ポール・クルーグマン 「ポール・サミュエルソン ~比類なき経済学者~」(2009年12月15日)

●Paul Krugman, “Paul Samuelson: The incomparable economist”(VOX, December 15, 2009)


ハリネズミがいて、キツネがいて、そしてポール・サミュエルソンがいる。

ご存知だとは思うが、アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)が思想家を二つのタイプに分けていて、それを持ち出しているのだ。キツネタイプの思想家はたくさんのことを知っている。その一方で、ハリネズミタイプの思想家はデカいことを一つだけ知っている・・・というやつだ。経済思想家としてのサミュエルソンを人類史上比類なき存在たらしめているのは、彼がキツネでもありハリネズミでもあったという事実にある。デカいことをたくさん知っていたのだ。それらを僕らに教えてくれたのだ。サミュエルソンのようにたくさんの独創的なアイデアに恵まれた経済学者というのは、他に見当たらないのだ。

Google Scholar の助けも少しばかり借りて、サミュエルソンが知っていた(思い付いた)「デカいこと」を以下にいくつか列挙してみるとしよう。「いくつか」と断ったのは、網羅し切れないのがあまりにも明らかだからだ。ともあれ、8つ――8つだって!――だけ選んでみた。どれもこれもその後に膨大な数の後続研究を生み出すきっかけになった偉大な洞察だ

1.顕示選好(Revealed preference:1930年代に消費者理論の分野で革命が起こった。消費者の選択を説明するには限界効用逓減の法則だけじゃ足りないことがわかってきたからだ。「あの人はAもBもCも選べたのに、BでもCでもなくAを選んだのは、Aが三つの中で一番好きだからに違いない」という単純な命題から実にたくさんの含意を導き出せることを教えてくれたのは、サミュエルソンだった。

2.厚生経済学(Welfare economics: XとYという二つの資源配分を比べて、Xの方がYよりも望ましいというのはどういう意味なんだろうか? サミュエルソンが登場するまでは、その意味するところが曖昧なままに放っておかれていて、所得分配についてどう考えたらいいのか五里霧中の状態だった。「倫理的な観察者」(ethical observer)による再分配という発想を導入して、社会厚生(social welfare)という概念を筋道立てて理解するにはどうしたらいいかを教えてくれたのがサミュエルソンだった。それと同時に、現実の世界において社会厚生という概念が限界を抱えていることを教えてくれたのもサミュエルソンだった。 現実の世界には、倫理的な観察者なんていないからだ。

3.貿易の利益(Gains from trade: 国際貿易は利益をもたらすというのはどういう意味なんだろうか? いつだってそう言えるんだろうか? これらの問いについて考えるための出発点になっているのが、「貿易の利益」についてのサミュエルソンの分析だ――その土台になっているのが、①の顕示選好の方法と、②の社会厚生についての分析――。「市場の歪み」についてのバグワティ(Jagdish Bhagwati)やジョンソン(Harry Johnson)の分析も、デアドロフ(Alan Deardorff)による比較優位の一般化も、この方面のどれもこれもがサミュエルソンの洞察に負っているのだ。

4.公共財(Public goods: 特定の財やサービスが政府によって供給されなければならないのはどうしてなんだろう? 市場に供給を委ねるのが適している財(その数はごく限られている)とそうじゃない財の違いはどこにあるんだろう? これらの問いについて考えるための扉を開いたのが、サミュエルソンが1954年に書いた「公共支出の純粋理論」(“Pure theory of public expenditure”)だ。

5.生産要素の賦存比率と国際貿易(Factor-proportions trade theory:生産要素の賦存状態と比較優位との関係について語るにしろ、国際貿易が所得分配に及ぼす影響について心配するにしろ、1940年代と1950年代にサミュエルソンが手掛けた研究がその根拠になっている。サミュエルソンは、オリーン(Bertil Ohlin)&ヘクシャー(Eli Heckscher)の曖昧で混乱気味のアイデアを磨き上げて、切れ味鋭いモデルを組み立てた。そのモデルは、その後の一世代にわたって国際貿易理論の分野で支配的な地位を占めることになったし、現代の貿易理論の重要な構成要素の一つであり続けている。

6.為替レートと国際収支(Exchange rates and the balance of payments:ここでちょっと個人的な話をさせてもらいたいと思う。国際貿易について研究している学者の大半は、為替レートや国際収支の問題について語ろうとすると、話の筋を見失ってしまいがちになる。これまでにも何度か指摘したことがあるが、国際貿易という実物経済を研究対象にしている学者は、(貨幣的側面を研究対象にしている)国際マクロ経済学をブードゥー(いかさま)経済学と見なす一方で、国際マクロ経済学を研究している学者は、国際貿易論を退屈で現実との関わりが薄い学問と見なす傾向にある (機嫌が悪い時には、どちらの言い分も正しいと言って済ませている)。 僕がそのような対立から自由になれたのは、1977年に書かれたドーンブッシュ&フィッシャー&サミュエルソンの共著論文を読んだおかげだ。リカードの貿易理論に分析が加えられているこの論文では、国際貿易論と国際マクロ経済学を融合するにはどうすればいいかが示されている。為替レートと国際収支を結び付けて論じるにはどうすればいいかが示されている。「貿易の利益」が発生する可能性だけでなく、失業が発生する可能性も同時に考慮するにはどうすればいいかが示されている。

後になって知ったのだが、サミュエルソンが(国際貿易論と国際マクロ経済学の融合という)この課題を解決するためのとっかかりを掴んだのは1977年の共著論文よりもずっと前に遡るようだ――1977年の共著論文での整然とした定式化が最後の一歩を踏み出すのに役立ったようだけれど――。サミュエルソンは、1964年に「貿易問題に関する理論的覚書」(“Theoretical notes on trade problems”)と題された論文で次のように述べている。「雇用量が完全雇用の水準を下回っていて、国民純生産が最適な水準にないようなら、通常であれば間違っている重商主義的な議論のどれもこれもが妥当性を持つようになる」。これに続けて、『経済学』の当時の最新版(第6版)の付録で「通貨の過大評価が自由貿易擁護論者にとって面倒な問題を引き起こすことを指摘している」と述べている。完全雇用を達成するための方法としてサミュエルソンが提示したのが貿易の制限・・・ではなく、通貨の過大評価を終わらせること(為替レートの切り下げ)だった。サミュエルソンは、まっとうなマクロ経済政策こそがまっとうなミクロ経済政策を可能にする前提条件だと見なしていたわけである。この点については、後でも論じるとしよう

7.世代重複モデル(Overlapping generations:サミュエルソンが1958年の論文で提唱した世代重複モデルは、社会保障だとか家計の債務だとかあれやこれやについて考えるための基礎的な枠組みを提供している。世代重複モデルを欠いたマクロ経済学というのを想像するのは難しい。

8.ランダムウォーク仮説(Random-walk finance:将来を見据えた投資家たちの行動が資産価格のランダムな変動を生むことを証明したのもサミュエルソンだ。現代のファイナンス理論の多くの出発点になっている洞察だ。

先にも述べたように、挙げようと思えばもっと挙げられるだろうが、これら8つの「デカいこと」のどれであれ、それ単独でサミュエルソンの名を偉大な経済学者として歴史に刻むのに十分だっただろう。こんなにたくさんの「デカいこと」をやってのけた経済学者は、サミュエルソン以外に誰一人として――誇張でも何でもなく、本当に誰一人として――いなかったのだ。

その秘訣は何だったんだろう? 誰よりも頭が良かったというのも勿論あるだろう。でも、それだけじゃなくて、他にも秘訣があるんじゃないかと思う。二つくらい。

一つ目は、「遊び心」だ。サミュエルソンの文章を読んでいると、堅苦しい論文を書き上げるために机の前に座している姿ではなく、楽しみながらアイデアを紡ぎだしている姿が思い浮かんでくる。遊び心が洗練されたおふざけのかたちをとることもある。例えば、先にも触れた1958年の論文(世代重複モデルが提唱されている論文)の注9を見てみるといい。こう書かれている。「確かに(Surely)、“確かに”(“surely”)という単語から始まる文の最後がクエッションマークで終わるというのは、普通であればあり得ないことである? しかしながら、一つの論文には一つのパラドックスで十分なのであって・・・(略)・・・」。遊び心があったからこそ、想像力(imagination)が解放されたし、創造力(creativity)が刺激されたと思われるのだ。

二つ目は、現実に根をおろそうと常に心掛けていたことだ。サミュエルソンは、大学という象牙の塔に閉じこもらずに、現実の出来事や現実の政策に強い興味を示し続けた。それに加えて、株式投資にも手を出した。理論が現実から遊離しないように心掛けていたのだ。

最後になるが、サミュエルソンが経済政策の理論の面で果たした偉大な貢献――いわゆる「新古典派総合」――について触れるとしよう。サミュエルソンは、大恐慌の赤ん坊(Depression baby)として知的修練を積んだ。サミュエルソンが学生として学んだのは、大量の失業が発生した大恐慌の真っ只中だったのだ。彼が執筆したテキスト――『経済学』――は、ケインジアン流の思考法を世の中に広めた。サミュエルソンが生涯を通じて決して忘れなかったように、市場は時にひどい機能障害に陥る可能性がある。そうだとすると、市場の利点を説く経済理論を現実に当てはめるにはどうしたらいいのだろうか?

まっとうなマクロ経済政策ありき、というのがサミュエルソンの答えだった。まず何よりも、金融・財政政策を使って完全雇用を達成しなければいけない(僕もあちこちで指摘してきたが、サミュエルソンは、今日の状況を予見していたかのように金融政策の限界を認識していた)。為替レートを調整して価格競争力を維持しなければいけない。そうしてはじめて市場の利点が発揮され得るというわけだ。

現代の経済学者のあまりにも多くが忘れ去ってしまった教訓だ。完全競争市場モデルの美しい数学的外観に見惚れてしまっているうちに忘れ去られてしまったのだ。市場はデカいことをやり遂げられる仕組みではあるが、政府による積極的な介入によってサポートされる必要があるというサミュエルソン流の現実主義が、今日ほど求められている時期は他にないだろう。

比類なき経済学者であるポール・アンソニー・サミュエルソンを称えようじゃないか。彼に比肩し得るような経済学者はこれまでに現れなかったし、今後も決して現れないだろう。

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