オリヴィエ・ブランチャード 「1.9兆ドル救済プランへの懸念を弁護する為に」(2021年2月18日)

(訳者:バイデン政権の1.9兆ドルにのぼるコロナ救済計画について、経済学者かつクリントン政権時代の財務長官でもあったサマーズがその計画にたいする懸念を表明するコラムを書いた事から、それを支持するブランチャード、批判するクルーグマンといったように民主党支持のリベラル派内でこの1.9兆ドルの計画についての論争が起こっています。これはブランチャードによるなぜ懸念するのかについての記事です。ちなみに訳したのは別にブランチャードを支持しているからではなく、論争当事者の声を紹介したかったからです。)

In defense of Concerns over the $1.9 Trillion relief plan

弱者保護と景気刺激策で「大胆に行く」必要性についてジャネット・イエレン財務長官と同意するものの、バイデン政権の1.9兆ドルのコロナウイルス救済計画の大きさについては懸念をもつ経済学者(私を含む)は、景気の過熱とインフレを過度に懸念しているという批判をうけており、健全な議論が噴出している。このブログ記事ではこの議論における3つの主要な問題を取り上げ、そしてなぜ私が懸念しているのかを説明していく:まず第一は、産出量ギャップの規模について、つまり経済の実際の生産と潜在的な生産のギャップについて;第二は、乗数の規模について、つまり景気刺激策の想定されうる効果について;そして第三が、景気加熱した経済がどれほどのインフレを生み出すのかについてである。

産出量ギャップについて

今月初めのローレンス・H・サマーズ前財務長官との議論の中で、ポール・クルーグマンは産出量ギャップをどのように測定すればよいのか我々には分かっていないと述べている。私も同感だし、私が産出量ギャップ測定に疑問を持っている事は記録にも残っている。私はこれまで、経済状況はそれほど悪くなく需要拡大政策の余地がほとんどないということを示すために産出量ギャップが操作されるのをいくつもの国々について見てきた。しかし、今回については、産出量ギャップの規模についての妥当な上限を導き出すことができる。

2020年1月の失業率は3.5%と1953年以来の低水準であった。これが自然率に近いと考えるのは妥当だろう。言い換えると、産出量は潜在産出量におそらくは非常に近かっただろう。米議会予算局(CBO)は、過去数年間の潜在的な実質成長率を約1.7%と見積もっている。2020年第4四半期の実質GDPが前年比2.5%減であったことを考えると、このCBOの推計は、2020年第4四半期の産出量ギャップは1.7%+2.5%=4.2%、つまり名目だと約9000億ドルとなる。

COVID-19による直接または間接的な供給制限を考慮すると、9,000億ドルというのは需要の増加によって埋める事ができるギャップとして過大評価であることは間違いない。パンデミックは潜在的な産出量を著しく低下させており、少なくとも今年のかなりの部分ではその状態が続くだろう。控えめに、2021年の潜在産出量は、COVID-19がなかった場合と比較して1%減少すると仮定してみよう。そうすると、2021年に需要の増加によって埋められる産出量ギャップはわずか6,800億ドルである。

 

乗数について

もし1.9兆ドルのプログラムが可決されれば、それは2020年12月に可決された9000億ドルのプログラムに追加されるわけだから、合計2.8兆ドルの規模となる。私がほかで論じたように、2020年に蓄積された1.6兆ドルにのぼる家計の過剰な貯蓄の一部が支出に転じるというのはありそうなことである。だがここで再び非常に保守的になり、この潜在的な需要増と(6000億ドルくらいの消費者需要の増加は私にはあり得ないとは思えない)、バイデン政権が約束したインフラ計画による支出の増加の両方を脇に置いておくことにしよう。

2.8兆ドルの景気刺激策がどれほどの総需要を産むかは乗数に依存する。乗数が1ならば、この2つのプログラムは2.8兆ドルの追加需要を生み出し、相当に過大に見積もった9000億ドルの産出量ギャップの3倍ほどになる。乗数が0.3ならば、景気刺激策はギャップを埋めるのに近く、過熱を心配する理由はもはやない事になる。

乗数の妥当な値はいくらだろうか?3つのポイントがある為に意見が分かれている。第一に、単一の普遍的な乗数というものは存在しない。歳出、減税、補助金、州への補助金などの乗数はすべて異なる。乗数は、人々が楽観的かどうか、流動性の制約を感じているかどうかなど、諸々の要素に大きく左右されるし、これらの認識は時間の経過とともに変化する。第二に、このような予測不可能性のせいもあり、はっきり言ってあまり良い乗数の推定値を我々はもっていない。たとえばValerie Ramey (PDF)によるこの優れたサーベイを確認してみて欲しい。第三に、オタク的なポイントではあるが、乗数は限界消費性向に非常に非線形的に影響をうける。減税についての乗数の教科書的な公式、m=c/(1-c)、mが乗数でcが限界消費性向、を思い出してほしい。もしc=0.5なら乗数は1だし、c=0.3なら乗数は0.4である。もしc=0.7ならば乗数は2.3となる。cが0.3であるか0.5であるかを見極めるのは困難なことだ。

それでも、大まかな推測をしてみる価値はある。

金利が変わらないと仮定し、つまり連邦準備制度理事会が提案されたプログラムに反応しないと仮定し、輸入への影響(合衆国にとっては小さい)を無視すると、政府による直接支出の国内支出への最初の直接的な効果は1であり、したがって乗数は1より大きい(教科書の式を使うと1/(1-c))。これはプログラムの中のパンデミックと戦うための直接的な支出の部分を評価する為に使うのに適した乗数だと思われる。

家計への送られる小切手、失業給付、児童手当、その他の給付金はどうだろうか。受給者はそのお金の大半を貯金するので乗数は低いだろうと議論されてきたが、私は2つの理由で懐疑的である。第一に、これらの政策の理由は困っている人を助けることだとしながら、小切手を受け取る人はお金を使うのではなく貯金をすると仮定するのには明らかな齟齬がある。このパンデミックの期間に、子供を抱えかつ食べ物に事欠いている世帯の割合が急増している。そのような人々が小切手を貯金するとは考えにくい。平時の一時的な小切手による給付の限界消費性向の推定値は0.5ほどであるが、小切手が主に流動性や収入に制約のある世帯に回っている場合には、それ以上になる可能性が高い。第二に、家計が本当に節約する方法の一つとして滞納している家賃の支払いがある。2020年には家賃滞納の割合も大幅に増加していた。賃借人がこれを行えば、彼ら自身は確かに貯蓄をする(負債を減らす)ことになるが、家賃は家主に支払われるし、彼らはそのかなりの部分を使うことになるだろう。

現在の状況下でのプログラムの様々な側面についての乗数の詳細な分析は、私の能力を超えている。しかし、有用な試みとして、1.9兆ドルのプログラムのさまざまな要素について、経済アドバイザー評議会(CEA)の2014年の報告書、表3-5に示されている乗数を使って(今日の状況は当時とは異なっているかもしれないことを認識しながら)、それが総需要にどれほどの影響を持つかを見ることはできる。

下の表はその結果をまとめたものである。表の最初の列は、プログラムのさまざまな構成要素を(10億ドルの単位で)示し、次の3列はCEAによる関連する乗数の最善の推定値とCBOによるさまざまな乗数の高い値と低い値の推定値を示し、そして最後の3列は、総需要に対するプログラムのそれらの乗数による効果を示している(乗数と総需要についてより詳細な分析を現在行っているジェイソン・ファーマン氏には、この表の作成に協力していただいたことに感謝する)。

*このプログラムの合計は総計550億ドルに上る支出を除いている。これはそれらについての適切な乗数が何なのか判断がつかなかった為だ。

ソース:乗数の推定値は Council of Economic Advisers 2014 report, table 3-5 (PDF)より。プログラムの支出額の分類はジェイソン・ファーマンより。
(訳者:表全部がちゃんと表示されない場合は表をクリックしてみてください。)

 

この表から、2つの明確な結論が得られる。全体の平均乗数(パッケージの規模に対する平均の乗数を用いて計算された効果の合計による総需要増加の比率)は2195.5/1845、つまり1.2に等しい。しかし、不確実性の度合いは非常に大きい。全体の乗数は、低い乗数の推定値の下では0.4、高い乗数を使うと2.0近くになる。

要するに、乗数は本当に不確実性が高い、そして特に現在の環境ではそうだろう。しかし、全体の平均乗数が0.3に近いと考えるのは私にはかなり難しい。

 

インフレについて

このパッケージの規模を擁護する人たちは,仮に大幅な景気過熱が起こったとしても,それが高インフレにはつながらず,よって連銀が劇的に金利を引き上げる事にはならないだろうと主張している。

実際,現在のフィリップス曲線の推定(インフレ率と失業率の間に負の関係があることを示すもの)は,特に心配すべき結果を示していない。議論のために、景気刺激策は正の産出量ギャップにつながって、実際の産出量が潜在的な産出量を5%上回ったとしよう。失業率の変化とGDP成長率との関係を示すオークンの法則(これは、近年においては、生産量が1%減少すると失業率が約0.5%増加することを示唆している)を使うと、この5%の生産ギャップは、失業率が自然率より約2.5%ポイント低いことを意味している。したがって、自然率を4%程度とすると、失業率は1.5%になる。インフレ期待値にタガがはまっており、よって実際のインフレ率に反応しないと仮定し、さらに失業率が1%ポイント下がるごとにインフレへの影響が約0.2%と仮定すると(これは私自身の分析における最近についての回帰係数に近い)、インフレ率は0.5%上昇することになるが、これは眠りを妨げるほどのものではないだろう。実のところ、連銀が2%のインフレ目標を超えるという長期的な目標を掲げていることを考えると、このような上昇は望ましいことであろう。より大きな係数の推定値、たとえばEmi Nakamura et. al. (PDF)が導き出した0.5%前後のようなものを使っても、インフレ率の上昇はたった1.25%前後に過ぎず、破滅的な上昇とはならない。

問題は、現在のインフレ率と失業率の関係が維持されるかどうかであり、それを心配するには十分な理由がある。フィリップスカーブの歴史はそのシフトの歴史だ。その主な原因は、実際のインフレに対するインフレ期待の調整にある。確かに、期待値は長い間非常に安定的で、どうも実際のインフレ率の動きには反応しないようではある。しかし、上に述べたような景気が過熱した状態では、期待はタガが外れるかもしれない。もしそうなれば、インフレ率の上昇幅はさらに大きくなりえる。

ここで、下の図に示されている1960年代に起こった事との比較は意味があるだろう。1961年から1967年まで、ケネディとジョンソンの両政権は経済にその潜在産出を超えたところで運営して、失業率を4%未満まで着実に低下させた。インフレ率は上昇したものの1%から3%弱にまでと大きな上昇ではなく、多くの人々にインフレと失業率の間には恒久的なトレードオフがあると思い込ませていた。しかし、1967年にはインフレ期待は調整され始め、1969年までにはインフレ率は6%近くまで上昇して大きな問題とみなされるようになり、財政・金融政策は引き締められ、1969年末から1970年末にかけての不況へとつながった。

 

合衆国政府が1960年代に経済をその潜在産出よりも高く運営した事が60年代末のインフレ急上昇につながった

インフレvs失業率、1960-1969

ソース: Federal Reserve Bank of St.Louis.

(訳者:図がちゃんと表示されない場合、図をクリックしてみてください。)

1960年代の状況は長きに渡っての蓄積の結果であって、二度と起こらないと主張する事もできるだろう。特に支出の増加が大部分は一時的なものであると認識されるなら。失業率がそれほどまでに低くなっても、失業率のインフレへの影響をしめす係数とインフレのインフレ期待への影響をしめす係数の両方が一定であり続けるかには私は懐疑的だ。乗数や限界消費性向と同じく非線形性がかかわってくる。例えば、もしインフレがインフレ予想に影響を与える係数が0.5なら、失業によるインフレへのフルの影響は2倍になる。係数が0.7まで上昇すると、その効果は3倍になる。

もしインフレが上昇を始めたなら、その後について2つのシナリオがありえる:1つ目は,連銀がインフレ率の上昇,それもおそらく大幅に上昇するのを容認するシナリオであり,もう1つは,そしてこれがもっとありそうだが、連銀が金融政策を引き締める,それもおそらくこちらも大幅にというものだ。2つのシナリオのどちらも理想的ではない。1つ目においては,インフレ期待が漂流を始める可能性が高く、そうなれば過去20年間の金融政策の主要な成果の一つが打ち消され,将来的に金融政策を利用することがより困難になる。2つ目においては、金利の上昇幅が非常に大きくなるやもしれず、金融市場の問題につながりえる。そんな事にはなって欲しくはない。

バイデン政権の提案をめぐる議論には、他にも多くの重要な側面がある。政治の現実というものもある:好機の窓は将来的に閉じるかもしれないし、中間選挙シーズン中に経済が好調なのは利点だろうし、そして各アメリカ人に1,400ドル以下の小切手を送ることは約束を破る事だと見なされえる。そして私が議論していない他の経済的な問題もある:パッケージがない場合の民間需要はどうなるか、州や地方政府の支出のタイミング、景気刺激策がインフラプログラムのために残す余地、連銀がインフレを初期段階でコントロールする能力、などなどだ。これらの問題はすべて関連しており、議論する必要がある。最終的には、もしパッケージが全て可決されれば全てが上手くいくかもしれない。しかしそれは私のメインのシナリオではない。

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