人生をゼロサムゲームと見なす傾向は、政治的な対立を深めてしまう。本稿では、政治的なイデオロギーとゼロサム思考――誰か(どちらか一方の側)が得をするためには、他の誰か(残りの一方の側)が損をするしかないという考え――との関係を調べるために、6通りの実験(被験者の数=3223名)を行った。どういう結果が得られたかというと、リベラル派(左派)も保守派(右派)も、自分の信条を守るのに役立つようだとゼロサム思考に陥りがちなようだ。保守派は、変わりやすい世の現状について――あるいは、既成の秩序が崩れそうだと――ゼロサム思考に陥りがちな一方で、リベラル派は、変わりにくい世の現状について――あるいは、既成の秩序が強固になりそうだと――ゼロサム思考に陥りがちなようなのだ。すなわち、保守派は、社会面の格差――性差別や人種差別といった社会面の格差については、格差が縮小するというかたちでその時々の現状がしばしば掘り崩されている――についてゼロサム思考に陥りがち [1] … Continue readingな一方で、リベラル派は、経済面の格差―― 所得や富といった経済面の格差は過去何十年にもわたってほとんど解消されておらず、現状がほぼ固定したまま――についてゼロサム思考に陥りがち [2] 訳注;リベラル派は、「お金持ちは、他人を犠牲にして富を得ている」とかって考えがちということ。なのだ。本稿で得られた結果を総合すると、「対立」についての認識の面でリベラル派と保守派との間に重大な違いが存在する可能性がありそうだ。その違いは、米国における政治的な分断を理解する上でも、超党派で合意して法案を取りまとめるのが困難である理由を理解する上でも、何らかの示唆を与えるであろう。
シャイ・ダヴィダイ(Shai Davidai)&マルティノ・オンギス(Martino Ongis)の共著論文のアブストラクト(要旨)より。マット・グロスマン(Matt Grossmann)経由で知った論文だ。
〔原文:“The politics of zero-sum thinking”(Marginal Revolution, January 5, 2020)〕