ノア・スミス「ポピュラー経済学本:読んでおくべき本、読むべきでない本」(2025年2月27日)

昔から「良いポピュラー経済学本のリストを教えてよ」と求められることがある。〔…〕私は長年答えるのをサボってきた。だが今回こそは答えよう。

昔から「良いポピュラー経済学本のリストを教えてよ」と求められることがある。方程式でいっぱいの教科書じゃなくて、素人でも読める本を教えてほしいということだ。これはもっともな質問だが、私は長年答えるのをサボってきた。だが今回こそは答えよう。理由は2つある。

まず、数週間後に日本語での本の出版が控えている [1]訳注:ノア・スミス『ウィーブが日本を救うーー日本大好きエコノミストの経済論』(片岡宏仁、経済学101訳。日経BP)。2025/3/21発売予定。 。これは日本経済をテーマにした本だ(日本語版に続いて英語版も出る予定)。それと、現在私は英語での最初の単著に取り掛かっている。これはマクロ経済学がテーマになりそうだ。そういうわけで、既に出ているポピュラー経済学本を見てみて、どうすれば自分がそこに付加価値を加えられるか考えた方がいいと思ったのだ。

もう1つの理由は、サム・エンライト(Sam Enright)の面白い発言を見かけたからだ。

思うに、「アンチ・リーディング」リストの方が価値があるんじゃないだろうか。つまり、賢い人々が薦めがちだが、深い知識を持つ専門家は嫌うようなダメな本のリストだ。この分野で、私が信じ込んでしまう恐れのある最も有害なアイデアというとなんだろう?

これは有益な試みだと思う。ほとんどの人は礼儀正しいから、一般市民に「この議論はダメダメだよ」と警告しないのだ。そして実は、壮大で疑わしい理論は、あからさまにダメな考えよりもいっそう危険かもしれない。人々はすぐ、複雑な現象をシンプルに説明しようとする理論に引き寄せられてしまい、ちょっとでも正しい点があると、理論全体の正当性が示されたのだと思ってしまう [2] … Continue reading 。そうした理論を読んだりそれについて考えたりするのは非常に有益で面白いが、その信頼性に関しては警告を与えられて然るべきだ。

まぁとにかく、以下はポピュラー経済学の良い本、悪い本、疑わしい本を挙げたリストである。ここで挙げたのは最近の、具体的には1990年以後に書かれたものだけなので、『国富論』も『資本論』も『雇用・利子および貨幣の一般理論』も入れていない。

いつものことだが、あなたのお気に入りの本(あるいは大嫌いな本)が挙がっていないとしたら、私がまだ読んでない本だからかもしれない [3] … Continue reading

良い概観を与えてくれる本

経済学を実際に(つまり経済学の概念、理論、研究方法を)教えてくれるポピュラー本はいくつかある。私が読んだ中で傑出していたのは以下の5冊だ。現代の経済学が何をやっているのか学びたいけど教科書を手に取りたくはないという人は、この5冊を読むべきだ。

ティム・ハーフォード『まっとうな経済学』〔邦訳あり〕
The Undercover Economist, by Tim Harford

この本は基本的に、ポピュラー本の皮を被った経済学の入門講義だ。ミクロ経済学の基本概念(需要と供給、ゲーム理論など)が扱われ、それらが現実世界の単純な例で説明される。ハーフォードの文章は驚くほど読みやすい。『まっとうな経済学』はどこをとっても愉快かつ軽快で、繊細な部分や正確さを犠牲にすることなく、読者を離さない。これまで読んできたポピュラー経済学本の中で、本書は私が書こうとしている本のモデルに最も近い。

ヨシュア・アングリスト、ヨーン・シュテファン・ピスケ『計量経済学をマスターする』〔未邦訳〕 [4]訳注:アングリスト&ピスケは『ほとんど無害な計量経済学』の著者。関連記事として以下。ジョシュ・アングリスト他「計量経済学の教え方」 … Continue reading
Mastering Metrics, by Joshua Angrist and Jörn-Steffen Pischke

過去30年の間、経済学は変化してきた——理論的な営みが大部分を占めていたところから、実証研究が主流の学問へと。この変化の中心にあったのは、いわゆる実証経済学の「信頼性革命」だ。原因と結果を取り出す、完璧とは言えないまでも昔よりはずっとマシな技術が発展したのである。こうしたツールは現代の経済学の屋台骨になっているから、現代の経済学がどうやって研究結果を導いているのか知りたければ、こうした道具立てについていくらかでも理解しておく必要がある。『計量経済学をマスターする』は、信頼性革命を主導した2人の著者が、こうした研究手法を説明する愉快で読みやすい入門書だ。ちょっとした数学も出てくるがご心配なく。著者たちは実証経済学の仕組みを説明するのがとても上手いので、読者が森の中で迷ってしまうことはないだろう。

アビジット・バナジー、エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』〔邦訳あり〕
Good Economics for Hard Times, by Abhijit Banerjee and Esther Duflo

最近の経済学者が大問題(貿易、移民、気候変動、不平等など)についてどう考えているのかを大まかに知りたければ、本書が適任だ。経済学はミルトン・フリードマンのような人の影響が強く、リバタリアンが主流の分野だと未だに考えている読者にとっては、本書が重要なアップデートを施してくれる。経済学は、イデオロギー的な理由ではなく実践的な理由から、政府介入を支持する方向に変化してきた。バナジーとデュフロは、現代の大問題について注意深い中庸の道を示しており、折衷的で漸進的な政策アプローチ、慎重なエビデンス・ベースの政策、費用と便益に関する繊細な思考を支持している。謙虚で、実践的で、深い思いやりのある本だ。全てを理解したとのたまう理論家の大袈裟な主張に対する素晴らしい解毒剤となっている。

ジャスティン・フォックス『合理的市場という神話 リスク、報酬、幻想をめぐるウォール街の歴史』〔邦訳あり〕
The Myth of the Rational Market, by Justin Fox

このセクションで唯一の、経済学者でない著者が書いた本だ。『合理的市場という神話』は、それでも私のお気に入りの一冊である。本書は金融理論をテーマにしており、効率的で合理的な市場という初期のアイデアが、ついには行動ファイナンスに座を明け渡した過程を描いている。それを読む中で読者は、重要人物たち(ジョン・フォン・ノイマン、ユージン・ファーマ、リチャード・セイラーなど)だけでなく、理論自体についても学べる。ポートフォリオ選択、ファクターモデルなど、金融研究を動かしてきたその他さまざまな事柄も学べるだろう。そして、大きな問題に関して経済学者に考え方を変えるよう説得するにはどうすればいいかについて、多くを学べるだろう。

ポール・クルーグマン『世界大不況からの脱出 なぜ恐慌型経済は広がったのか』〔邦訳あり〕
The Return of Depression Economics and the Crisis of 2008, by Paul Krugman

専門知識のない一般市民にマクロ経済学を上手く説明できている本はそう多くないが [5]原注:先述のように、私はもうすぐこのテーマで本を書く予定だ。 、この本は他から抜きん出ている。クルーグマンは恐らく、この時代の最も優れた経済学の解説者だ。本書でクルーグマンは、相互に関連する3つ現象を説明しようと試みている。その3つとは、金融危機、総需要ショック、流動性の罠だ。これら3つは同時に発生することが多く、2008年の出来事はその完璧な例となっている。金融危機が需要不足をもたらし、利率が0だったために政府は需要回復策を打つのが難しかったのだ。あらゆる経済恐慌がこのパターンを辿るわけではないが、かなりよく見られるパターンではある。クルーグマンはこうした事象について考えるために経済学者が用いる理論のいくつかを、とても上手く説明している。

経済史

経済史は経済理論の代替にはならず、経済理論を補完するものと考えた方がよい。過去の出来事は、理論が目を逸らしがちな繊細な部分を教えてくれる。

ブラッド・デロング『20世紀経済史 ユートピアへの緩慢な歩み』〔邦訳あり〕
Slouching Towards Utopia, by Brad DeLong

この本に関しては既に書評を書いている。

ノア・スミス「書評:ブラッドフォード・デロング『20世紀経済史――ユートピアへの緩慢な歩み』」(2022年6月12日) – 経済学101

本書は経済史の本で、「長い20世紀」(デロングは1870年から2010年までを指して使っている)がどれほど驚くべき時代だったかを論じている。この時代、世界は真に近代化し、人類の多くが地方の貧困から都市の快適な生活へと至り、飢餓がほぼ克服され、近代的産業が創造された。本書でのデロングの目標は二重になっている。まず、この140年の成長がいかに素晴らしくユニークなものであるかを読者に伝え、次に、この時代が突きつけた根本的な社会的・政治的問題の一部は未だ答えが見つかっていないと理解させることだ。デロングはとりわけ、不平等、経済的リスク、共同体の欠如は、人類全体が途方もなく豊かになったにもかかわらず、市場が対処できてこなかった問題だと主張している。非常に良い本だ。

リヤーカト・アーメド『金融の支配者たち』〔未邦訳〕
Lords of Finance, by Liaquat Ahmed

本書は、世界恐慌へと繋がる経済の不安定性がテーマの、素晴らしくよく書かれた本である。本書で扱われるのは、第一次世界大戦の賠償負債、ハイパーインフレ、金本位制、1920年代の証券市場バブル、1930年代の破滅的な世界情勢をもたらした金融危機などだ。アーメドは、アメリカとヨーロッパの中央銀行の幹部の視点からこの物語を語っており、このカタストロフを防げなかった責任を大部分彼らに帰している。個人的には、中央銀行の幹部に辛くあたりすぎだとは思う(リアルタイムで自分が何と戦っているのか分かっている人間はいない。後知恵は常に満点を叩き出すものだ)が、それでも世界恐慌から得られる教訓は重要だ。

ロバート・ゴードン『アメリカ経済 成長の終焉』〔邦訳あり〕
The Rise and Fall of American Growth, by Robert Gordon

本書は、人類が科学と技術というもぎとりやすい果実を掴みとったことで、今後再び生じることはないであろう急速な経済成長がもたらされた、という主張で有名だ。電力、内燃機関、屋内給排水といった技術は、結局のところ一度きりの発明である。ゴードンの本は、2005年以降の生産性の減速が底に達した時期に出版され、それに説得的(で悲観的)な説明を与えているように思われた(タイラー・コーエンの『大停滞』という小著も同じジャンルの本だ)。現在は将来有望(あるいは脅威的)なAIが世界経済全体をひっくり返して改造しているので、ゴードンの仮説はさほど注目されなくなってしまった。それでも本書は読む価値があるし、興味深い歴史をたくさん教えてくれる。そしてAIに期待されていた生産性の増大が果たされなければ、ゴードンの考えは確実に再注目されるだろう。

アダム・トゥーズ『ナチス 破壊の経済』〔邦訳あり〕
Wages of Destruction, by Adam Tooze

本書のテーマはナチスの経済だ。世界恐慌以前には輸出志向だったドイツ経済が、いかにして工場の需要源を輸出から再軍備へ切り替えたかが説明されている(個人的には中国が今すぐにでも同じことをやり始めるんじゃないかと心配している)。本書は、ヒトラーの野蛮な攻撃が、ナチス経済は最終的に競合国に負けるのではないかという恐怖(実際そうだった)に突き動かされていた部分があったと論じている。そして、ナチスが戦時期、基本的な商品の供給不足への対処にいかに苦労したかも述べられている(今後戦争が起こるなら、このことは必ずや非常に深刻な問題となるだろう)。総じて、とてもタイムリーで重要な本だ。

アダム・トゥーズ『暴落 金融危機は世界をどう変えたのか』〔邦訳あり〕
Crashed, by Adam Tooze

本書は、私が知る限りユーロ圏の危機の歴史を扱った最良の本だ。アメリカが2008年の金融危機と大不況に上手く対処できなかったと言うなら、ヨーロッパと比較すべきである。トゥーズは、なぜアメリカがヨーロッパよりも早く危機から回復したのかを論じている。基本的に、より強い刺激策をとり、政策のコーディネーションが上手くいっており、より実効的な課税がなされていたからだ。本書を読めば、大きな変化がない限り、経済制度としてのEUの行く末には少しばかり悲観的にならざるを得ないだろう。

ロジャー・ローウェンスタイン『天才たちの誤算 ドキュメントLTCM破綻』〔邦訳あり〕
When Genius Failed, by Roger Lowenstein

本書は応用経済学の大失敗をテーマにしている。1990年代後半、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)という巨大なヘッジファンドが存在した。LTCMは、経済モデルを使って一時的で小さなミスプライスを見つけ、多額の資金を借り入れてミスプライスに対抗することで、計り知れない大金を稼ぐと約束していた。LTCMは、ノーベル賞経済学者を1人ならず2人も擁していた。言うまでもなく、その後すべては吹き飛んだ。現実の市場には、経済理論の考慮に入っていない要素が存在したからだ。これは2008年に起きたはるかに巨大な爆発の不吉な前兆だった。いずれにせよローウェンスタインの本は、この小さな事故を、信じられないほど愉快で読みやすく説明している。

その他の良い本

上のセクションに含めるのは変だが、それでも読む価値がある本をいくつか挙げておこう。

ラン・アブラミツキー、リア・ブースティン『黄金の道』〔未邦訳〕
Streets of Gold, by Ran Abramitzky and Leah Boustan

本書は移民の経済学を扱っている。現代のアメリカへの移民は、所得や文化的同化といった点で、100年前のヨーロッパ人移民と比べ良い結果となるのか悪い結果となるのか、という問題に答えを出そうとしている。本書によると答えは「同じかそれ以上」だ。本書はまた、移民がアメリカ生まれの国民に経済的便益をもたらすという証拠を検討している。私が行ったリア・ブースティンへのインタビューはここで読める。

ウィリアム・カー『世界中の才能という贈り物』〔未邦訳〕
The Gift of Global Talent, by William Kerr

これも移民がテーマの本だが、高技能移民に焦点を絞っている。高技能移民がアメリカ経済にどれくらい貢献しているかを示し、アメリカ生まれの人々が、一緒に働く移民の存在によって実際に便益を得ているという証拠を説明している。本書は「頭脳流出」という考えを(大部分)打ち砕いている。

ダニ・ロドリック『エコノミクス・ルール 憂鬱な科学の功罪』〔邦訳あり〕
Economics Rules, by Dani Rodrik

本書については2016年に旧ブログの方で書評を書いた。この本は、ダニ・ロドリック(非常に尊敬されているがやや異端的で常識破りな経済学者)が、経済学の何が正しく何が間違っているかを裁いた本だ。ロドリックは、ガーディアン誌に載っているような左翼のやりがちな経済学批判のほとんどが間違いである理由を説明している。同時に、経済学者は「自由市場は素晴らしい」といった単純すぎる考えを一般市民に広め、経済学の内部での繊細な議論や不同意を説明から省くことで、自分の首を絞めてしまっているとも述べている。本書の全てに同意するわけではないが、経済学という学問に関心があるなら、本書は絶対に読む価値がある。

リチャード・セイラー『行動経済学の逆襲』〔邦訳あり〕
Misbehaving, by Richard Thaler

本書は、行動経済学の創始者の1人がその歴史を語った本だ。経済学者たちがどんな風に論争しているのか、どんな証拠が受け入れられどんな証拠が拒否されるのか、分野のコンセンサスはどう変化するのか、を鮮やかに描き出している。

大きい問いを扱った(疑わしい部分もある)本

ここからは危険な領域に入っていこう。世界は複雑な場所であり、国家の興亡や不平等の長期的パターンは、科学者が研究室で研究するには大きすぎるテーマだ。とはいっても、人間は現象の理解(少なくとも、理解したという感覚)を求め、評価の難しい壮大な理論を作り出さずにはおれない。こうした理論は有益で読む価値があることも多いが、欠陥も抱えざるを得ない。このリストに挙げたものは全てオススメの本だが、常に注意深く疑いを持って読み進めるべきだ。

ジョー・スタッドウェル『アジアの仕組み』〔未邦訳〕
How Asia Works, by Joe Studwell

信じてもらえるか分からないが、実は本書は私の中でポップ経済学本のオールタイムベストだ。いくつかの重大な欠陥を持っているとしても、そうなのである。

What Studwell got wrong – Noahpinionここも参照)

本書は、国家がいかに産業化し貧困から抜け出して豊かになれるか、を説明した理論を提示している。本書が提唱するのは三本柱の戦略だ。(1)農地改革、(2)輸出促進、(3)輸出産業を支える金融システムの規制、である。スタッドウェルは、日本、韓国、台湾、中国といった、第二次大戦後の産業化に成功した国の歴史を詳述し、それを産業化に成功していない東南アジア諸国と比較対照している。上の3つの戦略は、勝ち組の国家がみな行っていることだとスタッドウェルは結論づけている。この理論はまだ立証されていないが、息を呑むほどに力強く興味深い議論であり、最近では経済学者もこれを真剣に受け止め始めている。実は数年前、スタッドウェルの理論のレンズを通じて途上国を分析するシリーズ記事を書いたことがある。いずれにせよ、本書は非常にオススメだ。

ダロン・アセモグル、ジェームズ・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』〔邦訳あり〕
Why Nations Fail, by Daron Acemoglu and James Robinson

本書の提示する大きなアイデアは私のお気に入りだが、これについては自分の直観を信じることができない。その大きなアイデアというのは、包括的制度(所有権、民主主義、法の支配、その他何であれ自分の好きなもの)を打ちたてた国はますます繁栄し、市民から価値を収奪することに重きを置く国家は失敗する傾向にある、というものだ。私はこの考え方が大好きである。ここで言われているのはつまり、善人は勝つということだからだ。だが本書の根底にある実証研究には、実はたくさんの問題がある(その研究で彼らは最近ノーベル賞を受賞した)。そうした問題のいくつかについては、去年の10月に記事を書いた。

ノア・スミス「でっかい問いにノーベル賞:アセモグル・ジョンソン・ロビンソンについて」(2024年10月15日) – 経済学101

実際、なぜ国家は衰退するのかという問題、そして深い歴史を持つ社会政治的制度の長期的な発展というテーマは、あまりに巨大なので現時点で決定的な答えを出すのは不可能だ(永遠に不可能かもしれない)。だが本書はオススメの本である。この理論は少なくとも興味深く説得力があるからだ。

ハジュン・チャン『悪しきサマリア人』〔未邦訳〕
Bad Samaritans, by Ha-Joon Chang

本書は(ハジュン・チャンの他の本と同様に)ジョー・スタッドウェルの『アジアはどう動いているのか』とよく似た発展の理論を採用している。チャンの著書は、経済発展と産業政策に関して、非常に広範かつ歴史的な視野をとっており、一読の価値ありだ。彼の本はどれも学ぶものがる。『悪しきサマリア人』で一番興味深いのは、イギリスの初期の実業家たちが、ドイツと日本の工場労働者を手に負えないほどの怠け者と考えていた、という箇所だ(現代の私たちのステレオタイプとは全然違う!)。ここから導かれる教訓はこうだ。「適切な文化が欠けているからこの国は発展できないのだ」という考えは、単純に昔ながらの誤りを繰り返しているだけかもしれない。

トマ・ピケティ『21世紀の資本』〔邦訳あり〕
Capital in the Twenty-First Century, by Thomas Piketty

本書を薦めたり批判したりしている人のほとんど同じように、私も実は本書を読んでいない。読んだのはピケティが不平等を扱った論文のいくつかで、恐らくそれで彼の中核的なアイデアを掴むことができた。いずれにせよ、私は読んでいないが『21世紀の資本』はオススメの本だ。本書の提示する壮大な理論(不平等は、戦争や革命や疫病によって人々が元のレベルに引き下がらない限り、拡大していく)は説得的かつ重要である。この手の壮大な歴史理論の常だが、その主張を裏づけるデータには難点もある。それでもピケティの主張は未だ反証されていない

タイラーコーエン『大格差 機械の知能は仕事と所得をどう変えるか』〔邦訳あり〕
Average is Over, by Tyler Cowen

経済学における「技能偏向型技術進歩(skill-biased technological change)」はこんな考え方だ。技術が利用しづらいものになればなるほど、社会はますます不平等になる。典型例はコンピューターだ。賢い人は上手くコードを書けるが、賢くない人にはコードが書けない。経済学者は、これがどれほどの重大事なのかについて堂々巡りしている。タイラーは『大格差』で、来るべきAIの時代は技能偏向型技術進歩が加速し、新しい技術を使用できる人とできない人の間で極度の不平等が生じる、と論じている。私はこれに懐疑的だ。AIに関する既存の研究は一貫して、AIは具体的なタスクにおいて高技能の人より低技能の人のパフォーマンスを大きく向上させる、と示している。これは道理が通っている。AIは本質的に知性の代替物であり、初歩的な経済学によれば、代替財が安くなれば当の財の価格は低下する。だがいずれにせよ、タイラーの理論は読む価値がある。さらにタイラーは、この中心的な仮説に必ずしも依存しているわけではない、様々な興味深い予測や政策提案を行っている。

ピーター・ゼイハン『「世界の終わり」の地政学 野蛮化する経済の悲劇を読む』〔邦訳あり〕
The End of the World is Just the Beginning, by Peter Zeihan

本書については2023年に書評を書いた。

本書は基本的に、(A)急速な高齢化と、(B)アメリカが国際安全保障の後見人としての役割から撤退すること、が組み合わさり、グローバル経済の大部分が崩壊するだろうと主張している。何百万もの人々が死に、経済は断片化して各地域に閉じこもり、重要な鉱物や水路が十分にない場所で人々が住まうことになり、他の天然資源も欠乏する。そんなことが起こると私は思わない。人類は資源の代替物を見つけたり、新しい集団安全保障体制を考え出したりするのが非常に得意だからだ。だがゼイハンの突き止めた課題は真正のものであり、これから生じる影響の(大きさに関してはともかく)方向性に関しては概ね筋が通っている。そのため本書は依然として、楽しんで読める興味深い本だ。

避けるべき本

ここからは「アンチ・リーディング」リストに入っていこう [6] … Continue reading 。リストは短く留めるようつとめるが、ポップ経済学本の中には、その考え方や議論がお粗末すぎて、普通の人が読んでも何も得られないだろうものがある。

ダロン・アセモグル、サイモン・ジョンソン『技術革新と不平等の1000年史』〔邦訳あり〕
Power and Progress, by Daron Acemoglu and Simon Johnson

本書については、かなりネガティブな長い書評を一年前に書いた。

ノア・スミス「『技術革新と不平等の1000年史』書評」(2024年2月21日) – 経済学101

一言で言うと、本書の主張は「ラッダイトは正しかった、自動化(オートメーション)は平均的な人々にとって惨事だ」というものである。この議論を支える歴史と論拠は非常に疑わしく、ただただ杜撰な部分もある。一方で著者の政策提案は、人間の労働を不要にする技術ではなく、人間の労働を補完するような技術に投資するよう、テック企業に強制するかインセンティブを与えるべきだ、というものだ(企業家やエンジニアが、その技術のもたらす帰結を前もって知っているとでも言うように)。本書は全体として全然信頼できないし、単なるテックブロへの恨み節に聞こえる。

デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』〔邦訳あり〕
Debt: The First 5000 Years, by David Graber

これが11年前というのは全く信じられないことだが、短期で激しやすいブロガーだった昔の私は、『負債論: 貨幣と暴力の5000年』を厳しく批判する記事を書いた。面白いのでちょっと引用してみよう。

『負債論』の大きな問題は、560ページある本を最後まで頑張って読んでも、著者が負債という現象に対して何を言いたいのかがさっぱり分からないことだ。〔…〕『負債論』は、乱雑で、散漫で、混乱した本だ。〔…〕グレーバーは負債というテーマについてだらだら語り続けている。〔…〕資本主義は腐った非人間的なシステムで、人間関係を壊し、暴力と欺瞞を報い、市場の残酷な論理に私たちを隷属させ、ついには惑星を破壊してしまう、のかもしれない。そうじゃないのかもしれない。だがいずれにせよ、こうした問題を負債という観点から捉えても大した洞察は得られない。

これほど上手い要約はもう書けないと思う。

ステファニー・ケルトン『財政赤字の神話』〔邦訳あり〕
The Deficit Myth, by Stephanie Kelton

この本は読んでないよ! 私がこの宇宙に存在し覚醒していられる時間は限られているから、MMTに関する336ページの本を読むつもりはない。知らない人のために言っておくと、MMTは擬似理論であり [7] … Continue reading 、政府赤字が安全な理由や、経済の実際の動き方を具体的に示すことなく、政府赤字を無限に推し進めようとする議論だ。『財政赤字の神話』は読んでいないが、MMTの論文はいくつか読んでおり、それで要点は十分理解できた。

ノア・スミス「現代金融理論 (MMT) を詳しく検討してみると」(2019年3月31日; 2021年11月20日更新) – 経済学101

ケルトンの本を読んだ経済学者は、みんな同じ結論に至る。MMTには実際にはなんの理論もない。フランス銀行の経済学者2人組は次のように言っている

全般的に見て、MTTは真正の経済理論というより政治的マニフェストに見える。ハートリー(Hartley 2020)が述べるように、MMTは「反証可能な科学理論ではない。むしろ、進歩主義的目的を果たすために無限の政府支出を行うのが正しい(そして可能だ)と考える人々の、政治的・道徳的な意見表明だ」。

カリフォルニア大学サンディエゴ校のジャコモ・ロンディーナ(Giacomo Rondina)は次のように述べている

MMTの学術文献を読んだ限り、MMTは未だ、政府介入のミクロ経済学についての十全に一貫した理論を提示していない。結果、MMTの「ボンネットの下を覗いた」マクロ経済学者の多くは、エンジンが実際にどう動いているのかを理解できず挫折感を抱かざるを得ない。

私よりもMMTのナンセンスな議論に我慢した勇敢な人々に敬意を表したい。いずれにせよ、私からの友好的なアドバイスとしては、私がやったようなことはせず、MMTのために精神的労力を使わないことだ。

スティーヴン・ ダブナー、スティーヴン・レヴィット『ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する』〔邦訳あり〕
Freakonomics, by Steven Levitt and Stephen Dubner

『ヤバい経済学』にとっては不運なことに、この数年は本書にとって良い状況ではなかった。この本を有名にした議論(中絶〔の合法化〕は、望まない子どもを育てるために犯罪を行う人の数を減らしたため、アメリカの犯罪率が大幅に下がった)は、誤っているらしいことが分かったのだ。他の経済学者が、この有名な中絶犯罪の研究におけるコーディングの誤りを発見し、結果が完全に無効になってしまった。著者らはそれでもこの結果は正しいと主張しようと、もっと込み入った方法を使いだしたが、そうした方法は特に信頼できるわけでも説得的なわけでもなかった。一方、本書のその他の章は経済学というより社会学や人類学の議論であり、経済学に関する章は、人目を引くが結局のところ大して重要じゃない結果が載っているだけだ。楽しく読める本だが、現在から見ると経済学の手引きというより過去の遺物という感じである。

References

References
1 訳注:ノア・スミス『ウィーブが日本を救うーー日本大好きエコノミストの経済論』(片岡宏仁、経済学101訳。日経BP)。2025/3/21発売予定。
2 原注:これは素人だけの問題じゃない。昔、ある政治学者に、政治学は経済学よりも予測を行う分野だと言われたことがある。彼が証拠として挙げたのは、ドナルド・トランプは悪い大統領になるだろうと予測した数名の政治学者の議論だった。
3 原注:あるいは、私が腐敗した闇の支配者に仕えていて、その支配者に対する致命的な脅威となるから、その本の存在自体を隠そうとしているのかもしれない。あるいは、あんまりにも目立たない本だから言及していないのかもしれない。いずれにせよ申し訳ない。
4 訳注:アングリスト&ピスケは『ほとんど無害な計量経済学』の著者。関連記事として以下。ジョシュ・アングリスト他「計量経済学の教え方」 – 経済学101
5 原注:先述のように、私はもうすぐこのテーマで本を書く予定だ。
6 原注:興味深いことに、ダメな本のほとんどは左翼的なイデオロギーのものでありがちだった。右派にもダメな経済的アイデアはたくさんある(金本位主義、ビットコインの経済理論の一部、MAGA式の保護貿易主義)。だがこれらのアイデアはポピュラー本に出てきにくいのだ(少なくとも私は聞いたことがない)。
7 原注:MMTは理論というより運動だ。この結社には、ウォーレン・モズラー、ステファニー・ケルトン、その他の人々がおり、支持者たちは彼ら彼女らの発言を真理のように受け取っている。当然の帰結として、MMTの見解を真に示す手引きはこうしたグルたちの発言だけとなり、部外者が独自に「理論」を解釈したり応用したりすることは許されない。
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