ノア・スミス「進歩派は進歩を歓迎する必要がある」(2023年3月22日)

現状維持では、繁栄した社会も公正な社会ものぞめないよ

自分たちが参加してる運動の看板どおりに暮らすことを本心から気にかけてる人なんて,多くはないとぼくは思ってる.保守派の人に,「どうして自然環境を保守しようとしないの?」と聞いてみても,あるいは,生命尊重派〔中絶反対派〕の人に「どうして死刑に賛成してるの?」と聞いてみても,当人の価値体系を深く考え直す必要を覚えないだろう.同じく,進歩派の人に,「キミが大事にしてる信念や政策アプローチのなかには『進歩』の邪魔になってるものがあるよ」と伝えてみたところで,当人が夜も眠れないほど頭を悩ませる結果になるなんて,期待はしない.そんなことを言ってみたところで,「この人とは『進歩』の定義がちがうんだな」と決めつけられておしまいだろう.

とはいえ,問題は言葉の意味で終わりではなく,もっと深い.いま進歩派の人たちがとっているアプローチの多くは,進歩にとって有害だ.部外者が定義する進歩にとってではなく,他でもなく多くの進歩派が定義する進歩にとって,害がある.社会的セーフティネットであれ,グリーンエネルギーであれ,庶民に手が届きやすい住宅であれ,進歩派はこれと決めた手順や手法に入れ込んでいて,それが自分の目標にとって逆効果になっていても固執してしまうことがよくある.それでも,その手順や手法が問い直されることはめったにない.みずからの手で計画されたものではなく,時間をかけて積み重なってきたものだからだ――特定の利害集団からかけられた圧力への対応としてできたものもあるし,昔の政治的な制約への妥協の産物だったものもあるし,いまとなってはどうしてその手順や手法がとられているのか理由がわからなくなっているものもある.ただ,理由がどうであれ,進歩派がとっている多くのアプローチがまるで「糞の足しにもならねえ」ことがますますはっきりしてきている.そのせいで,現代の進歩派の企図がまるごと挫折したり失敗したりする危機に瀕している.

というわけで,そういう問題含みのアプローチについて,少し語ろう.

「予算つけておしまい」アプローチ

「お金なんて,ただのちっちゃな緑の紙切れ」なんて,昔はよく言ったものだ.だけど,いまやお金はそんなものですらない.帳簿に書かれたただの数字だ.そういう数字は,生身の人間を動かして現実に見たり触れたりできるモノをつくりださせるよう促す力をときに発揮する――建設業の労働者にお金を払えば,建物ができあがる.でも,そういう数字そもののに,モノをもっと生み出す力が宿っているわけじゃない――たんに「グリーンエネルギーに4000億ドルを投じる」って言葉を書き付けてみたって,消費者たちが利用できる電力がいったい何キロワット毎時になるのか,実際に決まるわけじゃない.

先月,いらだちまじりに書いた記事では,「インフレ抑制法」で決まった前代未聞の政府支出が,実際にグリーンエネルギーをうまくつくりだせずにいる事情について語った.なんでうまくいっていないかと言えば,太陽光発電や風力発電のプロジェクトや送電網の建設に対して,現地の住民たちが環境審査法 (NEPA) その他の拒否権を使って,待ったをかけているからだ.いまやグリーンエネルギーの推進は危機に瀕している.進歩派たちが,ひたすら予算をつけることにばかり力を注いで,そういう予算を物理的なモノに変えるのに必要な制度的な能力をつくる方をおざなりにしているからだ.IRAは,いまやカリフォルニア州の高速鉄道プロジェクトの進行を脅かしている.このプロジェクトは,進歩派の夢で,14年前に最初の大型予算をつけられた.それなのに,いまだに,乗客を乗せて走れる路線なんて1マイルもありはしない.

ぼくはずっと頭のなかで「予算つけておしまい主義」(“checkism”) という名前でこういうのを呼んできた.つまり,「とにかく必要なのはより大きな予算をつける政治的な意思,それにつきるっていう進歩派の考えのことだ.「予算つけておしまい主義」は,カリフォルニアの高速鉄道にありありと見てとれる.その概算コストは,どんどん膨らんでいって,いまや1280億ドルに達している.ひとえに,鉄道の建設をとめてきたあの現実世界の障害のおかげだ.それなのに,建設をより安くより簡単により迅速にするために制度を改めようなんて呼びかけは出ていない.それどころか,進歩派たちはとにかくもっと「投資を」と呼びかけている.ようするに,もっと予算を増やしてくれってわけだ.

一方,バイデン政権に大きな影響力をおよぼしてるシンクタンクのルーズベルト研究所にいる人たちみたいな影響力ある進歩派たちは,あいかわらず,既存の認可プロセスを擁護している

ここで言われてる「明確な共通見解」は,エコーチャンバーのなかにしか存在しない.最近,Jerusalem Demsas が Atlantic 誌にすごく手厳しい記事を書いてる.その記事では,難民プログラムに異議を申し立てたり原油採掘に反対したり排他的な区画規制を保護するのに NEPA がどんな風に使われてきたかってことだ.また,NEPA はニューヨーク市のガス排出課金の阻止にも使われている.というか,進歩派にとっての優先事項を次から次へと妨害するための武器に NEPA が転用されてきた事例は,あれこれの分野に山ほどある.ところが,NEPA の改革やその他の制度改革が必要だっていうと,「とにかく必要なのは,さらなる政治的な意思ともっと大きな予算だ」って考えに反してしまう.

また,「予算つけておしまい主義」は,「高技能労働力の不足なんて存在しない」という多くの進歩派たちの確信ぶりにもありありと現れている.バイデン政権が掲げている優先事項のひとつに,アメリカの産業の国内回帰がある.バイデン政権は,合衆国内に半導体工場を建設するための大型予算をつけている.ところが,案の定,そういう半導体工場は NEPA その他のレッドテープで足止めを食っている.でも,それだけじゃない.新規工場プロジェクトは,しかるべき資格をもつ労働者を見つけるのにも苦労している.なぜって,アメリカは半導体製造をほんのわずかしかやっていないから,半導体工場での仕事をどうやればいいかわかってるアメリカ人はそんなに多くないからだ.この問題に対してよく提案される解決法は,企業がとにかく賃金を引き上げるという手だ――つまり,「もっと予算を」だね.でも,賃金を引き上げてみても,虚無から技能がポンと飛び出てくるわけじゃない.賢くて教育のある労働者にとってすら,ものすごく高度なテクノロジーの設備を回す方法を身につけるには長い時間がかかる場合がよくある.

そこですぐに思いつく解決策は,高技能移民の受け入れだ.韓国・台湾・マレーシアには,チップ製造工場での仕事のやり方がわかっている労働者が大量にいる.それに,アメリカの給料の方が高いおかげで,明日にだってかんたんに彼らをこちらへ連れてこれる.ところが,バイデン政権は訓練プログラムに関心を集中させる方を選んだ.訓練というけれど,それには何年もかかる――それに,訓練するのにだって高度な技能のある人が必要なわけで,それにはやっぱり外国の労働者をこちらへ連れてこないとうまくいかないだろう.

また,「予算つけておしまい主義」はお粗末な教育にもつながる.たとえば,最近,サンフランシスコで公立校に6000万ドルの追加予算をつける法案が可決された.でも,そのお金がそのまま子どもの教育改善につながるかというと,そうとはかぎらない.監査報告によると,サンフランシスコ各地の学校は,他の学校区に比べて生徒一人あたりの管理者がずっと多く雇われてる.その分,教育そのものに当てるために残るお金は少なくなってる.その結果として,サンフランシスコの学校の教育成果は,他の地域の学校をずっと下回ってる――最近 Darrell Owens が指摘していたように,サンフランシスコの黒人高校生の識字率は,カリフォルニア州内の他の学校に比べて大幅に低い.

何度も何度も,予算つけておしまい主義から予想どおりの破壊的なサイクルにつながっている.どうにかこうにか進歩派たちが選挙での勝利にこぎつけて,やれやれやっと自分たちの優先事項のために大型予算をつけたと思ったら――グリーンエネルギーとか,高速鉄道とか,産業の国内回帰とかの予算をやっともぎとったと思ったら――本人たちが支持してる規制と手続き上の必須要件のせいで,物理的なリソースが確保できないとくる.なにも建設されず,ただただ書類上のコストは膨れ上がっていき,それを見た進歩派たちはよりいっそう大きな予算をつけるべしと声を上げる.で,それがえんえんと繰り返される.

ここでの問題は,実はリソースの無駄遣いじゃあない――実際に使用されてる現実のリソースなんて,ほんのわずかなものだ.そして,それこそが問題なんだよ.問題は,進歩派の掲げてる目標が実際に達成されていないってところにある.ぼくらはグリーンエネルギーや高速鉄道や半導体製造工場を必要としてる.どれもすばらしくて値打ちのある目標だ.でも,そういう値打ちのある目標を実現するための方法として,「予算つけておしまい主義」は目的に合っていないんだよ.

「誰も彼もに地位の助成を」

環境審査法 (NEPA) は,ぼくのいう「地位の助成」に該当する――地位の助成ってどういうことかっていうと,自分の生活におこるどんな変化でも阻止する選択権をアメリカ人みんなに与えることで,彼らがより裕福になった気分にさせる方法のことだ.地位の助成は,受け取るガワからすれば現実の価値がある.なぜって,我が身の回りの世界をコントロールするほんのちょっとばかりの力を人々に与えることになるからだ.それに,すごく相手に渡しやすい助成でもある.たいていの福祉プログラムとちがって,〔与える側が〕実際になにかをする必要はない.ただたんに,物事が進むのを止めるルールをつくるだけのことだ.そのコストはとてつもなく大きい――消費者物価は上がり,家賃は高くなり,賃金は低くなる――でも,こういうコストは人目につかない.後になってから明るみに出てきたり,一般人には認識されないかたちで現れる場合が多い.

もちろん,こういう地位の助成をみんなにちょこちょこ配ってるのは,べつに進歩派たちだけじゃない.保守派だって,何十年にもわたって,閑静な郊外の住宅地の「特質」を保持するために単一家族向け住宅に土地利用計画を制限する規制を利用してきたし,彼らはいまでも NIMBYism をたっぷりやっている.環境審査法 (NEPA) を利用して原油採掘を保護するのは,間違いなく,保守系の実業家たちの既得権益を保護しているし,「赤い州」〔共和党支持が強固な州〕の人たちの既存の雇用も保護している.

でも,これまで進歩派たちは地位の助成を利用するのにあまりに熱心すぎた.とくに,住宅に関してはそうだ.たった一つだけ,際だった例を挙げるなら,アメリカ社会民主党 (DSA) のデンバー支部は,最近,共和党と合同チームを組んで,ゴルフコースに使われている土地を住宅地にする開発計画を阻止した――そこに住宅ができれば,多くは「手ごろな」(i.e. 政府から助成金が出る)ものになるはずだったにもかかわらずだ.

現状維持バイアスのせいで進歩派のいろんな目標がどんな風に害を被っているのか,Demsas が解説している.

ほどほどであれば,用心深く熟慮するのはいいことだ.だが,ただ待っていればこの不確実性が軽減されるわけがない.たんに,不確実性のありかたが変わるだけだ.なにかをすればなにかしらの害が引き起こされることがある.だが,なにもしないでいれば世界がまったく変わらないままに保たれるわけではない.価値の高い地域に,住宅をもっと建設せずにいれば,価格はどんどん高騰し,そこの暮らす人々は高所得層・白人・高齢者に偏っていく必要な再生可能エネルギー・インフラを建設しない国には,他でもなく20世紀の活動家たちがあれほどがんばって阻止した環境の悪化が生じてしまう.

〔いろんなプロジェクトの実現の〕阻止から生じる予定外の帰結も,プロジェクトを許可した場合に生じる帰結と合わせて考慮に入れるべきだ.大学に進学しなかった人たちも,入国することのなかった難民たちも,失敗した政府プロジェクトも,通勤中に私たちの視界に入ってきて苛立ちのものになりはしない.だが,これらもずっと私たちにコストを負わせ続けているのだ.

前に言ったように,現状をは進歩の真逆だということをただ観察するだけでは,現状維持のための助成という枠を破って進歩派たちが考えはじめるのに足りない.いまは1970年代じゃなくって,いま「開発」といったらそれは不利な立場に置かれた地域をつっきる高速道路をつくることでもなければ,化学工場が地域の河川に廃物を流すことでもないってことを,進歩派たちは認識する必要がある――いま「開発」といったら,それは,太陽光発電設備だったり,手ごろな価格の住宅を作るプロジェクトだったり,地域経済を支えるクリーンなハイテク工場を建設することなんだ.現状維持のための助成をしても,もはや,貧しい人たちや自然環境を守ることにはつながらない.むしろ,貧しい人たちや環境を害してしまっている.

「あれもこれものっけちゃえ」

すでに自滅的になりつつある進歩派のアプローチのなかで,最後に取り上げるのは,「こういうことをやろう」という進歩派のプロジェクトが立ち上がるたびに,それと関連のないいろんな優先事項をつらつらと連ねたリストをくっつけるように言い張って聞かないやり方だ.たとえば,オバマ大統領の諮問役だった Steven Rattner は,先日,こんなことを言っている.彼によると,CHIPS 法案の支出に相乗りさせようとあれやこれやの項目が付け加えられたんだそうだ:

CHIPS や科学法案 (Science Act) に次から次へぞろぞろと無関係な目的や法外な制限が付け加えられて,その成功が危うくなっている.議会や行政の一部の動きによって,政府の補助金交付プロセスに付け加えられたのだ.
[政府の資金提供をもとめる]申請者は,自分の計画が「マイノリティ・退役軍人・女性が所有している企業に機会を創出し(…)合衆国内で製造された鉄・鉄鋼・建設資材を使用することを確約する」かどうかで評価される
また,その文書では,手ごろな価格の住宅を提供するという確約や,幼稚園から高校までの各種学校や地域の大学に投資することも求めている.(…)従業員に保育を提供するべしという要件にも多くの関心が注がれている.(…)
[政府からの資金提供を受ける人々は]教育機関から「労働力開発組織」までのさまざまな「労働力パートナー」と協働し,また,「セクター間連携」の創出をしなくてはならないのだという(それがどういう意味であれ).また,サービス受益が不十分で経済的に不利な地域の出身者たちを支援する包括的なサービス」について詳細に規定すべきとも言う.これには,交通手段や住宅の支援も含まれる.
さらに,株の買い戻しや配当へのさまざまな制限もある.

つまるところ,進歩派たちがやりたがっていて,半導体工場となんの関わりもないあれこれの項目がリストアップされているわけだ.進歩派たちとしては,保育を提供したいし,マイノリティ所有の企業を後押ししたいし,教育に投資したいし,手ごろな価格の住宅もつくりたい.どれも,やるべきことではある.でも,半導体の競争力強化を狙っている法案に,こういうあれこれの目的まで達成させようと強いることで,法案が推進しようとしている当の工場建設を不可能にしてしまうリスクを進歩派たちは冒してしまっている.そうなってしまったら,誰も得をしない.

(「アメリカ製品を買おう」の条件について言うと,あれは馬鹿げてるの一言だ.狙いは,中国以外ならどこの国でもいいから買うことに絞るべきだ.)

「労働力パートナー」を含めるのも,進歩派が長らくとっているアプローチの特徴だ――非営利団体をとおして政府の資金を流すやり方だ.このアプローチのダメさは,サンフランシスコで証明されている.あやしげな非営利団体が公共のお金の大半を自分たちで着服する一方で,政治の関与を阻むよう意図された法律の抜け道を利用した.こうしたアプローチは,すぐに恩顧主義の一種に堕してしまう.

言い換えると,進歩派たちは政策を推し進めようとしつつも,なにか法案をつくるたびに,本来なら関係もないのにそれに乗っかって利用しようとする非営利団体や利益団体,そしていろんな政策的な優先事項を無数に連ねたリストがまとわりついてきて,足を引っ張られてしまっている.この傾向はだんだん強まってる.かわりに,もっとうまくやる方法がある.それは,こういういろんな優先事項を切り分けて,それぞれ別々に取り組むことだ――たとえば,教育支援や育児支援を半導体工場にやらせようとせずに,教育なら教育,育児支援なら育児支援,それぞれに資金を提供するんだ.ありとあらゆるプロジェクトにありとあらゆることを抱き合わせにすると,さんざんお金を注ぎ込んだのになにひとつ進まずに終わってしまうリスクがある.そうなったとき,相も変わらず成果なく「もっと予算を」と要求し続けていれば,いずれ愛想を尽かした有権者たちは背を向けて共和党になびいてしまうかもしれない.

アメリカは変わった,進歩派だって変わらなきゃいけない

こういう問題含みのアプローチの多くは,過去の時代の遺産なのだとぼくは思ってる.かつて,進歩的なアイディアや関心は,マイノリティ問題に関わっていた.1世紀前,大型インフラ計画が実現すると,黒人居住区やラテンアメリカ系住民の居住区が立ち退きにあうことがよくあった.彼らには発言権がほとんどなくって,白人が大勢を占めた市民に無視されていた.でも,いまはどうかと言えば,不利な立場にあるマイノリティの求めに向けられる人々の関心や懸念ははるかに大きい.1世紀前なら,工場は環境汚染の一大要因だったし,環境保護をのぞむ人たちは圧倒的に少数派だった.今日,きれいな大気と水の維持を義務づける法律は,かつてよりずっと強くなってるし,大半のアメリカ人は,自分たちが暮らす地元の環境にずっと大きな価値を置くようになっている.1世紀前の政府は小さくて利用できるリソースも不足していたから,進歩派のキャンペーンでは,政府による資金提供を拡大しようという政治的な意思を結集することこそが主な課題だった――いまはと言えば,政府支出はアメリカ経済の 42% を占めているし,どんな大統領であっても大型支出項目は「やることリスト」のいちばん最初に掲げられている.

言い換えると,不利な立場の人々を大企業や多数派の専制から守ることこそが進歩主義の主な任務だった時代につくられたアイディアとアプローチを,今日の進歩派は相変わらず使い続けている.でも,今日の進歩派にとって,自分たちの夢を実現する課題は,国家にできることの規模の不足じゃないのが通例だ.いまの進歩派は,撤退中に自分で敷設した地雷原にさえぎられて前進できないでいる軍隊にちょっと似てる.

言い換えると,進歩派は進歩の理想に焦点を合わせなおすべきだ――つまり,実際に物事を実現して進歩的な結果を産み出すことに焦点を合わせなおすべきなんだ.目標に関心を集中させて,その実現方法については柔軟に考えられるようになった方がいい.その昔,1996年や1976年に使っていたアプローチを深く考えずにとりあえず採用するのはやめないといけない.

追記: ここで取り上げたのと同じ問題群の多くをエズラ・クラインが長文の秀逸なコラムで論じている.すごくおすすめ.

[Noah Smith, “Progressives need to embrace progress,” Noahpinion, March 22, 2023; Translated by optical_frog]

Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts