ピーター・ターチン「左派が国境の開放に反対しなければならない幾つかの理由」(2020年7月9日)

The Left Case against Open Borders
July 09, 2020
by Peter Turchin

このブログの読者ならご存知のように、私がここで表明している意見は、完全に無党派的で、イデオロギーも皆無だ。私の主たる関心は、科学が導くところにある。イデオロギーに基づいた考えは、データより学説が優先されており、それは科学ではない。また一方で、イデオロギーの信奉者は、信奉する学説の性質に従って、事実を無視したり捻じ曲げたりしている(例えば、『人類の社会進化に関するアナーキスト的見解』〔本サイトでの翻訳はここ〕を参照)。

しかしながら、これは、イデオロギー的な立場から出てくるものが、全て間違っていることを意味しているわけではない。マルクス主義を例にとってみよう。マルクス主義者は、今や特定方面では「害虫人間」レッテルとして使われていることを私は知っている。なので、本エントリでは、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス、そしてその他信奉者達の哲学的アイデアだけを取り扱ってみたい。

マルクス主義に対する私自身の考え方は、人生の中で大きく揺れ動いている。私はソ連で育ったので、学校ではマルクス主義が強制されていた。ただマルクスとエンゲルスの考えは、私には曖昧模糊としたものに感じられた。しかし、生態学から人間社会の研究に転向してから、マルクスの理論には興味深く、有効な考えがあることに私は気づいた。マルクスとエンゲルスで主に問題となっているのが、彼らは非常に限られた経験的証拠しか扱っていなかったことにある、と今は考えている(例えば、彼らはSeshatのデータバンク [1]訳注:Seshatは全世界のアカデミアを繋いで、歴史の定量データを集めるために創設されたターチンが代表を務める研究機関。 を持っていなかった)。今の私は、マルクスが(マルサス、デュルケーム、ウェーバーなどの他の重要な思想家と共に)構造人口動態理論に貢献したことを認めている。さらに、多くの現役のマルクス主義の思想家達による考えは、複雑な社会がどのように機能しているかについて、様々な側面から明らかにするのに有用であることに私は気づいた。例えば『不和の時代』の10章で、キティ・カラヴィータの「資本主義国家の構造モデル」を私は使用している。参照してほしい。

もっと最近の例だと、アンジェラ・ネイグル [2]訳注:1988年生まれのアイルランド人ジャーナリスト。ネイグルはマルクス主義者を標榜しているが、一方で著作”Kill All … Continue reading の『左派が国境の開放に反対しなければならない幾つかの理由』だ。このタイトルは、自己撞着的な「語義矛盾表現」に見えるだろう〔訳注:左派は国境の開放に賛成すべきだとされているはずなのに、「反対しなければならない」との立場は矛盾している、という意味〕。ネイグルは以下のように言及している。

移民に関して、アメリカの公的議論は非常に感情的になっており、単純な道徳・政治的二分法が蔓延することになっています。移民に反対するのは「右派」、賛成するのは「左派」なのだ、と。しかしながら、移民に関する経済学は、異なった見解を示しているのです。

もちろん、経済学は、移民に関する公共政策で反映すべき考慮事項の一つにすぎない。この件は非常に感情的な問題になってしまっている。ネイグルは以下のように書いてる。

低賃金移民には、ICE〔米国移民・関税執行局〕から犯罪者認定されて追い回されている、地中海で溺死している、といった義憤を抱かせるイメージが付随しています。そして世界中で反移民感情の高まりが懸念されており、違法移民は標的にされていること等で被害を受けています。なので、左派が「彼らを守りたい」と考える理由は容易に理解できます。むろん守るべきでしょう。ただ、左派は、移民の人間としての尊厳を守るために、正しい道徳的衝動に基づいて行動することで、戦線をあまりに後退させすぎており、搾取的な移民制度そのものを事実上擁護してしまっているのです。

私がやりたいのは、このブログでよくやっているように、ネイグルを補足し、表面下に潜む構造的な経済学的問題、そしてより深い権力構造問題にまで目を向けることだ。

経済学的な論拠は非常に分かりやすい。大規模な移民は労働供給を増加させ、結果、労働コスト、すなわち労働者賃金を押し下げる。このようなプロセスは、疑いようもなく、労働の消費者(雇用主や「資本家」)に利益をもたらし、労働者に不利益をもたらことになる。

もちろん、移民は、賃金に影響を与えている多くの影響要因のほんの一要素に過ぎない。私は、この問題を、ブログの一連のシリーズ「実質賃金はなぜ上昇を辞めたのか」で調査しており、4回目のエントリ「実質賃金はなぜ上昇を辞めたのかⅣ:全て統合する」で要約を行っている。私の結論は、移民は、過去数十年間の米国における賃金の停滞/低下に大きな影響を与えているが、単独要因にはなっていない、というものだ。労働者賃金を保護する為に、強力な機関・団体・制度等が存在しない限り、労働力の過剰供給は賃金を押し下げることになる――単純な需要供給の法則の作動である。

ネイグルが指摘しているように、これはカール・マルクスにとっては自明だった。

マルクスは、19世紀に起こった移民の影響について、非常に否定的な見解を示しています。マルクスは、2人のアメリカ人支持者に向けた手紙の中で、低賃金のアイルランド移民が、イギリスに輸入されたことで、イギリス人労働者とアイルランド人移民との間に敵対的な競争が強いられることになった、と主張しているのです。マルクスは、移民は労働者階級を分裂させ、植民制度の延長線上にある搾取制度の一部だと想定していました。

これは、移民の負の影響を受けた労働者や労働者の組織からしても自明のことだった。

1882年に移民を制限した最初の法から、1969年のセザール・チャベス [3]訳注:メキシコ系アメリカ人。農業従事者による労働組合運動や公民権運動の中心となったことで有名。 ら多民族の農業従事者によって創設された全国農場労働者協会の不法移民の利用と促進の反対に至るまで、労働組合はしばしば大規模移民に反対してきました。彼らは、不法で、低賃金の労働者を計画的に輸入することは、労働者の交渉力を弱め、搾取の一形態であると考えていたのです。労働組合の力は、労働力の供給を削減したり撤回させる能力に本質的に依存しており、全体的な労働力を簡易・安価に代替できるようになることは、この能力が機能しなくなる不可避の事実に陥ってしまいます。国境を解放し、大量の移民を受け入れることは、ボス〔資本家〕の勝利なのです。

事実、無制限の移民の受け入れることへの大衆的な反対は、アメリカ史では相当過去に遡ることが可能だ。1854年には、反移民のネイティブ・アメリカン党(“ノウナッシング”)は、ヨーロッパからの移民に非常に影響を受けていた複数の州で、圧倒的な勝利を収めている(マサチューセッツ州で63%、ペンシルバニア州で40%、ニューヨーク州で25%の票を獲得した)。

このパックによる1888年の風刺漫画は、大規模な低賃金の移民を歓迎している実業家と、その実業家がアメリカの労働者を失業させている様を批判している。

そして、驚くまでもないが、アメリカの経済界のエリート達も、移民の流入が続くことが、労働者賃金を押し下げ、資本収益率を上昇させていることを十分に認識していたのだ。アンドリュー・カーネギーは1886年に、移民を「毎年国内に流れ込む黄金の水流」に例えている。19世紀の間、企業コミュニティは、この「黄金の水流」が確実に流れ続けるために、しばしば合衆国政府を利用している。例えば、1864年(リンカーン政権期)には、議会は「移民促進法」を可決させている。この法律の条項の一つには、連邦移民局の設置が含まれており、設置の明確な目的に「余剰労働力の開発」があった(太字は私の強調)。

今日、産業界のリーダー達は、この問題については以前よりはるかに慎重な態度を取っている。彼らは、公の場ではこの件では口を閉ざしており、代わりに移住者の人道的側面を強調することを選択している。ただそうだとしても、彼らの内どのくらいが以前と同じことを考えているのだろうか? と人によっては気にするだろう。

ネイグルの主要主張を根幹レベルまで裸にすると以下となる。

支配的エリート達は、非エリートを食い物にするため、グローバリゼーションを利用して権力を高めている。これによって、労働者から「ボス達」に富が再分配されている。そして、この余剰の富の一部は、大企業の為の巨大な政治的権力として変換されている。さらに、現地労働者と移民労働者の対立は、労働者の団結能力を蝕んでいる。

最終的にネイグルは以下のように主張している。

今日の善意の活動家達は、大企業の愚かな便利屋になってしまっています。活動家達は「国境の解放」を提唱し、移民の規制は言い表せないほどの邪悪であると見なす熱狂的な道徳絶対主義を採用しているため、搾取的な大量移民システムへの批判は、神への冒涜として却下されているのです。

〔※以下多数書き込まれた読者のコメントへのターチンの返答である。質問要旨は訳者が〔〕内の文章で要約している。〕

ピーター・ターチン 2020年7月10日

コメントの全てに感謝します。〔私の構造人口動態理論への〕批判については、過去の著作等で言及しているため、ここでは詳細に返答しません――最も包括的に言及しているのが『不和の時代』ですが、他にもこのブログの過去のエントリで多く言及しています。以下に返答を箇条書きします。

1.〔構造人口動態理論は、農耕国家と生物学を元にしており、近代国家に適用できないのでは?〕
もちろん、現代の豊かな民主主義国家は、昔の農耕主義の帝国とはかなり異なっている。私はこの違いを十分に考慮した上で、今日の工業国を分析する理論のバージョンを使用している。『不和の時代』の第1章を参照して欲しい。

2.〔アメリカは移民を大規模に受け入れていた1830~1920年に高成長を遂げているのでは?〕
アメリカが高水準で移民を受け入れていた最初の期間(1830~1920年)では、たしかにアメリカは「豊かな」国になったが、富の大部分は上位1%に集中しており、大多数の国民の幸福度は低下している。生来のアメリカ人の平均身長は2インチ〔約5センチ〕近く低下しており、平均寿命は8年短くなっているのだ!

3.〔移民の増減と労働賃金の関係は単純な需給関係で計測できないのでは?(「低賃金→高生産性→経済成長→長期的な賃金増」等が質問されている) エネルギーの問題はどう考えているのか?〕
移民と労働者賃金の関係は、多くの他の要因によって(特に現在は)可変しているため、複雑なものになっている(19世紀はもっと直接的に関係していた)。なぜ、実質賃金が低下したかについては、私の過去のエントリを読んで欲しい。

エネルギーに関しては、私はまだ完全に体系立った意見を持ち合わせていない。一部の人は、エネルギーが歴史の中で重要な要因になったと主張しているが、私は懐疑的だ。一方、私は、ヴァーツラフ・スミルの”Energy and Civilization(エネルギーと文明化)“を読む必要があるのだが、積ん読になっていて、順番待ち状態である。

〔※以下、コメント欄での文化進化論の創始者ピーター・リチャーソンとターチンのやり取りである。〕

ピーター・リチャーソン 2020年7月9日:
経済学者達が、「移民は、現地労働者の賃金を押し下げない」と言っているのをよく見かけます。この経済学者の議論の根底にあるものを把握していますか?

ピーター・ターチン 2020年7月10日
イエス。この質問への最適の解答は、ジョージ・ボージャスの『移民の政治経済学』です。(このブログで書評を書かなくては!)

ブログの過去のエントリも参照してください。
http://peterturchin.com/cliodynamica/why-statistics-are-not-damned-lies-the-effect-of-mariel-boatlift-on-miami-wages/
このエントリでは、2人の経済学者が、同じデータを使って正反対の結論に至っている様を議論しています。

ピーター・リチャーソン 2020年7月10日
ピーター
ボージャスの本の書評を発見しました。書評は、ボージャスの分析に批判的ですね。議論はかなりテクニカルなものになっている。

Card, David, and Giovanni Peri. “Immigration Economics by George J. Borjas: A Review Essay.” Journal of Economic Literature 54, no. 4 (2016): 1333-49.〔デヴィッド・カード&ジョヴァンニ・ペリ「ジョージ・ボージャスの『移民経済学』:批評小論」〕

ピーター・ターチン 2020年7月11日

確かにテクニカルですね。カードとペリの分析を掘り下げずに、彼らのボージャスへの批判の妥当性を正確に判断するのは難しいかもしれません。ただ、論点は非常に明確です。複合力学のモデリングと分析を私はかなり広範に経験してきました。なので、カードとペリの、10年単位でデータを収集して比較するアプローチは、私からすれば非常に不明瞭な分析手法に見えます。10年もの長期間では、非常に多くの動態が起こる可能性があります(実際起こります)。ボージャスのアプローチは、この問題を回避しています。

マリエリトスの事例研究は、データを一年単位で読み解いているため、移民ショックにおける賃金の反応で、タイムラグを視認することが可能になっており、特に有用なものとなっています。

ボージャスの研究は、第1原理解析とデータ分析を組み合わせたモデルとなっており、特に価値が高いものとなっています。論理的一貫性と、実証に裏付けられたストーリーを共に提供しています。

最後に、私が一番関心があるのが、国家レベルでの分析です。この国家レベルの尺度では、マリエリトスとボージャスのアプローチは両者共に同意できます。しかしながら、カードとペリの推定は統計的に有意ではありません。ただ、これは、上で言及したアンダーサンプリングの問題によるものかもしれません。

References

References
1 訳注:Seshatは全世界のアカデミアを繋いで、歴史の定量データを集めるために創設されたターチンが代表を務める研究機関。
2 訳注:1988年生まれのアイルランド人ジャーナリスト。ネイグルはマルクス主義者を標榜しているが、一方で著作”Kill All Normies“で、文化左翼を強く批判し、左派やフェミニストがポリティカル・コレクトネスやアイデンティティ・ポリティカル等に関心を持ちすぎた事で、オルト右翼のバックラッシュを招いた、と主張して欧米で話題を呼んだ。
3 訳注:メキシコ系アメリカ人。農業従事者による労働組合運動や公民権運動の中心となったことで有名。
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