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サイモン・レン・ルイス「なぜBrexitは新自由主義的なのか」(2018年8月24日)

●Simon Wren-Lewis, “Why Brexit is a neoliberal project” (mainly macro, Friday, 24 August 2018

一般的に、新自由主義と言えば市場を礼賛しグローバル化を促進するといったビジネスサイドに立つ考え方のことだ。Brexitはイギリス企業の市場規模を小さくするのでグローバル化とは逆の動きになる。よってイギリス財界の多数が望むというものではないはずなのだが、実はBrexitは新自由主義的と言えるのだ。どういうことだろうか?

良い出発点は、自由貿易とは何かについての議論に戻ることである。ほとんどの人と、そして間違いなくほとんどの経済学者は、自由貿易は「貿易をする自由」を意味していると考えるだろう。この定義に従えば、企業が多くの国においてはるかにより容易に貿易することを可能にする国家間に渡って規制を調和させることは自由貿易を増大させている。理想は単一市場であるが、それはEUが財および多くのサービスについて達成したものである。

多くの新自由主義者はそのように考えるだろう。しかしそうでない新自由主義者は自由貿易をいかなる種類の政府の介入からも自由という意味とみなすだろう。単一市場は、そのルールや規制が破られているか否かを判断する法廷があるので、その意味では自由ではないように思われる。彼らの理想はあらゆる種類の国家規制から可能な限り自由な貿易となる。彼らは、調和のとれた規制ではなく最小限の規制を欲しているのである。

もし自由貿易を貿易に関する規制から自由であることという意味とみなすのがおかしいように思われるなら、おかしいと思うべきではない。どれほど多くの新自由主義者がまさに彼らがよくその意味で用いている自由市場という用語を使っているかを考えてみよう。役員報酬が自由市場によって決定されるという人がいるとすれば、その人は経済学者が市場の不完全性と呼んでいるであろう意味から離れて市場という単語を使用しており、単に政府の干渉から解放された市場を意味しているのである。オルドリベラリズムと異なり、この種の新自由主義者は、独占生産者のいる市場を自由という一方で、競争政策が独占を破った市場を政府の介入を被っているというだろう。

私は、Brexitの賛同者が強調するグローバル・ブリテンという考えは、Brexitが貿易に制約を与えるという厄介な事実から純粋に目をそらすことであるという独自の考えを持っていた。私は、自分はフェアではなかったと思う。真に新自由主義的であることは、Brexit賛成者が貿易を破壊することを望むのではなく、貿易は可能な限り規制をなくさなくてはならないことである。したがって、イギリスが、単一市場よりも規制が弱いアメリカや新興市場と取引することは、はるかに優れている。Brexitの賛同者の観点からの単一市場の問題は、それが様々な種類の強い規制に固執していることである。

このことは、なぜそれほど多くのBrexit賛成者がまた強固な新自由主義者であるように表面上見えるのかを説明する一助となる。より大きな市場へのアクセスの利益のために規制に対して妥協しようとしてきたオズボーンやキャメロンのような別の新自由主義者とは対照的に、Brexitはある種の新自由主義者にとってはある種のユートピアのための努力のようなものである。そして、新自由主義者は、それがまったく違うものであるように見せることによって国民が彼らのユートピアに投票するように欺くことについて何の懸念も持たない。同様に、彼らは、彼らのやっていることが最終的に自分たちの利益になることを理解できない企業に時間をかけて関わろうとはほとんどしない。マーケティングとしての政治は、より上手く描写すれば国民全体に対する欺瞞であるが、一般的な新自由主義的な形質である。

Brexitの賛同者は、新自由主義の理想の境地に関する彼ら自身のビジョンに触発されたグループ以外の何物でもない。オズボーンやキャメロンは小国に向けた解決策を用意していたが、Brexitの賛同者は可能な限りの少ない規制を望んでいた。どちらも、彼らのビジョンを欺瞞によって達成して、彼らが望むものを得るために語られていない欺瞞と不快さに満ちたダメージを経済に与えることにためらいがない。すべての善良なレーニン主義者のように、彼らは最終的に(Rees-Moggによれば50年後には)それが割に合うと信じている。このことは、もし新自由主義者が新自由主義の道を進めば、われわれは彼らのビジョンがもう一つの新自由主義のファンタジーであることを証明するためだけに半世紀にわたる経済的なダメージに耐えることになるだろうということを意味しているのだ。


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