●Alex Tabarrok, “The Price of Magic Pills”(Marginal Revolution, September 20, 2009)
グレッグ・マンキュー(Greg Mankiw)がニューヨーク・タイムズ紙に論説を寄稿している(pdf)が、彼がこれまでに書いてきたものの中でも最高傑作の一つだろう。要(かなめ)となる箇所を引用しておこう。
私が毎朝飲んでいる錠剤〔血中のコレステロール値を下げるスタチン〕よりも遥(はる)かに優れものの新薬が開発されたと想像してもらいたい。新薬の名前だが、オスカー・ワイルドの小説に出てくる登場人物の名前を拝借して、ドリアン・グレイ錠と名付けるとしよう。ドリアン・グレイ錠を毎日服用しさえすれば、死ぬこともなければ、病気になることもない。年をとることもない。老病死から確実に逃れることができるのだ。問題は、そのお値段だ。ドリアン・グレイ錠を1年分手に入れるためには、15万ドル [1] 訳注;1年分の命の価値(統計的延命年価値/VSLY)と同額。も支払わなくてはいけないのだ。
毎年15万ドルを払い続けられる人は、永遠に生きられるようになる。ビル・ゲイツなら間違いなく支払える。高所得層に含まれる数千人も、永遠の命を手に入れられるとなれば、喜んで毎年15万ドルを払い続けることだろう。
しかし、大半のアメリカ人は、そこまで恵まれていない。年間15万ドルというのは、国内の平均年収を上回っている。ドリアン・グレイ錠の製造に国内の資源をすべて振り向けたとしても、国民全員の手にドリアン・グレイ錠を行き渡らせることは不可能だろう。
そんなこんなで、社会全体として向き合わなければいけない厄介な問いが浮かび上がってくる。ドリアン・グレイ錠(という、医学における大発明)の恩恵を享受できる人をどうやって決めたらいいだろう? 「医療における平等」を追い求めて、ビル・ゲイツが金に物を言わせてドリアン・グレイ錠を買い集める――ドリアン・グレイ錠のおかげでジョー・シックスパック(白人労働者、庶民)よりも長生きする――のを禁ずるべきだろうか? それとも、(ドリアン・グレイ錠を買える人とそうじゃない人との間で)健康面で大きな格差が生じるのは仕方ないと諦めて生きていく(あるいは、死んでいく)べきだろうか? 中道(第三の道)っていうのはあり得るだろうか?
References
↑1 | 訳注;1年分の命の価値(統計的延命年価値/VSLY)と同額。 |
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なるほど。これはこれで、そうかもしれません。でも、私にとって一番気になるのは、そもそも、所得分布がかなり不平等であるという前提での議論ではなかろうか、という点です。ドリアン・グレイ錠が所得分布のより平等な世界に現れたらどうなるだろうか、という思考実験は必要そうな気がします。