ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)が登場するまでのアメリカの経済学界を振り返ると、貨幣(マネーサプライ)は(景気の変動に影響を及ぼす要因として)大して重要じゃないというのが第一線で活躍するマクロ経済学者の間でかなりの合意を得ていた見方だった。
フリードマンは、デビッド・メイゼルマン(David Meiselman)だとかアンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)だとかとの共同研究を通じて、貨幣(マネーサプライ)はかなり重要だということを示すれっきとした証拠を大量に提示した。そして、大勢(おおぜい)がそのことに同意した。皆が皆、筋金入りのマネタリストに転向したわけではなかったにしても。
早くも1982年になると、マネタリストの勢いに陰りが見え始めた。マネーサプライの管理に重きを置く金融政策が言うほど功を奏していないことが判明し出したのだ。貨幣っててんで重要じゃないんじゃないかとリッターマン(Robert B. Litterman)&ウェイス(Laurence Weiss)の二人が疑義を呈したのは1983年。
1990年代には、アメリカ経済の生産性の伸びは加速しているという意見が大勢(たいせい)を占めていた。
2011年~2013年には、アメリカ経済の生産性の伸びは鈍化しているという意見が大勢を占めていた。
クリントン政権期には、財政赤字が(実質金利を押し上げて)民間投資を押しのけている(クラウドアウトしている)のが大問題だと信じられていて、クリントン政権下で精力的に財政再建が進められたおかげで何とかなった(民間投資のクラウドアウトに歯止めをかけることができた)と信じられていた。しかしながら、しばらくすると、(財政赤字による)民間投資のクラウドアウトは大した問題じゃないと信じられるようになった。財政赤字が拡大しても、実質金利は低い水準にとどまったままだったからである。
1990年代には、Fedはどんなに頑張っても実質金利にほんの少ししか影響を及ぼせないということが数々の証拠によって示されていた。翻って2023年現在はというと、Fedには実質金利に絶大な影響を及ぼせる力があると信じられている。
2008年に至るまでは、「大平穏(グレート・モデレーション)」という説が人気を集めていた。
2008年以降になると、ミンスキー(Hyman Minsky)めいた説だとかバブルを云々する説だとかに俄(にわ)かに人気が集まった。その一方で、「大平穏」については一切語られなくなった。
2009年以降になると、「流動性の罠」モデルの妥当性が高まっていると信じられるようになった。
同じく2009年以降になると、「構造的な不均衡」が極めて重要な問題なのだと――「流動性の罠」も絡めるかたちで――論じられるようになった。「流動性の罠」と呼ばれるような状況からとっくに抜け出した今現在もなお、ペティス(Michael Pettis)だとかクルーグマン(Paul Krugman)だとかは、「構造的な不均衡」の問題は中長期的に見て依然として妥当性を失っていないという論陣を張っている。
つい最近までマクロ経済学の分野で人気を集めていた説と言えば、「長期停滞」論。しかしながら、インフレが加速して民間投資が盛り上がっているせいもあってか、人気を失っている。
失業率の上昇という痛みを伴わずにインフレ率を抑制するなんて到底無理だと長らく信じ続けられてきたが、ここにきて「痛みなきディスインフレ」説の信憑性が高まっている。
勘違いしてもらいたくないが、これまでに取り上げてきた説のどれもこれも(あるいは、その大半)が間違いだと言いたいわけじゃない。あの説もこの説も一時的には「まったくもって正しい」ように見えることはあるだろう。ただし、あくまでも「一時的には」だ。しばらく経つと、正しくなくなってしまうのだ。あるいは、まったくもって正しいとはもう二度と言えなくなってしまうのだ。
目下のところ人気を集めている(マクロ経済学における)錯覚は何だろうか? 私なりにその候補を挙げるなら、間違いなく以下がそれだ。
政府が総需要の刺激に万全を尽くしさえすれば、マクロ経済面での問題を解決できるし完全雇用を実現できる。
この説が時として正しいこともあるかもしれない。しかし、常に正しいとは限らない。この文章を目にしている読者には、これまでに流布したマクロ経済学における錯覚――あるいは、妄想と呼ぶべき?――にその都度とらわれてしまった面々よりも賢くあってもらいたいと願うばかりだ。
もう一つ付け加えておくと、今後フィリップス曲線について何か物申す機会があるようなら――どういう観点から切り込むにしても――、このエントリーのことを思い出してもらいたいと思う。
〔原文:“Macro illusions — which ones are you suffering under?”(Marginal Revolution, August 23, 2023)〕