まだ経済がまったく景気回復のきざしを示していなかった2010年からイギリスで導入された緊縮政策のとくに重要な特徴のひとつは、人気を博していた、という点だ。それどころか、連立政権が実際に緊縮政策を実施に移す段階になって、多くの人はかつての労働党政権を非難しているらしかった。財政赤字は労働党が政権にあった時期に増えていたから、というのがその理由だ。
緊縮は追求すべきでない間違った政策であり誰もに有害な影響をおよぼす(私がやった最新の推計では平均で世帯あたりおよそ 10,000ポンドの損失となる)ということを認めるなら――認めるべきだ――いったいどうしてこの政策が人気を博したのだろうか? こう論じる人も多いだろう:「財政刺激策を支持するマクロ経済学の論拠はややこしい一方で、政府を家計に単純になぞらえる類推の方がもっとわかりやすいからね。」 だが、私はさらにこうも論じてきた――「この後者〔家計との類推〕に関心を集中させる一方で前者〔財政刺激策〕をおおよそ無視してすませるのに、メディアが大きな役割を果たした。」
この論点を、ルーシー・バーンズとティモシー・ヒックスが『アメリカ政治学ジャーナル』に掲載した新論文が論じている。(論文にアクセスできない人は、少しだけ古いバージョンがこちらで読める。) 著者たちは、緊縮への態度を測るのに単純な尺度を使い、そうして測った態度を支持政党と購読紙の両方に関連づけている。
下の方の横棒〔色が薄い6つの横棒〕は、支持政党のない人たちをを比較したもので、〔左派色の強い〕『ガーディアン』紙の読者はたとえば『テレグラフ』紙の読者と緊縮に対する態度が大きくちがうのが見てとれる。言い換えれば、『テレグラフ』を読み自由民主党に投票した人たちは、『タイムズ』を読んでいた人たちよりも財政赤字に関してタカ派的だろう、ということだ。この発見には2つの説明がある。一つ目の説明では、赤字をめぐるさまざまな論点を新聞がどう報道していたかによって読者が影響を受けた、と考える。実際にこの論文では、『ガーディアン』と『テレグラフ』でそうした論点の報道が非常にちがっていたのを確証している。2つ目の説明では、読者は財政赤字に対するじぶんの態度にもとづいて購読紙を選んでいる、と考える。これはありそうにない(こうした効果は支持政党をこえて生じている点に留意しよう)。緊縮は比較的に新しい論点だったからだ〔購読紙の選択は緊縮の是非を考えるよりずっと前にすませていた人が大半のはずだ〕。
それでも、著者たちは実験を試みている。この実験では、財政赤字に関する短い文章を別々のグループに読んでもらっている。それぞれのグループに見せた文章は、1つの段落だけちがっている。対照群の人たちにはその段落を見せなかったのに対して、『ガーディアン』グループの人たちに見せた文章では緊縮は必要でないかもしれないと提起しており、さらに『テレグラフ』グループの人たちに見せた文章では緊縮が必要だと提起している。文章の読後すぐに、それぞれのグループに赤字削減の重要度についてじぶんの見解を答えてもらっている。
『ガーディアン』グループ(『ガーディアン』型の文章を読んだ人たち)は、対照群の人たちほど緊縮を差し迫っているものだと考えなかった。だが、ギリシャとの類似点を挙げる『テレグラフ』型の文章を読んだ人たちは対照群の人たちと緊縮賛成度合いはちがわなかった。論文では、「本稿が発見したように、総じて赤字に反対する議論は、対照群と『テレグラフ』グループにほとんど差を生じさせないようだ」と記している。言い換えれば、すでにメディアの言論には緊縮支持の論調が行き渡っていたので、さらに緊縮支持の文章を読んだところで人々の態度は変わらなかったのと対照的に、ケインジアンの考え方に触れると人々は影響を受けた、ということだ。
このように、この研究では2点を提起している。第一に、緊縮のような問題をメディアがどう伝えるかは国民の態度に影響するので重要だ。第二に、この研究からは、イギリスのメディアは総じて緊縮支持の空気になっていたこと、そして、ケインジアンの議論に触れると人々は態度を変えうるということがうかがえる。全体的なメディアの空気は新聞だけにとどまるものではなく、BBC のような テレビ局もこれに含まれる。ここから、テレビ局は緊縮の政治路線に発言力を与える一方でケインジアンの視点は意図的に排除していたのではないかと考えられる。もしもケインジアン経済学やそこから導かれる反緊縮が傍流の思潮だったのならこれも申し訳が立つだろう。だが現実には、この考え方は大学の経済学者たちの大多数の見解だった。どうやら、テレビ局は EU離脱のずっと前から専門家に飽き飽きしていたらしい。
0 comments