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ヴィンセント・ゲローソ「ヴェルナー・トレスケン著『自由の国と感染症』についての考察:『公衆衛生の提供』と『経済成長・自由』にトレードオフは存在するのだろうか?」(2020年4月18日)

The Long View on Epidemics, Disease and Public Health: Research from Economic History, Part C
APRIL 18, 2020 EHS1926
by Vincent Geloso (King’s University College at Western University Canada), discussing Werner Troesken’s ‘The Pox of Liberty’

〔訳者まえがき:本サイトで、ジョージ・メイソン大のマーク・コヤマ教授の論考を翻訳したことをきっかけに、その論考で取り上げられていたピッツバーグ大のヴェルナー・トレスケン教授の著作『自由の国と感染症――法制度が映すアメリカのイデオロギー(みすず書房)』が翻訳出版されることになりました。サイトの参加訳者の2人が翻訳を担当しています。邦訳版の出版に際して、関連した論考を複数投稿します。〕

「伝染病・疾患・公衆衛生の長期的展望:経済史からの研究 パートC」


At the Gates, 1885. NIHから引用

シャットダウン、検疫、ロックダウン、夜間外出禁止令は経済的なコストがかかる。しかし、公衆衛生の観点から見れば、シャットダウン、検疫、ロックダウン、外出禁止令は、伝染病のリスクや死者数を抑える便益がある。つまり、トレードオフの関係にある。経済学者や疫学者らは、政府によって現在採用されているこれら対策のコストとベネフィットを測定しようとしている。対策は極端すぎて経済的ダメージを増大させていないだろうか?1 対策は公衆衛生対策の効果を低下させる行動変容をもたらしていないだろうか?2 他の代替案に比べて単純にコストが高すぎないだろうか? これらを特定しようと、様々な測定が行われている。

しかし、現状でのトレードオフの考察は、公衆衛生対策の観点からは、複雑な問題を単純化しすぎている。少なくとも、ヴェルナー・トレスケンの『自由の国と感染症』(University of Chicago Press, 2015)を読めば、「単純化」と結論付けざるをえない。

国家が、公衆衛生において重要な役割を担っていることに異を唱える経済学者はほぼ存在しないだろう(おそらく、ゼロだ)。結局のところ、自主的な隔離だけでは不十分であり、同意を示さない個人を強制隔離しないと、明らかに「供給不足」になるからだ。したがって、政府の役割が必要となる。通常は――少なくとも、厚生経済学の観点からは、これで話は終わりだ。「ところが、そうではない」とトレスケンは答える。公衆衛生対策を実施するために必要な強制力を行使する機関は、他のあまり有益でない目的のためにもその強制力を行使することができるため、ある種のトレードオフが生み出される。


『牛痘、それは新しい予防接種による素晴らしい効果!』風刺画家ジェームズ・ギレイによる1802年の作品。ここで鑑賞可能。

第1のトレードオフ

トレスケンは、19世紀末から20世紀初頭にかけての予防接種とワクチン接種に焦点を当てることで、アメリカが当時の水準で信じられないほど豊かな国であるにも関わらず、他の国と比較した時に天然痘の死亡率が異常に高い(おそらくその数値ですら低く見積もられている)件について考察している。この謎の解明にあたって、トレスケンは、憲法による経済的自由の拡大・確保が、短期的には感染症の伝染を防ぐ政府の能力を制約していたと主張する。憲法の平等条項と適正手続き条項は、ワクチン接種の義務化を含めて、多くの公衆衛生措置を阻害していたのである。結果、アメリカ人は、感染力の高い病気で死亡する可能性が高くなっていた。


『悪霊退散:結核との戦い』1919年 NIHから引用

しかし、同時にこの憲法による制約は、財産権と経済的自由を保護し、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカを非常に豊かにしたのである。

第2のトレードオフ

疾病には、経済的繁栄の恩恵(栄養状態が改善することになる直接的な効果や、特定の投資を行えるようになる間接的な効果)によってたやすく克服されるものもあれば、経済的繁栄と重篤化・致死性との関係が希薄なものがある。3 このように考えれば、憲法は、アメリカ人をより豊かにし、天然痘に感染しやすくする一方で、他の病気で死亡するリスクを低下させたと推察できる。これが「財産権の健和効果」でトレスケンが提示している基礎原理だ。アメリカは豊かになったことで、水系伝染病や腸チフスに対処するための資本集約的な事業への投資が容易となったのである。憲法は、民間企業を政治によるご都合主義的な行動から保護し、債券保有者を債務不履行から保護したことで、水処理インフラへの投資が促されたことをトレスケンは示している。

〔ここまでの提示してきた奇妙な「経済・自由と公衆衛生のトレードオフ」に対して〕人によっては、「アメリカは様々な点で特殊な国だからだ」と応えるかもしれない。ところが、このような奇妙なトレードオフは、グローバルな視点からでも観察することができる。トレスケンが正しければ、経済的自由度が高い制度を保持する政治体制は、感染症への対処が不十分になってしまう。よって、経済的自由度と死亡率との関係はゼロ、もしくは正の相関を示すことになる。しかしながら、経済的自由は成長を促し、それによって特定の病気に対処する能力を向上させるので、その政体は「貧困に由来する疾病」に適切に対処できるようになる。経済的自由は、貧困に由来する疾病の死亡率と負の相関を示す。レアンドロ・プラドス・デ・ラ・エスコスラは「経済的自由」の推定値を時系列順にまとめており、このトレードオフは検証可能となっている。4 エスコスラの尺度は、経済的自由に関する一般的な研究文献の使用事例と非常によく似ているが、若干の違いがある。天然痘や腸チフスによる死亡率を、〔エスコスラ尺度による〕経済的自由度のデータに回帰させてやれば、トレスケンの考察の妥当性を検証できる。

この検証結果は、以下の表1のように示すことができる。この関係は二変量であり、死亡率の原因を提供している国が比較的少ないという問題がある。よって、この結果は絶対視すべきでなく、あくまでも新しい検証の方向性を示唆するものである。しかし、この検証によって、トレスケンの中核的な考え――経済的自由は、天然痘の死亡率に対して統計的に正反対の影響を与える有意性――が裏付けられている。一方、経済的自由は、腸チフスによる死亡率に強く有意な影響を及ぼすことになる。〔訳注:経済的自由によって、天然痘の死亡率は上昇し、腸チフスの死亡率は低下することが統計的に示唆される〕

この複雑なトレードオフは、以下のように要約することができる。制度の組み合わせによって、「現在の我々を健康で貧しくする一方で、将来の我々をさらに不健康にする」こともあれば、「現在の我々を不健康で豊かにする一方で、将来の我々を健康にする」こともある。こうして簡約化してみれば、ジェームズ・M・ブキャナンやロナルド・コースのような経済学者によって指摘されてきたことの価値がわかる。制度は「食べ放題のビュッフェ」ではないのだ。

――現在の危機的状況おいて公衆衛生対策における役割、利点、限界、結果に関するこの洞察は、あまりにも無視されている。しかし、これは軽視されてよいものではない。遺憾ながら、この説得力があり重要な洞察を説明するのに際して、2018年に死去したヴェルナー・トレスケン5 の代わりを私は務めることはできない。それでも、現在の危機への適切な対応を考えるおいて、トレスケンの著作を我々皆は考慮すべきである。

www.vincentgeloso.com
vincentgeloso@hotmail.com

〔訳注:ヴィンセント・ゲローソ教授は、ジョージメイソン大学で主に経済史を研究している(本論考の執筆時には、カナダのキングス・ユニバーシティ・カレッジで教鞭を取られていた)。本論考でも言及しているように、彼はヴェルナー・トレスケン教授の研究を引き継いだ研究を多く行っている。このエントリは、ヴィンセント・ゲローソ教授、及びEconomic History Society(経済史学会)の許可に基づいて翻訳・公開している。

関連エントリ:W. ウォーカー・ハンロン「ヴェルナー・トレスケン著『自由の国と感染症――法制度が映すアメリカのイデオロギー』書評:ケンブリッジ大学出版」(2016年11月17日)

  1. W. Kerr et al. 2017. 『経済不況、アルコール、自殺率:貧困、担保差し押さえ、失業の比較影響(Economic recession, alcohol, and suicide rates: comparative effects of poverty, foreclosure, and job loss)』 American Journal of Preventive Medicine, Vol. 54, n. 4, pp. 469-475. []
  2. [ii] A, Mesnard and P. Seabright. 2009.『隔離によって疫病は回避できるか?:感染リスクが不完全な情報の下での検疫措置(Escaping epidemics through migration? Quarantine measures under incomplete information about infection risks.)』 Journal of Public Economics, Vol. 93, no. 7-8, pp. 931-938. []
  3. 特にB. Harris(2004)の著作を参照。『公衆衛生、栄養死亡率低下:マッキノンの理論を再検討する(Public Health, Nutrition, and the Decline of Mortality: The McKeown Thesis Revisited)』Social History of Medicine, Vol. 17, no. 3, pp. 379-407 and D. Bloom and D. Canning, (2007)。及び、『解説:プレストン・カーブの30年後:未だに燃焼中(ommentary: The Preston Curve 30 years on: Still sparking fires)』International Journal of Epidemiology, Vol. 36, no. 3, pp. 489-499では、経済的繁栄と健康の複雑な関係ついてまとめられている。 []
  4. [iv] L. Prados de la Escosura, (2016).『長期的な経済的自由:OECD諸国からのエビデンス(Economic freedom in the long run: evidence from OECD countries)』Economic History Review, Vol. 69, no.2, pp. 435-468 []
  5. 私は彼の洞察をキューバの医療制度のケースに適用した: V. Geloso, G. Berdine and B. Powell,『独裁国家と健康転帰の整合性((Making Sense of Dictatorships and Health Outcomes)』(近日公開予定) G. Berdine, V. Geloso and B. Powell,(2018)、及び『キューバの乳幼児死亡率と健康転帰』Health Policy & Planning, Vol. 33, no. 6, pp. 755-57.、及び『自由の国と感染症』の長いレビューを参照。https://notesonliberty.com/2017/01/19/the-pox-of-liberty-dixit-the-political-economy-of-public-health/

    以下も参照、Clay, K.; Schmick, E. and Troesken, W. (2019) 『アメリカ南部におけるペラグラ〔訳注:ナイアシン(ビタミンB、亜鉛、鉄分等の栄養素)欠乏症。皮膚の痛み等の症状が現われる。〕の盛衰(The Rise and Fall of Pellagra in the American South)』Journal of Economic History 79(1):32-62, DOI: https://doi.org/10.1017/S0022050718000700

    および、Kenneth F. KipleによるThe American Historical Reviewでの書評。Alan M. KrautによるBulletin of the History of Medicineの書評等がある。 []


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