2022年のノーベル経済学賞は、著名人であるベン・バーナンキと、一般にはほとんど知られていないが、専門家の間では絶大な影響力を持っていたダグラス・ダイアモンドとフィリップ・ディビッグの2人が受賞した。2008年の金融危機を予測した経済学者はほとんどいなかったが、いざ金融危機が起こると、困惑した経済学者はほとんどいなかった。リーマンショックから数日経つと、経済学者たちは、「ダイアモンド=ディビッグ、ダイアモンド=ディビッグ」と呟きながら、学部内をうろつき歩いたものだった。
今年の受賞はある意味で異例のものだ。ハードサイエンス分野でのノーベル賞は、一般的に一つの重要な研究成果に対して与えられる。対称的に、経済学賞は、一般的に生涯功労賞に近いものとなっている。しかし今回は、独創的な論文であるダイアモンド&ディビッグの1983年の論文『銀行取り付け、預金保険、流動性(Bank Runs, Deposit Insurance, and Liquidity)』と、バーナンキの同年の論文『世界恐慌の伝播にみる金融危機の非貨幣的影響(Nonmonetary Effects of the Financial Crisis in the Propagation of the Great Depression)』が単独で大きく評価された。
今回の受賞はまた、二つの面で、物議を醸している。異端派の経済学者や歴史家は、ダイアモンドとディビッグは、誰もがすで知っている、あるいは当たり前のことを数学的に定式化しただけだ、と主張している。同時に、バーナンキの受賞は、研究内容ではなく、研究者から転身して以降の政策立案者としての役割が評価された、といった疑問も提起されている。
最初に寄せられた異議については、批判者達は間違っていると主張したい。ダイアモンド=ディビッグは、定式化において重要だったのはむろん、ハイマン・ミンスキーやチャールズ・キンドルバーガーといった推論的な書き手とはまったく異なるものを提示したからだ。次にバーナンキに寄せられた異議については、思うに、公僕となった経済学者の役割についての些細な問題提議にすぎない。
まず、ダイアモンドとディビッグが何をしたのかから始めてみよう。
ダイアモンド=ディビッグ・モデル
ダイアモンドとディビッグの1983年の論文は、文量としては比較的短く、経済学理論を提示した他の多くの論文と比べて、かなり単純な内容だ。実のところ、あまりに単純すぎて、今の時代だとどのジャーナルにも掲載してもらえないおそれが多分にある。しかし、この論文は、銀行業務と銀行取引の両面において、画期的な分析を提示し、その内容を理解した人々に幅広い示唆を与えてきている。
ダイアモンド=ディビッグによる分析は、流動性とリターンの間のトレードオフ(これは単に金融的なものではなく、実際のトレードオフ)を立脚点としている。個人は、健康上の緊急事態等で、予期できない支出に直面するかもしれないと認識している。しかし、生産資本は、急な売却を困難としているか、不可能な場合がほとんどだ。金融仲介機能が存在しなければ、個人は流動性への要求から、貯蓄のかなりの割合を利回りの低い流動性への投資に振り分けないといけないため、実質的なコストが高くなってしまう。
そこで金融仲介機能(〔モデルでは〕銀行と呼ばれているが、伝統的な銀行である必要はない)の登場である。金融仲介機能が、短期で現金化できる流動性負債(銀行預金、また銀行預金に負債)を販売しつつ、リターンの高い流動性の低い資産に主に投資することで、この問題は解決される。これはたいていの場合で、個人レベルでの現金の需要を予測することは不可能だが、全体で見れば予測可能であるため、通常の需要を満たすには適切な量の流動性投資(銀行準備金かその相当物)で十分となるため、たいていの場合は適切に機能する。
残念ながら、ダイアモンドとディビッグが指摘したように、流動性を借り入れながら非流動性資産への投資を行う金融仲介機能システムは、複数の均衡を持つ可能性がある。誰もが、システムがうまく機能すると予測すれば、うまく機能する。しかし、他人が一斉に資金を引き揚げることを予測してしまえば、人々は急いで自己資金も引き揚げようとし、投資を簡単に精算できない銀行を破綻に追い込んでしまう。
この悪い均衡が生じる可能性によって、公共政策の必要性が生まれる。政府や(中央銀行のような)準政府機関は、最後の貸し手として行動し、銀行預金に保険をかけるなどして、自己実現的なパニックを防ぐことができる。
つまり、ダイアモンド=ディビッグは、最小限のモデルで、銀行業務は生産的な活動であると同時に、公的なセーフティネットで支えられなければシステミックリスクを引き起こす活動であることを示したのである。そして、この洞察からは、多くの現象を導くことができる。
モデルによって分かるもの
ダイアモンド=ディビッグ・モデルは、その単純さにも関わらず、経済分析と経済政策の両面において、驚くほど幅広い意味合いを持ってる。1990年代から2000年代にかけては、このモデルからのインプリケーションを理解できなかったことが、2008年の金融危機を招いたと言えるだろう。しかし、政策立案者たち(特筆すべきはその中にはバーナンキも含まれている)に、時期遅しとはいえ即時に理解されたことで、世界恐慌の再発の回避に役立ったのである。
第一に、ダイアモンド=ディビッグ・モデルでは、現実に銀行取り付けを引き起こす金融仲介機能は、法的または伝統的な銀行である必要はない。つまり預金取扱金融機関である必要がないことが明確になっている。流動性のある負債を保有しながら、流動性の低い資産を保有する金融業者は、経済的に有用な役割を担う一方で、自己実現的なパニックを引き起こすリスクを抱えているとされているのである。
我々は、2007-2008年に、この教訓を身をもって学んだ。経済学者たちは、預金取引機関は十分なセーフティネットに守られていると(正しく)信じていたため、金融リスクについて楽観的だったのだ。実際、連邦預金保険公社(FDIC)が対象としている金融機関では取り付け騒ぎはほとんど起こっていない。しかし、マネー・マーケット・ファンド(公社債投資信託)や、レポを発行していた投資銀行、その他「シャドー・バンク」(ダイアモンド=ディビッグの定義では銀行とされているが、預金保険や伝統的なFRBの融資へのアクセス権を持たない金融業者)での取り付け騒ぎが起こったのである。
関連して、ダイアモンド=ディビッグは、銀行の銀行の取り付け騒ぎが経済に打撃を与える理由に、多くの人が想定しているような、貨幣乗数の低下によるマネーサプライの減少でないことも明らかにした。実際、ダイアモンド=ディビッグでは、そのモデル化において、明示的に貨幣は全く扱われておらず、銀行の取り付け騒ぎによる損失は、実物資産の破壊によって生じるとされている。また、2008年の危機は、法律上の銀行が抱える預金ではなく、その負債がマネーサプライに計上されないシャドー・バンキングが大きな痛手を受けたことを考えると、ダイアモンド=ディビッグによる分析と、通貨供給量に関心を示すことには、大きな違いがあるのは明白である。
最後に、ダイアモンド=ディビッグでは、預金を取引する金融機関だけでなく、流動性の変換を行う全ての金融仲介機関への金融規制が提唱されている。このような金融機関はすべて、自己実現的なパニックに陥る可能性があるため、その回避のために、なんらかのセーフティネットを備えていなければならない。しかし、セーフティネットの提供は、モラルハザードを引き起こすため、モラルハザードの悪用を制限する規制とセットで提供する必要がある。これは、実際には難しい問題だ。どの金融機関が、規制を必要としているのか? どうやってそれを知るのか? 2008年の金融危機後に導入されたアメリカのドッド・フランク法は、「システム上の重要な」金融機関を規制しているが、そうした金融機関の特定は何に基づけばよいのだろう? これは基本的には、ポルノグラフィティテスト〔恣意的な基準によるテスト〕に依存している。つまり「俺(つまり政府関係者による委員会)が見てみればわかる」というものだ。しかし、いずれにせよ、ダイアモンド=ディビッグは、〔こうしたテストを行う〕知的正当性の提示に貢献している。
しかし、こうした洞察を得るのに、定式化されたモデルは必要なのだろうか?
ミンスキーは全てを指摘していたのだろうか?
本年度のノーベル賞は、いくつかの激しい批判を引き起こしたが、その中でも特に歴史家のアダム・トゥーズのものが目立っている。彼は、「経済学の主流派は、金融の本質的な重要性と現代世界における危険性に真正面から向き合う思想家をまともに取り上げることを執拗に拒んでおり」、今回の受賞を一種の隠蔽だと攻撃している(Tooze 2022)。
このトゥーズの批判は妥当だろうか?
当然だが、ダイアモンドとディビッグは、銀行の取り付け騒動や、その自己実現的発生を発見したわけではない。実際、彼らの分析を、ウォルター・バジェットの1873年の著作『ロンバード街』で中心となっているテーマを定式化しただけのものだと考える人もいるだろう。しかし、定式化は、経済学において重要な役割を果たしている。定式化によって、散漫な説明ーーたいていの場合で明確なインプリケーションを引き出せない言葉のサラダーーから本質的な要素を引き出せるのだ。
ミンスキーとキンドルバーガーについてだが、その研究を見直すと、彼らがダイアモンド=ディビッグとは完全に違うことをしていたことに気づく。
ミンスキーの「金融不安定性」仮説は、キンドルバーガーの『熱狂、恐慌、崩壊』の後期版で採用されているが、この仮説は金融行動での熱狂・悲観サイクルを物語的に語ったものだ。金融安定の時代には過信が生まれ、次に非合理的な熱狂が生まれ、レバレッジの上昇を招き、最終的には暴落に至る。そして、このサイクルは繰り返される。
しかし、ダイアモンド=ディビッグは、破滅を引き起こすような銀行の取り付け騒ぎは、根源レベルにおいて健全な金融システム下でも起こりうる、つまり過去の愚行や過度のレバレッジを必要としていないことを示した。そして、政策対応としては、金融の過剰化の予防より、パニックのリスクを抑えることに重点を置くべきことを示したのである。
この両者の違いは、ケインズ以前と以後の景気循環論の差と非常に似ている。ケインズ以前の分析者たち(その多くはゴットフリート・フォン・ハーバラーの『景気変動論』にまとめられている)は、「なぜ好況と不況が発生するのか?」との疑問に、熱狂と悲観が交互にやってくるとの(ミンスキーの説明とそれほど変わらないもの)を物語的に提示した。これらの分析者たちは、人間の本性を強欲さに求めて、行き過ぎた熱狂を分析することに明け暮れる一方で、行き過ぎた熱狂が多くの無駄だけでなく大量失業を生むに至る理由についてはあまり関心を払わなかったのである。
しかし、ケインズは、『一般理論』の全てでないとしても、その大半で、〔過去の分析者とは〕まったく異なる問題、つまり「経済が長期にわたって低迷し続けるのはなぜなのか?」に多くの労力を注ぎ込んだ。ケインズは、不況前の行き過ぎた熱狂よりも、不況そのものに重点を置いたのだ。
またケインズの焦点は、有用な政策的指針を提供することにあった。ケインズ以前の理論家たちは、深刻な不況に対して何をなすべきかという観点では、明確な提案はほとんど提示せず、金融・財政刺激策には、「行き過ぎた熱狂にさらに火を焚べてしまう」との懸念から大抵の場合で反対している。ケインズ主義者たちは、「このボタンを押せ!」、つまり刺激策を実施せよ、と言ったのだ。そして、ケインズ主義者たちは正しかった。
同じく、金融不安定仮説も、歴史の理解や、〔バブルの〕思い上がりを糺すのに役立つかもしれないが、我々が何をなすべきかという指針をほとんど示していない。ダイアモンド=ディビッグでは、金融セーフティネットと金融規制について明確な事例を提示しており、そのモデルは抽象的であるにもかかわらず、乱雑・無秩序な口頭での考察や、ボックス表示した大量の単元トピックを沢山の矢印で繋いだフローチャートよりも、実用的なのである。
つまり、ダイアモンド=ディビッグを、誰もが知っている事実を、空想的な数式で表現したものに過ぎないと見なし、今年のノーベル賞を〔主流派〕経済学者強みではなく弱さの現れであるとする批判は、いくつも点で的外れなのである。ダイアモンド=ディビッグは、金融についての考え方を変えた大きな貢献だった。
バーナンキについてはどうだろう?
ベン・バーナンキが1983年に発表した金融危機のマクロ経済への影響に関する論文は、重要な研究成果となっている。ちょっとした比喩を使わせてもらうなら、ダイアモンド=ディビッグ・モデルという『骨組み』に実証的な『肉付け』を施しているのがバーナンキの1983年論文なのだ。またこの論文では、金融の影響力が恐慌を引き起こした、とのフリードマン=シュワルツ(1963)の主張を、暗黙ではあるが強く否定している。つまるところ、重要な論文である。
しかし、この論文は、ダイアモンド=ディビッグほど重要だったのだろうか? ノーベル経済学賞は、基本的に我々の理解を劇的に変えた仕事、つまり一読すれば、世界に対する考え方を永久的に変えてしまうような論文や本に与えられる。ダイアモンド=ディビッグは、明らかにこの基準を満たしている。バーナンキの論文は優れた内容かもしれないが、このハードルを超えているかは微妙だ。なので、バーナンキの受賞は、学術的な研究よりも、政策立案者としての英雄的行為の役割への一定の報酬があったのではないか? との疑念はある程度は理解できるものとなっている。
一方で、バーナンキは、FRBに移る前には研究者として、マクロ経済学に金融の役割を組み込むことで、余人を持って代えがたい重要な役割を果たした。なので、ノーベル賞の受賞が、不適切だったとか、疑問の余地がある、ということにならない。
また、研究者が、政策立案者や政治家やジャーナリストに転身して第二の人生を始めた事実によって、その人の学術研究を軽視するような罠にハマってしまうのは断じて許されない。研究成果は、著者による後日の行為に基づかずに、その研究単独で評価されるべきである。
なので、バーナンキが受賞者に加わっているのは、少し奇妙かもしれないが、ここまで述べたように、正当化可能だ。
今の時代にふさわしい受賞
2022年のノーベル賞の真骨頂は、受賞理由となった論文が30年近く前に発表されたにもかかわらず、それがいかに現代的なテーマとなっているかにある。金融恐慌は、2008年だけに留まらず、21世紀の経済において大きな役割を果たしている。2011年から2012年にかけてのユーロ危機は、自己実現的パニックの要素を強く含んでいた可能性が高く、最近のイギリスの債券市場の混乱もそうだろう。こうした危機はいずれも、ダイアモンド=ディビッグ=バーナンキの分析に完全に合致するわけではないが、いずれのケースもダイアモンド=ディビッグ=バーナンキの思考様式とでも呼べるだろうものによって、何が起こっているかについて非常に深い理解形成を与えてくれる。
なので、今回のノーベル賞は重要であり、十分に理にかなった受賞である。異論を差し挟む余地は存在しない。
参考文献
・ウォルター・バジェット『ロンバード街』(1873)
・ベン・バーナンキ『世界恐慌の伝播にみる金融危機の非貨幣的影響(Nonmonetary Effects of the Financial Crisis in the Propagation of the Great Depression)』American Economic Review 73(3): 257-276.(1983)
・ダグラス・ダイアモンド、フィリップ・ディビッグ『銀行取り付け、預金保険、流動性(Bank Runs, Deposit Insurance, and Liquidity)』 (1983)Journal of Political Economy 91(3): 401-419.
・ミルトン・フリードマン&アンナ・シュウォーツ『米国金融史』(1963)
・ゴットフリート・フォン・ハーバラー『景気変動論』(1937)
・チャールズ・キンドルバーガー『熱狂、恐慌、崩壊』(1978)
・ハイマン・ミンスキー『金融不安定性の経済学(Stabilizing an Unstable Economy)』(1986)
・アダム・トゥーズ「キンドルバーガー、メーリング、そして件のノーベル賞について 」(2022年10月14日)〔訳注:本サイトでの邦訳版はここ〕
The simple economics of panic: The 2022 Nobel Prize in perspective
Paul Krugman / 26 Oct 2022