ブランコ・ミラノヴィッチ「アメリカにおける新しい資本主義 その1」(2025年7月24日)

最も裕福な資本家と最も裕福な労働者はますます同じ人々になってきている

最も裕福な資本家と最も裕福な労働者はますます同じ人々になってきている。

これを、2019年の拙著『資本主義だけ残った』では「新しい資本主義」と呼んだ。何が新しいのだろう? 19世紀のヨーロッパの経済学者が提唱した古典的資本主義では、資本主義社会は2つの階級からなっているとされた。資本(マルクス主義の定義では「生産手段」を所有する)階級と、資本を所有せず生存のために資本家に労働力を売る労働者階級であるこれは粗っぽい分類だが、間違いではなく、19世紀から20世紀初頭の先進国経済の実像の素描となっていた。(後進国経済では、土地所有と、土地所有に結びついた政治権力が大きな役割を果たしていた)。

この古典的資本主義は、20世紀になり、多くの人が新しい「管理・経営(マネジメント)」階級と名付けたものの出現によって変貌を遂げた。管理・経営者(マネージャー:生産手段を所有せず、単純労働者でもなく、フロリダでのんびりゴルフをしている資本家のために生産手段を管理する者)の台頭は、1941年のジェームズ・バーナムの古典的な著作で初めて提唱され、1960年代から1970年代にかけてヨーゼフ・シュンペーター、レイモンド・アロン、ジョン・ケネス・ガルブレイス、ダニエル・ベルらによって拡張が行われた。同じ流れをくむものとして、ジェラール・デュメニルとドミニク・レヴィによる最近の共著『管理・経営者資本主義:所有権、管理・経営(マネジメント)、来たるべき新たな生産様式』(未訳)もある。批判的な議論については、ジャコビン誌でのニコル・アッシュオフの記事を参照されたし。

資本主義を、新たな支配者にのし上がろうとする管理・経営者階級を加えて三段階の階級とする視点が生まれたのには、マルクスは認識していたが完全には解決できなかった問題――資本家の2つの機能(生産手段を提供する機能と、生産手段の利用を組織する機能)に矛盾(ワルラス派の定義だと、資本家と起業家の違い)が存在するからだった。論理的には、この2つの機能は分離可能であり、実際に分離することになった。その分離によって――先に挙げた著者らが論じたように――新たに3つ目の階級である管理・経営者階級が生み出されたとされている。アレクサンドル・シラは最近の非常に優れた論文で、この現象をマルクス主義的観点から論じている。

しかし、管理・経営革命は過大評価されている。管理・経営革命は一度も起こらなかったし、今も起こっていない。管理・経営者が独立して、第三の階級を作り出すことは決してなかった。代わりに起こったのは、私が2019年の著作で論じ、いくつかの新しい論文で確認されているように、豊かな資本主義経済国家――特にアメリカでのホモプルーディア・エリートの台頭だ。ホモプルーディア(homoploutia)とは何か? 新しい現象に直面すると、人はよくギリシャ語に頼って新しい用語を作り出す。「ホモ(homo)」は、ギリシャ語で「同じ、両方」という意味だ。「プルーディア(ploutia)」は、ギリシャ語で「富、富裕」を意味している。ここでの「ホモ(両方)」とは、それぞれ、「人的資本」による富(つまり労働所得)と、生産・金融資本による富(つまり所有権からの所得)のことを指している。つまり、「ホモプルーディア(homoploutia)」で、「(労働と資本の)両方で富裕」であることを意味する言葉となる。ホモプルーディア・エリートは、最も裕福な資本家でありつつ、最も裕福な(最高給取りの)労働者を兼ねている人々のことである。ホモプルーディアは、金融セクターのCEO、エンジニア、医師、ソフトウェア開発者(として高給を得ている存在)であると同時に、資本所得の分布でトップに立つのに十分なだけの金融資産を有しているであろう人々のことだ。ホモプルーディアは、保持しているお金を相続したかもしれないし、生涯にわたる高給を貯蓄し、自らを最も裕福な資本家に変貌させたかもしれない。このホモプルーディアへの至る2つの経路で、どちらが相対的に重要なのかについてはまだよく分かっていない。研究分野が新しく、原則としてこの問いに答えられるだけの断続的なデータをまだ誰も有していないからだ。

実証的には、我々はホモプルーディアを以下のようなやり方で分析している。アメリカで税引き後所得で最も裕福な最上位10%を抽出し、その中で労働所得で最も裕福な最上位10%と、資本所得で最も裕福な最上位10%の両方に属している人がどれだけいるのかを算出する。古典的資本主義の下では、総所得の最上位10%に属する人のほとんど全員が、所得の大部分を資本所有から得ており、労働所得者は最上位であってもほぼ含まれていないと推察されていることに留意してほしい。つまり、かつては富裕であることと資本家であることはほぼ同義だったのだ。実際、ブラジルやメキシコのような発展途上の資本主義経済国家では、今日でもこの状況にあることをまさに観察することができる。

アメリカのような先進的な資本主義経済国家では、所得富裕層のほぼ1/3が、労働所得の最上位10%と、資本所得の最上位10%の両方に属している、つまりホモプルーディアであることを我々は発見した。さらにホモプルーディアの割合がこの40年間で継続的に増えていることも発見した。

以下のグラフは、私とヨナタン・バーマンの共著論文から引いたものだ。アメリカにおける主要な所得調査「アメリカ現在人口調査」(ルクセンブルク所得調査; LISによって標準化)、アメリカにおける資産と所得の分布の両方に焦点を当てた調査「消費者財務調査」、トマ・ピケティとエマニュエル・サエズとガブリエル・ズックが金融・世論調査・国民経済計算データを組み合わせて独自開発した「分配的国民経済計算:DINA(Distributional National Accounts)」という3つの異なるデータソースを用いて、このホモプルーディア現象を明らかにした。3つのデータソースすべてが同じ傾向を示している。ホモプルーディアな富裕層の割合は、1980年には所得最上位10%の中で1/5だったが、現在では1/3にまで上昇している。さらにバーマンと私は、1980年から今日までのアメリカの所得格差の増加の約20%をホモプルーディアの増加によって説明できると推定している。つまり、他の要因を一定に固定すると、所得格差の増大を唯一変化させるのは、高労働所得と高資本所得が同じ個人に集中する度合い(ホモプルーディア化)で説明できる。ホモプルーディア化の効果は、資本分配率の増加の効果よりも強い。簡単に言えば、アメリカでは資本分配率が単に上昇しただけではない。もっと重要なのは、この上昇した資本分配率が、もう十分に〔労働から〕高収入を得ている人に帰着していることだ。所得格差の拡大に関する議論で、もはやこのホモプルーディアの発展を無視することはできない。

アメリカの所得最上位10%層のうち、資本所得最上位10%と、労働所得最上位10%を兼ねている人の割合

なぜホモプルーディアは問題なのだろう? 資本家と労働者の間にある階級区分を消し去るという点で、歓迎すべき発展のように見えるかもしれない。ホモプルーディアな人は、その身を持って、階級闘争と革命の源泉となっていた決定的な区別を消滅させているわけだ。これは悪いことなのだろうか? この発展は、歓迎され喝采されるべきではないだろうか? イエス、ある点ではそうだ。しかし、多くの点ではそうではない。ホモプルーディアによって、労働市場と資本市場でのショックに対して耐性を持つ新たなエリート(大資本からの収益率が低下したり、自身の従事している特定の高度スキルを要する仕事からの報酬が突如減っても、その地位を〔資本と労働という2つの要素から得ているため〕維持できる存在)が創出されている。こうしたエリートは、マクロ経済ショックに耐性を持ち、最高の学校を卒業した高度なスキルを持つ人々で構築され、自身の優れた地位を当然だと感じてるだろう。旧来までの資本家とは対照的に、ホモプルーディア・エリートは、自身の高所得を当然のものだと感じてる。彼らは自身の収入のうち、資本からの所得を都合よく忘れ、懸命に努力して学び・働いた要素だけに焦点を絞るかもしれないからだ。ここでは3つの要素――大量の資本所有、高水準の教育、高給の職――が結びついてる。つまり、我々は現在、古い資本主義の階級社会に基づいた社会ではなく、エリート支配に直面しているのだ。ホモプルーディア・エリートは、個人としては資本と労働の相克を超越しているが、これは人口の他の部分を彼らとそうでない人を分けるという「代償」、つまり社会の頂点に君臨するエリートを創出することによって達成される。

この新しい資本主義は、どの先進国でも証拠を見ることができる。以下の図は、ルクセンブルク所得調査(LIS)から算出した、所得最上位層10%に占めるホモプルーディアの割合を示したものだ。アメリカとイタリアの30%弱から、日本と韓国の16%と幅がある。しかし、後進資本主義国家(ハンガリー、ブラジル、メキシコ)では10%未満だ。ちなみに、そしておそらく重要なことが、中国は2013年時点のデータで、ホモプルーディアの割合が32%と、どの国よりも高くなっていることだ。

ルクセンブルク所得調査(LIS)の2015-18年のデータを基に、労働所得富裕世帯と資本所得富裕世帯を兼ねる(労働所得で最上位10%かつ、資本所得で最上位10%)世帯の割合

所得最上位10%の人々のうち、80%か90%がホモプルーディアになると、エリート層は確固たるものとなり、不可侵なものとなるだろう。過去にあった〔労働所得と資本所得で〕分裂した階級社会は、エリート支配社会に取って代わられることで消滅するだろう。そうした社会では、単純なマルクス主義的な階級分析よりも、エリートが支配するという経済的・政治的理論のほうが今日的な意味を帯び、実態を捉えているということになるかもしれない。


以下、『資本主義だけ残った』の関連記事。

ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:フランス語版出版に際して、マリアンヌ紙によるインタビュー」(2020年9月11日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:ブルガリア語版出版記念インタビュー」(2020年12月26日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』ギリシャ語版出版記念インタビュー」(2021年1月16日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』の著者が明かす四つの重要な裏テーマ」(2019年9月24日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』よくある批判への回答:アリッサ・バティストーニの書評について」(2021年5月14日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』世界の芸術家の役割」(2021年2月8日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』 いくつかのマルクス主義的論点:ロマリック・ゴダンの書評への返答」(2020年10月4日)

[Branko Milanovic, “New Capitalism in America” Global Inequality and More 3.0, Jul 24, 2025]
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