マーク・ソーマ 「『ゲームの審判』としての政府 ~『アニマルスピリッツ』と『政府の役割』~」(2009年4月25日)

●Mark Thoma, ““Good Government and Animal Spirits””(Economist’s View, April 25, 2009)


アカロフ&シラーの二人によると、政府は「アニマルスピリッツ」を縛ってはいけないとのこと。「アニマルスピリッツ」を縛ると、その創造性が存分に発揮されないからだという。

Good Government and Animal Spirits” by George A. Akerlof and Robert J. Shiller, Commentary, WSJ:

今回の金融危機を経て金融規制が抜本的に手直しされて、そのことが遺産として長らく受け継がれるようにしなくてはならない。

・・・(中略)・・・

「アニマルスピリッツ」――経済活動を根っこのところで左右する心理的および文化的な要因――の働きを悟(さと)れば、規制当局の役割を再び拡張する必要があることに納得せざるを得なくなる。・・・(略)・・・つい最近の出来事も含めてこれまでの歴史が示しているように、規制による抑えがないと、「アニマルスピリッツ」のせいで経済活動に行き過ぎが生じてしまうおそれがあるのだ。

・・・(中略)・・・

1980年代の終わりの時点までは、アメリカの経済システムはどんな嵐に襲われても無事に切り抜けられるだけの丈夫さを備えていた。例えば、貯蓄貸付組合の破綻が相次いだ――いわゆるS&L危機――にもかかわらず、政府による働きのおかげでその影響はごく狭い範囲に閉じ込められた。金銭面で納税者にかなりの負担が生じたが、職が失われるというかたちで負担が生じることはほとんどなかったのである。

時の移ろいに伴って経済の構造が変化を遂げると――そうなるのは世の常だ――、既存のままの規制では間に合わなくなってきた。・・・(略)・・・(住宅ローンの証券化をはじめとした)金融システムの構造変化に応じて金融規制も見直されたかというと、そうはならなかった。その結果として、金融システムの奥深くにシステミックリスクの種が蒔(ま)かれてしまうことになったのである。

・・・(中略)・・・

金融規制が見直されなかったのは、なぜなのか? 「規制への反感」が世間に蔓延(はびこ)っていたから、というのが根本にある理由だ。資本主義についての新しい見方が国民に浸透していたのだ。資本主義というのは何でもありのゲームだと信じ込まれたのだ。1930年代に苦難の末に学び取られた教訓がすっかり忘れ去られてしまったのだ。資本主義は、豊かさを届けてくれる可能性を秘めている。ただし、その可能性を単なる可能性に終わらせないためには、舞台が整えられなくてはならない。政府がルールを制定しなくてはならない。政府が審判として振る舞わなくてはならない。

「資本主義の危機」が叫ばれている昨今だが、資本主義の危機を叫ぶよりも先に、資本主義には特定のルールが必要だということをまずは認識しなければならない。・・・(略)・・・古典派経済学のパラダイムでは、完全雇用が常態かもしれない。しかしながら、人々が「アニマルスピリッツ」に突き動かされる現実の世界では、楽観的なムードや悲観的なムードが波のように押し寄せて、そのせいで総需要が大きく変動する可能性がある。労働者に支払われる(名目)賃金の額は「公平さ」に配慮して決定されるため、総需要が変動すると賃金(ひいては物価)ではなく雇用量が変化する。総需要が落ち込むと、失業が増えるのだ。そうならないようにするのが政府の役割だ。政府は、総需要の変動を和らげるべきなのだ。

世の中で売られているのは、消費者が心の底から欲しがっている商品だけかというと、そうではない。消費者が欲しがっているに違いないと起業家なり企業なりが見込んだ商品も売られている。その見込みが的外れで、「蛇の油」(ガラクタ)が売られるという例は往々にしてある。金融市場においては、とりわけそうだ。・・・(略)・・・その背後で糸を引いているのが「物語」だ。人の口に上る「物語」――「私」についての物語、他者の振る舞いについての「物語」、経済についての「物語」――は、行動にも影響を及ぼすのだ。

人々が「アニマルスピリッツ」に突き動かされる世界では、政府が経済に介入するのが正当化される。しかしながら、「アニマルスピリッツ」に手綱を装着して制御するのが政府の役割かというと、そうではない。その創造性を存分に発揮させるためにも、「アニマルスピリッツ」を縛ってはいけない。一流のスポーツ選手は、審判を必要とする。ちゃんとしたルールがないと、そのルールが守られているかどうかを監視する審判がいないと、その才能も存分に発揮できないからだ。・・・(略)・・・金融規制に抜本的な手直しがなされないまま、70年の月日が経とうとしている。新しいだけでなく一段と優れてもいるアメリカ版「資本主義ゲーム」を開発するというのが、オバマ政権が米議会や自主規制機関(SRO)と一緒に協力して挑まなくてはいけない課題なのだ。

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