Helicopter money and fiscal policy, (Mainly Macro, 20 May 2016)
Posted by Simon Wren-Lewis
ジョン・ケイ とジョージ・ビボウ は2人とも政府の公共投資支出はよいアイデアだと思っており,そしてヘリコプターマネー(ヘリマネ [1]訳注: 原文ではHM )は目眩まし(ビボウ)ないしはごまかしによる財政政策(ケイ)だと思っているようだ.彼らは公共投資については正しいが,ヘリマネについては間違っている.
ヘリマネが金融政策的か財政政策的か,永遠に論争し続けることだってできる.この2つを区別しようとすると,重要な点がはっきりすることもある(たとえばエリック・ロナガンのここ).しかし,そんな議論は究極的には無意味だ.ヘリマネはヘリマネなのである.いろんな定義を用いて”中央銀行はヘリマネをすべきでない,なぜならヘリマネは財政政策だから”などと結論づけようとするのも同様に無意味である.ヘリマネの分配メカニズムはすべて政府との合意に基づいて準備する必要があるし,既存の金融政策にも政府のコントロールが及ばない財政的な帰結が存在するのだから.
ケイとビボウが正しいのは次のような部分である.今この時点で,たとえグローバルな景気後退が起きそうにないとしても,米国,英国,ユーロ圏において公共投資を増加すべきである.政府の負債を増やしてこの支出を賄えない理由など全く存在しない.さらに,新たな景気後退が生じた場合に,すぐに建設に取り掛かれるよう準備済みの(‘shovel ready’な)公共投資があれば,すぐれた景気対策のツールとなる.実際,金融政策だけで景気後退に対処できたような場合でさえも,前もって公共投資を実施しておけばよかったというようなケースもありうる.なぜなら,そうしておけば,労働コストが安く金利が低いときに投資ができるからである.
ビボウが誤っている点は,中央銀行の兵器庫にヘリマネが装備されたとしても,上記の点について何ら妨げとならないという点である.ヘリマネは,政府が財政政策でやりたいように振る舞うのを止めることはない.金融政策は政府が計画するどんな財政政策にも適応する.政府より素早く動けるためこうした適応が可能なのである.
これで,ケイに対する部分的な答えになっている.しかし,ケイはまた,ヘリマネは政治家が財政刺激を別の名前でこっそり行うことを可能にする手段だと述べている.これは,財政刺激策が終わってしまった原因がまさにその政治家たちだったことを無視しているように思う.2010年,オズボーンもメルケルも政府の債務をすぐに削減しなければならないと主張した.市場がそれを迫っているからだと.
ヘリマネは政府の債務をまったく増やさない財政刺激である.したがって,ヘリマネは,オズボーンとメルケルが述べた,財政刺激を妨げる制約を回避することができる.別の言い方をすれば,オズボーンとメルケルは政府の支出増大や減税それ自身が悪いとは言わなかったのである.彼らはただこう言ったのだ.こうした政策はまったく愚かしい,なぜなら政府の債務を増やして賄わなければならないからだ,と.しかしヘリマネは政府の債務を増やさずに賄うことができるのだ.
多くの人々がこうした債務の増大に対する懸念を主張する.そして現実に,緊縮を推進する右寄りの政治家たちはこのような懸念を利用して小さな政府を実現しようとしているのである: これこそ私が財政危機詐欺と呼ぶものだ.ヘリマネは,特に民主的な形でなされたヘリマネは,彼らのはったりを真っ向から打ち破る手段だ.景気の悪化を防ぐために公共支出を維持し,不況が続く間はその財源の一部を貨幣の創造で賄うなら,彼らにどんな反論ができるだろうか? 財政危機詐欺を使いたがる政治家どもは気に入らないだろうが,それは彼らの側の問題であって我々の知ったことではない.
関連して,ヘリマネを支持すべき理由でケイとビボウが見逃しているものがひとつある.独立した中央銀行はマクロ経済の安定を委ねられた機関の一つである.しかし,この機関は決定的に不完全である.名目金利にはゼロ下限が存在するからである.経済学者たちは一般に,こういう状況では政府がゼロ下限から救い出すことができるということを理解している.しかし,政治家たちはそれを知らされていないか,あるいはその仕事をまかせるほど信頼できないということを自ら証明してしまったかのいずれかである.ヘリマネは量的緩和よりずっと優れた手段である.中央銀行がなすべき任務を遂行するのに必要な手段である.それなのに,この優れた手段を拒む理由があるだろうか.
References
↑1 | 訳注: 原文ではHM |
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