サイモン・レン=ルイス「バーナンキと民主的ヘリマネ」(2016年5月4日)

Simon Wren-Lewis, “Ben Bernanke and Democratic Helicopter Money (Mainly Macro, 4 May 2016)

「責任のある政府は文字通りお金を空から降らしたりはしないが、その事実を持ってフリードンマンの思考実験の理論を探求することを妨げてはならない。フリードマンの思考実験とは、極端に明確な形で、政府がデフレに屈してはならないのはなぜかという理由を示すために考えられたものだからだ。」

上に記した言葉はベン・バーナンキの記事からの引用である(彼が誰だか知らないひとのためにいうと、彼はアメリカ合衆国の金融政策の責任者だった人物だ)。この言葉を私が掲げたのは、誰一人としてけして忘れてはならないマクロ経済学の真実を示しているからだ:頑固な不況とデフレはけして不可避なものではない、それは政策担当者が正しいことをするのを失敗したことを常に表しているのだ。

バーナンキの記事には有用なことがたくさん書かれているが、私はその中のひとつについて話したい。バーナンキは伝統的な意味でのヘリコプターマネー(以下、ヘリマネ)の話をしているわけではない。私が他所で「民主的ヘリマネ」と呼んだものについて話している。

ヘリマネの話をするとき、ほとんどのひとは中央銀行が「すべてのひと」に小切手を郵送したりお金を送金したりする案のことを思い浮かべるだろう。これは経済学者が呼ぶところの「逆一括税」または「逆人頭税」だ。これによって人々が得るお金は彼らの収入には何ら関係がない。そこが通常の減税との違いだ。

実際問題として、中央銀行は政府の協力なくしてヘリマネを実施することはできない。「すべてのひと」とは何を意味するのか、中央銀行は自身の決定を採用したいとは思わないだろう(子どもを含むべきか否か、すべてのひとをどうやって見つけ出すのかなど)。しかしこれらの細かいことが解決さえすれば、中央銀行はこの制度を必要に応じて実施することができるようになる。

バーナンキは別の選択肢を提示している。中央銀行は新しく創造したお金の束を取っておいて、それを財政当局は自分たちの望むように使う。財政当局は、個々の国民に配るよりは、橋や学校を建設することにすべてのお金を使うと決めるかもしれない。このようにヘリマネを使う理由はふたつ考えられる。ひとつめは、どういうわけか財政当局は国債を発行することによって財源を作るとなると、そのお金を使うのをためらう。なので、ヘリマネによって賄うようにすれば(財政当局が自分で自分に課した)「制約」を迂回することができるというものだ。ふたつめは、お金を刷ることで作り出した財政拡張は国債を発行して作り出した財政拡張より、もっと景気を刺激する可能性があるという理由だ。ふたつめの理由はとりあえず脇に置いておいこうと思う、政府債務に取り憑かれた世界においてはひとつめの理由のみで説明が十分だからだ。

似たようなことを私は「民主的ヘリマネ」と称して過去に話している(初めにここ、後にここここ)。バーナンキ案は、選挙で選ばれてできた政府が財政拡張の形を決めるので、こう呼ぶにふさわしい。私が過去に話したものとバーナンキ案の違いは、私の案では財政当局と中央銀行が創造に必要なお金の額とお金の使い道について決める前に協議するというものだ(中央銀行がイニシアティブを取り、金利が下限に貼り付いている不況期にのみ実施されるものとする)。協議するのがよいとする理由は、単純に創造する必要があるお金の額を中央銀行が決めるのに役に立つからだ [1] … Continue reading

想像してみてほしい。例えば、すぐにでも実施できる公共事業にお金を使いたいと考えている国と富裕層に対する一時的な減税にお金を使うことを考えている国があるとする。このふたつの刺激策がもたらす需要と産出のインパクトは、とても違う。もしこのふたつの経済がお互いに似たような状況にあるとして、減税による財政政策を行った国の中央銀行は、もう一方の(公共事業を行った)国の中央銀行より多くお金を創造したいと考えるだろう。

いくつかの国では他国に比べて中央銀行が財政当局と協議するのが容易である。難しい場合は、バーナンキ案はより魅力的に見えるだろう。しかし、これはどれくらいの額のお金を創造する必要があるのかについてはっきりしない状態に中央銀行を取り残すことになる。より人気のあるヘリマネ(郵便受けに小切手)の利点は、お金の創造によるインパクトがより明確であることだ。(不況をさっさと終わらせることが重要なので、何が起こるかはっきりするまで待つようにと言うのは役に立たないアドバイスだ。)

(例えば英国のように)中央銀行と政府がうまく話し合いができるのなら、私の民主的ヘリマネ案は選択肢となりえる。これが中央銀行の独立性を損なうという議論は、私にしてみればまやかしだ。明白に定義された状況になったら、中央銀行が協議のイニシアティブを取る。中央銀行は新しく創造したお金を何に使うのか簡潔に聞く。この質問は、たくさんある財政計画の選択肢の個々の乗数について中央銀行の現在の見解を伴うべきである。政府はその後どの財政計画を実施するか決定し、中央銀行は創造するお金の額を決める。

民主的ヘリマネは(バーナンキを除いて)経済学者の間であまり話題にならないが、最終的にヘリマネの形で試されるのは政治経済的に良い理由があると思う。私が言ったように、郵便受けに小切手を配達するという伝統的なヘリマネはほとんど必ず政府を巻き込むことになる。一旦何が起こっているかがわかると、もっと伝統的な方法でどのようにお金を使うか政府自身が決めることができるのになぜ新しい方法を作るのかと政府は自然と考えるようになるかもしれない。本質的に民主的ヘリマネは、独立した中央銀行がある世界における、マネーでファイナンスされた財政拡張の方法である。

そしてこのエントリの冒頭に引用した言葉に戻ってくる。ヘリマネのマクロ経済学的な位置づけはもうはっきりしていて、議論があるのは制度と分配についての細部だけに過ぎない。もしもヘリマネを実現する前に次の不況が来てしまうなら、それは我々の集団的想像力の乏しさであり、まったく関係のない状況で作り出された幻の恐怖とタブーの力の証となるであろう。

References

References
1 (原注1)バーナンキは後続的にこの種の場を作ることを提案しているが、これは中央銀行が政府により騙されやすい状況にあるためだ。政府は実施すると言った財政計画のために創造されたお金をいずれにせよ使うが、負債の額を減らすことによって事実上お金の創造を大きく相殺してくる。
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