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アレックス・タバロック「どうして性差別と人種差別は減っていかないんだろう――誰もが性別差別も人種差別もあまりやらなくなってるのに」

[Alex Tabarrok, “Why Sexism and Racism Never Diminish–Even When Everyone Becomes Less Sexist and Racist,” Marginal Revolution, June 30, 2018]

概念は参照クラスしだいでちがってくるという考えはべつに新しくもない.背の低いバスケ選手は背が高いし,貧しいアメリカ人はお金もちだ.とはいえ,青い点はとにかく青い点だろ,と思ったことがある人はいるだろう.青色は波長で定義できる.だから,青いかどうかの線引きにはあいまいなところがあるにしても,「背が低い」「お金もちだ」といった相対的概念とちがって青い点の背後にはなんらかの客観的な現実がある,というわけだ.ところが,Levari, Gilbert, Wilson, Sievers, Amodio & Wheatley のオールスター研究チームによる Science 掲載論文が実に思考を触発する報告をしている.ぼくらが青だと判定する範囲は,青の刺激出現率 [prevalence] が低下するのにともなって拡大していくんだそうだ.

たとえば,下記の図を見てほしい.著者たちは被験者に点が青色か紫色か判定してもらうよう頼んだ.左側の図を見ると,客観的な色合いが深い紫から深い青に変化していくと,点の色を青いと判定する人が増えていく.これは予想どおりだ.(最初の試行200回と最後の試行200回から,時間とともに判断が変化する傾向はないのがわかる.) ところが,右側の図を見ると,終盤の試行200回で青い点の出現率がだんだん減少していき,それとともに,点を青いと判定する傾向が劇的に強まっていく.右側の強度減少条件のもとでは,それまで〔色を判定してもらった試行のうち〕 25% でしか青いと判定されていなかった点が実に 50% で青いと判定されている.(図の見方:いちばん下から上に向かって見ていきながら,黄色と青色の予測ラインを比べてみてほしい〔ヨコ軸は点の客観的な色を示し,その点が試行の何パーセントで「青い」と判定されたかをタテ軸が示している;刺激を一定にした条件のA図を見ると,最初の200回の試行(青)と最後の200回の試行(黄色)で色の判定が変化していないことが読み取れる.他方で,B図を見ると,紫よりのゾーンでも青い線と比べて黄色い線が上にシフトしている.つまり紫っぽい色も最初の200回の試行と比べて最後の200回の試行で青と判定される割合が増えているのが読み取れる.〕)

「なるほどなるほど.で,だからなんだって?」 ここからさらに議論を進めて著者たちが示しているのは,これと同じ現象はもっと複雑で一定不変であってほしいとみんなが思いそうな概念にすら,これと同じことが起きるんだそうだ.

出現率の変化で誘発される概念変化はあるのだろうか? この疑問に答えるべく,我々は7件の研究で被験者に刺激を定時し,それぞれの刺激がある概念の実例に該当するかどうかを判定してもらった.概念は単純なモノ(「この点は青いですか?」)から複雑なもの(「この研究提案は倫理的ですか?」)まで幅広くそろえた.被験者にしばらくこの判定をやってもらったあと,概念の出現率を変化させて,その概念の範囲が拡大するかどうかを計測した――すなわち,それまでは除外されていた例もその概念に該当すると判定されるようになるかどうかを調べた.

(…)〔客観的に見て〕青い点がまれにしか出現しなくなるにつれば,深い紫の点が青く見えはじめる;おそろしげな表情がまれにしか出現しなくなるにつれて,中立的な表情がおそろしげに見えはじめる.非倫理的な研究提案がまれにしか出現しなくなるにつれて倫理的かどうかあいまいな研究提案が非倫理的に見えはじめる.事例の出現率が急に変化した場合にも事例の出現率が変化しますと被験者たちに伝えておいた場合にも,こうした変化を無視するよう対価を払って被験者たちに頼んでおいた場合にも,こうした変化は起こる.

こうした実験結果が今後再現されると仮定すると,ここからいくつもの含意が導き出される(著者たちがやった7件の研究は独立しているようにぼくには思える.もっとも,1つ1つの研究は小規模で(20~100名),しかも被験者はハーバードの学部生を使っている.)

(…)1960年に出たウェブスターの辞書では “aggression”(襲撃)を「いわれのない攻撃・侵略」と定義している.ところが,今日この概念に含まれる行動には「〔会話相手に〕十分にアイコンタクトをしないこと」や「相手に出身地をたずねること」まである.虐待・いじめ・精神疾患・トラウマ・中毒・偏見といった他の概念も同様に拡大している.

(…)多くの組織・団体は非倫理的研究からいわれなき襲撃までさまざまな社会問題の把握につとめ,その出現率を下げようと鋭意努力している.だが,我々の研究からは,そうした善意の行いにつとめている人々も,ときに自らの努力が成功していることを認識できていないかもしれない可能性が示唆される.単純に,彼らの努力によって文脈から問題が減少してくなかで〔それまで該当しないと判断されていた〕新たな事例が見えるようになるためだ.貧困から読み書きの不自由,暴力,乳児死亡率まで,多種多様な問題を現代社会は解決してめざましい進歩を遂げてきた.それにも関わらず,大多数の人々は世の中が悪くなっていると思っている.事例の出現数が少なくなっていくとともに概念が拡大する事実は,そうした悲観論をもたらす源泉の1つかもしれない.

論文では,「オーバートンの窓」の変化についてもっと明晰に考える方法も提供している.たとえば,強い性差別が減少すると,オーバートンの窓は片側では縮小しつつもう片側が拡張していき,これによっていままで性差別だとはまったく思われていなかったものもすさまじい性差別に該当するようになる(e.g. 「男女で優先事項が異なることで職業選択のちがいが説明されるかもしれない」〔というアイディアを述べることも性差別発言として炎上ネタになったりする〕).

ニコラス・クリスタキスと恐れ知らずのガブリエル・ロスマンが Twitter でこう指摘している(下記のキャプチャ画像を参照)――これは逆方向にも機能する.つまり,極端なものが目に見えて存在すると,厳しい非難を浴びる恐れなく議論したり研究したりできる問題の集合は拡大し,極端なもの以外の事例が中央に近づく.

クリスタキス:もう何年も @DanTGilbertに話してきたこの卓抜で優美な研究を踏まえると,非倫理的な研究の割合は過去30年間でゼロ寸前にまで減少してるのに治験審査委員会 (IRB) が問題視する研究提案の割合がずっと一定なワケが説明できるね.
ロスマン:そんじゃクジ引きしようか.ハズレを引いた奴はムカデ人間監獄実験を提案すること.そうすれば〔Amazonの〕メカニカルタークに「好きな色はなあに?」って訊ねるたぐいの他のみんなの研究は審査が迅速に終わるようになる.

けど,どうして基準が時間とともに変化するようになってるんだろう? 1850年代には人々の大半が奴隷制をいまわしいものと考えていたのに,その同じ人々が,人種間の婚姻を拒絶していた.妻を殴打するのが暴力犯罪だと考えられるようになったのはごく近年になってのことだ.人種差別や性差別が意味するものは時間とともに変化してきた.こうした概念の例は進歩なのだろうか,それともいきすぎなのだろうか? ぼくとしては進歩だと主張したいけれど,Levari et al. による青い点の実験を踏まえると,客観的な概念ですら出現率の変化に誘発されて変化してしまうのだから,まして主観的な概念なら間違いなく変化するだろうと考えられる.そこで問題なのは,進歩をさまたげることなく進歩を進歩と認識し,しかもたんに判定基準が変化しただけなのに進歩などなされていないと思い込むあやまちを避けることだ.


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