ノア・スミス「アメリカの社会主義者たちの世界観はぶっ壊れてる」(2022年4月17日)

[Noah Smith, “The American socialist worldview is just totally broken,” Noahpinion, April 17, 2022]

Current Affairs での最近のインタビューで,ロシアに譲歩するようノーム・チョムスキーがウクライナに求めてる発言を見て,心底ゲンナリした:

べつに,ゼレンスキーを批判しているのではありませんよ.彼は誉れある人物で,すばらしい勇気を見せています.ゼレンスキーがおかれている立場・状況には共感できます.しかし,同時に,世界の現実にも注意を払うことです.そうすれば,先ほどの話が導かれるのです.先ほどの話に戻りましょう:基本的に,選択肢は2つです.ひとつは,いま我々が行っている政策を続けるという選択肢です.ふたたびフリーマン大使の言葉を引くなら,ウクライナ人が最後の一人になるまでロシアと戦うという選択肢です.そして,その政策を追求すれば,核戦争の可能性が伴います.あるいは,唯一の代替案は外向的な解決だという現実に向き合う選択肢もあります――これを選ぶなら,プーチンとそのごく限られた一派に逃げ道を許すことにはなるでしょう.(…)〔プーチンらがやろうとしていることの〕基本的な骨子は,ウクライナの中立化であり,ドンバス地方に高度の自律性を認めるかたちでのなんらかの調停でしょう.もしかすると,ウクライナにおけるなんらかの連邦制度の枠内にドンバスをとどめるのかもしれませんが.

この種のお茶の間でクォーターバックを気取る思い上がりには,息を忘れるほどびっくりしてしまう――アメリカの著名知識人が,ウクライナに対して,領土と外交面での譲歩を指図するなんてね.チョムスキーはここで「我々」という言葉を使って,ロシアにそうした譲歩をする想像上の集団を言い表しているけれど,この一人称にはなんの根拠もない――大量殺戮大量レイプに手を染めて征服地域で強制収容所に人々を大量に連行している侵略者に対して,自分たちの領土と人民をどれだけ譲り渡すかを決めるのは,100パーセント,ウクライナ人たちの選択だ.ノーム・チョムスキーがどうするか決める余地は,1ミリもない.

ここで,チョムスキーがすごく高齢(なんと93歳!)だってことを考慮するのは思いやりというものだろう.でも,かなしいけど,さっきの引用は,彼の過去の発言よりも穏やかなものだったりする.1977年には,カンボジア大虐殺がクメール・ルージュによる犯行だってことを軽く見る発言をしてる.

いま利用できる証拠は,いくつものフィルターをへて,深刻なまでに歪んだかたちでアメリカの市民に伝わっています.クメール・ルージュの虐殺とされるものが強調される一方で,カンボジアの苦難で合衆国が間接・直接に果たした決定的な役割は軽視されたり無視されたりしているのです.

一方,Current Affairs の編集者であり,チョムスキーにインタビューした当人でもあるネイサン・ロビンソンは,外交政策に関してさらに不快な見解をとっている.最近のツイートで,ロビンソンはこう断定してる――アメリカの防衛支出は,「ロシアおよび中国の人民の大量殺戮(ジェノサイド)の企て」に相当するんだって.

完全にタガが外れてる.第三次世界大戦に「勝利」なんてない.ロシアや中国の人民の大量殺戮(ジェノサイド)を企て,軍拡競争に駆り立てるかわりに,頭脳を使って,軍縮について考えてみたらどうなんだ.これはアルマゲドンにいたる道だ.アホどもが.

たしかに,ここまで不快な見解は例外ではある.でも,一般に社会主義者たちがプーチンによるおぞましいウクライナ侵攻についてとっている態度は,ご立派なものではない.たとえば,アメリカ民主社会主義党 (the Democratic Socialists of America) の国際委員会は,ウクライナへの軍事支援に反対してる(軍事支援なしでは,ウクライナはきっとすでに陥落してただろうに).また,ロシアへの制裁にも反対してる.アメリカの社会主義運動の息を吹き返させた守護聖人というべきバーニー・サンダースは,ウクライナ戦争に関してまずまず冴えているものの,Ilhan Omar や Cori Bush は議会下院のトランプ主義者たちの騒ぎに加わって,ロシア産化石燃料の輸入禁止に反対している.社会主義系雑誌 Jacobin の執筆者たちは,今回の戦争の非が合衆国や NATO にもあると非難しつづけている.――とまあ,こんな調子だ.ロシアの侵攻が始まって間もない頃に,憤懣やるかたない調子で,外交政策の分析者であり中東の専門家でもある Ibrahim al-Assil は連続ツイートで状況をうまく要約している:

アメリカの進歩派たちは,知的なジレンマに直面している.長年にわたって,彼らは合衆国の外交政策を批判ばかりしてきた.ひとつには,反資本主義のものの見方をとっているからでもあるし,また,よく考えないまま,帝国主義 & アメリカ支配の考えに乗ってしまったためでもある.以下で,説明しよう.

Ibrahim al-Assil のツイート

(al-Assil が「進歩派たち」と呼んでいるのは,社会主義者たちのことだ.全体として,民主党を支持している有権者たちは,プーチンやロシアや今回の侵略にとても強く反対している.)

もちろん,だからと言って,今回の出来事で社会主義系の左派がトランプ系の右派と同じくらいひどいというわけじゃない.いまのところは,ちがう.でも,右派よりは社会主義者たちの方がマシだろうとぼくなら期待する――あるいは,「もっとマシであることを願っている」というべきかもしれないけど.社会主義に共感している人たちの方が,トランプ主義に共感している人たちよりもぼくのブログを読む確率がずっと高いだろう.だからこそ,タッカー・カールソンとその仲間たちがロクでもない理由について延々とわめき立てたりせずに,社会主義者たちに覚える憤りをここでブチまける方に時間を使ってるわけだよ.

戦争が勃発する前,社会主義者たちは,外交政策を自分たちの軸にしてるところがあった.彼らの国内経済での方針は,バイデン政権の骨太な構想にお株をほぼ奪われてしまっていた――そして,そうした骨太な構想がジョー・マンチン〔民主党の有力な中道派議員〕に拒否され,世論でも生暖かい支持しかえられなかったとき,かりにサンダースが大統領だったとしてもこれ以上にうまくやれはしなかっただろうとわかってしまった.だが,外交政策という分野では,主流のリベラルたちと保守派たちとのあいだで意見の一致がずっと多い.そのため,本流の民主党員たちを糾弾するのに社会主義者たちが利用できる格好の材料になる.だから,イラク戦争への反対は,アメリカの社会主義運動の息を吹き返させる主要な材料のひとつになった.そうやって自分たちの強みをいかして戦うのは理にかなっていたわけだ.

その後,この軸を狂わせることが2つ起こった.一つ目は,バイデンがアフガニスタンから撤兵したことだ.これにより,9/11 以後のアメリカがイスラーム諸国で展開してきた「永久戦争」に終止符が打たれた.二つ目は,ウクライナでの戦争だ.この戦争では,合衆国と NATO が善玉の役を確かなものにしている.その役回りとは,帝国主義的な侵略と虐殺から自らを守る道具を勇気あるウクライナ人たちに供与する,というものだ.「世界の各地で起こる戦争は,アメリカの帝国主義が引き起こしたもので,これを突き動かしてるのは,でっち上げられた合意と強欲な軍産複合体だ」――みたいに考えるチョムスキーばりの社会主義者たちの外交政策の捉え方は,突如として,現実離れして見えはじめた.ヨーロッパの社会主義者たちの目にすらだ

実際,こんな捉え方は現実離れしてる.でも,バーニー・サンダースが大統領候補を争った選挙戦で運動が新たに息を吹き返して以来,危険なまでにファンタジー世界の領域にまで近づいていったのは,なにも,外交政策についての考え方だけじゃない.

アメリカの社会主義者たちの世界観で中枢を占めているのは,「変化の理論」だ (“theory of change”).2016年から2020年までの時期に,社会主義者たちと言葉を交わしてみれば,決まって,このフレーズを耳にしたものだ.純粋に選挙戦の観点だけで言えば,社会主義者の「変化の理論」は,こういう話だったようだ――「オバマからトランプに支持を切り替えたような白人労働者階級の有権者たちを伝統的な進歩派の支持基盤と統合する能力をもっていて,若者たちに投票に出かける意欲を吹き込めるのは,ひとりバーニー・サンダースだけだ.」

でも,バーニーにはそんなことできなかった.2016年には彼になびいていた白人労働階級の有権者たちを,2020年には失った.その一方で,民主党の予備選挙で支持基盤の中核をなしている黒人有権者たちとは,一度たりともつながりをもてなかった.それに,若者たちも投票に出向かなかった.スーパー・テューズデー以降,予備選挙の票がもっぱらジョー・バイデンに集まったとき,バーニー支持者たちは,どうにか物語をつくりあげようとした――「自分たちは有権者たちに拒否されたのではなくて,民主党本流の陰謀に後ろから背中を刺されたんだ」という物語だ.そんな話は,みんなに受け入れられなかった.

「変化の理論」には,「オーバートンの窓をズラす」という考えも含まれている.公の論議の範囲という伝統的な定義に代えて,「オーバートンの窓とは穏健かつ妥当な政策に該当するという世間の人たちの認識だ」と社会主義者たちはオーバートンの窓を構想しなおした.バーニーの「みんなにメディケアを」プランみたいなすごく劇的で極端なプランを提案すれば――ヨーロッパの社会民主主義諸国の制度をはるかにこえる「みんなにメディケアを」プランが実現していれば,民間健康保険は廃止されて,ありとあらゆるかたちのコスト共有が一掃されていただろう――〔そんな過激な案に比べると〕まだしも穏健な単一支払者制度や公共選択し制度が妥協案として実現できるだろうと,彼らは考えた.オバマケアのことを〔高価な医療を受けられない人がまだいるからというので〕「大量殺人制度だ」なんて言い立てた社会主義者は,ほんのわずかながらもいた.その理由は,とにかくオバマケアがバーニーのプランじゃなかったからだ.これは交渉の理論だ――初手で強い要求を押し出しておけば,求めたモノがぜんぶ手に入らないとしても,最後に手に入るモノはより大きくなるってわけだ.

この理論も,失敗した.「みんなにメディケアを」というフレーズは,世論調査では一貫して好評だった.でも,プランの詳細が解説されると,世論調査の数字はガクンと落ち込みがちだった.結局のところ,社会主義者たちは,いちばんいいと思っていた健康保険プランも,なんらかの妥協案も,手に入れられなかった――バイデン政権と民主党下院議員たちによって,健康保険はたんに重要度を下げられ,社会主義者たち以外の誰も,もう気にしていない様子だった.単純な事実を言えば,民主党はすでに莫大な政治資本を医療制度改革につぎ込んでいて,また同じようなすったもんだを繰り返す雰囲気は,国民のあいだにはなかった.社会主義者たちは月がほしいと言って,なにも手に入れなかった.

アメリカの社会主義者たちがいう「変化の理論」をつくりあげている3つ目の要素は,権力の理論だ.社会主義者たちに言わせると,アメリカの民主主義は金持ちにカネで買われていて,真の民主主義ではなく寡頭政治がまかり通っているのだという.(こうした考えは,階級にもとづくマルクス主義的な分析よりも,20世紀前半のアメリカで起きた進歩派の反汚職運動の方に似ている.これを見ても,アメリカの社会主義運動の本当の根っこは折衷的なのがわかる――けど,これは本筋からの脱線だね.)

この言い分は当たっているかもしれないし,当たっていないかもしれない.ただ,いまのところ,「アメリカは寡頭政治だ」という考えは証拠にもとづくものというより,信条にもとづく考えだ.この考えは科学的事実であるかのようによく宣伝されているけれど,実際のところ,その実証的な支えは,二流の政治学論文ただ一本に全面的に頼っている.そして,実は,Gilens & Page によるその論文に書かれているとみんなが思っているものはホントは書かれていなくって,しかも,研究文献の大半が言っていることと矛盾してもいる.この件については,去年の12月に書いておいた

この論文には他にもたくさん問題点がある.Matthew の論考をはじめから終わりまで目をとおして,さらに3つの批判論文を読んでみるといい.ただ,さっきの抜粋で引用されてた統計からして,Gilesn/Page の研究結果にとって明らかにマズい.モデル全体に,説明力はほぼ皆無だ――決定係数は 0.074 で,こんなにたくさん変数があるモデルでは,ゼロにひとしい.それに,Gilens & Page のデータからは,政策の結果がお金持ちに当てはまるのと同じくらい中流階層にも当てはまる傾向にあることがわかる.それってつまり,さっきのツイートで言われてるような主張は完膚なきまでに叩き潰されるってことだよ――「当選した議員たちは,この国の富裕層上位10パーセントの利益になる政策をつくりつつ,他のみんなの必要とするモノを除外している」なんて主張は,Gilens/Page みずからのデータで否定されてしまってる.

ずっと豊富な戦費を使いながらもバーニーがバイデンに敗れたとき,この理論の限界があらわになりはじめた.でも,そのメッセージは信仰の壁の向こう側にまで届きはしなかった.競争相手より2倍の選挙資金を出しながらも社会主義系の候補者 Nina Turner が民主党の予備選挙で敗退すると,彼女はこう主張した――自分は本当は負けていない,なぜなら今回の選挙は「邪悪な資金」によって「操作されて」いたからだ,って.

言い換えると,権力と寡頭制のこの理論って,主に言い訳をしてるように見えるんだよね――社会主義者たちが大衆に受けがよくないのは,金持ちの権力ブローカーどもが裏で手を回した策謀のせいだっていう空想で説明してみせる方法になってるように見える.この手の言い訳は,傷ついた自己をなぐさめてはくれるかもしれないけど,我が身を省みて考えるのにはあまりつながりそうにない.

でも,ぶっ壊れてるのは,べつに,社会主義者たちの変化の理論と権力の理論だけじゃない.具体的な政策問題についても,魔法みたいな解決案を差し出す知的なカルトを熱烈歓迎しがちだったりする.

その一例が,「脱成長」だ.アメリカよりもヨーロッパでウケてるものの,「世界は生活水準を劇的に切り詰めることで気候変動に対応すべきだ」という思想は,アメリカでもいくらか信用を得ている.この思想は,危険なたわごとだ.そのことに気づきはじめた左派系の論者はだんだん増えてきている.全世界での脱成長の指針を管理できる計画立案制度はない.かりにそれが可能だったとしても,脱成長で必要な人間の幸福の犠牲は大きくて,ものの数に入る国々すべてで,成功の見込みがない.(それに,脱成長を支える「科学的」研究文献はきわめて質が低い.) 実際問題を言えば,脱成長の唯一の機能は,環境保護運動を嫌われ者にして酷評の的にすることだけだ.

いっそう心配になる 2つ目の例が,左派の NIMBYイズムだ.全米で住宅価格が高騰して庶民の手に届きにくくなる危機が起こると,これに対して,各地の社会主義者たちはこんな理論を掲げている――「もっと建物を建てると賃貸価格が上がって高所得者ばかりが住宅地に増える.」 一目瞭然,この考えを全米規模に当てはめるのは馬鹿げてる.人々に住宅を建てなかったら,みんな住むところが見つけられなくなる.というか,地域のレベルですら,証拠は左派の NIMBYイズムを強く否定している.住宅をもっと建てれば賃貸価格は抑え込まれるし,たいてい,シャレた地域から低所得賃貸利用者が追い出されるケースが減る.でも,ご多分にもれず,証拠では社会主義者の世界観はびくともしない.最近の論考で,Nathan J. Robinson はこんな呆れかえる主張を展開してる.新規に住宅を建てる代わりに,新しく都市をあちこちに建設すべきなんだって

さて,左派の NIMBYイズムは,代替エネルギーにまでおよびつつある.アメリカの新社会主義者たちがもてはやしている「サンライズ・ムーブメント」は,もともと経済成長支持のグリーンニューディールを推し進める動きとしてはじまっていたのに,いまや各地の支部はしょっちゅうクリーンエネルギー・プロジェクトに反対している.サンライズ・ムーブメントもまた,シエラ・クラブのような従来の環境保護団体の轍を踏み始めているのかもしれない.これまでのそうした環境保護団体は,環境保護運動と経済発展の欠如とをイコールで結びがちだった.もちろん,そんな風に考えるのは,気候変動との戦いにとってきわめて有害だ.気候変動に対応するには,全国のあらゆるところでグリーンエネルギーの急速な開発が必要となる.ガソリン価格の高騰をサンライズ・ムーブメントが前のめりに非難しているのは,いい兆しじゃない.

もはやこれはパターンになってる.毎度毎度,こういうガマの油に自分たちの知的・政治的な資本をアメリカの社会主義者たちはつぎ込んでいる.もっともののわかった社会主義系の著述家たちがタイミングよく介入することでしか,MMT みたいなエセ経済学カルトにのめり込むのから救い出されることはなかった.ウクライナの自国防衛への反対に関しては,社会主義の運動は反アメリカ「陣営」思考にズブズブにはまり込んでいる――「誰であろうとアメリカに反対しているならそんなにわるいやつのはずがない」という思考にはまり込んで,プーチンみたいな右派独裁者にまでこれを当てはめている.

もちろん,新しい社会主義運動にはいい考えもいくらかある.でも,そうした考えも,声高に唱えられる幻想の騒音のなかに埋没して失われてしまう場合が,あまりにも多い.もしかしてアメリカの社会主義者たちは一種の代替現実みたいなものにみんなして浸りきっているんじゃないかって気がしてくる.フォックスニュースが提供するのと同種の幻想の世界観にハマっているんじゃないだろうか.そうした世界観は強力でどっぷり浸りやすいし,それ自体のなかでは辻褄が合ってこそいるけれど,歴史家のリチャード・ホフスタッターが言った「アメリカ政治のパラノイド・スタイル」をいっそう強烈にしたバージョンに他ならない.

これは残念な事態だ.理由はいくつかある.いちばん重要な点から言えば,アメリカは経済格差との戦いに献身する運動を必要としてる.経済格差は,いまや手に負えないほどになってしまっている.ぼくの子供時代からこれまでの間に,アメリカははるかに階級社会らしく様変わりしてしまったように感じる.一方,社会主義は,伝統的に,労働階級の権利と力のために戦う運動だった.その狭い使命の枠外ですら,西洋のさまざまな社会で,社会主義運動は独立不羈の重要な思想をたびたび提供してきた.パンクロックなど,ぼくの愛するサブカルですら,社会主義の夢に(ときに昇華されたり沈殿したかたちをとって)多くを負っている.

新しいアメリカの社会主義運動が愚かで非難されるべき考えや行動にはまり込んでいるのは,たんなる成長痛なのだと思いたい.でも,イギリスでのコービンの運動やフランスのメランションの運動がいっそう手ひどく失敗したのを見るにつけ,この点について楽観視するのは難しい.たしかに,アメリカの若者のだいたい半数は社会主義のことを好ましく考えている.でも,だからといって,運動がときとともにイカレた過激派に変貌していかずにすむかといえば,そうともかぎらない――その一例を挙げれば,アメリカで各種のリバタリアン思想はけっこう広く見受けられるけれど,自分のことを政治的リバタリアンだと自認するアメリカ人は皆無に近い.社会主義も同じような道筋をたどっていく様は,想像にたやすい.

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