Alex Tabarrok “ The Nobel Prize in Economic Science Goes to Banerjee, Duflo, and Kremer” Marginal Revolution, October 14, 2019
今年のノーベル経済学賞は,開発経済学でのフィールド実験を理由にアビジット・バナジー,エステル・デュフロ,マイケル・クレマー(リンク先は各人のホームページ)に与えられた。デュフロはジョン・ベイツ・クラーク賞,マッカーサー「天才」賞を受賞し,今やノーベル経済学賞を受賞した史上2番目の女性で,これまでの受賞者の中で群を抜いて一番若い(これまで一番だったのはアロー [1]訳注;アローの受賞は51歳のとき,デュフロは46歳 )。デュフロとバナジーは夫婦なのでノーベル経済学賞を受賞した最初の夫婦ということになるが,ノーベル賞を受賞した最初の夫婦というわけじゃない。過去に夫婦でノーベル賞を受賞してそのうち片方がノーベル経済学賞受賞者だった夫婦がいる。さて,どの夫婦かわかるかな? [2]訳注;正解はhicksian氏訳の過去記事を参照。
私の大好きな論文の中にマイケル・クレマーの書いたのがふたつランクインしている。ひとつはPatent Buyouts[特許買収]で,私の『Entrepreneurial Economics: Bright Ideas from the Dismal Science』にも収録している。Patent Buyoutsの考えは,政府が特許を買い取ってそれを放棄し,パブリックドメインにそのアイデアを公開するというものだ。政府はどれだけ支払う必要があるだろうか。それを決定するために,政府はオークションを開くことができる。オークションにはだれでも参加できるけれど,落札者は特許をその存続期間の例えば10%だけ受け取り,残りの90%の期間は政府が市場価格で特許を買い取るとしよう。この手続きの価値は,90%の期間私たちはその特許のあらゆるインセンティブ財産を特許の独占によって生じる費用をなんら支払うことなしに得られるということだ。つまりは,イノベーションのトレードオフをなくせるのだ。実際には政府はイノベーションのインセンティブを上昇させるために例えば買取価格に15%上乗せしたっていい。特許買収の考えは非現実的だって思うかもしれない。しかし実のところクレマーはこの考えをさらに推し進め,重要な発展版であるthe Advance Market Commitment for Vaccines[ワクチンのための先進市場委員会]という先駆的業績につなげた。これは今や1億4300万人の子供たちに支給されている肺炎球菌ワクチンの市場を保証するために利用された。ビル・ゲイツもこのプロジェクトの支援のために政府と協力している。
次に気に入っているクレマーの論文はPopulation Growth and Technological Change: One Million B.C. to 1990〔人口成長と技術変化:紀元前100万年から1990年まで〕だ。ひとりの経済学者が経済を100万年にわたって検証したんだ!私は人類についてふたつの見方があると思ってる。ひとつは人々とは胃であるというもの,もうひとつは人々は頭脳であるというものだ。人々は胃だという見方では,より多くの人々はより多くの食い手,より多くの消費者,みんなの取り分が減るということを意味する。人々は頭脳だという見方では,より多くの人々はより多くの頭脳,より多くのアイデア,人々の取り分が増えるということを意味する。私の見方は人々は頭脳だのほうで,これはポール・ローマーの見方(アイデアは非競合的)でもある。クレマーはこのふたつの見方を検証した。彼は長期では経済成長が人口成長とともに増大していることを示した。
おっとクレマーの論文をもうひとつ加えてもいいかな [3]訳注;この一文は当初掲載時にはなく,後から書き足された。 。O-Ring Model of Development〔開発のOリングモデル〕は偉大かつ奥深い。(Oリングモデルに関するMarginal Revolution大学の動画はこちら)
ノーベル賞が与えられた業績は,開発経済におけるフィールド実験だ。この研究分野におけるクレマーの第一歩はケニアでの教育政策に関するランダム化実験だ。デュフロとバナジーはフィールド実験の利用をさらに広げて深堀りし,2003年にはPoverty Action Lab〔貧困行動実験室〕を立ち上げた。これは世界中の数百人もの研究者が行った開発経済学のフィールド実験の結節点となっている。
フィールド実験によって,何がうまくいって何がうまくいかないのかについて多くのことが分かった。Incentives Work〔インセンティブはうまくいく〕という論文において,デュフロ,ハンナ,ライアンはインドにおける教師の慢性的な欠勤を監視・減少させるのに成功したプログラムを作り上げた。この教師の欠勤問題はマイケル・クレマーがMissing in Action〔行方不明〕という論文示したように,ふつうの日において約30%の教師が出勤しないという深刻なものだった。しかし,彼らがPutting a Band-Aid on A Corpse 〔遺体にバンドエイドを貼る〕という論文で同様のプログラムを看護師用にはじめたときは,そのプログラムは地元政治家によってすぐに阻まれ,「発足から18か月後,プログラムは完全に無効になった」。同様に,バナジー,デュフロ,グレナースター,キンナンはマイクロファイナンスは良いものだけれど奇跡を起こしはしないということも見出した(ノーベル賞仲間のムハマド・ユヌスにはお気の毒な話だ)。この分野における教訓でもどかしいのは,結果が文脈に依存するという性質と外部への妥当性を見つけることが難しいというものだ。(ラント・プリチェットは「ランダム屋」の批判のなかで,本当の開発はミクロ実験ではなくマクロ政策に基づくと主張している。ワシントン・コンセンサスの成功に関するビル・イースタリーの論文も読んでほしい)。
デュフロ,クレマー,ロビンソンは「肥料の収益率はどれほどか:ケニアでのフィード実験による証拠」について研究した。これは特に面白い研究論文で,というのも収益率は非常に高いのに農家は肥料をあまり使わないということを彼らは見つけたんだ。なんでだろうか。その理由は合理性よりも行動バイアスに関係しているようだ。いくつかの介入には効果がある。
私たちの発見は,肥料の費用にも利益にも影響しない単純な介入が肥料の使用を大きく増大させうることを示唆している。特に,収穫の直後に農家に対して肥料を購入するという選択肢(完全な市場価格,ただし無料配送で)を提供することで,肥料を使用する農家の割合が少なくとも33%引き上げられる。これは肥料価格を50%引き下げた時の効果と同等である(対照的に,追肥用に肥料が実際に必要となる時期に無料配達を提供しても肥料使用率には何の効果もない)。この発見は,低い資料率は低いリターンや信用の制約のせいであるという考えとは非整合的であり,生産に関する意思決定を説明するにあたって非完全合理的な行動が役割を果たしうることを示唆している。
これは途上国の人々が退職貯蓄制度の貯蓄率を調整せず,企業拠出分を活用しないことを思い起させるものだ(セイラーの業績と関係している)。
デュフロとバナジーは彼らのフィールド実験の多くをインドで行い,従来の開発経済学の問題に限らず,政治にも焦点を当てた。1993年,インドは各州における村落評議会議長のうち3分の1を女性に割当てなければならないとする憲法上の制度を導入した。一連の論文において,デュフロは女性が評議会議長となった村のランダム化による自然実験の研究を行った。(チャトパディヤイと共著の)Women as Policy Makers〔政策決定者としての女性たち〕において,彼女は女性政治家が資源配分を女性に関係するインフラへと割り振ることを見出した。(ビーマン他との共著の)Powerful Women〔力強い女性たち〕において,一度女性が村のリーダーになった村では,将来女性がリーダーになる見込みが増大することを彼女は発見した。すなわち,曝露がバイアスを減少させるのだ。
バナジーはランダム屋となる前は理論家だった。彼のA Simple Model of Herd Behavior[群衆行動の単純モデル]も私のお気に入りだ。このモデルのキモは(この論文にある)単純な例で説明できる。2つのレストランAとBがあるとしよう。事前確率では,AはBよりも良いレストランである可能性が若干高いが,実際のところはBのほうが良いレストランだ。人々は順番にレストランを訪れ,それぞれどちらのレストランが良いかのシグナルを受け取るとともに,自分の前の人がとった選択も見る。列の最初の人がレストランAのほうが良いとのシグナル(事実とは異なる)を得たとしよう。この人はAを選ぶ。次に2番目の人はレストランBのほうが良いというシグナルを受け取る。列の2番目の人は最初の人がAを選ぶのも見ているので,この時点でAに1シグナル,Bに1シグナルとなっていて,事前確率ではAの方が良いとなっているので証拠を載せた天秤はAに傾いているので2番目の人もレストランAを選ぶ。列の次の人もBのシグナルを受け取るが,同じ理由でAを選ぶ。実際のところ,100のうち99のシグナルがBであっても全員がAを選ぶのだ。これが群衆というものだ。この連続的な情報構造は情報が無駄になっていることを意味している。したがって,どのように情報が配布されるかによって何が起きるか大きく左右されうる。ツイートやFacebookをするのにたくさん学ぶところがあるだろう。
バナジーはインドの経済史に関する独創的かつ重要ないくつかの論文の著者でもあり,その中でも(アイヤーとの共著の)History, Institutions, and Economic Performance: The Legacy of Colonial Land Tenure Systems in India〔歴史,制度及び経済パフォーマンス:インドにおける植民地時代の土地保有制度の遺産〕が有名だ。
デュフロのTED Talk動画はこちら。当ブログのデュフロ,クレマー,バナジーに関する過去記事はそれぞれリンク先から。
去年のノーベル賞発表の前にタイラーは以下のように書いた [4]訳注;以下の引用部分はhicksian氏による訳を使用した。 。
これまでに予想が的中したことは一度としてない。候補に挙げた人物が後になって(別の年に)受賞した例はあれど、「今年の受賞者は誰々」という予想がばっちり的中した試しは一度としてないのだ。そんなわけでこれまでに候補者として勝手に名前を挙げてしまった面々には大変申し訳なく思うばかりだ(ボーモル、ごめんよ)。・・・と言いつつ懲りずに今年も予想させてもらうとすると、エスター・デュフロ(Esther Duflo)&アビジット・バナジー(Abihijit Banerjee)の二人に一票といかせてもらうとしよう。マイケル・クレマー(Michael Kremer)も一緒に付け加えてもいいかもしれないが、開発経済学の分野にランダム化比較試験(RCT)を持ち込んだ第一人者というのが受賞理由だ。
タイラーの予想どおり,彼は間違っていたけど正しかった。というわけで今年の受賞は時機を得たものだし,十分に彼らの功績は十分にそれに見合うものだ。3人ともおめでとう。
References
↑1 | 訳注;アローの受賞は51歳のとき,デュフロは46歳 |
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↑2 | 訳注;正解はhicksian氏訳の過去記事を参照。 |
↑3 | 訳注;この一文は当初掲載時にはなく,後から書き足された。 |
↑4 | 訳注;以下の引用部分はhicksian氏による訳を使用した。 |