ジョセフ・ヒース「政府を企業に見立てるなら、規制はプロフィットセンターだ」(2014年3月24日)

費用ばかりを強調することがもたらすバイアス〔…〕は非常に強力で、私のような人間(渋々ながらにせよ、基本的には費用便益分析に好意的な人)ですら、規制が実際に社会を豊かにし、幸福にするという事実を忘れてしまうほどである。

私は現在、本業の哲学の仕事で、費用便益分析に関する非常に長い論文を書いている真っ最中だ [1]訳注:Joseph Heath, The Machinery of Government, Chapter. 5: Cost-Benefit Analysis as an Expression of Liberal Neutrality. 。関連する文献を読み込む中で、キャス・サンスティーンによる次の一節に感銘を受けた。この一節は、サンスティーンが政府の仕事を辞めてアカデミアに戻ってから書いたたくさんの興味深い文章の中の1つ(「規制当局:神話と実態(The Office of Regulatory Affairs: Myths and Realities)」)に出てくる [2]訳注:ヒースは恐らく、Cass R. Sunstein “White House Review of Regulation: Myths and Realities”の草稿版を読んでいたのだと思われる。

オバマ政権の最初の3年間で、経済的に重要な規制の純便益は910億ドルを超えた。これはブッシュ政権の25倍以上、クリントン政権の6倍以上だ。

私たちは、規制がコストを課すという話ばかり聞かされているため、適切に設計された規制が社会に莫大な便益をもたらすという事実をすぐ忘れてしまう。政府職員(サンスティーンの場合は元政府職員ということになるが)が自分の手柄を高らかに主張する場面というのはそうそうお目にかからないものだ。

関連して、公共政策において包括的な費用便益分析を行うことの価値を巡る、やや込み入った論点も思い起こされた。ピーター・ダイアモンド(Peter Diamond)とジェリー・ハウスマン(Jerry Hausman)は、「仮想評価法:数字はないよりもある方がいいのか(Contingent Valuation: Is Some Number Better than No Number)」という非常に影響力のある論文の中で、ある種の「ゴミ入れゴミ出し」原理に訴えて費用便益分析を批判している。サンスティーンのような費用便益分析の支持者たちは長らく、政府の意思決定を妨げるような種々の認知バイアスを排除できるという観点から、費用便益分析を擁護してきた。だがサンスティーンは、費用便益分析の手続きがどれほど透明であろうと、インプットとなるデータ(すなわち「支払い意思額/受け入れ意思額」)が同様の認知バイアスの影響を受けるなら、アウトプット〔すなわち分析結果〕にもバイアスがかかるだろう、という事実を無視しているように見える。ダイアモンドとハウスマンはこの点を大変に問題視して、こうした評価値を用いるくらいならランダムな数字を使った方がマシかもしれない、と主張している。

費用便益分析の支持者たちは、批判者たちに手加減を求めるため、次のような応答を行うことが多い。すなわち、費用便益分析は複雑な意思決定プロセスにおける1つの考慮事項に過ぎず、依拠するデータの質によって担保されている以上の重みを割り当てている者などいないはずだ、と。この応答は不誠実だ。数字それ自体がバイアス効果を持つ可能性を無視しているからである。質の低い分析によってはじき出された場合ですら、量的指標は政策検討の場面で強く考慮されてしまうかもしれない。そのため、ダイアモンドとハウスマンが言うように、「数字がある」としても、その数字の質が高くないなら、「数字がない」方がずっとマシかもしれないのだ。

ダイアモンドとハウスマンの議論に対してきちんと応答をするためには、次の事実に注意する必要がある。すなわち、費用便益分析が用いられるほとんど全てのケースで、少なくとも1つ、常に利用できる数字がある。それは、政策の費用を示す数字だ。これは、例えばどんな規制を施行する場合でも、どんな資源を公共財供給に振り向ける場合でも、当てはまる。さらに、産業界や納税者のロビー団体が騒ぎ立てるので、こうした数字は必ず新聞記事に載る。一方で、政策の便益はほぼ常に捉えがたい。市場評価額が存在しないからだ(だからこそ政府介入が検討されるのである)。それゆえ問題は、1つの数字を使うか、数字を使わないか、ではない。1つの数字(費用を示す数字)を使うか、2つの数字(費用を示す数字と便益を示す数字)を使うか、である。ダイアモンドとハウスマンの議論のロジック自体が示唆するように、1つの数字が常に利用可能であり、さらにそれが常に一方の側に偏っているなら、その数字の影響を削ぐためだけにも、もう1つの数字を利用した方が、検討の質は上がるだろう。

私が上で引用したサンスティーンの文章を読んで思わず二度見してしまったのは、費用ばかりを強調することがもたらすバイアス効果を認識させられたからだ。このバイアスは非常に強力で、私のような人間(渋々ながらにせよ、基本的には費用便益分析に好意的な人)ですら、規制が実際に社会を豊かにし、幸福にするという事実を忘れてしまうほどである。

以上を踏まえて、費用便益分析の支持者のための新しいスローガンを提案してみたい。「費用便益分析:数字は1つよりも2つある方がいい」。

[Joseph Heath, If government were a business, regulation would be a profit centre, In Due Course, 2014/3/24.]

References

References
1 訳注:Joseph Heath, The Machinery of Government, Chapter. 5: Cost-Benefit Analysis as an Expression of Liberal Neutrality.
2 訳注:ヒースは恐らく、Cass R. Sunstein “White House Review of Regulation: Myths and Realities”の草稿版を読んでいたのだと思われる。
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