ダイアン・コイル 「シェリングお手製のレンズを通して経済を眺めると」(2016年12月30日)

トーマス・シェリングの『Micromotives and Macrobehavior』(邦訳『ミクロ動機とマクロ行動』)は、一人ひとりの行動(ミクロの行動)が寄り集まっていかなる集合的な結果(マクロの結果)を生むに至るかを考察している快著だ。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/24676361

トーマス・シェリング(Thomas Schelling)の訃報を耳にしてから、彼の著作を何冊か再読している。今日読んだのは、経済学の書の中でも私の一番のお気に入りのうちの一冊であり、学生にいつも薦めているあの本。そう、『Micromotives and Macrobehavior』(邦訳『ミクロ動機とマクロ行動』)である。タイトルからも察(さっ)しがつくだろうが、一人ひとりの行動(ミクロの行動)の合計がいかなる集合的な結果(マクロの結果)を生むに至るかが個々の間の相互作用を考慮に入れながら考察されている一冊だ。例えば、第7章――「ホッケーのヘルメット、サマータイム:二値選択モデル」――の冒頭では、ホッケー(アイスホッケー)の選手たちがヘルメットを自発的に被(かぶ)りたがらないのはなぜなのか――ヘルメットを被る方がずっと安全だと選手全員がわかっている場合でさえ――にメスが入れられている。

それぞれの選手は、ヘルメットの着用を求められてもそれを拒む気はないものの、誰も自分が一番手になろう(自分が真っ先にヘルメットを被ろう)とはしない。ヘルメットがプレーの邪魔になって相手(敵)よりいくらか不利になってしまうかもしれないし、相手(敵)から(「頭に変なの被ってらあ」と)揶揄(からか)われてしまうかもしれないからだ。その結果として、誰もヘルメットを自発的に被ろうとしないのだ。この例だけにとどまらず、外部性が存在していて選択肢が二つしかない [1] 訳注;ホッケーのケースだと、一人ひとりの選手の選択肢は、「ヘルメットを被る」か、「ヘルメットを被らない」かのいずれか。状況では、社会的に最適な(=みんなが得する)結果を実現するためには、一人ひとりに「合理的な」行動を強制する(法律やルールなんかで義務付ける)か、ある程度の人数が集まって結託する――ある程度の人数が一致団結して「合理的な」行動を実践し、聞く耳を持たない連中に圧をかける――かのどちらかが必要というのがシェリングの論だ。

本書を一旦読んでしまうと、何もかもをシェリングお手製のレンズを通して眺めずにはいられなくなる。「ドアを閉めよ」キャンペーン(Close The Door campaign)というのがあって、私の友人も一枚嚙(か)んでいる。イギリスの大通りに立地している店の中には、冬でも入り口のドアを開けっ放しにしているところがある。室内を暖めるために費やされるエネルギーが無駄になるだけでなく、店の商品が万引きされてしまうおそれが高まってしまうにもかかわらずだ。その理由は? 入り口のドアを閉めてしまうと、(入り口の)ドアを開けっ放しにしている隣の店に衝動買いのお客を奪われてしまうんじゃないかと恐れているのだ。この件で、私なりにビジネス・エネルギー・産業戦略省(の前身にあたる機関の一つ)だとかに掛け合ったことがある。どういう理屈で入り口のドアが開けっ放しになっているかを理解してもらい、どの店にも入り口のドアを閉めさせるように規制してもらおうとしたのだ。その時に話を交わした高官の一人――私もよく知っていて尊敬もしている経済学者――が次のように語ったのだった。「『市場の失敗』が起きてますかね? 入り口のドアを閉めるのが店にとって得になるようなら、とっくにドアを閉めておくはずでしょう?」。

『Micromotives and Macrobehavior』の第7章を読めば、答えが書いてある。すべての経済学者が目を通してくれたらと願うばかりだ。

Micromotives and Macrobehavior


〔原文:“The economy through the Schelling lens”(The Enlightened Economist, December 30, 2016)〕

References

References
1 訳注;ホッケーのケースだと、一人ひとりの選手の選択肢は、「ヘルメットを被る」か、「ヘルメットを被らない」かのいずれか。
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts