Bimodal Lawyers: How Extreme Competition Breeds Extreme Inequality
November 10, 2013 by Peter Turchin
「エリートの過剰生産」、それが米社会で拡大する格差の行く末に関する議論に対して、私が吹き込もうとしている最も重要なアイデアだ。社会学的な定義を使うなら、エリートとは自らの手の内に権力を集めている人口の小さな一部分(典型的には1~2%)である。つまり彼らは権力者たちだ。また財産も権力の一形態であり、エリートは通常、トップレベルの資産保有者を含む。より一般化するなら、社会的権力には4つの源がある。経済的/金銭的、強制的/軍事的、行政的/政治的、そしてイデオロギー的/宗教的な権力だ(これについてはマイケル・マンの著作を参照)。
エリートの過剰生産とは、権力の座を巡る競争相手の供給過剰と定義される。単に「既存」のエリート(実際の権力保有者)が多すぎることを意味するのではない点に注意を。権力は持っていないが、それを熱望している(構造的人口動態理論の業界用語では『エリート志望者』という)数多の挑戦者たちもそこには含まれる。
構造的人口動態理論においてカギとなるプロセスの1つが、エリートの過剰生産によって経済的格差が広まることだ。わけても、人口全体(つまりエリートと非エリート――平民――との間)だけでなく、エリートたち自身の内部でも格差が拡大する点が重要。理論によると、エリート内格差の拡大に至るメカニズムは以下のようになる。労働力の過剰供給状態がエリートにとって望ましい経済的複合条件を作り出している時には、エリート階層にまで到達するような上方への社会的流動性が強まり、エリートの数が膨張しはじめる。タイムラグをおいて、エリートの数はその全てを支える社会の能力の限界を超えて増大する。結果、ビジネスや政府に関連する限られた数の地位を巡って、エリート内競争が極めて激しくなる。エリートのステータスを維持するための(一部はエリート内競争の結果として加速された見せびらかし消費に由来する)必要な所得レベルへの期待値も急速に高まり、問題はさらに悪化する。
エリート内競争が激化するにつれ、「勝者総取り」のメンタリティも生じてくる。勝者たちのグループにたどり着いたエリート志望者たちは、不釣り合いなほどの量の報酬を受け取りがちになり、一方で敗者の割合も拡大していく。結果、エリート内での格差が爆発的に広がる。少数者が所得と財産の急拡大を享受する一方、増え続ける多数の者がエリートの地位(即ちエリートの地位を保つのに必要な所得レベルの確保)を手にするための企てに挫折する。
増大するエリート内格差は通常、所得分布を一段と右側にゆがんだ、勝者の所得を反映した長い「太った尻尾」を伴う形に変える。だがもっと極端な場合、所得分布が実際に二極化することもあり得る。つまり、1つは勝者を、もう1つは敗者を示す2つのこぶが形成され、その間には極めて少ない人しかいなくなるのだ。
このダイナミクスを示す実際に起きている事例は、1990年代における米ロースクール卒業生の初任給分布の進化に見て取れる。1970年代から弁護士の数は全人口よりもずっと速く増加し始め、直近40年にわたって人口1000人あたりの弁護士数は1.6人から3.9人に増えた(この件は近刊予定の私の本、米国史の構造的人口動態分析 Structural-Demographic Analysis of American History [訳注:実際には不和の時代 Ages of Discord という題名で出版された]に記されている)。この期間のうち20年が経過した1991年の時点で、初任給の分布はまだ平凡なものだった。3万ドルのところに最頻値(最も一般的なレベルの給与)があり、「太った尻尾」は9万ドルまで伸びている。
言い換えるなら、これはまさに典型的な所得分布(富裕層の所得を反映して通常は右側に長い尻尾が伸びている)であった。1996年、右側の尻尾はより太くなり、小規模なピークが8万5000ドルのところに姿を見せた。
だが最もドラマチックな変化は続く4年の間に進んだ。2000年になると12万5000ドルのところに2つめのピークが現れ、それは4万ドルのピークとほぼ同じ高さに達した。
続く数年間に右側のピークはさらに左側のピークから遠ざかった16万ドルのところまで移動し、かつ大きく成長した。2010年には5万ドル周辺に集まったピークを小さく見せるに至った。
より最近では、大不況とロースクール卒業生に対する需要の崩壊の結果、右側のピークは14%まで低下したが、にもかかわらずその位置は(おそらく初任給の下方硬直性ゆえに)なお16万ドルのところにある。
同じ期間中、左のピークはほとんど動かず、現時点(2011年)で5万ドルのところに位置している。平均的なロースクール卒業生の借金負担はその倍(10万ドル以上)に達しており、つまり、事実上「敗者」のカテゴリーにいる個人はその借金を決して返済できないであろうことを意味している。言い換えるなら、2001年以降にロースクールに通ったエリート志望者たちのグループは、2つの完全に別々のカテゴリーに仕分けられた。トップランクのエリートに入ることに成功したものと、完全に失敗したものたちであり、その間には極めて少数の人しかいない。
これは注目に値する変化であり、所得が2つのこぶに分布している他の例を思いつくのはとても難しいほどだ。
仲間うちでは弁護士たちを悪者扱いするのが流行している(そしていくつかの愉快なジョークも生まれている)。だがこの事実は、弁護士たちが存在し、そのうえさらに弁護士たちが存在していることを示している。
最後に。革命はしばしば不満を抱いたエリート志願者たちによって起こされている。その中には不釣り合いなほど多くの数の弁護士たちがいる。実際には第2次アメリカ革命に等しい出来事[訳注:南北戦争]の指導者であったエイブラハム・リンカーンは、もちろん弁護士だった。そしてウラジミール・レーニンも、フィデル・カストロも……。
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