タイラー・コーエン 「『大圧縮』はなぜ起きた?」(2007年9月23日)

●Tyler Cowen, “The Great Compression”(Marginal Revolution, September 23, 2007)


ポール・クルーグマンが次のように述べている

(1953年生まれの)私が生まれ育った「中流社会」は、ゆっくりと時間をかけて自然発生的に立ち現れてきたわけじゃない。フランクリン・D・ルーズベルトおよびニューディール政策によって、ごく短期間のうちに(人為的に)「つくられた」というのが真相なのだ。以下のグラフでも示されているように、(アメリカ国内における)所得格差は1930年代後半から1940年代半ばにかけて急激に縮小している。富裕層は地歩を失う一方で、労働者層は未曾有の躍進を遂げるに至ったのだ。


上のグラフ [1]訳注;このグラフは、前回の記事(「アメリカにおける所得格差の変遷は何を物語っているか? … Continue readingをご覧いただければわかるように、所得上位10%の所得占有率(ただし、キャピタルゲインは所得の計算からは除外されている)は1937年頃から急落し始め、1942~43年頃にどん底に達するとその後は若干上向いている。この点に関してはクルーグマンの言う通りだが、クルーグマンによる「大圧縮」(Great Compression)期の評価および(「大圧縮」が起きた理由についての)説明には当惑を禁じ得ない。いくつか思うところを指摘させてもらうとしよう。

1. 1937~38年は、アメリカ経済全体にとってだけではなく中流層にとっても災難な時期だった。それというのも、稚拙な金融政策(金融引き締め)が主な原因となって景気回復の腰が折られてしまい、「第二の大恐慌」とでも呼び得る事態が招かれてしまったからだ。さらには、第二次世界大戦の影響も見逃せない。ロバート・ヒッグス(Robert Higgs)の研究 [2] 訳注;例えば、こちらを参照されたい。が説得的に示しているように、第二次世界大戦は「経済災害」と呼ぶにふさわしい出来事だったのだ。(軍需品の生産をはじめとした)戦争向けの生産活動によって嵩上(かさあ)げされたGDPの数値に騙されちゃいけない。(GDPではなく)民間消費のデータに目を向けねばならないのだ。

2. というわけで、1937~43年の間に労働者層が「未曾有の躍進」を遂げたと言われても、具体的にどのタイミングを指しているのか私にはよくわからないのだ。1940年(と1939年の一部)は景気回復が続いた一年だったが、そうだとすると、中流社会は1940年に「つくられた」とでも言うのだろうか? そんなわけはなかろう。というわけで、私の頭は混乱するばかりなのだ。

3. クルーグマンは、「大圧縮」を引き起こした要因として「強力な労働組合、高水準の最低賃金、累進度の高い税制」の三つを挙げている。果たして1937~43年の間にこれら三つの要因に何らかの大きな変化でもあったのだろうか?

4. 連邦最低賃金が法律で初めて定められたのは1938年なわけだが、物価変動の影響を取り除いた実質値で見ると、その水準は当時としてもそれほど高くはなかったし、今現在の最低賃金の水準と比べてもそんなに高いわけじゃない。さらには、上のグラフで測られている所得は課税前所得という点もおさえておくべきだろう。累進的な所得税制が課税前所得の分布を説明する主要因となり得るかというと、そうは言えなさそうだ(イグレシアスも指摘しているところだが、所得税率が労働供給への影響を介して課税前所得に影響を及ぼす可能性があることは勿論否定しない)。

5. アメリカ国内における労働組合の組織率のデータとしては例えばこちらを参照されたいが、「1937~43年」という時期にこだわるのでなければ、クルーグマンの言うように、労働組合の浮沈と所得格差の変遷とは時期的に概(おおむ)ね重なっているようだ。とは言え、現状に目を向けると、労働組合の賃金プレミアム [3] 訳注;組合員の賃金と非組合員の賃金の差 は、楽観的な推計結果でも15%程度 [4] 訳注;組合員の賃金は、非組合員の賃金と比べて15%程度高い、という意味。と見積もられている。そのことを踏まえると、労働者の組織化(労働組合の隆盛)を所得分配の変化をもたらした支配的な要因と見なすのは難しそうだ。

6. 戦時経済への移行とそれに伴う人手不足によって、黒人や女性、徴兵されずに銃後にとどまった数多くの男性の賃金が吊り上る結果となった(とは言え、貯蓄が強制されたために、消費は低い水準に抑え込まれることになった)。

7. 「大圧縮」が起きた理由を私なりに説明するなら、以下の一連の要因を強調することだろう。①1937~38年の不況により富裕層の所得が急減、②戦時経済への移行に伴って富裕層の所得に蓋(ふた)が被せられる格好になった(法律によってということもあろうし、一部の富裕層に巨万の富が集まるのをよしとしない規範が世に広まったというのもあろう。「戦時賃金統制」・「戦時価格統制」についても忘れずに言及しておきたいところ)、③戦時経済への移行に伴って中下層(所得分布の下位~中位に位置する層)に属する大勢の人々の賃金が吊り上った。おまけに、富裕層は(重税の支払いなどを通じて)第二次世界大戦の戦費の大部分を負担する格好となったようだ。

8. クルーグマンは、上に掲げた要因(①~③)のどれにも一切触れていない。私が間違っている可能性も勿論あるが、上で掲げた要因も「大圧縮」が起きた理由を説明する候補に入れてしかるべきじゃなかろうか?

9. 第二次世界大戦後のアメリカで(戦後復興を遂げた後もなお)所得格差が長らくほどほどの範囲にとどまり続けた――そこそこの平等が保たれた――のはなぜかというのは、実に興味深い疑問だ。この疑問との絡みでクルーグマンの仮説の大要――政府による政策は、国内の所得分配に重要な影響を及ぼす――を擁護することも可能ではあろうが、それと同時に、(戦争などの)大惨事に備わる格差是正効果だったり、(過去に起きた出来事や一時的なショックが後々まで尾を引く可能性を説く)経路依存性だったりについてもあわせて強調する必要があるだろう。ここにきて拡大しつつある所得格差を再び大幅に是正するためには、(戦争のような)強力な「負の実物ショック」が必要。第二次世界大戦後の歩みは、そんなことも示唆しているのかもしれない。

10. あるいは、こういう筋立ての仮説はどうだろうか? 「富裕層の所得に上限を課して、その代わりに労働者に支払う賃金を増やすとしよう。それもこれも、アメリカを世界の守護者たる超大国にのし上げるためだ。賃金統制を課そう。価格統制もだ。(一人ひとりの才能と報酬とのつながりを断ち切る)かような(市場メカニズムへの)介入がどこまで持つか見届けてみようじゃないか」。 この仮説が現実を正しく説明しているかどうかはわからないが、歴史の大まかな流れとは矛盾しないように思える。

「誰も彼もがクルーグマンの言い分を誤読している」という突っ込みには敏感なつもりだ。そんなわけで、冒頭の引用文だけではなく、全文にも目を通していただきたいと思う。クルーグマンが新刊 [5] 訳注;『The Conscience of a Liberal』(邦訳『格差はつくられた』)の中で今回の話題について踏み込んで論じているようであれば、また後日その旨をお知らせするとしよう [6] … Continue reading

References

References
1 訳注;このグラフは、前回の記事(「アメリカにおける所得格差の変遷は何を物語っているか? ~戦争と平和と所得格差と~」)の中に出てくるグラフと同じもの。
2 訳注;例えば、こちらを参照されたい。
3 訳注;組合員の賃金と非組合員の賃金の差
4 訳注;組合員の賃金は、非組合員の賃金と比べて15%程度高い、という意味。
5 訳注;『The Conscience of a Liberal』(邦訳『格差はつくられた』)
6 訳注;コーエンによる『格差はつくられた』の書評はこちら。「大圧縮」絡みで次のようなコメントが加えられている。「『大圧縮』についてはクルーグマンのブログ記事に絡めてしばらく前に既に論じたところだが、本書ではクルーグマンの考えがさらに詳しく開陳されており、戦争や賃金統制・価格統制、極めて高水準の税率(所得税、法人税、不動産税)の役割が強調されている。『大圧縮』の規範的な評価についてはとりあえず脇に置くとすると、『大圧縮』の実証的な分析に関しては件のブログ記事から予想されたほどには私とクルーグマンとの間で考えに開きは無いようだ」。ちなみに、クルーグマンは、『格差はつくられた』の中で次のように述べている(以下の引用は、すべて邦訳版より)。「・・・(略)・・・エコノミストたちは拡大する不平等に驚き、アメリカの中産階級の起源を探り始めたのだが、意外なことに1870年代から1900年までの不平等な『金ぴか時代』から、比較的平等な戦後の時代への移行が段階的なものではなかったことを突き止めた。戦後の中産階級は、ルーズヴェルト政権の政策によってわずか数年の間に『つくられた』ものであった。ことに戦時中の賃金規制が大きく貢献していた。経済史の研究家であるクローディア・ゴールディンとロバート・マーゴが最初にこの驚くべき事実を指摘し、この期間を『大圧縮の時代』と呼んだのである。戦時規制が解除されれば、不平等と格差が以前の水準に逆戻りするのではないかと思うかもしれないが、ルーズヴェルト政権によってつくられた比較的平等な所得分配は30年以上も続いた。以上のことは経済学の入門書の説明とは違い、政治状況や規制や制度のほうが、一般的な市場の力よりもはるかに所得分配に対して影響力があるということを強く示している」(pp. 11~12)/「組合員が増加した最大の原因として挙げられるのは、ニューディール政策である。・・・(略)・・・とはいえ、組合の組織化だけでは、格差を是正することには不十分である。完全なる変革には、第二次世界大戦という特殊な状況が必要であった。平時において、アメリカのような市場経済の国は賃金体系に何らかの影響を与えることはできるとしても、それを直接決定することはできない。とはいえ、1940年代のおよそ4年間、戦時下の特殊事情によりアメリカ経済の一端は、多かれ少なかれ政府の指導下にあった。政府はその影響力を行使して、所得格差を大きく是正しようとしたのである。その政策のひとつが、全米戦争労働委員会(NWLB)の設立である。・・・(略)・・・〔戦争特需による労働力不足に伴う〕それらの賃金の上昇は、すべて同委員会によって承認されなければならず、政府は労働争議の仲裁をするだけでなく、実際民間セクターの賃金も左右するに至った。驚くなかれ、同委員会はルーズヴェルト政権の政策に従い、高い賃金ではなく低賃金労働者の賃金を上げる傾向が強かった。・・・(略)・・・経済歴史家であるゴールディンとマーゴが指摘するように、同委員会が『用いた賃上げのための基準は、産業間、そして産業内の賃金格差を縮小させた』のである。つまり、政府は多くの労働者の賃金を多かれ少なかれ直接的に決定できた短い期間を利用して、アメリカをより平等な社会にしたのである」(pp. 42~44)/「1970年代とその後、『デトロイト協定』が破棄されると、第二次大戦後、格差の広がりを抑制していた制度や規範が消え去り、格差が『金ぴか時代』に逆戻りしたのだ。・・・(略)・・・エコノミストが、規範の変化はどのように格差の拡大に繋がったかということに触れる際、あるひとつの具体的な例を頭に浮かべているはずだ。つまり、際限なく上がるCEOの報酬である。・・・(略)・・・経営者トップの給与が際限なく上がっているのは、狭い意味での経済的な要因によるというよりも、社会・政治的な要因によるだろう。それは、経営者としての才能に対する需要が高まったからではなく、CEOの巨額な給与に対する怒りにも似た反発――株主、労働者、政治家、または一般大衆からの激しい反発――が消え去ったからである」(pp. 100~102)。
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