Noah Smith “R vs. g“(Noahpinion, April 14, 2014)
(訳者補足:関連エントリがあります。)
●ピケティ本に対するクルーグマンのコメント
●ピケティ本と同様のアイデアであるピケティの共著論文の紹介
●ピケティ本に対するデロングのコメントのhimaginary氏による紹介
●クルーグマンの書評(英語)
新著の中でトマ・ピケティは、資本の収益率であるR(安全利子率の”r”とは違うよ)が経済成長率であるgよりも大きく、そしてこの事実は上昇を続ける資本分配率と下落するいっぽうの労働分配率のおかげで未来永劫続くと予想されうると言っている。大きな問題は、近い将来においてRが本当にgよりも大きくなるかどうかだ。
僕にはこれが「ロボット VS グローバル化 [1]訳注;RobotのRとGlobalizationのgを掛けている。 」という主張の更なる焼き直しに見えるんだ。
「ロボット」側の主張はだいたい次のような感じ。「労働」とは、ある特定の資本、つまり人的資本を貸し出すことによる所得フローでしかない。技術がどんどんと陳腐化を続けるのであれば、資本全体に対する人的資本の価値のパーセンテージは下落することになり、したがって労働分配率はゼロへと向かって落ち続ける。これはちょっと前にAtlanticに載せた記事で僕が考えたシナリオだ。この命題はルーカス・カラバルブニスとブレント・ネイマンの研究によっても支持されていて、経済ブログにおける議論ではよく「ロボットの隆盛」と言われたりする。
「グローバル化」側の主張はだいたい次のような感じ。1973年、世界大戦によってもたらされた制限的な貿易の期間の後に世界がようやく再グローバル化を始めた際、中国やインド、東南アジア、ラテンアメリカ、アフリカ、共産圏にはほとんど全く資本の無い労働者がたくさんいた。資本は希少で、富裕国に強く集中していた。貿易障壁が下がり始めた後、そうした労働者は世界市場で投げ売りされ、世界的な労働供給過剰と資本不足を招き、資本に対する収益を上昇させるとともに労働に対する収益を減少させた。この不均衡はやがては自然に正されるものだけれど、それは十分時間がたった後にしか起こらない。この命題はミカエル・エルスビー他の研究が支持している。
この二つの説明は、もちろんながら相互に排他的なものじゃない。でも政策面においては、もし「ロボットの隆盛」が最大の要因であるならば、僕らはありとあらゆる難しい政策決定や厚生についての主張を検討する必要が出てくる。でも過去40年に渡ってR>gであったことの主な原因がクローバル化であるなら、僕らができる、そしてしなければならないことはこの大きな波が過ぎ去るのを待つことだけだ。
そこで僕がちょっとおかしいと感じるのは、保守派的な傾向にある経済学者は「ロボット」側の主張を受け入れたいと考えているようなのに対し、リベラルな傾向にある経済学者は「グローバル化」側の主張を受け入れたいと考えているように思えることだ。グローバル化に責任がある場合、僕らは世界市場で貿易をしているのであるから貿易障壁はほとんど利益をもたらさないし、僕らにできることは貧しい国が資本を充実させて労働分配率が再び持ち上がってくるのを待つことだけということになる。これは保守派が好むだろう結論だ。でも批判されるべきなのはロボットだということであれば、ピケティが正しいことになり、労働分配率が持ち上がってくることは二度とないということになる。そして膨大な人々の窮状を防ぐには何らかの過激な再分配を行うというのが唯一の選択肢となる。これは保守派が好まないだろう結論だよね。
References
↑1 | 訳注;RobotのRとGlobalizationのgを掛けている。 |
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