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ニック・ロウ「講義ノート:銀行と貨幣」

Nick Rowe “Teaching notes on banks and money“(18 September 2013, Worthwhile Canadian Initiative)


(これは中級レベルの学生を対象にしている。「ざっくりとした絵」的なもので、仕組みの詳細について立ち入るものじゃない。でも既にとても長い。)

銀行は貨幣を創りだす金融の仲介者だ。銀行が特別なのは貨幣が特別だからだ。僕たちが牛を貨幣として使っていたら、牧場が特別になっていただろう。牧場が貨幣を創りだすのだから。

なぜ貨幣は特別(そして重要)なんだろうか。貨幣は交換の媒体だ(僕たちは貨幣で他の全ての財を購入する)。貨幣は価値尺度の媒体だ(僕たちは貨幣で他の全ての財に価格を付ける)。(価値の貯蔵機能は貨幣に特別性を付与しない。価値を貯蔵できる財はたくさんある。)

リンゴの供給が少なくなると、リンゴ市場を均衡させるためにリンゴの価格は上昇する必要がある。

でもリンゴを価値尺度として使うとすると、リンゴはそれ自身の価格を持たなくなる。リンゴの価格は他の全てのものの価格との相対的なものになるからだ。だから他の全ての価格がリンゴの代わりに下落する必要がある。でも価格が粘着的なものもあるから、これは難しい。ということはリンゴの価格も粘着的になるということだ。そして他のものと比べてより粘着的な価格もあるから、リンゴ供給の減少は経済全体の相対価格を歪めてしまう。

リンゴの価格が粘着的ならば、リンゴ供給の減少はリンゴ需要の超過をもたらす。欲しいだけのリンゴを買えない人が出てくる。でも、リンゴを交換の媒体として使うのであれば、リンゴはそれ自身の市場を持たなくなる。リンゴ市場は他の全ての財の市場となる。リンゴ需要の超過は、みんながリンゴ以外の財をもっと売りたがり、リンゴ以外の財の購入は控えるということを意味する。でもみんながリンゴ以外の財の購入を控えるということは、今度はリンゴ以外の財が前よりも売れなくなって、するとさらにリンゴ以外の財の購入を控えるようになり、ということを繰り返すことになる。こういう物々交換が難しい状況では、交換媒体への超過需要が他の全ての財の交換を妨げることになる。つまり景気後退になる。

これが貨幣が特別で重要な理由だ。貨幣の供給と需要の変化は、マクロ経済に影響を与える。

貨幣として使うことのできる財には、次の3つの種類がある。1.例え貨幣としては使われてなかったとしても、財それ自体に価値のある財、2.借用書か、価値のある財を払うという約束、3.前二者でないもの、言い換えれば貨幣として使われているというだけの理由で価値がある財。

宝石として貝殻を身に着けてる人たちを考えてみよう。これによって貝殻への需要が発生することになる。貝殻の供給が価格ゼロの地点で完全には伸縮的でないのであれば、需要と供給とは貝殻に価値があるということを意味する。みんなが宝石と同じように貝殻を貨幣として使うかもしれない。これは一番最初の貨幣の形態の一例だ。でも貝殻を貨幣として使う需要は、貝殻を宝石として使う需要にプラスされるから、貨幣としての需要は貝殻の価値をそのような用途がない場合よりも高めることになることに注意しておいてほしい。

ここで流行が変わって、みんなが貝殻を宝石として身に着けるのを止め、貨幣としての需要だけが残ったとしよう。いまやみんなは貝殻をポケットにしまいこむだけで、首の周りに身に着けなくなった。需要は以前より少なくなるけど、依然として貝殻への需要は存在するから、以前ほどではないものの貝殻は依然として価値がある。これは3番目の貨幣の形態の一例だ。

ここで貝殻が無価値になって貨幣として使うことが出来なくなり、貝殻への貨幣としての需要がなくなるという第二の均衡があることにも注意しておいてほしい。貝殻の需要曲線は斜めに下がっていくけど、価格がゼロにまで落ちた時点で突如として需要量もゼロまで落ちる。だから需要曲線は供給曲線と二度交わることになる。

第二の均衡ではなく初めの均衡に僕たちを留める要因はなんだろうか。その答えは「ネットワーク外部性と習慣」というのが僕の答えだ。僕が取引をする人たち全てが貝殻を貨幣として使っているのであれば、貝殻で物を売り買いするほうがずっと楽だろうから、僕も貝殻を貨幣として使いたいと思うだろう。このことは貨幣がとして使っているものを切り替えるのが難しいということを意味する。なぜなら、みんな一度に切り替えるか、それとも誰も切り替えないかという二択しかなく、一度に全員が切り替えを行うように調整するのは難しいからだ。ちょうど言葉やコンピューターのプログラムがそうであるように。

僕たちが貝殻を貨幣として使っているとしてみよう。僕が「貝殻10個借りました。ニック」と紙に書いて、近所のスーパーが僕のことを知っていて信用してくれるのであれば、僕はその借用書と交換でリンゴをくれるように彼らに頼むことができるかもしれない。でも翌週にその近所のスーパーが僕の借用書で僕から取り立てを行うのであれば、僕の借用書は貨幣じゃない。僕は単にリンゴの支払いを先延ばしにしただけだ。でもスーパーが僕の借用書を何か別のものを買うために他の誰かに使って、そのだれかが何か別の物を買うのに僕の借用書を使い、僕の村全体が僕のサインを信用してそれを流通させるのであれば、交換の媒体として使われているのだから僕の借用書は貨幣だ。

今僕は貨幣を作り出した。でも僕は銀行じゃない。なぜなら銀行は貨幣を作り出す金融の仲介者で、僕は金融の仲介者じゃない。

「流動性」を正確に定義するのは難しいけど、要はある資産を良い値段かつ低い取引コストで、どれだけ手軽で素早く売買できるかということだ。一部の資産は他の資産よりも流動的だ。他の条件が同じなら、みんなはより流動的な資産を持ちたがる。だから均衡では流動的な資産ほど金利が低い(もしくは収益が低い)。貨幣は最も流動的な資産だから、他の資産よりも低い金利しかつかない。(カナダ銀行の通貨の名目金利は0%で、実質金利は大抵マイナス2%程度だ。)

貝殻10個分の僕の借用書が僕の弁済を求めずに村の中を流通する限り、そして僕の借用書の金利が0%であるなら、村は実質僕に対して無利子の貸し付けを行ったことになる。

借り入れよりも低い金利で僕が貸し付けを行えるのであれば、僕は金融の仲介者になることを決断するかもしれない。つまり僕は借り入れと貸し付けの両方を行い、借り入れと貸し付けの金利の差から所得を得るということだ。

貨幣を創りだすことでこの金利の差を創りだすことが出来るのであれば、僕は銀行になることを決断するかもしれない。つまりその負債が貨幣として使われる金融の仲介者ということだ。

だから自転車を買うために貝殻100個の借入を行いたいのであれば、5%の金利が付いた貝殻100個の借用書を差し出して、僕から金利0%の貝殻100個の借用書を受け取ればいい。僕の借用書を村の自転車屋まで持って行って、自転車を買うのにそれを使うんだ。僕の借用書が村の中で流通を続けるならば、僕は今や銀行だ。

僕の借用書は紙の通貨で、好きな時に固定相場で貝殻に兌換することができる。紙幣は「持参人払債券」のようなもので、ただの紙切れを単に持っているだけで通常は所有者の証拠として認識される。誰がどの通し番号の紙切れを持っているかという中央管理された記録はない。でも僕から自動車を買うのであれば、その車の登録番号と新しい所有者としての自分の名前を政府に伝えなければならず、政府はその記録を保管する。車は持参人払証券と同じじゃない。警察に止められたら所有者を証明する紙を見せなけなければ、盗まれたと思われたとしまう。

僕が僕の借用書の盗難を防ぎたい場合、僕は僕の借用書の通し番号とそれを誰が所有しているかの記録を保管して、12345番の借用書の所有者が自転車屋に移ったことを連絡することの報告を買い手に義務付けるかもしれない。そして自転車屋は買い手が僕にちゃんと連絡したかどうかの確認を求めるだろう。これをもっと簡単に行えるようにするには、僕が自転車の買い手に所定の手紙を渡しておいて、そこに買い手と自転車屋の名前を記入し、それを自転車屋に渡して彼が僕にそれを送ってくれればいい。これで、僕は自転車屋が今や借用書の所有者になったことが分かるし、僕が分かっていることを自転車屋も分かっている。

でも誰が僕のどの借用書を持っているかの記録を僕が持っているのであれば、そして重要なことはそれぞれの人が持っている僕の借用書が果たして貝何個分なのかということだけなのだから、「貝10個借ります。ニック・ロウ」と書いた紙は全部必要なくなる。僕がちゃんと記録しているということを信用する限り。僕は使いやすいように一冊にまとめた所定の手紙の束を単に渡すだけだ。この所定の手紙は「小切手」と呼ばれる。今や通貨の代わりに小切手口座を持つことになり、自転車を買うには通貨の代わりに小切手を渡すんだ。

そして自分の記録を本ではなくコンピューターに保管して、所定の手紙は郵便局ではなくメールで届けるようになり、そして僕のコンピューターがそのメールを理解できるのであれば、それは電子マネーだ。通貨、小切手口座、電子マネー、これらは基本的には全て同じだ。便利さや信頼性が単に異なるだけ。でもその一方で貨幣とは便利さと信頼が全てだ。物々交換よりも便利でないのなら貨幣なんて使わない。そしてどんな人の借用書でも信頼されるなら、だれでも貨幣を創りだすことができる。もしくは、他の人から自分がもらったり、他の人に自分があげた価値の記録をつけて、あげる以上にもらったり、もらう以上にあげたりしないようにするための便利な方法というだけの用途にしか貨幣は必要なくなる。

僕の借用書を貨幣として使うことが貝殻を通貨として使うことよりも、時によって不便だったり便利だったりするのであれば、僕の借用書を貝殻の形で換金する(僕の銀行から貝殻を引き出す)人や、貝殻で僕の借用書を買う(僕の銀行に預け入れをする)人が出てくるだろう。たくさんの人が同時に僕の借用書を換金したがると、僕は貝殻を使い果たしてしまうかもしれない。原理上は、僕に支払い能力がある限り、僕は他の人が僕から借り入れをするときにサインして僕に売った借用書を換金することで、僕の借用書全てを常に換金することが出来るかもしれない。でもそういう借用書は非流動的なはずだ。なぜなら、銀行としての僕の本質は、僕の流動的な借用書と他の非流動的な借用書との金利の差から所得を得ることだからだ。だから僕がそうした非流動的な借用書を即座に売る場合、僕には損失が発生して、その損失は僕を支払い不能にするのに十分大きなものである可能性があるため、僕は全ての僕の借用書を即座に換金することは出来ない。そして、そういうことが起こるかもしれないとみんなが考える場合、僕が貝殻を使い果たすよりも前にみんなが換金しようとする、取り付け騒ぎが僕の銀行で起こるかもしれない。

自分が貝殻を使い果たしてしまうだろうと僕が気づいたのであれば、僕は僕の借用書と貝殻の兌換を停止するだろう。僕は、いつでも固定相場で僕の通貨を換金できるという自分の約束を破るのだ。でも、僕が将来的に兌換を再開するというプラスの可能性が残っている場合、もしくはより低い相場での兌換(約束した貝殻の100%よりも少なく払う)を再開することを望むのであれば、以前よりは低いものであるとしても、僕の借用書には依然として一定の価値がある。そして僕の借用書に依然として一定の価値があり、貨幣として使うのに便利であれば、みんなは依然としてそれを貨幣として使うかもしれず、僕の借用書にはいまだ需要があることになる。さらに僕の借用書に貨幣としての需要があり、僕が無制限の供給をしないのであれば、あらゆる兌換の約束を放棄する場合においても僕の借用書に価値が残る均衡点が存在することになる。(僕の借用書が無価値になって貨幣として使われなくなることで、需要もされなくなるという第二の均衡点も存在するけれど。)

この兌換の永続的な停止は、みんなが貝殻を宝石としても貨幣としても使っていて、その後流行が変化して宝石としての貝殻の需要がなくなってもなお、貝殻を貨幣として使い続けるケースと類似している。

僕が自分の借用書と貝殻の兌換を永続的に停止する場合、僕の借用書はその時点からインクのついているだけのただの紙になる。全ての「10」という数字が、僕が「10」一枚を「5」二枚と交換することを意味し、その逆も成り立つ。みんなが僕の紙切れを貨幣として使い続けるのであれば、僕は今や変動相場の不換紙幣を発行する中央銀行だ。僕の中央銀行は政府によって国有化されるかもしれないし、されないかもしれない。それは中央銀行に対して政府が望むことを、僕がやるだろうと政府が考えるかどうかによるのかもしれない。もしくは、僕が稼ぐ利益を政府が欲しがるかどうかかもしれない。

2つ(もしくはそれ以上)の銀行があったらどうなるだろうか。自転車の買い手がニック銀行を使っていて、自転車屋がメアリー銀行を使っていたら、自転車屋は買い手の小切手をメアリー銀行に送り、メアリーは自転車屋の小切手口座に貝殻100個を貸し出して僕に小切手を渡し、僕はメアリーに貝殻100個をあげ、買い手の小切手口座から貝殻100個を引き落とす。でもそれと同時に、メアリー銀行を使っている誰か他の人が、僕の銀行を使っている誰かから貝殻90個で何かを買っていたかもしれない。その場合、メアリーと僕はその晩にお互いの債務を決済して、僕は彼女に貝殻10個だけをあげる。

両方の銀行に顧客がたくさんいて、両方の銀行が同じことをしているのであれば、多数の法則が働いてほとんどの晩の貝殻のネット決済1 は、僕とメアリーの間のグロスの送金量と比較して小さいものになり、時間とともにその平均は0に近づく。メアリーと僕が、こうした二人の間の支払いをするために貝殻の予備をたくさん持ちたくないと思う場合、その代わりに僕たちはオーバーナイト市場を通じてお互いに借り入れを行うことが出来る。僕がメアリーに貝殻10個をあげる代わりに、彼女は貝殻10個分の僕の借用書を受け入れるけれど、彼女はそれを貨幣として使う必要がないから、僕に銀行間のオーバーナイトローンの利率で僕に金利を課すというわけだ。

でもメアリーが僕の預金者を彼女の銀行へ切り替えることに成功した場合、もしくは僕がメアリーから借り入れを行っている顧客を僕の銀行に切り替えることに成功した場合、僕はメアリーへネットでの支払いを行うことになる。そして僕がオーバーナイト市場を通じてメアリーから借り入れを続けたいと思わない限り、僕はこうしたことが起こらないでほしいと思う。そして、メアリーが僕に貸す金利は僕が預金者に払う金利よりも高いため、僕はメアリーから借り入れを続けたいとは思わない。

これが意味するのは、預金の拡大なしに貸出を拡大することを僕が望まないということであり、メアリーも彼女の預金の拡大なしには彼女の貸出を拡大することを望まないということだ。でももし僕らが両方とも貸出を同時に拡大し、さらに銀行は僕ら2人だけであるならば、僕らの預金は貸出にと一緒に拡大し、みんなが両方の銀行から預金を引き揚げない限りは心配する必要はなくなる。みんなむしろ貝殻をそのまま預けておくからだ。

カナダをはじめとするほとんどの国には、一般から預金を受け入れて一般に貸し出す商業銀行が複数ある。そして中央銀行が一つだ。中央銀行はたいてい政府の所有で、公共政策の手段となっている。商業銀行はたいてい政府の所有ではなく、利益の最大化を目指すとみなされている。中央銀行はたいてい紙幣発行を独占しているけれど、通常一般に貸し出しを行ったり、一般から借り入れを行うことはない。中央銀行はその代わり、政府への貸し出しや政府からの預金受け入れを行う場合がある。

中央銀行と商業銀行の間の重要な違いとはなんだろうか。何が中央銀行を中央とするのだろうか。何が中央銀行に力をもたらすのだろうか。僕は2つの違いがあると思う。

1.中央銀行は商業銀行に対する銀行として振る舞う。(補足:僕はこの部分に満足してない。)

僕とメアリーの2つの銀行しか存在してない場合、毎晩僕らの口座の決済を行う銀行は必要ない。でも3つかそれ以上の銀行がある場合、事態はもっと複雑だ。僕がメアリーから貝殻100個を借り入れ、メアリーはハリーから貝殻100個を借り入れ、ハリーは僕から貝殻100個を借り入れる場合、僕ら3人の銀行は毎晩同じところに集まって、全員が互いに何にも借り入れてない状態になるように取引しなければならない。この3方向の取引は、美容師がネイリストの髪を切り、ネイリストがマッサージ師の爪を整え、マッサージ師は美容師にマッサージをするという3方向の物々交換と似ている。3人全員が一緒になって3方向の取引を行うのは難しい。だからこそ物々交換の代わりに貨幣を使う。その方が便利だし、同意したことを自分以外の2人両方ともがきっちりやるということを信用する必要もない。各人は1人だけ信用すればいい。

各商業銀行が小切手口座を中央銀行に持っていて、債務の環の解消を中央銀行に任せれば、より便利だし相互信頼も少なくて済む。だから中央銀行は商業銀行に対する銀行として振る舞い、中央銀行の貨幣が商業銀行が互いに支払いを行うのに使うお金なんだ。一般の人が商業銀行の貨幣を様々なものの売り買いに使うのと同じように、商業銀行は様々な商業銀行の貨幣を買うために中央銀行の貨幣を使う。そして一般の人が予期せぬ流動性の必要性を賄うために商業銀行から当座借越を受けられるように、商業銀行は予期せぬ流動性の必要性を賄うために中央銀行から当座借越を受けられる。中央銀行は商業銀行に対する最後の貸し手として振る舞うんだ。

2.商業銀行は自分の借用書を固定相場で中央銀行貨幣の借用書と換金することを約束する。これはその逆じゃない。モントリオール銀行2 ドルがカナダ銀行3 ドルと同じ価値になるように保証するのは、モントリオール銀行の役割だ。モントリオール銀行に取り付けが起こるという緊急事態の場合だけ、カナダ銀行はモントリオール銀行ドルがカナダ銀行ドルに対して減価しないように最後の貸し手として振る舞う。

仮にアメリカのFEDが米ドルとカナダドルとの間の為替相場を固定しようと決意した場合、これと同じような形にはなるけれど、カナダ銀行は固定為替相場の維持になんら責任は負わない。カナダ銀行は自分の好きなようにすることが出来るけど、FEDはそれに追従しなければならなくなる。カナダ銀行がインフレ率を上昇させてカナダドルを減価させたい場合、FEDもまた米ドルの価値を下げなければいけない。アメリカの貨幣政策はオタワで決定される。カナダの商業銀行はカナダ銀行ドルとの固定相場を維持しているから、カナダの貨幣政策はオタワにおいて、カナダ銀行によって決定されることになる。カナダ銀行がインフレ率を上昇させてカナダドルを減価させたい場合、モントリオール銀行もまたモントリオール銀行ドルの価値を下げなければいけない。

さて現在、カナダ銀行は商業銀行の当座借越に対して1.25%の金利を付け(マイナス残高)、預金に対して0.75%の金利を払い(プラス残高)、商業銀行間のオーバーナイトローン金利の目標を1.00%にしている。カナダ銀行は、ほぼ常にこの3つの金利の差を25ベーシスポイントずつに保っている。現在のプラスあるいはマイナスの残高はたいていとても少ない。現在のオーバーナイト金利は1.25%以上にはなれない。なぜならそれ以上になった場合、商業銀行はカナダ銀行から代わりに借り入れをおこなうからだ。そして0.75%以下にもならない。それ以下になった時は、カナダ銀行に代わりに預け入れるからだ。カナダ銀行は、現在のオーバーナイト金利を上げ下げするために、決済残高を上下に調節、もしくは調節すると脅しをかけることで、現在のオーバーナイト金利を目標の非常に近いところに維持している。カナダ銀行が自分のドルの価値をもっと高めたい(何か別のことをしなければインフレ率が2%以上になってしまうと考えている)場合、カナダ銀行は3つの金利全てを上げる。これによってカナダ銀行は、全ての商業銀行の貸出と預金の過剰な拡大を止めることが出来る。カナダ銀行が自分のドルの価値をもっと下げたい(何か別のことをしなければインフレ率が2%以下になってしまうと考えている)場合、カナダ銀行は3つの金利全てを引き下げる。これによってカナダ銀行は、全ての商業銀行の貸出と預金の拡大が過少になってしまうことを止めることが出来る。

カナダ銀行ドルは兌換の出来ない不換貨幣、3番目の種類の貨幣だろうか。もしくは、カナダ銀行はCPIで2%のインフレをターゲットにしているから、カナダ銀行ドルは緩やかに減価している為替相場で間接的にCPIバスケットの財と交換できる借用書で、2番目の種類の貨幣だろうか。

(もちろん、銀行について言うべきことはもっとあるけれど、今はここでやめておこう。)

  1. 訳注;オンラインという意味でなく、互いに相殺し合った残りを支払うという意味のネット []
  2. 訳注;商業銀行 []
  3. 訳注;中央銀行 []

Comments

  1. Nick Rowe says:

    footnote 4. You are right. I made a mistake. I have now changed my original post.

  2. Thanks Nick for your comment and the excellent post as well.I’m looking forward to reading and translating other posts coming.

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