タイラー・コーエン 「ナチスによる財政政策の真相(その1)」(2008年12月17日)

ナチス・ドイツにおける歳出(国家による政府支出)の伸びの8割超は軍備を増強するため(再軍備のため)のものであり、アウトバーン建設のような公共事業を実施するために割かれた割合は大したことなかったらしい。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/2166174

あらかじめ断っておくが、誰かしらを――積極的な財政政策(財政出動)を推す論者を――「ナチス」呼ばわりするつもりなんてないので、誤解なきよう。さて、ナチスによる財政政策がGDPの計測値を引き上げるのに貢献したのは確かだが、深堀り(ふかぼり)すべきなのは、それはいかにしてだったのかということだ。どういった理由でだったのかということだ。ロバート・ゴードン(Robert J. Gordon)がその答えをいくつか明らかにしている

アダム・トゥーズ(Adam Tooze)は、先行するいくつかの研究結果を裏書きしている。ナチス・ドイツにおける歳出(国家による政府支出)の伸びの8割超は軍備を増強するため(再軍備のため)のものであり、アウトバーン(高速道路)建設のような公共事業を実施するために割かれた(さかれた)割合は大したことなかったというのだ。ヴェルナー・アーベルスハウザー(Werner Abelshauser)が(ナチスの財政政策を指して)「大がかりな軍事ケインズ主義」と名付けている所以(ゆえん)である(Abelshauser, 1998, pp. 169) 。

当時のドイツでは、実質賃金は上昇せずに下落していたという。

これまでの先行研究では、雇用の急拡大に貢献した要因として、ナチスによる実質賃金の抑制策の役割が強調されている。米国のルーズベルト大統領は全国産業復興法(NIRA)を制定して賃上げにこだわったが、ナチスはそれとは反対に実質賃金の抑制を試みたのである。アブラハム・バルカイ(Avraham Barkai)が詳らか(つまびらか)にしているように、1932年から1936年までの間にドイツの労働分配率(労働者が受け取った報酬が国民所得に占める割合)は64%から59%へと低下した一方で、利潤が「目を見張るほど」の勢いで増えたのである(Barkai, 1990, pp. 196)。さらには、アーベルスハウザーによると、ドイツでは1928年から1936年までの間に下位50%の所得シェア(所得下位50%層が稼いだ所得が国全体の所得に占める割合)が25%から18%へと低下したというのである(Abelshauser, 1998, pp. 148)。

言い換えると、ナチスによる財政政策は、GDPの計測値を引き上げはしたものの、国民一般の生活水準を高める(改善させる)ような景気回復をもたらしはしなかったわけだ。ナチスの諸々の残虐行為を脇に置いて評価を下すにしても、ナチスの財政政策を成功例と見なすわけにはいかないだろう。近いうちに歴史上の他のエピソードにも目を向けてみるつもりだが、いつもの如く念押ししておきたいことがある。何度も同じ言い分を繰り返すせいで「壊れたレコード」みたいに思われてしまうかもしれないが、財政政策――とりわけ、政府支出の拡大――の(景気対策としての)有効性を裏付ける証拠というのは乏しい(とぼしい)のだ。

(追記)マーク・ソーマが財政政策全般についてあれこれ論じている


〔原文:“How did Nazi fiscal policy work?”(Marginal Revolution, December 17, 2008)〕

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