ピーター・ターチン「『大きな誤り』仮説と『大いなる欺き』仮説は大規模な人間社会の協力を説明できるか?:文化的マルチレベル淘汰理論が有望な理由」(2012年6月24日)

この2つの理論〔血縁選択と互恵的利他主義〕の問題は、人間の超社会性の進化を説明できないことだ。

The ‘Big Mistake’ and ‘Grand Deception’ Hypotheses: Alternatives to CMLS?
June 24, 2012
by Peter Turchin

CMLS(文化的マルチレベル淘汰:cultural multilevel selection)が人間の社会進化の説明の役に立たないとしたら、人間の超社会性(無関係の個人から成る巨大集団において協力する能力)はどのように進化したのだろうか? スティーブン・ピンカーは「ユージュアル・サスペクツ」〔おなじみの候補〕である血縁選択と互恵的利他主義を頼り切っている。「ヒトの協力の進化に関する多くの研究は、進化生物学から借りてきた利他主義についての2つの遺伝子レベルの説明、すなわち血縁主義(nepotism)と互恵性(reciprocity)のそれぞれに、人間の認知の複雑性に伴って若干ひねりを加えたものを応用する形で成果を上げてきた。ヒトの利他行動の大部分はこのやり方で説明できる。」

この2つの理論の問題は、人間の超社会性の進化を説明できないことだ。狩猟採集社会の部族においてすら、そのメンバーの多く(近年の推計によると4分の3;Hill et al. 2011)は「個体」の血縁者ではないし、何億もの個人からなる巨大な社会における平均的な血縁度は、ほとんどゼロと言ってよい。互恵性について言えば、少数の個人から成る小集団では機能するが、集団のサイズが10を超えれば完全に機能しなくなることをモデルは示している。これは、デイヴィッド・ヒュームのような18世紀の思想家にとっても明らかであった。

隣人2人は、共同で所有している低湿地の排水を行うことに同意する。なぜなら、2人にとってそれぞれの心を知ることは容易だからだ。そして2人はそれぞれ、自分の役割を果たせなければ、このプロジェクト全体の放棄という結果になることに気づくはずだ。しかし何千人もの人々がそうしたあらゆる行為において同意するべきというのは非常に難しく、実際不可能である。これほど複雑な計画に全員で同意することは難しく、実行することはもっと難しい。一方で、各自が厄介ごとや費用から逃げるための口実を探し、全ての負担を他人に押し付けようとするのだ。

ピンカーは、この点をハッキリ認めているわけではないが、単純な「血縁主義と互恵性」の理論では何百万もの人々から成る集団における大規模な協力を説明できないことに気づいていると思われる。そこでピンカーは、「認知的ひねり」を導入する。その基本的なアイデアは、血縁者や互恵的関係における人間の協力傾向を、他の人間が操作しているというものだ。

これは、「大きな誤りBig Mistake」仮説(ボイドとリチャーソンは進化心理学理論におけるこの潮流をそのように特徴づけた)の1つのバージョンだ。「大きな誤り」仮説によると、人々は赤の他人を誤って血縁者と認識してしまうため、どういうわけか社会を構成する何百万ものメンバーと協力するように「騙される」のである。

ピンカーが支持しているバージョンは、「大いなる欺きGreat Deception」仮説とでも呼べるものだ。ピンカーはこの仮説を用いて、自殺を伴うテロ行為について苦しい説明を行っている。しかし、戦時に軍隊に志願する行為についてはどうだろう? ピンカーは、「(第一次世界大戦時のように)人々が熱心に軍隊に志願した歴史的事例においても、大抵の場合で志願者らは戦闘における死のリスクの低さや速やかな勝利を期待させるポジティブな幻想の被害者であった」と書いている。しかし、これは例えば第一次世界大戦時のイギリスにおける志願兵のような実際の歴史的ケースを説明できていない。イギリス国民は、勝利がすぐには訪れず、戦地が屠殺場であることが十分明白になった後も、長い間軍隊に志願し続けた。〔そのため〕イギリス政府は1916年まで徴兵を行う必要がなかった(このケースについてのもっと丁寧な議論は、拙著War and Peace and War『戦争と平和と戦争』をご覧いただきたい)。

更に、ピンカーの議論の骨子となっているのは、邪悪な目的を達成させるために一般市民を戦死するように欺いたのは、「他の人々」(恐らく、政治エリート)である、というものだ。しかし、これにはたくさんの反例がある。一例だけ挙げると、共和制ローマの支配エリート(元老院階級)はローマの引き続く戦争による負荷を〔一般市民と〕同じくらい(もしかするとより多く)負担していた。元老院階級は、第二次ポエニ戦争における戦闘において前線に立ち、戦死した。人口比率で、トラシメヌス湖畔の戦いやカンナエの戦いでの敗北では、元老院はそのメンバーを一般市民よりも多く失った。すると一体何者が、ローマのパトリキたちを、パトリキのために命を犠牲にするよう欺いたのだろう?

政治エリート(つまり、社会においてその手に権力が集中している社会階層)が最終的に自らの適応度を犠牲にするような文化進化の例は他にもたくさんある。最近の論文で、ジョセフ・ヘンリックと共著者たちは、文化的グループ淘汰のフレームワークを使ってモノガミー(一夫一婦制)の広がりを分析した。文化的グループ淘汰のような視点なしでは、男性エリートが妻を一人に限定することに同意する理由を理解するのは非常に難しい。人間の男性が残せる子孫の数は、まずもってその男性が持つ妻の数で決まるので、ポリガミー(一夫多妻制)の方がはるかに富と権力を持った男性に利益があると予測できる。しかし、モノガミーが広まったのだ。そしてヘンリックらは、それが文化的グループ淘汰のプロセスによって起こったという説得的な説明を行っている。

究極的には、(ラカトシュの定義では)リサーチプログラムは、それがどれだけ生産的かによって評価される。文化的マルチレベル淘汰の枠組みは、活発なモデルの発展や実証的検証のプログラムを刺激してきた。進化心理学の「大きな誤り」仮説や「大いなる欺き」仮説は同様の展開をもたらすことができていない。どのようにして「大いなる欺き」仮説を経験的にテストできるのかさえ、私にはよく分からない(この仮説は反証可能だろうか?)。対照的に、文化的マルチレベル淘汰という学問分野は、その若さにもかかわらず既にテスト可能な予測を生み出せることを示してきた(そして実際に実証的に検証されている)。最終的に、文化的マルチレベル淘汰理論が私たちの人間社会についての理解を完全に変えることになっても、私は驚かないだろう。

〔ジョセフ・ヘンリック:画像出典元
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