政府通貨と暗号通貨の競争

訳者:上のタイトルの通り、政府発行の通貨と暗号通貨の間での競争についての論文を書いたJesús Fernández-Villaverde教授の自身によるその論文の解説です。原文で”cryptocurrency”と書かれるネット上の通貨は日本では「仮想通貨」と呼ばれる事が多いようですが、訳文ではそのまま「暗号通貨」と訳しています。私自身は通貨についての理論には全く詳しくありませんので、もし訳に問題があればお知らせください。

 

通貨競争の経済学について」 from VoxEU

Jesús Fernández-Villaverde, ペンシルバニア大学経済学教授

2017年8月3日

概要:もし暗号通貨による支払いのシェアが増えれば、政府発行の通貨は民間の発行者からの市場での競争に直面することになる。このコラムは、たとえもしこのシステムが価格安定を維持し得たとしても、市場は社会的に最適な量の通貨を提供しないと論ずる。しかしながら、通貨の実質価値を安定させる金融政策を利用することで、それでも政府は社会的厚生を最大化することが可能である。よって、民間通貨からの競争の脅威は貨幣を発行するどんな政府に対しても歓迎すべき市場による規律を与え得るものである。

1976年、フリードリヒ・ハイエクは貨幣発行自由化論という短いパンフレットを出版した。先進国の政治的制約により中央銀行が当時の高いインフレーションを押さえ込むことができなくなる事を懸念して、彼は通貨の発行は市場の力に開かれるべきであり、取引の為の交換の手段 [1]訳注:通貨のこと。 の提供における政府の独占は廃止されるべきだと主張した。ハイエクは競争の力により(通貨を発行する)銀行が安定的な交換手段を提供するようになる民間通貨のシステムを構想していた(Hayek 1999)。いくらかの注目は集めたものの(たとえば Salin 1984)、数十年にわたりハイエクの提案は実行可能なというより単なる興味深いアイデアとして取り扱われてきた。

過去数年の技術的発展がこのハイエクの提案に現実味を与えてきている。これは多くの個人の選択の結果であって、(ハイエクが感謝したであろうような)計画された政策の変更の結果というものではないが。現在では、暗号通貨を民間発行の通貨として作り出すのはとても簡単なものになっている。暗号作成技術とコンピュータサイエンスの驚くほどの発展のおかげで、暗号通貨は過剰発行にも、二重利用(double-spending)の問題にも、そして偽造に対しても頑強性をもつようになってきている(Narathan et al. 2016)。暗号通貨は自由銀行制の時代の金融機関が発行していた紙幣(Dowd 1992)とは以下の3つの理由で違っている。

  • ほとんどの暗号通貨は完全に信用通貨(fully fiduciary)である。自由銀行の時代の紙幣は通常、金なりその他の資産での預金に対して請求する権利だった。
  • 暗号通貨はコンピュータネットワークによって発行されたものであり、信用に直接には結びついていない。
  • Ethereumといった暗号通貨は、洗練された自動エスクロウ口座としても利用できる。「ピーターはマリーに、もし明日の正午、weatherunderground.comによるフィラデルフィアの気温が華氏80度を越えれば、10 ethereumを支払う」という条件をコードに加えるのは簡単である。このコードが加えられ、条件の確認と、条件が満たされた場合の支払いは自動的に行われる。

こんにちでは、インターネットへのアクセスを持っているなら誰でも暗号通貨を交換手段として利用できる。だれもがBitcoinの事は聞いたことがあるだろう。これの時価総額(1単位あたりの価格×流通量)は、2017年7月6日の時点で、420億ドルを越えている。これはフォード・モーターの時価総額をすこし下回るだけだ。他の6つの暗号通貨(Ethereum、Ripple、Litecoin、Ethereum Classic、NEM、そしてDash)が10億ドルを超える時価総額を持っており、その他の37の暗号通貨の時価総額は1億ドルから9億9999万ドルの間にある。依然として暗号通貨は世界経済のすべての支払いの中では僅かな一部でしかないが、これらのシェアは次の数年の内に対数的に上昇しうる。さらに、暗号通貨は政府通貨が機能していない途上国においては広範囲に利用されるかもしれない。

通貨競争はどのように機能するのか?

これは実証的な疑問につながる。民間通貨のシステムは価格安定を実現できるだろうか?一つの通貨が他のすべてを市場から追い出すことになるだろうか?それとも均衡経路で複数の通貨が共存するだろうか?民間通貨は何らかの財による保証が必要だろうか?市場は社会的に最適な量の通貨を提供するだろうか?民間通貨と政府発行の通貨はお互いに競争しあうのだろうか?計算の単位は交換手段と分離できるのだろうか?

また、規範的な疑問もある。政府は民間通貨の流通を妨げるべきなのだろうか?民間通貨は課税されるべきか?通貨の発行者としての政府の役割について我々は再考するべきなのだろうか?

起業家に関連した疑問もある。通貨の流通をジャンプスタートさせる最高の戦略はどういうものか?通貨からの通貨発行益を最大化するにはどうしたいいのか?

間違いなく、通貨競争のきちんとした理論が必要である。最近の論文において、共著者と私はこの問題に対しての第一歩を踏み出した(Fernández-Villaverde and Sanches 2016)。我々は、現代のマネタリー経済学 [2]訳注:原文はmonetary … Continue reading の基本モデルであるLagos and Wright (2005)のモデルを拡張して、民間発行の信用通貨(fiduciary currencies)の中での競争のモデルを組み立てた。通常のLagos-Wrightに、独自の通貨を発行して利益最大化を目指す起業家や、あるいは(Bitcoinのように)事前に設定されたアルゴリズムに従うオートマタを組み込んで拡張したわけである。その他ではモデルは通常のものである。このフレームワークでは、競争は完全であり、全ての民間通貨の支払いに使える能力は同じであり、そしてそれぞれの起業家の行動は価格に関してパラメトリカル [3]訳注:価格は与えられたものとしてという事。つまりに起業家たちはプライステーカーであるとしている。 に行動する。

シンプルなものではあるが、我々の分析は価値ある洞察をいくつか与えてくれる。

  • 一般的にいって、民間通貨ありのマネタリー均衡は価格安定を実現しない。もし通貨が利益最大化を目指す起業家によって発行されるなら、その起業家は通貨発行益の実質価値の最大化を図ろうとする。通貨の発行費用の関数は様々ありえるので、この最大化は起業家が安定的な通貨を提供することを意味しない。たとえば、もしコスト関数が狭義の凸ならば、起業家たちにはいつでも追加の通貨を発行する誘因がある。ハイエクがお互いに競い合う民間通貨のシステムが安定的な交換手段を提供できると推測していた時、彼は、一般的には、間違っていた。通貨がオートマトンによって発行される場合、通貨の流通量が価格安定と整合的である理由は(偶然以外には)とくにない。Bitcoinはすでに2022年に発行される新しい通貨の量を決定しているが、その年の通貨への需要がどれくらいになるのか知っている人間は誰もいないのだ。
  • 通貨発行のコスト関数が価格安定をともなう均衡が実現するようなものだったとしても、民間通貨の価値が単調にゼロへと収束していく均衡の軌跡の連続体がある。Obstfeld and Rogoff (1983)やLagos and Wright (2003) が考え出したような政府発行通貨による経済における自己実現的インフレーションのお話は、公共通貨だけに限られるわけではない。その逆で、自己実現的インフレーションの話は本質的には無価値な通貨を利用していることの結果でしかない(それが電子的なものだろうが、利益最大化を図る長期的視点をもった民間の起業家により発行されたものだろうが)。その価値は未来についての予想に応じて変化するためだ。

しかし、経済学者として我々は価格安定をそれ自体故に重要視するわけではない。ちゃんと働くマネタリーシステムのゴールはなんらかの効率性のゴールを実現することであるはずだ。そこで三つ目の、そしておそらくもっとも重要な結果がある。

  • 純粋に民間通貨だけのシステムはたとえ価格安定を実現している均衡においてすら社会的に最適な量の通貨を供給しない。起業家たちが価格を与えられたもの(“take prices parametrically”)として行動するとしても、競争は最適な結果を実現できない。なぜなら通貨の本質についてのすべてのモデルの中心にある取引の摩擦(Wallace 2001)が存在する市場において、通貨の流通を増やす事が生み出す金銭的外部性を起業家が内部化できないからだ。こういった金銭的外部性は、本質的に、通貨の市場は小麦といった財貨の市場と異なっており、小麦の市場での完全競争下で最適な結果を実現させる力が、通貨の市場では失敗してしまう事を意味する。通貨の「価格」それ自体では資源配分の役割を完全には果たさないのだ。通貨が取引における摩擦ゆえに使われる と考えている者は、市場が正しい量の通貨を供給すると考えるべきではない。(この理屈はFriedman 1960からのアイデアをすこし変更しただけである。)

これら三つの結果は通貨競争というハイエクの提案に深刻な疑いを投げかける。大抵の場合、民間通貨のシステムは価格安定を実現しないし、そして実現する時ですら、それは自己実現的インフレに常にさらされる。そして供給される通貨の量は最適には足らないものになる。通貨競争はたまにしか上手くいかないし、しかも部分的でしかないわけだ。

どうすればハイエクが正しかったとなるだろうか?ある簡単な可能性は、生産的な資本 [4]訳注:この資本は経済学的な、何かを生産するための機械・設備の事をいっています。 の存在を考えてみる事だ。もし起業家が通貨発行益をその生産的な資本の購入に充てるならば、そしてこの資本が十分に生産的ならば、民間通貨のシステムで社会的効率を実現しうる均衡が存在する。他の可能性としては、(異なる通貨は他の通貨と支払い能力について少しだけ異なっているとして)マーケットパワーが存在していて、よって民間の起業家が維持したいと望むフランチャイズバリューが存在しているケースがある(この状況が、我々が考えていた完全競争の世界よりもハイエクが想像していたものに近いとも言われている)。しかしながら、長期的なマーケットパワーは正しい結果を必然的にもたらすというものではないし、欺くインセンティブが常にある(Mailath and Samuelson 2006)という事も我々は知っている。

金融政策へのインパクト

最後になるが、政府発行通貨には財政的な支援がある点で民間通貨と異なっているというところからして、暗号通貨は政府の金融政策にどのような影響を持つだろうか?別の交換手段が存在することは金融政策をどのように変えるのか?まず最初の興味深いケースは、政府が通常の通貨供給増加ルールに従った時にどうなるかだ。この政策の下では、利益最大化の起業家は、公衆に民間通貨を保持する意思がある時にはデフレーションを通じて通貨に正の実質利益をもたらそうとして政府の意図を妨げようとするだろう。幸運にも、安定と効率を同時に促進できる別の政策がある。例えば、政府がその通貨の実質価値を固定さるとか。このルールの下では、政府は効率的な配分(社会厚生を最大化する量の通貨の供給)を唯一の均衡の結果として実現できる。もっとも、その均衡では政府は民間通貨を経済から追い出す結果になっているのだが。

重要な教訓がある:民間通貨からの競争の脅威は通貨を発行するどんな政府に対しても市場の規律を与える。もし中央銀行が、たとえば、充分に「良い」通貨を提供しなければ配分の実現が困難になる。これが暗号通貨の最良の成果だろう。BitcoinやEthereumにスイッチできる世界では、中央銀行は、アダム・スミスの言葉を借りると、通貨の許容できるレベルでの管理を行う必要がある。結局、通貨競争は人類の厚生に大きなプラスをもたらしうるのだ。

著者より:このコラムは、2017年5月にスタンフォード大学のフーバー・インスティチュートでの ‘The Structural Foundations of Monetary Policy’コンファレンスでの私の‘Cryptocurrencies: Some Lessons from Monetary Economics’に大きく基づいている。

参照文献

Dowd, K (1992), The Experience of Free Banking, Routledge.

Fernández-Villaverde, J and D Sanches (2016), “Can Currency Competition Work?“, CEPR Discussion Paper 11095.

Friedman, M (1960), A Program for Monetary Stability, Fordham University Press.

Hayek, F (1999), “The denationalization of money: An analysis of the theory and practice of concurrent currencies”, in S Kresge (ed.) The Collected Works of F A Hayek, Good Money, Part 2, The University of Chicago Press.

Lagos, R and R Wright (2003), “Dynamics, cycles, and sunspot equilibria in “genuinely dynamic, fundamentally disaggregative” models of money”, Journal of Economic Theory, 109(2): 156–171.

Lagos, R and R Wright (2005), “A unified framework for monetary theory and policy analysis”, Journal of Political Economy, 113(3): 463–484.

Mailath, G and L Samuelson (2006), Repeated Games and Reputation, Oxford University Press.

Narayanan, A, J Bonneau, E Felten, A Miller, and S Goldfeder (2016), Bitcoin and Cryptocurrency Technologies, Princeton University Press.

Obstfeld, M, and K Rogoff (1983), “Speculative hyperinflations in maximizing models: Can we rule them out?”, Journal of Political Economy, 91(4): 675–87.

Salin, P (1984), Currency Competition and Monetary Union. Martinus Nijhoff Publishers.

Wallace, N (2001), “Whither monetary economics?”, International Economic Review, 42(4): 847–69.

References

References
1 訳注:通貨のこと。
2 訳注:原文はmonetary economicsなので通常は金融経済学と訳されますが、金融というとここで取り扱っている題材と少しずれる感じになりますので、あえて「マネタリー」と訳していきます。
3 訳注:価格は与えられたものとしてという事。つまりに起業家たちはプライステーカーであるとしている。
4 訳注:この資本は経済学的な、何かを生産するための機械・設備の事をいっています。
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