Angus Deaton, Arthur Stone “What good are children?“(VOX, 4 March 2014)
子供をもっている人たちはもっていない人よりも満足度が低いということは、数々の研究が明らかにしてきた。そうした実証分析はなにか間違っているのだろうか。それとも幸福の計測は信頼性に欠けるのだろうか。本稿ではこうした結果は正しいとはしつつも、親と親でない人たちの厚生を比較することは、子供を作るかどうかの判断をしようとしている人たちにとっては何の意味もないことであると主張する。
初めて天からの授かりものを受け取った時、その両親たちが「愛の津波」に襲われるというのはふつうのことだ。それよりも大きくなった子供も、いらだちや心配の種になることも多いが、それでも喜びの種であり、子供のいない世界という想像に耐えられる親たちはほとんどいない。しかし、子供をもっている人たちはもっていない人よりも満足度が低いということは、数々の研究が明らかにしてきた。Hansen (2012) や Stanca (2012)はそうした調査の最近のものだ。なぜこうしたことになるのだろうか。政府はこうした知見を公表し、子供は自分たちにとって良いものだなどという広く馴染んだ考えから人々を解放すべきなのだろうか。フィリップ・ラーキンなどが詠うように?
人は人へと悲劇を伝う/岸が水底を深めるように/すぐに抜け出さなければならない/そして子などなさないことだ
―フィリップ・ラーキン
こうした実証分析ははなにか間違っているのだろうか。あるいは、多くの経済学者が疑っているとおり、幸福の計測は信頼性に欠けるのだろうか。ここではこうした結果それ自体は正しいと主張する。より深いところの問題は、親と親でない人たちの厚生を比較することは、親になるかどうかの判断をしようとしている人たちにとっては何の意味もないということだ。
人々は自分が何をしているのか分かっていないのだという説もある。ハーバード大学の心理学者であるダニエル・ギルバートは、”Stumbling on happiness(邦訳「幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学」)”というその内容をよく表しているタイトル [1]訳注;原題の直訳は「幸せとの(不意の)遭遇」といったもの。 の本の中で、子供とは良いものであるという信念は間違いであるにもかかわず世代から世代へと受け継がれているのだと主張している。親たちは子供がもたらす不幸に絶え間なく驚かされるのだ。
私たち経済学者はこうした説明を退けてしまう前に、「富や権威の喜び」は偽りではあるが、「人類の産業の存続を」保つためには必要なのだとアダム・スミスが信じていたことを覚えておく必要がある。おそらく子供の魅力というのは偽りであるが、人類の存続を保つためには必要なのだ。
新研究
私たちの2つの新研究、Stone and Deaton (2013, 2014)では、こうしたこと全ての根幹を探るためにギャロップ調査による大規模なアメリカのデータセットを用いた。ひとつめの論文では年配者に、ふたつめでは親と子供に焦点をあてた。
全人口(18歳以上)について、子供がいるかどうかと生活に対する評価を調べてみると次のように既存研究と似たような結果が得られる。
- 一人以上の子供が家にいる人々は、子供がいない人と比べると生活評価がわずかながら低い。この違いは所得の5%の下落に相当する。
- 子どもと一緒に住んでいる人々はまた、より多くの怒り、ストレス、心配を回答しているが、より多くの幸福も報告している。
(人々が全体としての生活を判断するところの生活評価ないし生活満足度と、幸福による快感的あるいは感情的な経験を分けることはこの研究にとって重要なことであり、私たちが「幸福」という単語を使うのは感情に関することだけであって、巷でよく行われるような生活評価に関してのものではない。)
こうした比較を行うのに大人の全人口を使うのはあまり有用ではなく、ギャロップのデータの場合は回答者が子供とどのような関係(あるいは関係があるのかどうか)について述べていないだけに特にそうだ。回答者のうち最も若い層ではその子供は兄弟かもしれないし、年配者層では孫かもしれない。90%あるいはそれ以上の確率で一緒に住んでいる子供は自らの子であると思われる34歳~46歳の大人のみを見た場合、親としての生活はもっと良いものとなる。彼らのうち子供と住んでいる人は、子供のいない人よりも生活をより良く感じており、それは所得に直せば75%の上昇に相当する。また彼らは依然としてより多くの怒り、悲しみ、心配を経験する可能性が高いものの、幸福、笑顔、楽しみもまたより多く感じている。
しかし話はこれで終わりではない。子供といるこれらの大人たちは、子供のいない大人と似ていないのだ。彼らはより健康的で、より豊かで、より良い教育を受けており、より信心深く、女性あるいはヒスパニックである可能性が高く、喫煙者である可能性が低いのであり、これら全ての要因は子供がいるかどうかに関わらず生活評価を向上させるものだ。さらに重要なのは、彼らは結婚している可能性が非常に高く、そして結婚はそれ自体厚生を高めるのだ。これら全ての要因をコントロールすると、これら特定層の大人たちにおいてさえ、子供のいる人たちの生活はより悪いという否定的な結論に再び立ち戻ってしまう。今一度34歳~46歳の大人を対象としつつコントロールする変数を変えていくと、全くコントロールされていない肯定的な結論と強くコントロールされた否定的な結論の間を行きつ戻りつできる。少なくともいくつかの変数をコントロールしてこうした比較を行うと、その結果は他の研究の多くと似通ったものになる。
興味深いことに、何をコントロールするかに関わらず、親たちはより多くのプラスとマイナス双方の感情を経験する。これからすると、子供は喜びと悲しみの両方をもたらすというのは十分な信憑性がある。また年配の回答者について見てみると、生活評価と快感的な経験双方のあらゆる点について、子供と一緒に住んでいる高齢者はマイナスであるように見える。私たちはこれはほとんど選別の問題であると考えている。少なくともアメリカにおいては、年配者はふつう若い子供とは住んでおらず、若い子供と住んでいる場合には独りで住むことができないということを示している可能性が高い。この推測は、若い子供と住んでいる年配者は健康面でかなり悪い結果を示していることからも支持される。私たちはまた、年配者の感情面への子供からの直接的なマイナスの影響に関するいくらかの証拠も発見している。
ここに至り、立ち止まって自分たちが何をしようとしているのかについてより深く考える必要が出てくる。私たちは本当に結婚をコントロールする [2]訳注;もちろん変数の制御という意味。 必要があるのだろうか。多くの人は子供をもつことを視野に入れて結婚するのだから、おそらく正しい比較とは結婚もしておらず親でもない人たちと、結婚しており親でもある人との比較なのだ。しかしその場合幸せに結婚はしたが子供のいない人たちはどうなるだろうか。また同じように、人々は子供が予期せぬ支出をもたらす場合にはより懸命に働くかもしれない。しかし人々の所得の差について子供はほとんど影響を与えないのだから、所得のコントロールから外すのは全くよろしくない。
ここまでの結果で分かったことは、各厚生の比較と、他の要因のうちどれを一定とするかによってそうした比較がどれだけ異なったものになるのかということだ。しかしそうしたことは、こうした結果に個人や国家にとっての政策的な含意はないという主張の外にあるものだ。
何の推定を試みるべきなのか
ある特定の人物やカップルが、子供の有無次第でより良い生活を得るかどうかということは一つの狙いとなるかもしれない。親であるかどうかの選別のせいで、子供をのいる人たちといない人たちの比較が有用かははっきりとしない。心理学者(あるいはアダム・スミス)の一部が言うように、人々は自分が何をしているのかをほとんど分かっていないというのなら話は別だが。しかし子供のいる人たちは、基本的には子供を欲しいと思っていた人たち(そして逆もしかり)だと考えるほうが明らかに自然だ。
選別の問題に対する標準的な経済学者の回答は、ランダム化コントロール実験を行うために、その擬制となると思われるようなパネルデータ、手段、もしくは理想的な条件下を探すというものだ。パネルデータはここではあまり役に立たない。なぜなら子供が生まれた時点における親たちの厚生の変化は私たちが求めているもののほんの一部でしかなく、データはそうしたイベントに先駆けて大きな変化を示すからだ。ランダム化コントロール実験については、私たちが何を知りたいと関心を抱いているかに関わらず、少なくともそれはある朝起きたら道に迷ったコウノトリが祝福とともに赤ちゃんを運んできてくれていないかなと待ち望んでいる子供のいないカップルの回答ではない。この早朝の親への変身がより良い生活をもたらしてくれる可能性は、グレーゴル・ザムザ [3] … Continue reading の巨大な虫への変身と同じくらい高いのだ。そしてランダムに選ばれた子供たちのいない比較研究と悪戦苦闘することすら必要ないのだ。
終わりに
子供のいる人たちの生活は子供がいるからより良いものであり、子供のいない人たちは子供なしでより良い生活を得ていると考えるのであれば、実証的な証拠は全く驚くべきものではなくなる。Benjamin他(2013, 2014)による最近の研究では、人々が生活に対する決定を行う際、彼らは自らの厚生をちょうど正確には最大化しないが、しばしばそれにかなり近いところになることを確認している。仮にそうであるならば、子供を持つことで厚生が改善する人たちは子供を持ち、子供を持つことで厚生が悪化する人たちは子供を持たないということになる。しかしこの2つのグループは異なる好み、すなわちこの上なく明らかに子供に対する選好が違っているのであるから、片方のグループが自分の選択を行ったときにもう片方よりも良くなると期待する事前の根拠は一切ない。親になりたいのに子供をもつことができない人は、子供をもっている親と比べるとほぼ間違いなく不満足であり、また子供の欲しくない人が偶然に子供を授かった場合には疑いようもなく不満足になるだろう。しかし親でない人イコール子供をもてない人ではないし、親である人たちイコール親になってしまった人ではないのだ。
私たちが言えるのは大体こんなところだ。
参考文献
●Benjamin, Daniel, Ori Heffetz, Miles S Kimball and Alex Rees-Jones (2012), “What do you think would make you happier? What do you think you would choose?” The American Economic Review, 102(5), 2083–110.
●Benjamin, Daniel, Ori Heffetz, Miles S Kimball, and Alex Rees-Jones (2014), “Can marginal rates of substitution be inferred from happiness data? Evidence from residency choices,” The American Economic Review, forthcoming.
●Deaton, Angus, and Arthur A Stone (2013), “Grandpa and the snapper: the wellbeing of the elderly who live with children,” NBER Working Paper No. 19100, June.
●Deaton, Angus, and Arthur A Stone (2014), “Evaluative and hedonic wellbeing among those with and without children at home,” PNAS, 111(4), 1328–33.
●Gilbert, Daniel (2007), Stumbling on happiness.
●Hansen, Thomas, 2012, “Parenthood and happiness: a review of folk theories versus empirical evidence,” Social Indicators Research, 108, 29–64.
●Stanca, Luca, 2012, “Suffer the little children: measuring the effects of parenthood on well-being worldwide,” Journal of Economic Behavior and Organization, 81, 742–50.