●Lars Christensen, “The young Keynes was a monetarist”(The Market Monetarist, July 8, 2013)/【訳者による付記;2014年3月18日】山形浩生氏が(本エントリーでも取り上げられている)ケインズの『貨幣改革論』を全訳されています。『一般理論』だけではなく、『貨幣改革論』までネット上でタダで読めるとは、何ともありがたい話です。
貨幣や金融の問題を専門的に研究している経済学者に推薦図書のアンケート(「貨幣をめぐる問題に興味を持つ学生に対して、あなたならどの本をお薦めしますか?」)をとっている最中なわけだが、本日もその結果の一部を報告することにしよう。今回の「犠牲者」は、スコット・サムナー(Scott Sumner)。四の五の言わずに、早速紹介するとしよう。サムナーの推薦図書リストは以下の通り。
◎デイヴィッド・ヒューム(David Hume):経済学に関する一連のエッセイ
◎アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher):The Purchasing Power of Money(『貨幣の購買力』)
◎ケインズ(Keynes):A Tract on Monetary Reform(『貨幣改革論』)
◎ラルフ・ホートレー(Ralph Hawtrey):The Gold Standard in Theory and Practice(『金本位制度の理論と実際』)
◎フリードマン&シュワルツ(Friedman and Schwartz):A Monetary History of the US(『合衆国貨幣史』)
◎デイヴィッド・グラスナー(David Glasner):Free Banking and Monetary Reform(『フリーバンキングと貨幣改革』)
◎ロバート・バロー(Robert Barro):Macroeconomics(『マクロ経済学』)
推薦図書を5冊選んでほしいと依頼したのだが、サムナーは7冊を候補に挙げた上で、「この中から好きなように5冊選んでくれ」とのことだった。正直なところ、5冊か7冊かというのは大した問題じゃない。推薦図書を実際に手に取って読んでもらえるかどうかが何よりも肝心なわけで、冊数はどうだっていいのだ。とは言え、サムナーが語るには、「どうしても5冊に絞らなければいけないなら、ヒュームとケインズを削ってくれ」とのこと。どうやら、不公平極まりない所業に手を染めねばならないようだ。というのも、以下では、ケインズの『貨幣改革論』にスポットを当てるつもりだからだ。
サムナーが「削ってくれ」と言っているにもかかわらず、どうして『貨幣改革論』にスポットを当てるかというと、サムナーだけじゃなく、アンケートの対象者として選んだその他の多くの学者も、この本を推薦図書に挙げているからだ。実に興味深いじゃないか。というのも、『貨幣改革論』は、「ケインジアンの書」――「ケインジアン」というのは、ケインズの最も有名な本である『一般理論』に帰依する立場のこと――というよりも、「マネタリストの書」というにふさわしい内容だからだ。
『貨幣改革論』がマネタリストの書に他ならないことを確認するために、その序文に目を向けてみるとしよう。以下は、序文の画像だ。
ケインズがここで言わんとしていることをまとめると、次のようになろうか。貨幣が欠けている [1] 訳注;物々交換を通じて財がやり取りされる、という意味。 世界では、自由な市場は均衡に向かう――需要と供給が一致する――傾向にある(かような世界は、ワルラス的な世界と言えよう)。しかし、貨幣が生成してくると、貨幣の需給が一致しない事態が起きる可能性がある。貨幣の需給が一致しないようだと、その余波が他の市場にまで及ぶことになる。
ケインズ本人は、次のように表現している。
「しかしながら、世の人々が安定的な価値尺度と見なしている貨幣が当てにならなくなるようだと、その他の市場は円滑に機能しなくなる恐れがある」。
リーランド・イェーガー(Leland Yeager)やクラーク・ウォーバートン (Clark Warburton)を彷彿とさせる発言だ。「マクロ経済の不均衡」(macroeconomic disequilibrium)を説明する時の彼らの言い分とそっくりなのだ。景気後退にしても、デフレやインフレにしても、その背後には、金融政策の失敗が控えている。・・・という例の説明だ。これ以上にマネタリスト的な立場があり得るだろうか?
ところで、ブラッド・デロング(Brad DeLong)が1996年に『貨幣改革論』の書評を物している。大変優れた書評だが、「『貨幣改革論』は、マネタリズムの書の中で、史上最高の一冊」とまで極言されている。私としてはそこまで言う気はない。『貨幣改革論』は、その根本において「マネタリストの書」であり、大変優れた一冊という点に関しては、何の躊躇もなくデロングに同意するけどね。しかし、「マネタリズムの書の中で、史上最高の一冊」とまで言えるかというと、そうとは思わない [2] … Continue reading 。
ともあれ、デロングの書評はお薦めだ。是非とも一読されたい。『貨幣改革論』の全体(全5章すべて)にわたってコメントが加えられていて、「ケインジアン」になる前のケインズの考えが非常に的確に描き出されていると思う。
貨幣制度を正せば、残りの問題は市場が解決してくれる
貨幣制度に支障が生じると、その影響で経済全体も混乱に見舞われることになる。ケインズは『貨幣改革論』でそう訴えたかったんじゃないかと思う。ということは、それとは反対に、貨幣制度の安定性と予測可能性が高められることになれば(金融政策がルールに基づいて運営されるようになれば)、自由な市場がその力を存分に発揮するようになる可能性があるわけだ。価格メカニズムの働きを通じて、資源の効率的な配分が実現される可能性があるわけだ。このことは、スコット・サムナーが長らく訴え続けてきたメッセージでもある。「FRBは、金融政策をルールに基づいて運営すべきだ。そのために、NGDP水準目標を導入せよ。NGDP水準目標が導入されさえすれば、残りの問題は自由な市場がすべて解決してくれる」・・・というわけだ。
翻って、現実に目を向けると、FRBをはじめとした各国の中央銀行は、貨幣制度を撹乱する役回りを演じたのであった。その結果、経済全体に大きな打撃が加えられる格好となったわけだ。ところで、現代のセントラルバンカーに対して、90年前(1924年)のケインズからメッセージが寄せられているようだ(再び、序文からの引用)。
「通貨の世界くらい、保守的な発想がはびこっている領域は他にない。それと同時に、革新(新たな発想)の必要がこれほど切迫している領域も他にない。通貨にまつわる問題を科学的に取り扱うことなどできやしないとの声を耳にすることがある。金融界には、自らが抱える問題を理解する能力が欠けているからというのがその理由らしいが、仮にそうなのだとしたら、金融界が礎となって支えているこの社会の秩序は、そのうち保たれなくなってしまうだろう。そんなわけはない。分析(診断)結果を理解する能力が欠けているのではない。事実の明晰な分析(診断)が欠けているのだ。新しいアイデアがあちこちで練り上げられている最中だ。健全で正しいアイデアは、早晩普及する。そうに違いないのだ。」
まるで今のことが語られているかのようじゃないか。世界中の中央銀行が今まさに直面している危機がそっくりそのまま表現されているじゃないか。それより何より、サムナーの姿がダブるじゃないか。「貨幣改革」の重要性をわかってもらうために、セントラルバンカーと世間の啓蒙に挑み続けるサムナーの姿がダブるではないか。若きケインズに、グスタフ・カッセル(Gustav Cassel)、リーランド・イェーガー、ミルトン・フリードマン。ラディカルな「貨幣改革」を訴えた面々だ。サムナーもその系譜に連なるわけだ。
最後にどうしても触れておきたいことがある。今年の後半に、サムナーの大恐慌本が遂に出版されるらしいのだ。そのうちきっと、「古典」の仲間入りをするに違いない一冊だ。ありがたいことに草稿を読ませてもらったのだが、出版されたら是非とも皆さんにも買ってもらいたいところだ。サムナーに聞いた話では、本のタイトルは『ミダス・パラドックス』(“The Midas Paradox: A New Look at the Great Depression and Economic Instability”)になる予定らしい。
(追記)デロングの書評の中から、「若きケインズ」(1924年のケインズ)と「老ケインズ」(1936年のケインズ)に関するキレキレのコメントも引用しておかねばなるまい。
貨幣の価値が当てになる(安定している)場合には、貯蓄および投資の決定を、民間の主体(投資家や実業家)に任せておいても万事うまくいく。ここでは、暗黙のうちにそのように想定されている。つまり、大恐慌を目にする前のケインズは、「国内の物価が安定していれば、マクロ経済は順調そのもので、景気循環の振幅も軽微で済む」との信念の持ち主だったわけだ。しかしながら、1930年代の大恐慌は、かような信念を揺るがすだけのインパクトを持ったようだ。大恐慌は、よくある景気循環の規模がデカいバージョンなんかではなく、金融システムの瓦解と世界貿易の大収縮によって引き起こされた未曾有の災害。今ではそのように見なされているわけだが、そのような現代の観点に立って判断すると、「1936年のケインズ」(『一般理論』のケインズ)の方が「1924年のケインズ」(『貨幣改革論』のケインズ)よりも優れていると言えるかというと、何とも言えないところがある [3] … Continue reading。おまけに、「1924年のケインズ」の方が、「1936年のケインズ」よりも、文章がよく書けている。明瞭な文だし、学者の文章という感じもそんなに受けない。形式ばってもいない。内容も回りくどくなく、議論の筋も追いやすい。そして、機知に富んでもいる。
References
↑1 | 訳注;物々交換を通じて財がやり取りされる、という意味。 |
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↑2 | 訳注;デロングがコメント欄に出没して、「『貨幣改革論』よりも優れているマネタリズムの本って何だと思う?」と問いかけている。その問いに対してクリステンセンは、リーランド・イェーガーの『Fluttering Veil』、ミルトン・フリードマンの『Monetary Mischief』、クラーク・ウォーバートンの『Depression, Inflation, and Monetary Policy; Selected Papers, 1945-1953』の3冊を挙げている(中でもベストはイェーガー本とのこと)。 |
↑3 | 訳注;1930年代の大恐慌時のように、その妥当性に疑いが生じるケースに時折見舞われはするものの、「国内の物価が安定していれば、マクロ経済は順調そのもので、景気循環の振幅も軽微で済む」との信念は基本的には正しい、ということが言いたいのだと思われる。 |
ケインズ『お金の改革論』(貨幣改革論)
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20140317/1394984444
お知らせいただきありがとうございます。記事の冒頭で紹介させていただきました。私も折を見て拝読させていただきます。