Laurence Ball “The Great Recession’s long-term damage“(VOX, 1 July 2014)
教科書的なマクロ経済理論によれば産出量は不況の後には潜在的な水準に戻るはずだということが示唆されるのに対し、深刻な不況は産出量に対しかなりの継続的影響を与えるという山のような証拠がある。本稿では、大不況によってもたらされた長期的な被害の測定について報告する。サンプル中のほとんどの国において、潜在産出量の損失は平均して8.4%であり、実際の産出量の損失とほぼ同じ大きさとなっている。不況による被害が最も酷かった国においては、今日の潜在産出量の成長率は2008年以前のそれよりもずっと低い。
マクロ経済学の教科書によれば、総需要の下落が不況を招き、その際に産出量は経済の資源と技術によって決定される通常の生産水準である潜在産出量を下回る。この効果はしかしながら一時的なものだ。不況の後には回復期が訪れ、産出量は潜在的な水準へと戻るのであり、そして潜在産出量それ自体は不況によって大きな影響を受けることはない。
この教科書的な理論に疑問を投げかける研究が増えている。Cerra and Saxena (2008) や Reinhart and Rogoff (2009)は、深刻な不況は産出に対してかなりの継続的影響があるとしている。Haltmaier (2012) や Reifschneider et al. (2013)は、こうした影響があるのは不況が経済の労働力や生産性に被害を与え、ひいてはその潜在産出量を減少させるからだと主張する。経済学者の中には、不況によるこうした恐ろしい効果に「履歴現象」という用語を当てている(Blanchard and Summers 1986)。
金融危機と2008年から2009年にかけての大不況の経験は、不況の長期的影響に関する証拠を厚くした。先の不況が長く続く損害、すなわち2007年には誰もが想像していなかった低水準の産出という世界中の国々が直面している新たな標準をもたらしているということは次々に明らかとなってきている。最近の論文(Ball 2014)において、私はOECD諸国23カ国が被った被害の計量を試みた。
被害の計測
それぞれの国について、私は生産関数と労働、資本、全要素生産性の傾向に基づいたOECDの推定を用いて潜在産出の測定を行った。大不況の影響の推定については、潜在産出の2つの経路の比較をおこなった。すなわち、現在のOECDのデータが示すところの潜在産出が実際にたどってきた経路と、不況が起きなかったならば潜在産出が辿っていただろう仮想的な経路だ。
潜在産出に関する現在のデータはOECDの2014年5月版Economic Outlookによるが、2015年の予測も含まれている。潜在産出の反事実的な時系列を構築するにあたっては、Economic Outlookの2007年12月版、すなわち金融危機前夜のものを検討した。この版は2009年までの潜在産出の推定を載せているのだ。私は2009年以降の期間に関しては、この金融危機以前の推定を対数直線外挿法によって2015年まで延長し、それにあたり潜在産出の対数の一年間での変化は2000年から2009年までの変化の平均に等しいと仮定した。
図1と2はアメリカとスペインについてこのやり方を用いた結果を示している。このグラフにおいて、y は実際の産出量の対数、y* は現在のOECD推定に基づく潜在産出量の対数、y** は2007年のデータに基づいて不況がなかったした場合のものである。図に示されている国の両方、そして私たちが調査を行った他の国のほとんどにおいて、y** は2000年から2009年にかけて直線に近い。2009年以降のy** について外挿法を行うにあたっては、実質的にはこの直線を伸ばしたことになる。
図1.アメリカの潜在産出量に対する大不況の影響
図2.スペインの潜在産出量に対する大不況の影響
大不況の長期的被害に関しては、不況がなかった場合の経路からの潜在産出量の乖離のパーセンテージという形で計測をおこなった。2013年において、この潜在産出量の損失はアメリカでは4.7%、スペインでは18.2%である。現在のOECDの予測にもとづくと、この損失は2015年にはアメリカで5.3%、スペインでは22.3%まで増大する [1]訳注;元となった論文によると、日本の損失は2013年で8.47%、2015年では9.57%となっている。 。
23か国の結果
2007年と2014年の双方でOECDが潜在産出量の時系列データを発表した23カ国について、私は大不況による被害の推定を行った。潜在産出量の損失は国によって大きく異なるが、ほとんどの場合において大きなものだった。2015年時点で、この損失はほぼゼロであるスイスとオーストラリアから、30%以上となるギリシャ、ハンガリー、アイルランドまで幅がある。サンプル中の23カ国の損失を経済規模で加重平均すると、8.4%となった。
私の分析は以下の二つの関連する結果を示しているが、これは上の図(とくにスペインの事例に明確に)でも示されている。
- 第一に、ほとんどの国における大不況による潜在産出量の損失は、実際の産出量の損失とほぼ同じ大きさであるということだ。
つまり、点線で示した y* は金融危機以前の傾向に対し、実線で示した y とほぼ同じ程度落ち込んでいる。この発見は、ここ数年において履歴現象の影響が特筆すべきほどに強いことを暗に示している。
- 第二に、不況で最も大きな被害を受けた国において、潜在産出量の成長率は2008年よりも遥かに低くなっているということだ。
スペインに関して、2014年から2015年にかけての潜在産出量は平均で0.8%しか成長しないとOECDは現在予測しているが、それに対して2001年から2009年にかけての金融危機以前のデータによる成長率は3.5%であった。ギリシャ(図には示していない)に関しては、2014年から2015年にかけての予測成長率は0.2%であり、それに対して金融危機以前のデータは4.0%であった。スペインやギリシャのような国においては、潜在成長率が現在のような落ち込んだ水準に留まった場合、金融危機以前の傾向と比較した潜在産出量の損失は時と共に急速に増大することとなる [2]訳注;再び元論文を参照すると、危機以前の日本の成長率は1.40%であるのに対し、2014-2015年のOECD予測は0.79% 。
喫緊の課題
どのような仕組みで不況は潜在産出量を減少させるのだろうか。この問いには最近の多くの論文で答えがなされている(Ball 2014を参照)。結果はばらついているものの、不況は資本蓄積を急激に減少させ、雇用に長期的な影響を与え(大部分は労働力参加の低下を通じて)、さらには全要素生産性の成長を鈍化させる可能性がある。このうち最後の影響についてはほとんど理解されていないが、一つ可能性のある要因としては、新技術による事業の形成が減少するというものだ。履歴現象の仕組みをよりよく理解するための研究は、特に優先されるべきだ。
政策決定者は大不況による被害を癒すことができるだろうか。これについても答えは明らかではないが、マクロ経済政策が力強い経済の拡大を生み出すのであれば、履歴現象の影響は逆回転をする可能性があると私は信じている。順景気循環的な投資は資本ストックを上昇させ、豊富な就業機会は、労働者が労働力として留まり続ける [3]訳注;求職活動を諦めにくくなる。 ことを強化する等々。私の過去の研究では、拡張的な政策が自然失業率を低下させうることが示されている(Ball 2009)。今日、経済の力強い拡大によって潜在産出量を危機以前の経路へと押し戻せるかもしれない。それに失敗したとしても、経済の拡大は少なくとも潜在成長率の低下を反転させ、大不況による被害が拡大し続けることを防ぐ可能性があるのだ。
参考文献
●Ball, Laurence (2009), “Hysteresis: Old and New Evidence”, in Jeff Fuhrer, Yolanda K Kodrzycki, Jane Sneddon Little, and Giovanni P Olivei (eds.), Understanding Inflation and the Implications for Monetary Policy: A Phillips Curve Retrospective, Federal Reserve Bank of Boston.
●Ball, Laurence (2014), “Long-Term Damage from the Great Recession in OECD Countries”, NBER Working Paper 20185, May.
●Blanchard, Olivier J and Lawrence H Summers (1986), “Hysteresis and the European Unemployment Problem”, NBER Macroeconomics Annual 1986.
●Cerra, Valerie and Sweta Chaman Saxena (2008), “Growth Dynamics: The Myth of Economic Recovery”, The American Economic Review, 98(1): 439–457.
●Haltmaier, Jane (2012), “Do Recessions Affect Potential Output?”, International Finance Discussion Paper 1066, Federal Reserve Board, December.
●Reifschneider, Dave, William L Wascher, and David Wilcox (2013), “Aggregate Supply in the United States: Recent Developments and Implications for the Conduct of Monetary Policy”, 14th Jacques Polak Annual Research Conference, November.
●Reinhart, Carmen M and Kenneth S Rogoff (2009), “The Aftermath of Financial Crises”, The American Economic Review, 99(2): 466–472.