アメリカの政治文化のひどくいらだたしい特徴の1つは、民主党内に一種のホメオスタシス(恒常性維持)のメカニズムが働いているように見えることだ。共和党がいくら人気を落としても、民主党はその度に自らの立ち位置を調整し、共和党より少しだけ不人気な状態に留まろうとするのである。この、選挙での敗北を求める衝動がもたらした最新の産物が、ダリアリザ・アビラ・シュヴァリエ(Darializa Avila Chevalier)の、ニューヨーク州連邦下院議員候補への指名である。シュヴァリエは端的に言って狂人であり、その政治信条は、ヨーロッパのほぼあらゆる左翼政党よりもはるかに左側に位置している。だが、シュヴァリエのプロフィールの中で最も興味深いのは、彼女の現在の肩書だ。シュヴァリエは社会学を専攻する大学院生なのである。
私や私の知る学者のほとんどは、この件に対して、呆れたような顔で「まぁそうだろうね」と思っている。単に代表性ヒューリスティックが働いているだけかもしれないが、社会学の現状を知る者なら、シュヴァリエがこの分野を専攻していることが、その政治的過激主義を和らげたのではなくむしろ強めたのではないかと疑うだろう。政治学、法学、哲学の学生ならば、こうした極端な立場を維持するのはもっと難しかったかもしれない。これらの分野では、少なくとも自分と対立する見解に晒されずには済まないからである。一方、社会学はイデオロギー的モノカルチャーを形成しており、これがますます懸念の種となっている(そして、自己批判の対象にもなっている、ということは記しておくべきだろう)。
実際、気の利いたことを言いたければ、シュヴァリエの政治信条は、社会的逸脱に関するサブカルチャー理論を裏づけるものだ、と言うこともできる。だが、本稿の目的はシュヴァリエについて論じることではない。社会学がなぜ今のような姿になったのかについて、いくつかのことを論じたいのだ。具体的に言えば、社会学者たちがいかにして、社会学の固有の探究様式を、より広範な批判実践への貢献ではなく、自立した批判的探究の一形態と考えるようになったのかを説明したい。一見すると、これは奇妙に思えるかもしれない。社会を改善したり、特定の社会問題を是正したりしたいなら、社会について知るべきことは明らかにたくさん存在する。過去数十年にわたり、政策研究の分野を支配してきたのは、政策提言は「エビデンス・ベースド」であるべきだとの期待であった。ここには、社会科学的研究の主要な機能の1つは、政策に関連するエビデンスを生み出すことである、という含意がある。同時に、政策の規範的側面(例えば、どんな結果がより良く、どんな結果がより悪いのか、私たちは何を目指すべきなのか)と、そこで生じる経験的問題(例えば、政策により一定の変化をもたらすことが、どんな影響を及ぼすと見込まれるか)との間には、依然として暗黙の区別が存在する。
伝統的な「実証主義」社会学によれば、社会科学者は経験的側面の研究(事実やメカニズムがどうなっているかを突き止めること)に専念すべきであり、規範的問題は他の人々に任せるべきだ。これは当然、議論の余地ある見解であり、多くの人は「事実の問題」と「価値の問題」の分離を拒否してきた。その区別は概念的には一貫しているとしても、それを貫くことは実践的には不可能である、との理由でだ。犯罪やステータス不平等、家庭内暴力を単なる好奇心から研究する者などいない。だが、ここからさらに先へ進み、事実と価値の概念的区別それ自体を拒否する論者たちもいた。そうした人々の主張によれば、ある種の価値は事実を構成する要素であり、そのため、ある種の事実には規範的含意が伴う。
社会学者の間で広く受け入れられるようになったのは、後者の見解だ。多くの社会学者が、社会を研究する(社会の仕組みを理解する)ことそれ自体に、変容的な含意があると考えるようになった。自分たちは社会学に政治を持ち込んでいるのではない、社会を研究することはそれ自体で政治的なのだ、と考えだしたのである。より具体的に言うと、既存の不平等や支配の構造は、社会の仕組み(あるいは、社会が機能するために満たされなければならない条件)に関する誤った認識に基づいており、それを正しい認識に置き換えれば、こうした構造は崩されるだろう(そして、既存の構造から利益を得る人々から抵抗を受けるようになるだろう)と、社会学者たちは考えるようになった。こうして、ピーター・ベアー(Peter Baehr)の言う「暴露スタイル」の研究が発展していった。こうした研究において、社会学的探究は、一種のイデオロギー批判だと見なされている。このような見方を生み出したものとして、相互にほぼ独立した3つの異なる思考の潮流が挙げられる。
規範の発見。社会学を独立した研究分野として確立させた最も重要な発見は、すぐ目の前にあるのに気づかれない現象と関わっていた。人間の社会化における最大の仕掛けは、ある種の学習された行動形態を、自発的で自然なものであるかのように経験させることだ。そのため、私たちは、社会生活がどれほどルールに統制されているかを見落としてしまう。この幻想を覚まさせてくれる最大の経験は、異文化と接触することである。異文化のルールは馴染みがないものだが、だからこそ、ルールがどれほど社会に遍在しているかを見て取りやすくなるのだ。社会学の発展は、ある意味で、国際貿易の拡大と植民地主義の副産物であった。異なる社会と継続的に接触したことで、ヨーロッパ人が自分たちの社会を捉える仕方に大きな反省性(reflexivity)がもたらされたのである。
社会的な規則性を、単なる習慣や行動パターンではなく「ルール」と呼ぶことは、どのようにして正当化されるのだろうか、と思う人もいるかもしれない。19世紀にエミール・デュルケムが提示した重要な洞察は、ある種の規則性は単に予期されている(expected)だけでなく、実効化されている(enforced)、ということだった。習慣とルールの違いは、ルールが、人がどう行動すべきかを指示し、従わなければサンクションが課される、という点にある。デュルケムは、このような「サンクションされたふるまいの規則性」を指す語として「社会規範」という用語を導入した。これにより、ある意味で近代社会学の礎石をなす偉大な洞察がもたらされた。すなわち、社会的インタラクションが秩序だったものとして成立しているのは、こうしたポジティブ/ネガティブなサンクションが子ども時代を通じて人々に内面化されているからだ、との洞察である。人間は、人生の最初の時点では、外的動機がなければ社会規範に従えない。だが、社会化のプロセスを経ることで、社会のルールに従う内発的な動機を獲得する。
この社会化プロセスによって、自分たちの社会におけるルールを「ルール」として捉えることが難しくなってしまう。私たちは、そうしたルールに囲まれて育ち、ルールが要求する仕方で行為したいという欲求を持つようになっている(例えば、公共の場では服を着たいと思うなど)ので、実際にはルールによって制約されている行動でも、自発的なものであるかのように経験しがちなのだ。さらに、私たちは種々の内発的な向社会的動機を身に着けているため、ルールに違反した際に課されるサンクションも、象徴的なものであったり間接的なものであったりすることが多い。例えば、無礼なふるまいをした際に与えられる罰は普通、しかめ面をされたり、辛辣な言葉を向けられたり、笑いものにされたりなど、さりげない合図によってなされることが多い。これらは全て社会的コントロールの手段だが、ここでの「罰」は内在的な重要性を持たず、恥の感覚を呼び起こすなどして、内面化されたコントロールのシステムを活性化させているだけだ。このことは、そうした罰が子どもには効かないという事実に見て取れる。
そのため、私たちの社会的行動の全てが実効化されたルールによって制約されている、という事実は容易に見落とされてしまう。私たちはそうしたルールに自発的に従っており、ルールを破った際に課される罰も非常にさりげないもので、意識されないことすらあるからだ。だが、デュルケムの分析が示唆しているのは、こうした規範も究極的にはプリミティブな報酬と罰によって支えられている、ということだ。そのため、十分なところまで進んでいけば(例えば、ルールを破った上で、それに対して加えられるさりげない罰も無視すれば)、人々は反応をエスカレートさせ、より大きな内在的重要性を持つ懲罰戦略へとシフトしていくだろう。こうした考えにより、1960年代から70年代にかけて、ハロルド・ガーフィンケルやスタンレー・ミルグラムなどの社会学者が、いわゆる「違背実験」を行うという潮流が生じた。これは、学生たちに、現実社会で些細な社会規範を破るよう指示し、それに対する人々のネガティブな反応を無視したとき、何が起こるかを観察させるという実験だ。
そこで何が起こったかというと、言うまでもなく、事態はすぐにエスカレートしていった。実際、現代の研究倫理規定の下では、こうした研究は明確に禁止されるだろう。違背実験は、学生を深刻な対立に巻き込むことが多かったからだ(ミルグラムは、学生たちをニューヨークの地下鉄に送り込み、座席の割り当てを巡る社会規範を無視するよう指示した。だが、学生たちのほとんどはそうすることができなかった。ひどく気後れしたり、不安になったりしたからである)。こうした実験は、礼節といううわべの下に物理的暴力の脅威が存在し続けているということを、極めて効果的に明らかにした。
これは、私たちみなが暗黙に気づいていることだ。例えば、ザ・ヴァーヴの見事なミュージックビデオを覚えている人もいるかもしれない。このミュージックビデオは、歌手(リチャード・アシュクロフト)が歩道の真ん中を真っ直ぐ歩くという単純な構図から、1つのドラマを作り上げている。
このミュージックビデオは、先に進んでいくにつれて緊張感が高まっていく。彼がボコボコにされることなく最後まで辿り着けるだろうか、と視聴者は不安になるからだ。彼がただ自分のことに集中して歩道を歩いているだけである、という事実を考えると、これは人生(そして、芸術的・道徳的な誠実さ)をあらわす便利な比喩なのだろう。
違背実験は、人間社会の興味深い特徴を人々に明確に意識させた、というのが大方の評価である。だが、違背実験が明らかにしたのは、もっと邪悪な事実である、と考える人々もいた。こうした人々によると、違背実験は、ごく些細に見える社会規範すらも究極的には暴力の脅威に支えられていると示したことで、〔この社会の〕システムの根底にある構造的暴力を明らかにした、というのである。この発見は重要な政治的含意を持つ、と多くの人が考えた。というのも、この発見によると、自由は従来理解されてきたような意味での社会の中では実現不可能であり、求められているのはむしろ「社会からの自由」であるからだ。真に解放的な社会運動は、(例えばマルクス主義のように)私たちが現に従っているルールを変化させることに注力すべきではなく、むしろルール一般から私たちを解放することを目指すべきなのだ。
この考えは、1960年代の左翼思想を特徴づける、世俗的な反律法主義(antinomianism)の強力な潮流へと流れ込んだ。反律法主義(すなわち「法に反対すること」)は、キリスト教の伝統に深く根差した傾向である。ユダヤ教徒とキリスト教徒の大きな対立点の1つは、キリストが彼の従者たちに「互いに愛し合いなさい」という新たな戒めを授けたことだった。キリスト教徒たちはことあるごとに、この戒めを、従来の〔モーセの〕十戒を暗黙のうちに失効させるものと解釈してきた。それは、旧約聖書のルールに基づく道徳を、感情に基づき状況に根付いた新たな愛の道徳で置き換えるものだ、と。この解釈により、中世において、ルール重視になった宗教上の法や道徳に対する反乱がたびたび引き起こされた。反律法主義的な傾向は、1960年代に世俗的な装いをまとって再び出現した(最も目立っていたのは、性革命と「自由恋愛」の要求)。この運動は、心理学や社会学の研究の発展からも養分を得ていた。これらの学問は、人々が社会に暮らす中でいかに多くの制約を受けているかを明らかにしたからだ。
これと全く同じ考察(社会規範はサンクションによって支えられている)は、ミシェル・フーコーの議論にも見出せる。フーコーは、「権力(power)」はあらゆる社会的インタラクションに浸透していると主張した。だが、フーコーは、社会学でますます常識となりつつあったこの指摘を、道徳的な意味合いを帯びた語で表現することに強くこだわった。そのため、社会的権力のネットワークは「支配」のシステムを構成しており、個人はそれに対する「抵抗の戦略」を必要としている、というような論じ方をした。問い詰められれば、フーコーはいつでも、この分析から規範的結論は導けないと認めただろうし、この意味での権力から私たちが自由になれるなどと考えるのはバカげていると主張しただろう。それでも、フーコーの著作に感銘を受けた後続世代の理論家たちが、こうした限界を認めることは稀だ。加えて、フーコーは文章が非常に上手かったので、学生の多くは、社会秩序がどのように維持されているかという社会学の基本的な洞察に、正統派の著者たち(デュルケムやパーソンズなど)ではなく、フーコーを通じて初めて触れることになる。結果、この洞察は、革命的な政治的含意を持つものであるかのように受け取られてしまうのだ。
まとめると、社会生活が膨大な社会規範の体系によって統制されており、その社会規範が同じくらい複雑でさりげないサンクションのシステムによって支えられている、という事実は、重要な発見だ。だが、ルールの実効化は、ルールが良いものであるときには良いことであり、ルールが悪いものであるときには悪いことである、という当たり前の指摘を除けば、この発見に規範的含意は存在しない。
社会的構築。社会学による第2の重要な発見は、第1のものと密接に関係しているので、手短に扱おう。人々は、自分たちが従っている規範を意識していないことが多いので、人間の行動のうちどれほどが学習によって身に着けられたものであるかを過小評価しがちだ(つまり、それが本能や自然に基づくものではないということに気づけない)。例えば、18世紀のヨーロッパでは、上流階級の女性たちの間で「感受性のカルト」が実際に存在し、女性たちは感情的刺激に極めて敏感になっていた。これには、とりわけ失神や気絶といった反応が伴うこともあった。失神が生理的反応であり(女性たちは実際に意識を失っていた)、当人の自発的コントロールを超えていることを考えれば、それは学習行動ではあり得ないと結論づけたくなるかもしれない。そのため、当時多くの人が、こうした反応は男女の身体的差異を反映していると考えた。その後、同じ問題を巡って、別の身体的要因が働いているはずだと主張する者も現れた(女性はコルセットをキツく締めすぎていたという説などである。この説は人気を博したが、今では概ね否定されている)。しかし、比較文化的な分析が示したのは、人間社会は社会的役割を制度化することで、驚くほど多様な行動、気質、心理的反応を個人から引き出せる、ということだ(意識を失うという反応も含め)。
こうして、次のような考察が生じた。男性と女性の間に存在する自然な性差がどんなものであれ、社会はそれに付加する形で、男女それぞれに適切な行動と不適切な行動を指定する社会規範を通じ、一連のジェンダー役割を構築している。この役割特殊的な行動は、実際には自然なものでなくとも、その社会で育てられた人々にとっては自然なものに感じられる。そのため、誰かが役割特殊的な行動を要求するルールに異議を唱えると、そうした行動を変化させることが本当に可能なのかを巡って議論が巻き起こりがちだ。例えば、フランス革命後、女性を政治制度から排除することにはますます異議が突き付けられるようになっていった。だが、多くの人がもっともらしく指摘したように、女性が悪いニュースを受け取るたびに気絶してしまうなら、政治的な責任を伴う地位に女性をつけようとは思わないだろう。これに応答する形で、メアリ・ウルストンクラフトなど初期のフェミニストたちは、(1792年の『女性の権利の擁護』などで)たくさんの時間を費やして、この種の行動は生育環境の産物であり、女性がより平等な環境で育てられれば変化するだろう、と論じた(この文脈における現代の古典は、アイリス・マリオン・ヤングの論文「少女のように投げる(Throwing Like a Girl)」だ)。これは、気絶に関しては正しいことが明らかとなった。
こうした議論は、「ある特定の社会行動を変化させるべきだと主張するためには、当該の行動が実際に変化させられるものだと示せなければならない」という明らかに正しい原理に基づくものだった。同時に、ある行動を変化させられると示すだけでは、それを変化させるべきだということまでは示せない。残念なことに、あまりにも多くの保守派が、社会変革に対し、それが不可能であるとの理由で反対してきたため、進歩派の多くは、その議論を打ち負かしさえすれば、社会変革を支持する十分な論拠となると誤解してしまった。この誤解は、次のような考えと組み合わさることが多い。すなわち、社会を地上のユートピアに変革することを妨げている唯一の要因は、変革は不可能であるという誤った思い込みだけである、とのナイーブな想定だ。そして、この誤った信念は、世界の様々な特徴を、社会的に構築されたものではなく自然なものだと考えてしまう事実認識の誤りから生じるとされるのだ。

こうした議論は、社会学が本質的に進歩主義的な学問であるとの印象を容易に生み出し得る。社会学は、変革を阻害する主因となっている言説の嘘を暴くからだ。それまで自明視されてきた世界の諸特徴が、社会的に構築されたものであると明らかにすることは、保守主義イデオロギーへの批判と見なされることになる。(例えば、「人種」は社会的構築物であり、根底にある生物学的特徴とは一切関係がない、との主張に進歩派の学者があれほど強くこだわるのはこのためだ。そうは言っても、人種は祖先(ancestry)と明らかに結びついており、祖先は明らかに生物学的概念である。進歩派の学者たちの主張の背景にあるのは、レイシストはある種の人種本質主義にコミットしており、人種本質主義を論駁すればレイシズムを打ち負かせる、との信念である。)
最後に、社会構築主義に関するこうした考えは、社会秩序は本質的に強制を伴う、との主張と組み合わさって、もう少し洗練された見解を生み出している、ということにも注意しておこう。この見解によると、ある現象の構築的な性格を暴くことは、それが支配のシステムであると暴露することでもある。例えば、ジュディス・バトラーの著作に規範的議論が存在するとすれば、それはこういった議論だ。ここでの主張の連鎖は概ね次のようになっている。自然であると考えられているもの(例えばジェンダーやセックス)は、実のところ社会的役割に過ぎない。社会的役割は規範によって構成されており、あらゆる規範は実効化されている。そのため、それは実際には自然なものではなく、強制の産物だ。よって私たちは、規範を侵犯することでそれに抵抗すべきである。「批判的社会科学」の文献の多くも、一皮むけば、これと同じ構造の議論が現れる。すなわち、普遍的な社会構築主義と、世俗的な反律法主義の混合物である。
社会学的言い訳。以上とは全く異なる系統の社会学的思考が、混乱をいっそう加速させている。それは、道徳的責任の帰属を巡るものだ。中世の時代には、人間の1つ1つの意思決定が因果の連鎖を開始させ、様々な結果を引き起こす、と広く考えられていた(その理由は込み入っており、アリストテレスの「目的因」を巡る議論と関わっている)。そうした結果のうちの1つを取り上げて、誰がその「責任を負う」のかを問うなら、その結果を生み出した因果連鎖を誰が開始させたのか突き止めればよい。この考えは、例えば、事故を「引き起こした(cause)」者がその事故について道徳的責任を負うべきだ、という常識的見解を反映するものだった。言うまでもなく、科学革命はこの世界観を揺るがした。因果連鎖がひとりでに開始することなどなく、どんな因果連鎖も恣意的なほど遠い過去まで遡り得る、ということを示したからだ。人間の意思決定も例外ではない。脳は物理的なシステムである以上、脳が下すどんな意思決定も、それに先立つ何らかの条件によって引き起こされており、それもまた先立つ他の条件によって引き起こされており、という風に連鎖はどこまでも続く。
こうした指摘により、17世紀には、道徳的責任の帰属に関するある種の懐疑論的な危機が生じた。私たちは、人々の行う意思決定は本人のコントロール下にあると考え、その意思決定の責任を当人に負わせようとする。しかし、人が行うどんな意思決定についても、その原因を、個人のコントロール下にない何らかの要因にまで遡ることが必ずできてしまう。ここから、本人はそうした条件を選んだわけではない以上、意思決定の責任を問われるべきではない、ということが示唆される。この考え方の問題は、それがあらゆる意思決定に当てはまるため、どんなことに関しても責任を負う人間は存在しない、という結論が導かれてしまうことだ。哲学者は、これを懐疑的な結論と正しく認識している。そのため、哲学者の多くは、「道徳的責任は因果連鎖に沿うべきだ」という根本的な前提を拒否することで、この問題に対処するようになった。
残念ながら、社会学者の多くはこうした知らせを受け取っていない。そのため、ある社会現象の原因を突き止めることが、誰に責任を負わせるかという問題に影響する、と未だに信じ続けている。より具体的に言うと、社会学はこうした考えに基づいて、様々な社会現象の「根本原因」が個人の選択ではなく背景的な社会条件にあると示すことに、分野をあげてコミットするようになった。この見方によると、保守派が犯罪、薬物乱用、10代の妊娠、その他の問題に関して「自己責任」を問うのは、そうした行動の原因が個人の選択にあると誤って考えているからだ。そのため、社会学的批判は、そうした選択と相関する何らかの背景条件(恵まれない生育環境など)を発見し、これこそがその行動の「根本原因」だと断定する。そしてここから、人々はそうした背景条件をコントロールできない以上、その意思決定に対して責任を負わされるべきでない、との規範的含意が導かれると考えるのである。
こうした議論は昔から存在してきた。犯罪者の間でのこの議論の人気ぶりは、1957年の「ウエスト・サイド・ストーリー」で風刺されていたことで有名だ。一部の社会学者たちは、次のような提案を熱心に行ってきた。裁判では、被告人の精神能力について精神科医に専門的証言を求めるかわりに、社会学者を呼んで、被告人の「来歴、幼少期、世界との関係」を説明させるべきだ、と。というのも、そのような説明は多くの場合、被告人を免責するだろうからだ。

この議論の魅力の一部は、それが保守派を激怒させることに成功した点にある。保守派は、根底にある道徳的責任の(因果的)理論を共有しているため、この議論に反駁することに困難を覚えている。加えて、この議論の基本的な論点が明らかに正しい場合もある。例えば、一部の右翼は失業者の苦境に同情的でなく、失業者はもっと熱心に職探しすべきであり、職が見つからないならそれは当人の責任だ、と論じる。だが、まったくもって個人にコントロールできないようなマクロ経済的事象が失業率を上昇させたなら、もっと職探しに励めとか、失敗したらそれは個人の責任だとかと言うのは、無知であり冷酷でもある。問題が生じるのは、こうした事例が次のように解釈されるときだ。すなわち、実証研究によって失業の「真の原因」が分かれば、そこから当人が失業に対して責任を負うかどうかも分かる、と。この見方によると、保守派が失業者個人を責めるのは、失業が労働者自身の怠慢のせいで生じている、との誤った信念を持っているからだ。一方、進歩派が社会を責めるのは、マクロ経済的状況が失業を引き起こすと正しく認識しているからだ。このようにして、道徳的な問題が、事実に関する意見の対立として誤解されてしまうのである。
この場合、社会学的な議論の問題は、失業者の責任を免除できないことではなく、あらゆる物事に関して全員の責任を免除してしまうことだ。この議論が示しているのは、どんなことに関しても誰も責任を負うことはない、ということである。要するに、これは一種の道徳的懐疑論(あるいはニヒリズム)なのだ。保守派がこの議論に反駁できていないのは、懐疑論というのがそもそも反駁困難なことで悪名高いからである。哲学者は(そして司法も大抵の場合は)、責任に関して規範的理論を採用することで、この問題を回避している。そうすれば、「根本原因」は責任の問題と無関係なものになるからだ(きちんと説明するのは難しいが、ピーター・ストローソンの論文「自由と怒り」はこの点で最も影響力ある論文である)。残念ながら、誰も社会学者にこうした事情を伝えていないらしい(これは、とりわけフランスにおいて、「社会学的言い訳」の位置づけを巡る異様なほど激しい非難を引き起こしている)。
より一般に、こうした社会学的な見方は自然主義的誤謬を助長している。社会で作用している因果メカニズムの発見を目指す社会学の経験的研究が、(ある行動のコストを誰が負担すべきか、といった問題に関して)直接の規範的含意を持つと示唆しているためだ。これもまた、社会学は本質的に政治的な企てであるとの誤った認識を強化することになる。
こうした規範的混乱によって最も壊滅的な状態となっている分野は、恐らく犯罪学だ。犯罪学では、これら3つの議論全てが合流して大河川を形成しているのが見て取れる。法は社会的コントロールのシステムであり、究極的には暴力の行使に依存している。その通り! 犯罪は社会的構築物であり、時代や地域によって全く異なる。その通り! 犯罪を行う傾向は、完全に個人のコントロール外にある背景条件と強く相関している。その通り! これら3つの論点全てにおいて、社会学的洞察の対象となってきた経験的条件は成立している。問題は、こうした考察だけでは、いかなる規範的結論も導かれないということだ。社会学的洞察の規範的含意(それは数多く存在する)を探究するには、それが明示的な正義の構想によって補完されないといけない。だが、あまりにも多くの犯罪学者が、ルールの実効化には必然的に誤った点があるとか、脱構築は解放をもたらすとか、行為の背景要因を発見すれば犯罪者は免責されるとかといった、非常に議論の余地ある想定を密輸入してきた。残念ながらこうして、犯罪学の大部分は、賢い人々が自らを絶望的な混乱状態に追い込んでしまう経緯を示す事例研究と化してしまった。
[Joseph Heath, Why do sociologists think that they are critical theorists?, In Due Course, 2026/7/4.]