アダム・トゥーズ「ドイツの財政健全化への執着は、有権者を極右の支持に追いやっている。近年のドイツの成功とされているものについて」(2023年10月9日)

民主主義国家が、こうした緊急、明白、十分に理にかなった要求に応えず、ナンセンスな財政健全化の原理を優先するなら、正当性を喪失してしまうのも不思議ではない。国家による自殺行為だ。

ドイツの政権与党SPD(ドイツ社会民主党)は、バイエルン州とヘッセン州の地方選挙で大敗した。この大敗は、今のドイツを覆っている雰囲気を示している。ドイツの各地域には固有の問題があるが、ヘッセン州とバイエルン州は、ドイツ連邦のジグソーパズルにおいて重要なピースであり、この2つの州で現首相のシュルツが率いる〔中道左派政党〕SPD(ドイツ社会民主党)は、〔極右政党〕AfD(ドイツための選択肢)の後塵を拝し、メンツが丸潰れとなった。

SPDは、ヘッセン州での健闘を見込んでいたのだが、AfDの18.4%に対して、15.1%という惨憺たる結果だった。金融の中心地フランクフルトを含むヘッセン州は、極右政治の長い伝統があるが、今回の結果によって、AfDは旧西ドイツ領域での最大の選挙結果を達成した。SPDは、バイエルン州では州都ミュンヘン以外で大きな支持を得られることはめったにないが、今回の得票率では8.4%にまで減少し、5位となった。Afdは14.6%だ。

ドイツでは、多くの要因から、右傾化や、現政府への憤りが募っていることは間違いない。本ブログの235回では、AfD支持者について、いくつかの世論調査を論じている。ドイツ全土で、AfDへの投票率は10~20%になっている。これは、根底にある感情を考えれば当然だろう。ドイツ人の約10~14%が、極右的な思想を表明している。これに、先行きの暗い経済状況、政府内の混乱した分裂、住宅市場での深刻な困難が拍車をかけている。

現時点での最も深刻な社会問題は、手頃な家賃のアパートが不足していることだ。これによって、既存の入居者にも不安が広がり、国の大部分で移住を考えている人の生活を悲惨なものにしている。こうした背景事情から、AfDが主に持ち出している移民問題に、共感が集まってしまうのも無理もない。

ファイナンシャル・タイムズ紙のコラムで、現政権と〔中道右派政党〕CDU(ドイツキリスト教民主同盟)に向けて、ドイツは社会的セーフティネットを修復し、良質で手頃な価格の住宅を増やすための公共投資と社会支出のプログラムを支持するように私は主張した。こうした投資を行わずに、現在実施しており、継続を義務化している移民の受け入れをドイツが行えばゼロサム的な分配闘争を招き、ゼノフォビア(外国人嫌悪)を助長するだろう。AfDの強硬支持派は、理性的な民主主義議論には「到達不可能」かもしれない。しかし、〔現政権と中道右派が〕基礎的な分配問題に対処しなければ、極右に傾倒していない有権者も、右傾化させてしまうだろう。

ドイツの生活水準は、政府債務で賄うべき公的支出で対処可能な赤字支出・歳出の不足によって芳しくない。赤字支出によって長期的な住宅建設政策を賄うべき理由は明らかだ。幼児教育への投資についても同じような主張をすることも難しくないはずだ。これは、より大きな社会的リターンを生み出すだろう。民主主義国家が、こうした緊急、明白、十分に理にかなった要求に応えず、ナンセンスな財政健全化の原理を優先するなら、正当性を喪失してしまうのも不思議ではない。国家による自殺行為だ。

真剣に取り組むべき民主主義的議論を無視していることで、ドイツモデルには一般的に無力感の雰囲気が漂っている。この雰囲気は、メルケル時代の修正主義的な見解と密接に関係しており、産業空洞化やEV革命への懸念、中国についての懸念事項とも結びついている。この〔無気力感の雰囲気の〕カクテルには、インフレ、生活費、中産階級(Mittelschicht)の衰退といった懸念が入り混じっている。

夏に開催されたトークイベントの最中に、突如気づいたのが、この手の悲観論が拡散されたことで、本当に最も緊急性の高い問題とは何かについての思考を妨げていることだ。ブログの222回で、ポリクライシス(複合危機)ブレインフォグとも呼ぶべき問題について論じた。

ポリクライシスは多発的な影響となっているため、「雰囲気」の観点から考えることに誘う。そのため、ポリクライシスという考え方そのものを疑い、感情的な要素に関心を当てることは、無根拠な考え方だと即断する人もいる。逆もまた然り。困難と危機が折り重なっている現状では、こうした感情的な瞬間を認識し、認めるべきだ。そして、政治に進歩をもたらし、実際に現前した問題に取り組みたいのなら、求められるのは正確さと同時に、ある種の冷静さ、不屈の精神、あるいは歴史との端的な比較の視点である。

こうした精神性から、個人的には必ずしも同意できないであろうベレンベルク銀行のチーフ・エコノミストであるホルガー・シュミーディングの論評を高く評価している。彼は広く引用されたニュース・レターを発表し、その中でドイツで起こっているのは危機ではなく、正常化であると指摘した。彼は、2000年代初頭の労働市場と福祉の再編がもたらした長期的な影響に焦点を当て、最近のドイツの成功を歴史的に丹念に説明している。むろん、彼は〔2005年に施行された生活保護と失業手当の統合政策〕ハルツ・フィアⅣ [1] … Continue reading を称賛している。合理的根拠から、このハルツ・フィアⅣ政策に対して「改革」という言葉を使うのを私はなるべく避けている。

シュミーディングは主張するにあたって、ドイツでは労働参加率が急上昇していることを示す説得力ある図表を示している。

ドイツの労働参加率はヨーロッパの平均を大きく上回っている。

これは、他のヨーロッパ諸国よりも多くの女性と高齢者を労働力に組み込んだ結果だ。

シュミーディングは以下のように指摘している。2002年代初頭に行われた変革から得られた利益は〔女性・高齢者の労働参加による〕一過的なものであり、永遠に続かない。そのうち、他のヨーロッパ諸国も〔同じような変革によって〕「キャッチアップ」し、ドイツの優位性は失われるだろう。しかも、ドイツ・モデルは限界に達している。労働力を増やそうにも、余剰労働力はほとんど存在しておらず、人口動態的な減少は進行中だ。よって、移民が大きなイシューとなっている、と。

一般論だが、この「ドイツの例外さ」が終焉するとするシュミーディングの歴史的評価は、非常に多くの論者によって喧伝されているドイツ危機論よりも、状況の適切な解釈になっているように思われる。これは、〔ドイツの新聞〕ハンデルスブラット紙での長いインタビューで私が述べたコメントと同じ考え方だ。〔ドイツ経済・政治の例外的な反映は終焉を迎え、他国と同じ問題を抱えるだろうとする〕「ノーマライゼーション(正常化)」はちょっとした流行語になっている。

なので、個人的な感情としてはシュミーディングに同意できる。ファイナンシャル・タイムズ紙に記事を寄せた際に、新聞の他のコメンテーター2人に倣って、シュミーディングを議論を、記事の基軸の一つにしている。

空港のラウンジで草案を書き上げながら、「たしかに、シューレーディングの労働市場参加についての主張は説得力がある。彼の示した〔ドイツにはもう投入できる労働力がないとする〕成長会計が正しいことを願うし、おそらく正しいのだろう。シューレーディングは真摯な男だ。誰もが彼の論文を引用している…」と思ったのを覚えている。

ところが!

ファイナンシャル・タイムズ紙での私の記事が発表された日、親友にして不屈の調査報道のジャーナリストであるハラルド・シューマンから長いメールが届いた。「アダム、ファイナンシャル・タイムズ紙の君の記事を大変気に入ったよ。住宅や移民については全面的に同感だ。しかし、〔シューレーディングの〕成長会計は間違えているよ。2000年代初頭の労働市場対策は、総労働力供給を増やさず、何百万もの人々を行き詰まったパートタイムの仕事に追いやっただけだ。労働は再分配され、労働者に不利となるように薄く広がったんだ」と。

やらかしたかもしれない。自分で確認すべきだったのだ。ドイツで何が起こっているのかを。

ハラルドの指摘は完全に正しいことが分かった。ハラルドが同僚のエリサ・シマントケがターゲス・シュピーゲル紙で報告し、クリスチャン・オデンダールが2017年にCER誌の優れた記事で示したように、「ドイツの労働市場の奇跡」とされている話の大部分は神話にすぎない。

労働市場参加率の数値は荒っぽいものであり、これを総労働力投入の代替指標として使用すれば、非常に誤解を招いてしまう。1990年代後半から2010年代にかけて、ドイツではフルタイムの雇用は減少し、パートタイムや自営業が激増している。全体として、労働投入量を2010年代と2000年を比較すると、横ばいであり、1990年代前半との比較では減少している。標準的な労働形態と対照的な、柔軟化された雇用形態については、様々な意見があると思う。それでも、雇用形態の柔軟化が格差を拡大したのは間違いなく、全体的な労働投入量も増加してもいないため、ドイツのGDP成長の主要な原動力になりえてきていない。

以下に、『Journal for Labour Market Research(労働市場調査ジャーナル) 2016年版』に掲載されたスーザン・ワグナー、ローランド・ウェイグランド、イネス・ザップによる報告「ドイツにおける労働時間の測定」から引用しよう。

しかし、2020年代と2010年代の単純な比較に終始してしまうと、2000年代なかばのドイツの雇用市場危機というどん底を見落としてしまう。

1990年代後半から2006年にかけて、ドイツの正規雇用は真の危機に見舞われた。雇用者数もほぼ25%減少した。その後、雇用者数はこの非常に低い水準で横ばいとなった。自営業においても同じく、労働時間は減少し、横ばいとなった。ハルツ・フィアⅣによる労働市場への対処で、功績となっているのは、成長を促進した「勤勉化革命」というよりも、安定化である。正規雇用部門の労働時間が定位で横ばいとなるにつれて、多くの人の非正規雇用への吸収が進んだ。これは、経済の総労働投入量を2000年の水準にまで回復させる効果をもたらした。これにより、失業者として分類され、それによってスティグマを着される人の数は減少した(ただし、この〔ハルツ・フィアⅣによる〕変更は、最も恩恵を受けられる人々へ寛大な給付も減少させている)。総体としては、シュミーディングのデータが裏付けられているように、多数の女性を含む人口の前例のない規模の割合が、何らかの形で労働に参加するようになった。

これらは非常に興味深い観点であり、ヴォルフガング・シュトレークによる『資本主義はどう終わるのか』の社会思想の一面についての理解を深めるのに役立つ。シュトレークと私では、多くの点で意見を異にしているが、彼の意見で特に印象的なのは、「労働志向社会」、つまり“Arbeitsgesellschaft(労働社会)”への批判だ。シュトレークは、女性が労働力に組み込まれることに批判を行っているが、この批判は明らかに、1990年代から2010年代にかけてドイツでの劇的な〔労働を巡る〕変化に対して行われており、シュトレークはこれを教えてくれた。

その意味するところは何か? 明らかに、シュミーディングが示唆するほどに、労働力〔参加率や人口動態〕はドイツの経済成長を阻害する要因になっていない可能性だ。適切な訓練、育児支援、適切な場所に適切な住居があれば、不安定な短期労働から、もっと高賃金で安定したフルタイムの仕事にシフトすることを歓迎する人はたくさんいると思われる。

ドイツ経済に足かせをはめているのは、労働供給ではない。教育、住宅、支援的な社会サービス、雇用保障といった、人への投資をサボっていることが制約となっている。これは良いニュースであり、ドイツの政党の政府債務と公的投資を巡る行き詰まりを乗り越えるべき出番が回ってきたことを意味している。

ドイツで政治が袋小路に嵌っている大きな背景には、巨大な階級的な利害が関係しているのではないかと考える前に、ケルンにあるドイツ財界による経済研究所IWを調べてみてほしい。研究所のチーフ・エコノミストのミヒャエル・ヒュッターは、ドイツにおける大規模な公的投資を訴える代表的な論者の一人だ。どのような投資を行うかについては、意見が分かれているかもしれない。しかし、〔財政赤字による公的投資を行うべきという〕基本的な提案については、実際には主要な利益団体の間でも意見が一致している。これは、まさにケインズが「泥沼」と呼んだ、社会の調整・組織化・動員・説得が失敗した結果生じた自縄自縛的な事例となっている。これは、真正に政治的な問題だ。

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重要な訂正を寄せてくれたハラルドに非常に感謝している。本コラムでの返答によって、他の人もハラルドの見解に依拠することを願っている。私を正し、複雑な世界についての一般的理解を深めるために是非ともメールを送ってほしい。これは、手厳しい質問を抑圧しないようにする自己への戒めでもある。私の主張が乱雑だと思ったら、是非とも修正を!

〔Adam Tooze, Chartbook 242: What is wrong in Germany? And an (interesting) correction, 2023/12/9.〕

References

References
1 訳注:『ハルツ・フィアⅣ』は、生活保護と失業手当を統合する等の処置によって、労働参加率を高めようとした政策。生活保護による永続的な失業を減らし、総労働者を増やすことで近年のドイツモデル成功の一因となっている、とした肯定的評価もある。一方で、政策のワークウエア的な意図に対してネオリアリズム的な政策と批判する評価もある。また、非正規雇用者・短時間労働者への潤沢な給付・住宅援助政策を行ったことで、非正規雇用に留まり続けるインセンティブが産まれ、労働者間での分断を招いたとする批判も存在している。
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