ラジブ・カーン「E.O.ウィルソン 1929-2021年」(2021年12月26日)

E. O. Wilson, 1929-2021
POSTED ON DECEMBER 26, 2021 BY RAZIB KHAN

ホピ・ホエカストラは、E.O.ウィルソンが亡くなったことを公表した。このエントリを書いている時点では、まだウィキペディアには記載されいないが、彼女なら間違いないはずだ。様々な訃報記事がこれから増えていくだろう。ウィルソンは重要かつ、論争の的となった人物であった。

今、私が着目したいのが、1970年代後半にウィルソンが人間社会を理解するために生物学的なフレームワークを導入しようとした際に起こった騒動をまとめたウリカ・セーゲルストローレの『社会生物学論争史―誰もが真理を擁護していた』だ。〔当時〕基本的に、ウィルソンは、排撃され、人格を否定され、カンファレンス中に左翼学生から物理的な攻撃を受けた。この時の文系-理系論争の当事者のほとんどは、もう亡くなってしまっている。W・D・ハミルトンはかなり前に、ジョン・メイナード・スミスとスティーブン・ジェイ・グールドは2000年代に、ジョージ・ウィリアムズは2010年に亡くなった。リチャード・ルウォンティンは最近、レオン・カミンは2017年に亡くなっている。「大物」の多く――リチャード・ドーキンス、ノーム・チョムスキー、スティーブ・ローズらはまだ現役だ。しかし、この抗争の中心にいたのがウィルソンであり、彼はつい最近になっても論争を展開していた。彼は今月初頭になってもVoxのインタビューに応じている。ボブ・トリヴァースはまだ健在…だが、もうほぼアカデミズムの世界から離脱してしまったようだ。

ウィルソンは、1970年代に悪名を馳せた後に、数多くの著作を発表し、大物の環境保護論者として復権したことで、リベラルなインテリは多少の疑念寄せつつも、概して好意を寄せる人物となった。しかし、彼はどんなことがあっても、生物学が人間の本性において重要な役割を担っている、という根本的な見解を変えなかった。私は、ハーバード大学でウィルソンに直接話を聞いたし、彼と面識があり深い考察を厭わない人にも話を聞いたので、そのことを知っている。事実を知りたいなら、ウィルソンのチャールズ・ラムスデンとの共著”Genes, Mind, and Culture – The Coevolutionary Process(遺伝子・心・文化―共進化のプロセス)”に当たってほしい。これは、ラディカルな本であり、L.L.カヴァリ-スフォルツァとマーカス・フェルドマンや、後のピート・リチャーソンとロバート・ボイドの試みよりも、野心的な内容だった。この本はおそらくだが、野心的すぎる内容だ(「文化遺伝子」という言葉聞いたことがあるだろうか?)。ウィルソンは包み隠すことなく、人の感情を害することも厭わない、勇気ある人物だった。

私は、次世代の科学者達が、ウィルソンのようにはならないのではないか、と恐れはじめているので、この〔ウィルソンの勇気ある振る舞いは〕重要事になっている。ウィルソンは政治的にナイーブだった状態から、徐々に賢明になっていった。一方、一部の集団遺伝学者は政治的な配慮から多遺伝子淘汰について研究しないと釈明しているのように、〔次世代の科学者達が〕政治的に賢明になりすぎてはいないかと私は危惧している。そうなってしまえば、そのうち、一般の人々が、ヒト集団遺伝学を敬遠するようになってしまうのは明らかだ(一部はもうそうなってしまっている)。科学が政治に従属してしまう問題は、昔からある問題だが、褒められるものではない。ここ数年、「あなたは、ヒトの集団遺伝史に非常に関心を寄せていますね…頭蓋骨にも関心があるということですかね?」といった問い合わせを私は多く受けている。こうした問い合わせは、基本的には反知知性主義なのだが、なんとインテリによって支持されているのである。読者はどんなタイプの人かご存知のはずだ。

以下に、1977年にハーバード・クリムゾン紙に掲載された、ウィルソンに寄せられた批評を紹介しよう。

社会生物学研究会 [1] … Continue reading は、ウィルソンが露骨な性差別主義者であることも指摘しています。ウィルソンは、現代の人間社会における男性の優位性には普遍性があるとし、狩猟採集社会における男女間の分業制になぞらえているのです。ウィルソンは、男性を進化過程における主体的エージェントとして扱っており、女性を「DNA増やすための媒介手段に過ぎない」としています。結果、ウィルソンは以下のように主張しています。

”私の推測では、〔男女間の〕遺伝子の偏りは、想定しうる最も自由で平等主義的な社会においても、かなりの〔男女間の〕分業を引き起こすほど強烈であると思われる。よって、〔男女が〕同じ教育を受け、あらゆる職業への平等なアクセスがあったとしても、男性は政治活動、ビジネス、科学において偏った役割を担う可能性が高いであろう。(ニュヨーク・タイムズ 1975年10月12日)”

反人種主義委員会は「生物学的決定論は、社会問題への責任を免除することで、既存の社会制度を強化する貢献してきたが、ウィルソンもこの決定論の長い行列に加わるものである」とした社会生物学研究会の見解に同意を示しています。反人種主義委員会はさらに宣言しました、社会生物学は危険な人種差別主義であると。ウィルソンは、著書の中で、人種について何ら具体的に言及していませんが、社会生物学による分析はどのようなものであるか、しばらくは考慮すべきでしょう…。

ウィルソンはかなり荒っぽいことを言っており、正直、彼の推測は根拠薄弱であることは事実だ。ただ、ウィルソンへのこうした反応は相当ヒステリックなものであった。もっとも、よくある反応でもあるが。ウィルソンは悪評の回復に40年費やした。近い将来、ウィルソンのような勇気ある人が現れるとは到底思えない。

関連エントリ:
ハフィントンポストでの集団淘汰論
ブサーキとウィルソン
アトランティス誌でのE. O.ウィルソン
E. O. ウィルソンは利他主義についての立場を変えていない
進化遺伝学の歴史的断片
名誉ある科学者? E.O.ウィルソン

References

References
1 訳注:ウィルソンは人間や人間社会を生物学的知見によって研究する学問分野「社会生物学」を提唱した。それに対して、人文科学の学者達は強く反発し、「社会生物」を揶揄にするために「『社会生物学』研究会」を立ち上げてた。
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