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ジョセフ・ヒース「人種差別と人種意識:『啓蒙思想2.0』没原稿より」(2014年5月28日)

On racism and race consciousness
Posted by Joseph Heath on May 28, 2014

私の本『啓蒙思想2.0』の抜粋を一連のシリーズとして、ナショナル・ポスト紙で4月14日から19日にかけて1週間掲載できたのはジョナサン・ケイおかげだ。感謝している。ただ紙面で、連載の最後の見出しが「人種差別を打ち負かす方法」と掲載されたことで、私は少し不利益を被っている(新聞を読む時には、見出しをつける人と、記事の執筆者が別人であることに覚えておくことは重要だ)。このような見出しで掲載されたことで、人種差別を克服するのに取り込み可能な簡単な処方箋が存在していると、まるで私が考えているかのように思われてしまった。(Ivor Tossellも、グローブ&メイル紙で、記事にして取り上げ、「ジョセフ・ヒースは、アメリカの人種差別問題を軽減させる診断と治療を、薄っぺらい3ページに纏めようとした」と批判している。)

アメリカにおける人種は「永遠の問題」である、と論じ続けている事実をもってして、この問題は近い将来に解決されると私が楽観視していないことを慮ってほしい。私が強調したかったのは、人種差別は人種意識のほとんど必然的な帰結であり、人種差別を撲滅する唯一の方法は、人種意識を取り除くことにある、ということだ。これを、簡単にできるだろう、と提案したつもりはなかった。(私は「可能な」解決策を示したが、「実施可能」だとは示していない。)

実際、人種意識は、様々な意味で人種差別より克服困難である――「○○ついて考えてはならない」と言われれば言われるほど、人はそのことについてもっと考えるようになる可能性が高くなる。また、人種差別と戦うために採用された戦略の多くが、意図的であろうとなかろうと、人種意識を高める効果を持ってしまっている事実もある。結果、米国では、人種差別と戦うために採用された戦略の多くが、結果的に人種差別を永続させる自縄自縛的な動力として機能することになってしまっている(しかも、戦略の全ては相互作用しているため、構成要素のどれか一つだけを止めるのが困難になっている)。なので、私は『啓蒙思想2.0』で以下のように書いた:

この観点からだと、アメリカにおける真の問題は、人種差別よりも人種意識だ 。(中略)しかも、白人も黒人も、保守もリベラルも、誰もが、人種意識を維持し強化するためのアメリカ文化のこの特徴に、巨大な陰謀として関与しているように見える。

元原稿だと、この節の最後には段落が2つあり、私の意図を具体的に説明していた。この2段落はカットすることになった、(主な理由に、主張が、私の記憶に基づいていたので、検証が非常に困難だったからだ――トリプルチェック無しにアメリカの人種について何も言うべきではない)が、記録のためにここに記載しておこう。

私がシカゴで大学院生だった頃の話を一例に挙げてみよう。私が通っていた大学(ノースウェスタン)では、アフリカ系アメリカ人がキャンパスでもっと快適に過ごせるようにするために、通常のオリエンテーションの一週間前に、黒人の新入生のために特別のオリエンテーションを行うことが決められていた。このアイデアは推察するに、白人の学生が雪崩を打ってやってくる前に、黒人の新入生にキャンパスに慣れ親しんでもらい、過ごし方を学んでもらうためのものだったと思われる。これは全て善意で行われたものだったが、心理学的見地からは狂気の沙汰だった。まず第一に、これは全ての黒人学生に――自身が黒人であるという自覚がまだなかった場合に備えて――自分たちが黒人であるという事実を強烈に意識させることになっていた。しかしもっと重要なのが、オリエンテーションが行われる週は、新入生は知り合いが誰もおらず、会ったことのない人に会わざるをえないので、新入生のほとんどが友達を作る時期になっていることだ。学生は、一度友達のグループができてしまうと、新しい友達を作るインセンティブを著しく低下させてしまう。従って、「特別なオリエンテーション」は、黒人学生が不可抗力的に黒人学生と友人になる可能性を高くしていた。この処置は、人種差別からはほど遠く、人種差別と戦うための大学の選択だったが、意図とは正反対な自己破滅的な処置となっており、キャンパスにおいて黒人学生間で自己隔離の様式を作り出すことになっていた。

アメリカ人が何よりも望んでいるのは、人種差別をなくすことだ。(バラク・オバマが初選出された時の熱狂的な支持の多くはこれに起因している――オバマは人種差別をなくすことができる人物に見えたのだ。)残念ながら、右派と左派の両陣営内に、人種差別をなくそうとしない影響力が強いグループが存在している。片方は人種差別主義者だからだが、もう片方は人種差別は直視し、直接克服せねばならないと考えているからだ。後者は、一般の人々が人種意識を保持することを望みつつ、他方で一般の人々が他の人種について好ましい事だけを考えるよう自己を律することを期待している。これ以外のやり方はイカサマのように考えられている。しかしながら、普遍的で公平な態度を人に維持することを要求することは、莫大な意思の力が必要になる。次善策がある。それは、人に偏見を抱かせたままにする一方で、その偏見が有害な結果を招かないように誘導することだ。この次善策はそこまで見え透いて酷い妥協というわけではない。乗り手は象を操作しようと試みることもできるし、象を騙して望む場所に連れて行くこともできる。目的地を選択するのが乗り手である限り、どの方法を使うかは重要ではないだろう1

アメリカ人が、この相互補強された負の行動の円環から抜け出す方法を見つける見通しについて、私はあまり楽観的になれない。アメリカ人の同僚に、この見解を概略したところ、彼女は立腹し、皮肉なトーンで「するとあなたは、人種差別を全て見なかったことにすれば、差別がなくなるなんて考えているの?」と返してきた。もちろん、私が言いたかったことはそうではないが、彼女は完全に間違えているわけでもない。私が端的に言いたかったのは「“その事”について四六時中話題にすることは、“その事”のより良い解決策かどうか定かでない」ということだ。アメリカ人が本当に学ばないといけないのは、人種について頭を冷やすことだ。しかしながら、繰り返しになるが、人種差別がとりわけ深刻な社会問題であり続ける限り、冷静になれる方法を想像するのは困難である。

  1. 訳注:「象」と「象の乗り手」とは、心理学者ジョナサン・ハイトが『社会はなぜ左と右にわかれるのか』で提唱した人間の心理機能のアナロジーである。ハイトの学説によると、人の思考パターンは基本的に、対象を先入観や直観によって規定した後、理性・意思によって後付で意味付け行っているとされている。理性や意思によって、先入観や直観を訂正することは可能だが非常に困難であり、人は基本的に直観の奴隷である、とハイトは提唱している。この「先入観・直観」と「理性・意思」の関係を、「象」と「象の乗り手」に例えてハイトは説明している。ヒースは『啓蒙思想2.0』で、ハイトのこのアナロジーの有効性を認めつつ、「象」の誘導は「乗り手」の意思だけでなく、外部環境を操作することで誘導可能であると主張し、ハイトの見解に異議を唱えている。ヒースとハイトの見解の相違に関しては、本サイトでも翻訳された「ジョセフ・ヒース『保守主義者へのアファーマティブ・アクション?』(2017年 11月9日)」も参照。 []

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