●Jordi Galí, “Thinking the unthinkable: The effects of a money-financed fiscal stimulus”(VOX, October 3, 2014)
今般の経済危機の過程では各国の中央銀行によって数多くの非伝統的な金融政策が採用されることになったが、各国は未だ景気低迷から抜け出せずにいる。本論説では、政府支出の一時的な拡大の財源を貨幣の発行で賄う政策(「財政ファイナンス」)の効果について論じる。現実に近いモデルの枠内で財政ファイナンスの効果を評価すると、財政ファイナンスは生産と雇用を大きく刺激し、インフレを若干上昇させるとの予測結果が得られることになる。
「財政ファイナンスは経済論議の中でタブーの一つと見なされるまでになっている。有害な政策と断じられているばかりではない。提案することはおろか、考えてすらいけないものと見なされているのだ」-アデール・ターナー卿(2013)
今般の経済・金融危機は伝統的なマクロ安定化政策(あるいは反循環的な政策)が抱える限界を知らしめることになった。経済活動の落ち込みを受けて各国の金融当局と財政当局はそれぞれ金利の急速な引き下げと構造的財政赤字の大幅な拡大に乗り出したが、景気の回復を待たずして打つ手が無くなる事態に追い込まれることになった。経済危機を迎えてから比較的早い段階で政策金利はゼロ下限制約に達することになり、(大幅な構造的財政赤字に乗り出した結果として)政府債務残高の対GDP比がかなり高い水準にまで上昇を続けた関係もあって各国の政府は財政再建を強いられることになった――多くの国ではまだその途上にある――のである(財政再建は景気回復を遅らせ、経済にさらなる痛みを加える格好となった可能性がある)。それに加えて、主要な中央銀行は非伝統な金融政策にも踏み出すことになったわけだが、そのような一連の政策は金融システムに安定を取り戻し、銀行部門の収益の改善を後押しする上ではそれなりの役割を果たした可能性はあるものの、特に今回の金融危機で最も大きな痛手を受けたいくつかの国においては総需要を十分に刺激するには至らず、生産と雇用をぞれぞれ潜在的な水準(潜在GDPや自然失業率)にまで引き戻すことはできなかったのである。
名目金利の引き下げも国債の発行も伴わずして経済を刺激し得るような政策について真剣に検討すべき時が来ている。というのも、これ以上名目金利を引き下げることは不可能であり、(政府債務残高の対GDP比が歴史上稀に見るほど高い水準に達しているばかりか、なおも上昇する勢いにある事実を踏まえると)政府債務残高をこれ以上増やすことは望ましくないからである。また、政府支出の拡大にあわせて税金を引き上げる(政府支出の財源を捻出するために増税する)というのも魅力ある選択肢とは言えない。多くの国では税率は既に高い水準にあるだけでなく、税金の引き上げは自滅的な結果をもたらす [1] 訳注;税金の引き上げが政府支出の効果を打ち消す可能性があるからだ。さらには、労働コストの削減や構造改革に力点を置いた提案に対してはここにきて疑問視する声が上がっている。労働コストの削減や構造改革が生産の拡大に結び付くかどうかはそれと同時に金融緩和が伴うかどうかにかかっているとの反論が寄せられているのだ [2] 原注;例えば次の論文を参照のこと。Eggertsson et al.(2013), Galí (2013), Galí and Monacelli(2014)――そして金融緩和の余地はもう無いときているのである――。
財政ファイナンス(Money-financed fiscal stimulus)
つい最近の論文で私は経済を刺激し得るような政策の候補の一つに検討を加えている(Galí 2014)。その候補というのは、政府支出を一時的に拡大するための財源を貨幣の発行で賄うというもの(以下、「財政ファイナンス」)である。冒頭で引用したターナー卿の言葉にあるように、財政ファイナンスは政策当局者の世界では「口にするのも憚られる」一種の「タブー」と見なされている。しかしながら、研究者はそのようなタブーに縛られるべきではないだろう。社会的に広く共有されている目標(例. 完全雇用と物価安定)の達成を促す可能性があればいかなる政策であれその帰結を探ってみる必要があり、その過程で明らかになった発見は包み隠さず(必要な注意書きも忘れず添えた上で)公にしなければならない。それが我々研究者の責任なのだ。
私の研究を通じて得られた中心的なメッセージは次の通りである。
- 財政ファイナンスが生産やインフレに及ぼす影響はモデルの種類(どのようなモデルを選ぶか)に大きく依存する
「理想的な」古典派モデル――あらゆる市場で完全競争が行われており、名目賃金を含むあらゆる名目価格が完全に伸縮的であるような貨幣経済のモデル――の枠内では財政ファイナンスが生産や雇用を刺激する効果はごく限られたものであり、一方で(財政ファイナンスの結果として)インフレは即座に大幅な上昇を見せることになる。また、民間の消費は減少することになる。望ましい効果もあるにはある。財政ファイナンスは即座に大幅なインフレをもたらすことになるが、その結果として(債務の実質的な価値が低下することで)政府債務残高の対GDP比が縮小するのである。 財政ファイナンスが引き起こす結果をすべて考慮すると、 「理想的な」古典派モデルの枠内では財政ファイナンスは到底お勧めできない政策ということになるだろう [3] 原注;「理想的な」古典派モデルでは、財政ファイナンスは家計の効用を確実に低下させることになる。。個人的な推測だが、財政ファイナンスをタブー視する態度の背後にはこのような「古典派」的な発想が控えているのではないだろうか。
しかしながら、以上の議論は必ずしも正しいものとは言い切れないかもしれない。論文の中でも詳しく論じていることだが、「理想的な」古典派モデルから離れてもう少し現実に近いモデル――市場では不完全競争が行われており、名目賃金や名目価格が粘着的であるような貨幣経済のモデル――の枠内で財政ファイナンスの効果を評価すると、その結果は「理想的な」古典派モデルの枠内で得られる結果とは大きく違ってくるのである。
- (現実に近いモデルの枠内では)財政ファイナンスは複数年にわたって実体経済活動を大きく上向かせることになる。それに伴ってインフレも上昇することになるが、比較的穏やかな水準にとどまることなる。
実体経済活動が大きく刺激される理由は予想インフレ率の上昇によって実質金利がしばらくの期間にわたって低く抑えられ、その結果として民間消費と投資が刺激されるためである。
- 政府債務残高の対GDP比は時とともに縮小していく。その主たる理由は実質金利がしばらくの期間にわたって低く抑えられるためである。
- 当初の生産量が効率的な水準を十分大きく下回っている場合は、財政ファイナンスを通じて実施される政府支出がまったく無駄な対象に費やされたとしても経済厚生は改善されることになる。
政府支出の対象が生産性の向上につながるような公共投資に向けられる場合には財政ファイナンスが経済厚生を改善する効果はもっと大きくなることだろう。
現実に近いモデルから得られる以上のような予測結果は量的緩和をはじめとした非伝統的な金融政策のこれまでの経験とは大きな対照をなしている。非伝統的な金融政策は総需要に直接的に影響を及ぼすものではないが、そのためにこれまでのところ多くの国々――特にユーロ圏経済――を低迷から救い出すことができずにいるのだ [4] 訳注;一方で、財政ファイナンスは総需要に直接的に影響を及ぼすことになる。というのも、政府支出の拡大が伴うためである。。財政ファイナンスはユーロ圏のような通貨同盟向けの政策としての利点も備えている。財政ファイナンスでは政府支出の拡大が伴うわけだが、高失業や低インフレ(あるいは長引くデフレのリスク)に悩まされている地域を選定した上でその地に政府支出を集中させるという方法も採り得るのである。
特にユーロ圏経済に言えることだが、古色蒼然とした偏見から脱却し、これまでに試されてきたどの方法よりもずっと確実に総需要を刺激し得る方法を試すべき緊急の必要性に迫られている事実に向き合う時が来ているのかもしれない。財政ファイナンスを選択肢の一つとして真剣に考慮すべき時が来ているのだ。
<参考文献>
●Eggertsson, G, A Ferrero, and A Raffo (2013), “Can Structural Reforms Help Europe?(pdf)”, Brown University, mimeo
●Galí, J (2013), “Notes for a New Guide to Keynes (I): Wages, Aggregate Demand and Employment”, Journal of the European Economic Association, 11(5), 973-1003.
●Galí, J and T Monacelli (2014), “Understanding the Gains from Wage Flexibility: The Exchange Rate Connection”, CREI working paper.
●Galí, J (2014), “The Effects of a Money-Financed Fiscal Stimulus”, CEPR Discussion Paper 10165, September.