●Alberto Alesina and Francesco Giavazzi, “The austerity question: ‘How’ is as important as ‘how much’” (VOX, April 3, 2012)
ヨーロッパで財政緊縮が試みられると、経済学者の間で激しい議論が巻き起こった。財政緊縮を巡る議論は、問いの立て方が不適切であるために、袋小路に迷い込んでしまっている。「どのように」という問いが「どれくらい」という問いと同じくらい重要だということが受け入れられないでいるうちは、ヨーロッパにおける財政緊縮を巡る議論は、現実から遊離したままになってしまうだろう。
ヨーロッパにおける財政緊縮を巡る議論は、袋小路に迷い込んでしまっている。財政緊縮の「規模」にばかり注目が寄せられているせいである。財政緊縮をどのように進めたらいいか――増税すべきなのか、政府支出を切り詰める(歳出を削減する)べきなのか――に焦点を当てるべきなのだ。財政緊縮にどんな政策が伴うべきなのかを問題にすべきなのだ。VOXディベートのタイトル――「財政緊縮は行き過ぎか?」( “Has austerity gone too far?” )――にも「規模」を強調する不適切な風潮が反映されているのだ。
「どれくらい」ではなく、「どのように」という問いこそが肝心なのだ。
「増税による財政緊縮」と「政府支出の切り詰めによる財政緊縮」の効果についての実証的な証拠
OECD加盟各国(とりわけ、ヨーロッパ各国)でこれまでに試みられた大規模な財政再建の効果の計測と評価を巡って、経済学者の間で活発な議論が繰り広げられてきている。これまでに得られた証拠を慎重かつ公正な目でもって判断すると、アプローチの違いにもかかわらず、比較的論争の余地のないポイントがいくつか明らかになってくる。過去40年の間にOECD加盟各国で試みられた財政再建についての膨大な証拠に目を凝らすと、以下の3つのポイントが明らかになってくるのだ。
ポイントその1:政府支出の切り詰めによる財政緊縮は、増税による財政緊縮よりも、景気を抑制する効果が小さい。
ポイントその2:政府支出の切り詰めによる財政緊縮に適切な政策が伴うようなら、適切な政策が伴わないでいるよりも、景気を抑制する効果が小さい傾向にある。経済成長率を高める場合さえある。
「適切な政策」としては、金融緩和、生産物市場・労働市場の自由化、その他の構造改革が含まれる。
「適切な政策」に何が含まれるのかについても、「適切な政策」が政府支出の切り詰めによる財政再建をどのような経路を介して加勢することになるのかについても突き詰めねばならないことがまだたくさん残されているが、ロベルト・ペロッティの最近の論文(Roberto Perotti 2011)でも明らかにされているように、以下の事実は揺るがない。
ポイントその3:政府債務残高の対GDP比が一定の水準で安定したという意味で「持続的な財政再建」に成功した例というのは、政府支出の切り詰めによる財政緊縮が試みられた場合のみに限られる。
IMFの研究を批判的に検討する
IMFによる最近の2つの研究(IMF 2010, Devries et al. 2011)でも、政府支出の切り詰めによる財政緊縮が功を奏することが確認されている。しかしながら、その理由は、財政緊縮が政府支出の切り詰めというかたちをとるおかげではなく、政府支出の切り詰めというかたちで財政緊縮が試みられると「偶然にも」長期金利が低下したり、「偶然にも」為替レートが安定したり、「偶然にも」株価が安定するおかげ(あるいは、以上のすべてが「偶然にも」同時に生じるおかげ)だという。
純粋に論理的な観点からしても突っ込みどころがある言い草だ。なぜなら、金融資産の価格――金利、為替レート、株価――は、外生的な変数ではなく、財政政策のアナウンスメントに反応するものだからである。例えば、政府支出の切り詰めによる財政緊縮だけが持続的な財政再建につながると正しくも投資家によって認識されているようなら、政府支出の切り詰めによる財政緊縮を試みることが公表されると、投資家たちの「信頼」(“confidence”)が高まって、その結果として長期金利が低下して株価が上昇すると考えられるのだ。
この点についてのもっと説得的な証拠は、異なるタイプの財政緊縮が信頼および産出量に及ぼす効果を比較することによって得られる。増税による財政緊縮は、政府債務残高の対GDP比が高まるのを食い止められないという意味で功を奏さないだけではない。増税による財政緊縮を試みることが公表されると、企業経営者たちの信頼が急激に冷え込んで、そのせいで産出量が落ち込むのだ。それとは対照的に、政府支出の切り詰めによる財政緊縮を試みることが公表されても(とりわけ、適切な政策が伴うようなら)、企業経営者たちの信頼が冷え込むことはない。政府支出の切り詰めによる財政緊縮を試みることが公表されてから1年の間に産出量が増えることも珍しくないのだ。
税収が対GDP比で50%近くに及ぶヨーロッパの国々に関しては、税収をこれ以上増やす余地が残されていないことも指摘しておかねばならないだろう。
ハラルド・ウーリヒ&マシアス・トラヴァントの二人の最近の論文によると(Uhlig&Trabandt 2012)、ヨーロッパの多くの国々は、現実的な想定に基づいて推計されたラッファーカーブの頂点近辺をうろついているようだ。つまりは、さらなる増税に乗り出せば、税収はそんなに増えない一方で、供給サイド・需要サイドの両方への影響を通じて景気が大きく落ち込んでしまう可能性があるのだ。
これまでに述べてきたことを勘案すると、財政再建を巡る議論で財政緊縮の規模に注目するのはやめるべきなのだ。財政再建を試みようとしてほんのちょっぴり増税する場合と、それを上回る額の歳出を削減する場合を比べると、前者の方が景気に及ぼすマイナスの影響が大きい可能性があるのだ。言い換えると、財政再建を試みようとして政府支出をちょっぴり切り詰める場合と、それを上回る額の増税に乗り出す場合を比べると、前者の方が政府債務残高の対GDP比を安定させられる可能性が高いのだ。
財政緊縮の「手段」についてもっと詰めるべき論点
財政緊縮の「手段」の効果を解きほぐすためにもっと詰めるべき論点がいくつかある。
- 財政再建を実現するという目的に照らすなら、政府支出の項目の中でどれを削減するのが効果的か?
- 経済活動に及ぼす歪みを抑えると同時に税収を減らさないためには、税制をどのように改革したらいいか?
- どの市場から自由化を開始したらいいか? どれくらいのペースで自由化を進めたらいいか?
すべての国で答えが同じという場合もあれば、国によって答えが異なるという場合もあるだろう。
- 例えば、どの国にしても、所得税から付加価値税(VAT)に重きを置く方向に向かうのが望ましい。
- 定年年齢を大幅に引き上げて公共部門の人員を削減するしかない国もあるだろう。
労働市場の改革も絡んでくる。公共部門の人員を削減するにしても、解雇規制が取り払われて適当なセーフティーネットが整備されないと無理だろう。多くの国に関しては、物理的なインフラの必要性だとか生産性だとかを強調するのは的外れになりがちだ。
結論
「どのように」という問いが「どれくらい」という問いと同じくらい重要だということが受け入れられないでいるうちは、ヨーロッパにおける財政緊縮を巡る議論は、現実から遊離したままになってしまうだろう。
ユーロ圏における財政再建プログラムの中核を担う財務協定(fiscal compact)には、大きな落胆を感じざるを得ない。失敗の種を自ら蒔いているからだ。
- 条約を変更してまで新たに協定を結んだというのに、財政緊縮の「手段」について一切言及されていない。
- 増税を中心として財政緊縮が試みられて、政府債務残高の対GDP比が低下しないようなら、ユーロ経済は――再び景気後退に陥らずとも――停滞し続けることだろう。
安定・成長協定(Stability and Growth Pact)と同じように、財務協定も途中で放棄されるだろう。
<参考文献>
●Corsetti, G (2012), “Has austerity gone too far? A new Vox Debate”, VoxEU.org, 2 April.
●Devries, P, J Guajardo, D Leigh, and A Pescatori (2011), “A New Action-Based Dataset of Fiscal Consolidation”, IMF Working Paper No. 11/128.
●IMF (2010), “Chapter 3”, World Economic Outlook, Washington, DC: International Monetary Fund.
●Perotti, R (2011), “The ‘Austerity Myth’: Gain Without Pain?”, NBER Working Paper No 17571.
●Trabandt, M and H Uhlig (2012), “How Do Laffer Curves Differ Across Countries”, NBER Working Paper No 17862.