解することは、財政的に何が可能となっているのかを詳しく説明する手助けをしてくれる。当然、保守派がMMTを利用して、公共の利益にならない政策を策定するのも可能である。例えば、他国民を征服するための対外戦争や、恵まれた少数のために便益をはかることで、不平等を拡大する政策などである。我々はこの危険性を認識しているので、政府による「公共の利益のために支出する余裕がない」との主張に反論する必要性を理解した上で、進歩的な運動を活性化させるのが、唯一の解決策となっている。主権通貨の機能のあり方を説明するのか? それとも予算編成に関する虚実(自らの地位が真実によって疑われるのを恐れる反民主主義のエリートによって広められた嘘)を永続するのか? この選択を迫られた場合、MMTは前者を選択し、人々への理解を深めることを優先する。

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レヴィ経済研究所ワーキングペーパーコレクションは、レヴィ研究所所属の学者や主催したカンファレンスの参加者による、進行中の研究を紹介するものである。一連の目的は、学者や専門家にアイデアを広め、論評を引き出すことにある。

レヴィ経済研究所は、1986年にバード大学内に設立された、公共サービスに特化した非営利、無党派、独立資金による研究組織です。学識や経済学による研究を通じて、アメリカ内外の生活の質に深刻な影響を及ぼす重要な経済問題に対して、実行可能で効果的な公共政策の対応策を生み出すことを目的としています。

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※訳注:本論文はランダル・レイ教授及び、レヴィ経済研究所の許可に基づいて翻訳している。複数の訳者で分担翻訳を行った後、WARE_bluefieldが、訳語、文章表現等の細かい統一作業を行っている。各訳者の担当は以下となっている。序文・要旨、7、8章はWARE_bluefield。1、6章はゲーテちゃん。2、5章はkenta460。3、9章はsorata31。4章は望月慎。

  1. 「ソフト・カレンシー」とは、ペッグされていない通貨のことで、MMTはこれを主権通貨と呼んでいる。 []
  2. チェルネバは、後にCFEPSのアソシエイト・ディレクター(副所長)を務めることになる(下記参照)。 []
  3. 最初、我々は、デンバー大学に設置しようとしたが、うまくいかず、一時的にレヴィ経済研究所内に設置され、その後にミズーリ大学カンザスシティ校(UMKC)に移動している。チェルネバは、CFEPSからUMKCに移っているが、ステファニー・(ベル)ケルトンもレヴィ内のCFEPSで研究した後、UMKCに移っている。UMKCの学生の多くが、MMTの発展に貢献している。Joelle LeClaireの“budget deficits:財政赤字”(2008)、エリック・ティモワーニュの“central banking and asset markets:中央銀行と資産市場”(2009)、Zdravka Todorovaの“money and gender:マネーとジェンダー”(2009)、Flavia DantasとYeva Nersisyanによる“shadow banking:シャドー・バンキング”(Nersisyan and Dantas 2017)、Fadhel Kaboubの“the job guarantee for developing countries:発展途上国のための雇用保障”(2012)、Felipe Rezendeの“MMT for Brazil:ブラジルのためのMMT”(2009)等を含む。ビル・ブラックは2000年代半ばにUMKCの経済部門に加わり、金融危機の一因に、ホワイトカラーの“control fraud”(不正操作)”があることを紹介した。ヤン・クレーゲルは、著名な客員教授として長年教鞭を取ってきたが、金融市場に関する深い知見をもたらした。この講義要目ではジョン・ヘンリーも思想史を教えており、このことで、ミンスキーが言う「巨人の肩の上に我々は立っている」(Bell, Henry, and Wray 2004を参照)についての理解を深め、初期エジプトにおける貨幣の使用についても寄稿している(Henry 2004を参照)。最近では、カルロ・テイシェイラ・ホルヘが、客員研究員として論文“strengthening the application of MMT to the case of Brazil(ブラジルの事例へのMMT適用の裏付け)”(Jorge 2020)を完成させている。レヴィでは、ディミトリ・パパディミトリウが、30年にわたってMMTと雇用保障に関する研究を支えてきている。 []
  4. 初期の頃、我々のアプローチは大抵チャータリスト(一部の評論家からネオ・チャータリスト)と呼ばれ、アメリカでは“カンザス・シティ”アプローチと呼ばれていた(これは、オーストラリアのミッチェルと彼のグループの貢献を無視しており、明らかに不当な呼称である)。私は、初期の学術研究論文のタイトルで“modern money:現代貨幣”という言葉を使っているが、“modern money theory:現代貨幣理論”(一部の支持者によっては“modern monetary theory:現代貨幣理論”と呼ばれている)という言葉は、かなり後年になるまで登場していない(ビル・ミッチェルは、この言葉について、自身のブログ“BillyBlogのある投稿者に栄誉を授けている)。(私が、“monetary”より“money”を使うことを好むのは、かつて論文のタイトルで使用した単語であるからだが、それだけでなく、MMTの適用範囲が、“monetary economics:金融経済学”の通例の適用範囲に限定されていないからでもある。多くの評論家が、MMTを金融政策――例えば、中央銀行が「紙幣を刷ること」で支出を賄う――に過度に焦点を当てている新しい形態のマネタリズムの一種だと誤解している。強調して正しておきたいのが、“modern money:現代貨幣”とはすなわち、“modern:現代”の主権通貨制度の働きに関するものなのである []
  5. “Nersisyan and Wray”(2020)を参照。急速な転向の事例としては、Buiter (2020)を挙げられる。Buiterは次のように論じている「〔コロナ危機への〕アメリカの対応の多くは、“ヘリコプターマネー”という現代貨幣理論(MMT)の応用です。減税や公共支出の増加を賄うために発行された国債を、中央銀行が購入することで、財政刺激策に資金供給するものです。」 ワシントン・ポスト紙は、この急速な改宗に同意を示している(Von Drehle 2020)。「1年前だと、現代貨幣理論(MMT)は、経済学者のお茶会では、狂ったオジサンが捲し立てる、アメリカ連邦政府の支出能力を、ほとんど魔法のようなものとしている突飛な考えであり、未承認の理論であった。MMTはバード大学のレヴィ経済研究所やミズーリ州立大学カンザスシティ校などの、人里離れた研究機関で培養されており、左派のバーニー・サンダース上議院選挙(バーモント州選出)や、アレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員(民主党、ニューヨーク州選出)は何年も前からMMTについて騒ぎ立てている。しかし主流派の思想家達からはほとんど相手にされてきていない。突如として、主流派であろうとなかろうと、おおっぴらに認めるには後ろ暗いにしても、誰もがMMT主義者だ」。英紙ガーディアン(2020)は、パンデミックへの対応として、政府に直接資金を供給するようイングランド銀行に指示した決定を称賛する記事の中で、以下のように記載している。「ランダル・レイはアバ・ラーナーに多く依拠している現代貨幣理論の学者である。彼は皮肉を込めて以下のように書いている。“パンデミックの襲撃前に、政府が直面していた実物制約は、ウィルスが我々の生産キャパシティの大部分を停止させた後の実物制約より、はるかに少ない制約であった”。コロナウィルスへの対処としてできることに、お金の支払いがある。お金はなんら問題となっていない」。 []
  6. ハイマン・ミンスキーは私の指導教官だったが、私はボローニャに行き、自身の論文に組み込むことを計画していた新リカード学派の余剰アプローチについて詳しく学んだ。簡単に言うと、ヤン・クレーゲルと共に研究をしているときに、ケインズとミンスキーの両者についてより理解を深めたため、そのアプローチについては断念することにした。 []
  7. Ingham(2000)を参照。 []
  8. Hudson(2004)を参照。 []
  9. ケインズ、およびハインソーンとシュタイガーの著作を用いて、これまでと異なる視点から貨幣の起源を説明する初期の試みについては、Wray(1993)を参照。しかし、これは私たちがイネスの研究に出会う前に書かれたものであり、主に制度派のアプローチに基づいており、物々交換起源説を神話として暴くことに専念している。この論文では、負債を表示する単位として社会的に決定される計算貨幣に焦点を当て、次のように主張する。「中央銀行の“法定不換”貨幣は、民間で創造されたあらゆる貨幣と同じくただのIOU(計算貨幣を単位とする負債)である。つまり中央銀行の貨幣も民間の貨幣も、常に“法定不換“貨幣である(p.28)。私の会長講演の掲載は、制度主義経済学ジャーナルの“Journal of Economic Issues”によって却下されたが、短いバージョンはポール・デヴィッドソンが受け取り、Wray(1999)として発行された。物々交換起源説を否定する証拠については、Graeber(2011)も参照。 []
  10. ユーロに関する早期の分析については、1998年の本の91ページから始まるセクションを参照。 []
  11. これは、当時彼が書いていた1986年の著書でも繰り返し述べている。「政府債務が預金発行銀行の帳簿の主要な資産である経済では、税金を支払う必要があるという事実は、その経済における貨幣に価値を与える…税金を払う必要があるということは、人々が税金を払うことができるもの(貨幣)を得るために働き、生産することが意味されている」(Minsky 1986,231 []
  12. ここではこれ以上の議論は控えるが、ケインズは『一般理論』において、3回の方法的な誤りを犯していると考えられる。その全てが「需要と供給」のアプローチを採用した部分である。まず、労働「市場」についての彼の議論では、新古典派の労働需要曲線(賃金が労働の限界生産力に等しい)が受け入れられている。また、投資の意思決定について、市場金利と投資の限界効率の比較を反映したものとして特徴づけている。そして最後に、貨幣供給と貨幣需要が市場利子率によって決定されるという考えを採用している。これらは全て、ケインズの主張を解釈する上での論争を巻き起こしている。最初の2つはケンブリッジ論争のテーマとなったものであり、3つ目はホリゾンタリストによる批判の的となったものである。これについては、Wray(1992)も参照されたい。 []
  13. 初期の警告については、Wray(1998b)とGodley and Wray(1999)を参照されたい。サブプライムローン危機に関する最も初期の分析の一つであるWray(2007)では、「アメリカの不動産市場の問題に端を発した目下の世界金融危機を分析するために、ハイマン・P・ミンスキーのアプローチを採用している」。また、商品市場バブルの分析を行ったWray(2008)では、ミンスキーのマネー・マネージャー(資金運用者)資本主義アプローチを採用している。 []
  14. これは“modern money(現代貨幣)”という用語の源である。「現代」の期間は、過去の 「少なくとも4000年」に限って適用される。(Keynes[1930]1976, 4 []
  15. 非常に緻密で面白い説明については、Atwood(2008)を参照。 []
  16. Innes(1932)を参照 []
  17. 同様に、アメリカの債券市場は房奴(担保奴隷)から発展し、初期のアメリカに信用の大部分を提供した。da Costa(2019)を参照 []
  18. “to pay(支払う)”という動詞は“to pacify(宥める)”に由来しており、血の恨みを生じる前から防ぐための補償が本来の目的であることを示している。 []
  19. しかし、実際には、社会がこのような厳しい処罰を実施したことはほとんどなかった。地中海諸国では死刑はガレー船の服役に、北欧諸国では死刑は「流罪」(植民地への追放)に減刑される傾向があった。 []
  20. Wray(2000)とPigeon and Wray(2000)を参照。 []
  21. 今日でも使われている “revenue(歳入)”という言葉は、“come back to(戻ってくる)”や“return to(帰る)”という意味の初期フランス語(英語は借用)に由来している。何をreturnするのか? 最初に支出される紙幣である。税金の「revenue(歳入)」とは、すでに支出された通貨を発行者に返すことであり、これは上述したように通貨の「redemption(償還)」である。 []
  22. Kurke(1999)は、古代ギリシャにおいて、社会的ネットワークや贈答品交換に依存したエリート社会と都市政府であるポリスに導かれた民主主義の台頭との間の政治的闘争から硬貨が生まれたという興味深い主張をしている。貴金属の貨幣化は、エリートの支配に対する意図的な挑戦であった。それは、硬貨の生産に最高級品(貴族は貴金属の量と質を「人の価値の尺度」として使用した)を使用し、アゴラで使用するために市民に配布したからである。Wray(2004, 236)を参照。 []
  23. 「硬貨は、おそらく巨額の政府の支払いを便利な形で行うために発明された(後略)。硬貨は一度発行されると、税金の支払いのために政府から返還を要求された。」 (Crawford 1970, 46). []
  24. Wray(1998: ch. 3; 2004, 252–54)を参照。 []
  25. Ranlett(1977)を参照。 []
  26. ケルトンの1998 年の原稿は、Wray(1998, 115-18)の第5章の執筆時に使用したもので、彼女の原稿は Bell(2000)として出版された。 []
  27. QEは金利を引き下げて資産市場価格を押し上げ、それが間接的に支出を生み出し、結果としてインフレにつながると主張する人もいる。長期金利にはわずかな影響があり、それが株式価格の上昇に寄与したことは事実かもしれないが、FRBは長期債を購入する用意があると発表するだけで、簡単に長期債の金利を引き下げることができている。言い換えれば、実際に債券を購入して銀行に準備預金を注入しなくても、金利を引き下げることができたのである。いずれにせよ、(資産市場価格は上昇したものの)株式市場の回復によってインフレ率の測定値が大幅に上昇することはなかった。 []
  28. 1998年3月に開催されたイースタン経済協会の年次総会では、「欧州経済通貨同盟(EMU)に関する円卓会議」が開催された。この論文はC-FEPSのディレクターであるマシュー・フォーステーターのイントロダクションと、プリンストン大学の経済学・国際金融学教授であるピーター・B・ケネンの招待コメントとともにForstater(1999)に掲載された。なお、Bell(2002)も参照。 []
  29. チャールズ・グッドハート(1998)は、1999年4月にニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチにおいて開催されたC-FEPS主催のシンポジウムで、「The Two Concepts of Money and the Future of Europe(貨幣についての2つの考え方と欧州の将来)」という論文を発表した。 []
  30. 1998年5月にロンドンで開催された「ユーロ発足」についてのC-FEPS主催の会議。論文“The Launching of the Euro: A Conference on the European Economic and Monetary Union(ユーロの発足:欧州通貨同盟に関する会議)”の中でクレーゲルやグッドハートらとともに掲載されている。なお、Godley(1997)とMosler(2001)も参照。 []
  31. ミンスキーは、非合理性や、彼が「特異な」原因(詐欺など)として特徴づけたものに焦点を当てるのではなく、金融危機を生み出す内生的プロセスを説明しようとした。皮肉なことに、彼は財務プロファイルの分類に詐欺師(チャールズ・ポンツィ[ポンジ])の名前を使用しており、後に彼はこれを後悔したことを認めた。これは、詐欺が重要であると疑ったからではなく、投機的なバブル(チャールズ・キンドルバーガーの関心分野)や詐欺がなくても物事がうまくいかない理由を説明したかったためである。私は1980年代の貯蓄貸付(S&L)危機を分析した際、ボルカーのマネタリスト実験とミンスキーの金融不安定性仮説だけでなく、詐欺などの複数の原因を含めた。ビル・ブラックの研究を知ることになったのは、S&L危機についての研究がきっかけだった。ビル・ブラックが最初にミズーリ大学カンザスシティ校(UMKC)に来たとき、彼は2000年代半ばの詐欺の役割を無視することによって、次の危機につながる最も重要な要因を見逃すだろうと警告した。私は彼が正しいと確信し、詐欺の役割についていくつかの論文を共著で書いた。その例についてはBlack and Wray(2010)を参照。ビジネスモデルとしての詐欺の議論については、Wray(2020:part A)も参照されたし。
    32 Tymoigne and Wray(2014)を参照。 []
  32. Tymoigne and Wray(2014)を参照。 []
  33. 簡略化された「古典的な仮定」によるカレツキの公式では、総利潤は、政府の赤字に投資を加え、更に経常収支の黒字を加えたものとまったく同等となる。 []
  34. Wray (2018)を参照。 []
  35. ミンスキーがケネディ―ジョンソン政権期にバークレーにいた時、貧困への代替的アプローチを並行して開発してたことについては、Bell and Wray (2004)を参照。 []
  36. Minsky (2013, 78)で再掲。 []
  37. ビルはこれを“NAIBER:the non-accelerating inflation buffer employment ratio(インフレ非加速的バッファー雇用率)”――全雇用に占めるELRプログラムでの雇用者の割合、と呼んでいた。これは、自動的な変動によって、経済を安定させることになるであろう。 []
  38. この論文の原文は1943年に出版され、1971年に彼のエッセイ集として再出版された。 []
  39. ビル・ミッチェルは、ブログで、カレツキの要旨を徹底的にレビューし、JGプログラムに潜在的な使用に反対することになっていたカレツキへの反証を行っている。http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=11127 []
  40. ミンスキーは、特にフード・スタンプ制度は食料価格を押し上げる一方で、貧困層の所得が向上しないことを懸念している。 []
  41. 賃金格差を縮小するために、ミンスキーは、最下層の賃金は労働生産性より速く上昇する一方で、トップ層の賃金は労働生産性より緩やかに上昇することで、賃金構造は圧縮されると、と提案した。 []
  42. ミンスキーのELRプログラムに関する構想は、第二次世界大戦と戦後の好況をお膳立てし、アメリカの経済発展に大きく貢献した合衆国公共事業促進局(WPA)の影響を強く受けている。 []

Comments

  1. (ミンスキーは、失業者がいれば、実効実質賃金はゼロであると常々主張していた)Minsky always argued that if there is any unemployment the effective minimum wage is zero)

    (ミンスキーは、失業者がいれば、実効(実質)※最低※賃金はゼロであると常々主張していた)

    私レヴィでの最初の論文 私のレヴィでの最初の論文
    文書を、ミンスキー亡くなってから 文書を、ミンスキーが亡くなってから
    アプローチを、私はミンスキーついての講義で アプローチを、私はミンスキーについての講義で

    最初の3つはケンブリッジ論争のテーマとなったものであり、3つ目は
    The first two are subjects of the two
    Cambridge controversies and the third is
    最初の「2」つはケンブリッジ論争のテーマとなったものであり、3つ目は

    彼は全自著から私に何か言うことはなく >この場合のTellは言う よりも 告げる(告白する)、教える、伝える のニュアンスを込めた方がいいのでは  (”言うことなし”を連想させ 非の打ち所がないという含意を読み手に発生させがちでもある)

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