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ジェームズ・ハミルトン「ピケティへの批判」

James Hamilton”Criticisms of Piketty” (Econbrowser, May 25, 2014 )


トマ・ピケティの新著「21世紀の資本論」について、多くの議論がなされている。批判については賛同できる部分もあるし、そうでないところもある。

ここ最近槍玉にあげたのはクリス・ジルスで、ピケティが公開しているデータとスプレッドシートに「一連の問題とエラー」を発見した。ポール・クルーグマンは次のように反応している

ジルスはいくつかの明らかな間違いを発見しているが、それはそんな大したものじゃないように思える(略)

でも、財産格差が上昇しているというピケティの全体としての命題が間違っているということはあるんだろうか。そんなわけない。そしてジルスがそんな結論に達しているという事実は、彼自身が何らかの間違いを犯しているという強力な印でもあるんだよ。

この推測についてクルーグマンは正しいのではないかと思う。一つのスプレッドシートの一つのエラーは、近年の世代では所得と財産の格差が上昇してきているという結論を反証するものではない。ピケティ以外の多くの優れた情報源からも、この結論についての豊富な証拠があるのだ。

もちろん、上記の最初の一行にある「ジルス」を「ハーンドン、アッシュ、ポーリン1 」に置き換えたとしても、クルーグマンは正しかっただろう。クルーグマンによるピケティの擁護と、彼がラインハート=ロゴフ批判先頭に立ったときの熱意との対比は面白い。しかしこの2つの論争双方において公正な要約を行っているジャスティン・ウォルファー([1], [2])には称賛を。

ピケティの命題に対するもっと有力な批判は、彼の減価償却の扱いに関するもので、ラリー・サマーズマット・ランリーによって提起された問題だ。放置すれば時とともに増大する減価償却費に対処する必要性は、ほとんどの経済モデルにおいて安定成長経路を縛り付ける鍵となる要素であり、資本主義経済の本質的な不安定性というピケティの主張について私が困惑する理由の一つでもある。

ピケティ本の168ページにおいて、読者は「資本主義の第二基本法則」を紹介される。それによれば資本/所得比率をβ、貯蓄率をs、経済の全体成長率をgとした場合、β = s/gとなるという。この「法則」の興味深い帰結としては、経済が成長していない場合(g = 0)にはβは無限大とならなければならないという主張であることを頭に入れておこう。

こうした結論に達するために、ピケティは(174ページで)貯蓄率 s を純投資と純所得の比率と定義しており、ここでいう「純(net)」は減価償却控除後という意味でのの”純”だ。こうした定義の下で、なぜ彼の「第二基本法則」は成長の無い状況で無限の資本/所得比率を必要とするのかを見るために、ロバート・ソローがピケティ本への好意的な処方の中で示した数字の例を以下のように少々いじったものを考えてみよう。GDP=100ドル、減価償却率10%、純貯蓄率10%、資本ストックは100ドルという経済を考える。年間減価償却は10ドルで、これを100ドルのGDPから差し引くと純所得は90ドルとなる。経済はこの純所得の10%(あるいは9ドル)を貯蓄するとされており、総投資は19ドル、つまりGDPの19%となる。粗投資が減価償却を上回るため、他に生産性や人口の成長の源がない場合においても資本ストックは成長する。したがって100ドルの資本ストックは、この経済の定常状態と整合的になるためには低すぎるということだ。

これと同じ初期条件(100ドルのGDP、10%の貯蓄率と減価償却率)に、今回は500ドルの資本ストックを仮定してみよう。年間減価償却は50ドルとなり、純所得は残りの50ドル、ここから経済は再び10%、5ドルを貯蓄し、粗投資は55ドルでGDPの55%となる。しかし資本ストックに5ドルの純減価償却を加えたため、この初期条件の場合において資本ストックは依然として成長する。したがって500ドルはこの経済の資本ストックの数字としてはまだ低すぎるのだ。

GDP100ドルで10%の貯蓄率と減価償却率の経済にとって、定常状態の資本ストックは結局のところ1000ドルだ。この水準において減価償却は100ドルで、純所得がゼロとなるために誰もこれ以上の純投資を行えない。GDPの100%が粗投資へと向かうが、これは減価償却をちょうど賄うだけであるために資本ストックは1000ドル以上には上昇しない。残念なことに、資本家やそれ以外の誰にとっても100ドルのGDPから消費できるものは何も残っておらず、全員が飢えることになる。純所得を完全にゼロまで引き下げてしまったために、資本ストックと純所得の比率は無限大だ。

これこそ、ピケティの法則が定常状態における資本ストックの純所得に対する比率は無限大になると予測するメカニズムだ。成長率g=0であるとき、ピケティの言うところの資本家は純所得がゼロでとなり、今や無であるものの10%を律儀にもいまだ退蔵するところに至るまで、自らを極限状態に保つのだ2

これらの数字を考えることで、所得や資本ストックの水準に関わらず一定の純貯蓄率を仮定することは、現実世界の現実の人々がするだろう決定をうまく特徴づけたものとはならないということが理解できるはずだ。

より妥当で標準的な仮定(とは言っても貯蓄決定をある種の合理的計算の産物であると考えることによって、依然として容易に改良可能なもの)は、総貯蓄率 s* が一定であるというものだ。この代替的な仕様の下で定常状態を適切に表現すると β = s*/(g + d) となり、ここで d は減価償却率だ。例えば、 g = 0の時にGDPが100ドルでs* と d の両方が10%である場合、 経済は100ドルの資本ストックで定常状態となる。減価償却は年間10%で、粗投資は毎年の減価償却をちょうど賄い、経済は成長せず、どの変数も時とともに変化する理由は何もない。しかし嬉しいことに、人々には毎年持続的に90ドルが消費できるものとして残される。これはいささか退屈ではあるが、成長のない経済はどのようなものでありうるかということについてずっと妥当な考えである。

しかし財産蓄積の力学にとっての減価償却が意味するところをうまく特徴づけたものは、ピケティ本のように多くのコメンテーターの注意を引くことはなかっただろう。

  1. 訳注;ラインハート=ロゴフによるスプレッドシートの誤りを発見した論文の著者。 []
  2. 訳注;毎年の減価償却=GDPとなるところまで資本ストックを積みまし、その過程で純所得は減っていき最終的にはゼロとなる。 []

Comments

  1. 翻訳乙です。なお、「net of ~」は「~を差し引いて」という意味です。つまり、”ここでの純概念は減価償却控除後という意味だよ”、ということをハミルトンは言っているわけです。

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