ジョセフ・ヒース「アメリカの多文化主義は矛盾を抱え込んでいる」(2023年9月23日)

アメリカでは人種的正義を求める闘いで公理となっているものは、現実的な解決策をなっておらず、逆に人種間の対立を世代をまたいで再生産してしまっている。
Multinational culture isometric composition with people of different races and nationalities in folk costumes vector illustration

しばらくアメリカに在住していたが、人種的正義を求める闘いで公理となっているものは、現実的な解決策となっておらず、逆に人種間の対立を世代をまたいで再生産してしまっていると思った。これをアメリカのリベラルは理解できておらず、多くの逆効果(マイノリティ・グループの一部を共和党の掌中に追いやっている等)を生んでいる。このエントリは、そう確信するに至った分析を極めて簡潔にまとめるのを目的にしている。他の場所や、今後のエントリで、この立場を裏付ける様々な論拠を示す予定だが、今回はひとまず、この私の見解がどのようなものか知ってもらうために、分かりやすく提示しよう。

アメリカの人種政治において、もっとも当惑させる要素であり、多くの白人アメリカ人を混乱させているのは、黒人コミュニティから一貫した、あるいは統一された一連の要求が発せられていないことにある。これは、アフリカ系アメリカ人が、単純に差別されることから逃れたい統合主義派と、独自のコミュニティ文化の促進と再生産に熱心な民族主義派に大きく別れているからだ。残念なことに、民族主義派は、伝統に基づく民族主義的運動の象徴をほとんど有していない(特に、分離独立や地域自治を要求していない)ため、アメリカ人は、黒人が何を要求しているのかわけがわからなくなっている。

断言は避けるが、アメリカのインテリはマタタビで引き寄せられるように民族主義派になってしまう。これは、アフリカ系アメリカ人のエリートの基本的な政治認識がほぼ一様に民族主義派であることに起因している。白人アメリカ人は、黒人コミュニティの「盟友」になろうと努力するため、(最も接触する)黒人エリートの要求を受け入れことになる。結果、白人アメリカ人は、下層階級や労働者階級の黒人と対立することの多い民族主義派の要求を受け入れ、2021年のミネアポリス市で起こったような奇妙な状況――市の黒人住民は圧倒的に反対していたにもかかわらず、白人住民は警察組織の縮小・廃止を支持しようとする状況を生み出す。

一方、アメリカの政治的認知において黒人と白人との人種対立の歴史は非常に大きなスペースを占めているため、アメリカ人は必然的に、あらゆるマイノリティ・グループの公平性の問題を人種というレンズを通して見てしまう。特に、ヒスパニックに関わる公平性の問題を、「黒人」という言葉に、「ヒスパニックもそうだ」と追加するだけで、対処できると考えている。ヒスパニックは、常に後付や付け足し処理される存在である。ヒスパニックが、独自の主張や利害関係を持つ集団とみなされることはほぼない。たとえば、アメリカの国勢調査では、ヒスパニックは「人種」や「人種グループ」として定義されていない〔「エスニシティ」グループとして定義されている〕にもかかわらず、日常的にヒスパニックは「人種」や「人種グループ」と表現され、この扱いに疑問を持つ人はほとんどいない。

アメリカ人は、あらゆる集団を白人と黒人の2つに分け、黒人以外のマイノリティを、アフリカ系アメリカ人ほど不遇をかこっていない黒人のように扱う傾向にあるため、アメリカでは、マイノリティが要求しているものは全て、黒人の要求とほぼイコールであると考えられている。これは大きな誤謬だ。なぜなら、黒人以外のマイノリティグループのほとんどは、比較的最近やってきた移民であり、民族主義的な感情を(ほぼ)有していないからである。黒人以外のマイノリティが求めているのは、現在の黒人エリートに圧倒的に不人気な、肌の色にとらわれない統合である。しかし、白人アメリカ人は、黒人エリートの要求に応じることに慣れているため、黒人以外のマイノリティに提供される便宜は、当人にとって無関心であるものか、要求から大きく乖離しているものばかりとなる。

この背景には別の要因も潜んでいる。アメリカ人は、黒人と白人の人種間での心理的葛藤劇にリソースが割かれているため、黒人以外のマイノリティの試練や苦難に関心や共感を割く余裕がほとんどなくなっている。相当にリベラルなアメリカ人でも、例えばベトナム人、シーク教徒、イスラム教徒の境遇には全く関心がない。中国系アメリカ人の友人がかつて私に言ってくれたことを(大雑把に言い換えるなら)、「アメリカでアジア人であることを理解するための基本は、誰もアジア人の問題には心底まったく関心がない」。アメリカで、黒人以外のマイノリティ(つまり黒人以外の有色人種)の境遇へのこうした感情的な無関心は、このマイノリティ・グループに極端な自立精神をもたらし、彼・彼女らは教育システムと労働市場から大きなリターンを得ている。結果、アメリカのアジア系女性の平均年収は、白人男性を上回っているにもかかわらず、アメリカは「白人至上主義」制度だと呼ばれるような、様々な矛盾を招いている。

これが、マイノリティを共和党に向かわせている大きな要因だ。アメリカのリベラルは、マイノリティが実際に要求しているものとは逆の、マイノリティがいかに特別で異質な存在であるかを強調し続けている。移民とその直系子孫のほとんどは、住民に溶け込み、法律や制度の基準が肌の色によって差異化されない恩恵以上のものを望んでいない。さらに、マイノリティは、自身の歴史的な苦境にはほとんど興味がなく、白人リベラルが真剣に受け取る唯一の憂慮――アイデンティティに基づく苦境の啓発にも特に熱心ではない。

最終的な帰結として、アメリカ人は、自身が無視しているグループを統合させることにある程度まで成功している(彼らは統合を構成するための振る舞いを演じる以外に選択肢がないからだ)。そして、本当に和解を求め、様々な方法で便宜を図ろうとしている一つのグループの統合に失敗している。

(繰り返しになるが、これは見解の簡潔な要約である。細かい部分に突っ込みたい人がいるなら、上記の各文章に「一般的には」というフレーズを任意に挿入してみてほしい。)

[Joseph Heath,“The paradox of American multiculturalism” In Due Course, 23 September, 2023]
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