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ブランコ・ミラノヴィッチ「ミルトン・フリードマンと労働者管理企業」(2020年10月15日)

Milton Friedman and labor-managed enterprises
Posted by Branko Milanovic Thursday, October 15, 2020

 1973年の春、ミルトン・フリードマンはユーゴスラビアを訪問した。彼はその旅の数週間後、この訪問についての非常に興味深いやり取りを録音しているリンク先を参照;このリンクは私の友人であるミロス・ヴォイノヴィッチが発掘したものだ)。フリードマンのユーゴスラビアに対する印象と、そこで出した結論は非常に明確で的を射ている。ただしフリードマンの考えは当時において特に目新しいものではなかった。彼が言及しているユーゴスラビアの協同組合(正確には自己管理型企業、SME)の問題は1973年の時点では大変よく知られていた。それでもやはり、フリードマンのまとめは非常に的確であった。またおそらく彼は、よく計画された訪問と良い対談相手に恵まれていたようである。私はフリードマンと対談したメインホストが、ベオグラードの傑出した経済週刊誌である『Ekonomska Politika』に所属する優秀なジャーナリストであったことを漠然とだが読んで覚えている(私の初期の記事のいくつかはここで出版されているので、この雑誌に対する私の評価にはいつも多少の好意的バイアスがかかっている)。

 皆さんにはフリードマンの話を聞くことを勧めるが、フリードマン(もちろん他の人も)が指摘したSMEの3つの大きな欠陥についてもう少しだけ述べておきたい。これは労働者による経営と所有という考え方が再び人気を集め始めている今、特に重要と言える。

 まず第一の欠陥は、SMEにおいて最大化されるものと関係している。米国の協同組合と同様、SMEは労働者一人当たりの平均生産量を最大化する。なぜなら、この時点で労働者の賃金が最も高くなるからだ。つまり、SMEは「労働の限界生産力=賃金」となる時点まで生産を拡大することはない。それゆえ起業家が経営する企業よりも、SMEが雇用する労働者は少なくなる。これは実際に確認されたことである。ユーゴスラビアのSMEは雇用の拡大を嫌っていた。労働者の大規模なドイツへの移住があったにもかかわらず、ユーゴスラビアの失業率は1970年代から1980年代にかけて常に10%前後で推移していた。スーザン・ウッドワードのような著述家の中には、1980年代の債務危機の後に課されたIMFの緊縮政策と相まって若者の高い失業率がユーゴスラビア崩壊の原因であったと考える者もいる。(この点についてはここでは触れない。)しかし、SMEが雇用を増やすのに消極的であったため、政府は1980年代に「新規労働者の雇用義務化」という法律を制定し、それぞれのSMEに年率2%の雇用増加を義務付けた。これは市場に適した合理的政策とは言えない。

 フリードマンが指摘した第二の問題は、全てのSMEが、労働者一人当たりの平均生産量や賃金が大きく異なる状況であっても均衡が保たれている可能性があるということである。賃金は企業の資本集約度や生産部門にも左右されるため、(発電のような)資本集約度の高い部門の労働者は、繊維部門の労働者よりも遥かに高い賃金を得るだろう。また、前のパラグラフで説明した理由から、企業間での移動の傾向は見られない。(高賃金の企業は既に最大値に達しているため、これ以上の労働者を雇うことはないだろう。)これは前に挙げた問題と同様に、1958年にベンジャミン・ワードが発表した画期的な論文において既に指摘されていた。またこれはジャロスラフ・ヴァネックの記念碑的な『労働者管理型市場経済の一般理論』において詳しく述べられている。この問題(及びその前の問題)に関する数多くの論文が、『Journal of Comparative Economics(比較経済学ジャーナル)』と『Economic Analysis and Workers’ Management(経済分析と労働者の経営)』という市場社会主義を扱う2つの主要な雑誌で発表された。(1970年に発表されたディンゴ・ドゥブラフチッチによる素晴らしい論文ジェイムズ・ミードの1972年の論文も参照されたい。)

 第三の問題は、資本が「社会的に」所有されていたという事実に関係している。SMEにおいては資本が労働者から疎外されることがなかった。つまり他の誰かに売却されるということはあり得なかった。労働者は用益権1 のみを享受し、それが次の問題につながった(ところでこの問題はバスクのモンドラゴン協同組合企業2 でも明らかとなっていた)。労働者が純利益のうちどれだけを投資ではなく賃金に配分するかを決めなければならない際に、彼らはより高い賃金を求める傾向があった。それは単に純粋な時間選好によるものではなく、賃金が完全に(明確な)私有であったためであり、労働者は元本と受取利息の両方を所有している貯蓄口座を開くのにその賃金を使用できた。しかし、同じ金額が自分の会社に再投資された場合、労働者が得られるのは投資収益のみであり、元本は残りの「社会的」資本と統合され、労働者の手元には戻ってこない。では、あなたが一年後に定年退職を控えていると想像して欲しい。あなたには賃金を100ドル上げるか、それを会社に再投資するかの選択肢がある。あなたはどちらを選ぶだろうか?

 フリードマンがインタビューで正しく述べている通り、ユーゴスラビアの政策立案者たちは企業が賃金を分配しすぎていると繰り返し訴え、賃金に重い税率をかけることでより多くの資金を投資にまわすようなインセンティブを導入しようと試みた。しかしその結果はあまり芳しくないものであった。

 これらは労働者・自己管理型企業のもつ本質的な欠陥である。これら欠陥ほとんどが非私有資本に由来している。これはどうしてこの手の協同組合のモデルが、労働者も株主となっている私有協同組合とは区別されるべきであるかを示している。例えば後者の場合、最後に挙げた問題は完全に取り払われる。最初の2つの問題は残るものの、2タイプの労働者を導入することで「解決」される。すなわち、株主である労働者と雇われ労働者である。モンドラゴン協同組合企業はまさにそれを行った。

 SMEの利点は、職場における民主主義であった。当然ながらヒエラルキー型のミニ独裁国家として運営される類似の資本主義企業よりも、労働者の権利と権力ははるかに強かった。SMEの民主的な性質が(前に挙げた全ての欠陥を補って)生産性にプラスの効果をもたらしたかどうかについては、すでに研究が行われていたと思うが、私には分からない。

 最後に、このようなシステムの本質的な長所と短所を評価するには、ユーゴスラビアの特殊事情に起因するような特徴は無視すべきだ。というのもSMEのシステムそれ自体の評価とは無関係だからである。実際そうした特徴が少なくとも2つある。

 第一に、大企業や主要企業では共和国政府とユーゴスラビア共産主義者同盟がその名簿にあるメンバーをトップに任命したために労働者の権利の一部が制限された。これは職場における「統制された」民主主義であった。これらの被任命者多くは、会社を経営する素質がないことが多かった。彼らは基本的に実業家のふりをした政党所属の政治ゴロであった。スロボダン・ミロシェヴィッチ3 は最も有名なその例である。彼はユーゴスラビア最大の銀行の頭取となり、いつもロックフェラーやチェース・マンハッタンと巧みに取引を行っていると自慢していたが、彼はおそらく銀行業務についてほとんど知らなかった(彼は法律学で卒業している)。

 第二に、1974年の憲法制定(フリードマンが言及しているように、彼の訪問中に議論されていた)後のユーゴスラビアは、ユーゴスラビア共産主義者同盟の寡頭制によって支配される連合体として機能していた。各共和国はSMEや特に銀行システムをより良くコントロールしようとしただけでなく、資本や場合によっては商品の自由な移動まで制限を課すことで単一市場を弱体化させようとした。それゆえSMEは、政治的寡頭制による大きなコントロールの下、これまで以上に制限のある市場で機能していた。

 最後に挙げたこれら2つのユーゴスラビアの特徴(一党制と経済自立国家に向けた極端な地方分権)は他の国で同じように考慮する必要はない。

  1. 訳注:他者の所有物をその本体を変えずに一定期間使用する権利。 []
  2. 訳注:スペインのバスクに基盤を置く労働者協同組合の集合体。人と労働者主権に基づいたビジネス・モデルに従って運営され、連帯に根付いた強い仲間的な会社の発展を可能にしており、強い社会的な思想によっているが、ビジネス的な手法を否定しない。協同組合らは、その労働者組合員によって所有されており、権力は一人一票の原理に基づいている。 []
  3. 訳注:欧州ではベラルーシのルカシェンコ大統領と並ぶ独裁者と見られ、いわゆる戦争犯罪に手を染めた人物として有名。1992年のユーゴスラビア社会主義連邦崩壊後は一貫してNATO諸国と対立し、一連のユーゴスラビア紛争における戦争犯罪人として身柄を拘束された。 []

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