ノア・スミス「実は日本は様変わりしてるよ」(2023年1月23日)

By 稲妻ノ歯鯨 – Own work, CC BY-SA 4.0

2020年代は1990年代とはちがう

BBC の東京特派員ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズが書いた,日本についてのエッセイが広く話題になってる〔日本語版〕.ぼくも読んでみたけれど,ひどくいらいらしてしまった.このベテランジャーナリストは――2012年から日本に暮らして働いたすえに――日本の印象をまとめている.彼によれば,日本は停滞して硬直した国で,「ここに来て10年経って,日本のありようにもなじみ,次の点を受け入れるにいたった.日本は,変化しそうにない.」

でも,日本に暮らしたことがあって,2011年以降も年に1ヶ月間ほどここに来て過ごすのを繰り返してる人物として,そして,日本経済についてかなりの分量を書いてきた人物として言わせてもらえば,日本はまちがいなく様変わりしてる.すごく目につきやすくて重要なところがあれこれと変化している.

ただ,ウィングフィールド=ヘイズの記事が日本について誤解している点をまとめて解説するまえに,まず,次の点を言っておくべきだろう.彼に会ったことはないけれど,ウィングフィールド=ヘイズはいい人で,「日本に現状よりもよくなってほしい」と本心からのぞんでいるように思える.それに,彼が述べている批判のなかには,正確で重要な点もある.

たとえば,日本の根深い問題は老人支配だと言っているのはまったくもって正しい.ウィングフィールド=ヘイズは政治での老人支配を指摘している――高齢の有権者たちによって,高齢の硬直した政治階層の権力が維持されているのだと,彼は言う.ただ,ぼくの考えでは,それと同等か,ひょっとしてそれよりもっと重大な問題に,企業での老人支配がある.日本ではほぼあらゆる企業で年功序列による昇進制度がとられている.それに加えて,スタートアップの割合は低いし,人口は高齢化している.これによって,企業の重役・管理職には硬直した階層ができあがっている.彼らは,新しいテクノロジーやビジネスモデルを取り入れたり新しいリスクをとったりするよりも衰退しつつある安逸な小さい帝国に安住することをのぞんでいる.そして,今度はこのことによってテクノロジーの革新につぐ革新をみすみす逃して――マイクロプロセッサやスマートフォンや半導体製造工場などの革新に乗り遅れて――日本企業は外国のライバルたちに落伍する結果になった.

また,日本にたくさんある単純低生産性雇用をウィングフィールド=ヘイズが非難している点も,正しい.2人分の仕事に6人を雇うのは,日本ではよくあることだ.そして,日本の賃金がこれほど低くて停滞している大きな理由は,そこにある.問題の核心はなにかと言えば,それは,新しい高成長企業が欠如している点だ.その理由は,研究開発の不足,後期段階でのスタートアップへの資金提供,そして(とくに)自国市場が縮小しているなかにあっても日本企業が輸出市場を開拓できずにいることにある.

というわけで,かつては未来を歓迎していたけれどそれもいまは昔の国というウィングフィールド=ヘイズの日本像は正しいし,それに,大きな問題点として老人支配を指さしているところも正しい.でも,そこからもっと広げて,日本は停滞して硬直した社会なんだと特徴づけるのは,大きく的を外している.それに,この種の記事を読んで西洋の読者たちがあいもかわらずの1980年代や1990年代のクリシェで日本を思い描いてしまうんじゃないかと,ぼくは心配だ――戦後の製造業での数々の成功,バブル経済,失われた10年などなどの陳腐な捉え方に,ウィングフィールド=ヘイズはくりかえし言及している.たしかにそういう出来事は重要だ.でも,そういう話では,現代の日本がどんなものかを見定めたり,2020年代に日本が直面している課題を理解することにはならない.

ともあれ,ウィングフィールド=ヘイズが理解し損ねている近年の日本の大きな変化についてお話ししよう.

日本はとにかく建物をどんどん建てる

ウィングフィールド=ヘイズが述べていることのなかでとりわけ唖然とするのは――ぼくが正しく読み取れているとして――日本の都市の建築環境が停滞している,という話だ.というか,建物を建てて30年後には取り壊してしまうことで有名な国のことをそんな風に言うのは,すごく奇妙だよ.日本を訪れるたびに,あっちこっちにたくさん新しい建物ができてて,ぼくはいつもびっくりしてる.

ウィングフィールド=ヘイズは,90年代前半の日本の都市景観を懐かしげに振り返っている:

1993年にはじめて日本の土を踏んだとき,(…)[何に目を見張ったかと言えば]東京がいかに清潔で整然としているかということだった(…).東京はコンクリートジャングルだったが,美しくマニキュアをほどこされたコンクリートジャングルだった.(…)東京の皇居前には.三菱,三井,日立,ソニーといった日本有数の巨大企業のガラスの塔がひしめいて,見上げる空を埋め尽くしていた.

これはたしかにそうだった.でも,実を言うと,この描写は1993年よりもいまの東京にこそずっとうまく当てはまる.20年前にぼくがはじめて来たときよりも,いまの東京の方が,ずっと優美にマニキュアをほどこされている.ゴチャゴチャした「下町」エリアも現代化が進んで,ひなびた「昭和」スタイルの集合住宅は現代的な建物に置き換えられ,いろんな彫刻や装飾物がいたるところに追加されている.

一方,日本の都市部と聞いてぼくらが思い浮かべる絢爛豪華な看板・標識やそびえ立つビル群は,ひたすら増える一方だ.森ビル株式会社が東京中いたるところに建てている壮大な高層建築の数々は,見逃しようがない.そのなかでもいちばん大きな高層建築は――この記事の冒頭に写真を掲載してあるよ――今年中に営業開始の予定だ.でも,建設が進んでいるのは,高層ビルだけじゃない.ショッピングセンター,バー,クラブ,きらびやかな雑居ビル(いろんな看板がついてるやつ)も,とどまるところを知らず増えている.東京に10年も暮らして,こういうことをいっさい見過ごしちゃうなんてこと,ある?

というか,日本がたえず「スクラップ・アンド・ビルド」を繰り返して建物を建てるのに熱をあげているからこそ,日本の賃料は手頃なものにおさまってるし,西洋とちがって日本では密度の高い開発が地域の政治事情で行き詰まることがない.ウィングフィールド=ヘイズの記事では,冒頭で,日本の住宅がだんだん価値を上げるどころか減らしていくことに不満を述べている:

日本では,住宅は車みたいなものだ.

家を建てて住み始めるやいなや,新居はどんどん値下がりしていく.ローンを組んで40年かけて払い終えたころには,その住宅の価値はほぼ「ゼロになっている.

はじめて BBC 特派員としてここに移り住んだときには,このことに唖然とした.そして10年経って日本を離れようと支度を調えているいまも,この点は変わっていない.

奇妙なことに,この事実はまるで宿痾のように語られている――日本がとっくの昔に解決しておいてしかるべきだったのにいまだに引きずっている問題のような口ぶりだ.でも,現実にはどうかと言えば,不動産物件の価格が下がっていくことこそ,日本最大の強みだったりする.日本人は,住宅を金の卵みたいに扱っていない.そこが,西洋の多くの地域とちがう.西洋でよくある NIMBYism〔「そりゃいいことだね,でもウチの近所ではやらないでね」〕が,日本ではずっと少ない――「そんなことをされてはウチの物件の価格を落としかねない」と心配して地域の開発を阻止すべく断固として抵抗したりはしない.だって,彼らの住宅の価値はどっちにしたってゼロになる見込みなんだから.

その結果として,東京をはじめとする日本の都市は,住居コストを下げるのに十分なほど建物を建てることに成功している.人々が地方から都市部にたえず移り住み続けているにもかかわらずだ.「日本は停滞してる」と思ってるなら,西洋の主要な都市のどれかと東京とを比べてみるといい:

1970年以降の世界の4都市における住宅ストック増加率(年率換算)

さらに目を見張る点を挙げると,こうして住居数を確保しつつも日本は平均的な人の住居サイズ広げている

Source: James Gleeson

ウィングフィールド=ヘイズが憧憬してるバブル時代には,日本の都市部のアパートは「ウサギ小屋」だなんて広く嘲笑されていた.ところが,あれから40年後,その都市部の一人当たりフロア面積は,ヨーロッパの標準に近いし,イギリスを上回っている

住宅価格が下がっていくのが問題だってウィングフィールド=ヘイズが考えたのは,どうしてだろう? もしかすると,「住宅価格が下がっていくようでは,日本の中流階層が財産を築けない」と思っているのかもしれない.でも,住宅価格が下がる傾向があるときには,そもそも購入する時点で住宅はそんなに高くつかないんだよ.そして,住宅価格が低めに抑えられているおかげで,浮いた分のお金をそれぞれの世帯は株や国債に回せる.

非生産的な土地ではなく生産的な資産で財産を築くのは,経済にとってもいいことだ――なるほど住宅が不足していると,その価格はどんどん上昇するかもしれない.でも,国全体のレベルで見てみると,それによって経済成長が足を引っ張られてしまう.しかも,実のところ,土地ではなく生産的な資産で財産を築くのは,中流階層にとってもいいことだったりする――2022年に,日本の成人一人当たりの資産中央値は,約 120,000ドルだった.アメリカの約 93,000ドルを上回っている.(かつての伝説的な世帯貯蓄率の崩壊が起こったにもかかわらず,この数字なんだよ!)

中流階層の財産を住宅価格に関連づけないという選択は,ちょっと異例だ.日本のこの選択は賢そうに思える.過去20年のあいだに,住宅政策・建設・景観・都市のありように関して,日本は西洋のほぼどこの国よりもうまくやってきた.西洋の都市に蔓延している物理的な停滞ではなく絶え間ない変化を歓迎することで,これを成し遂げたんだ.

赤ちゃん,移民,女性管理職: みんなが思ってる以上だよ

多くの人たちと同じように,ウィングフィールド=ヘイズも,日本の低出生率についてくどくどと語ってる:

日本人の3分の1は,60歳以上だ.世界で2番目に高齢化の進んだ人口を抱えている.それに,1位のモナコは,小さな国だ.日本の出生率は過去最低を記録している.

今週の記事でも述べたように,高齢化は現実の問題だ.でも,どこの先進国も取り組んでいる問題でもある.どうやら知っている人はあんまりいないみたいなんだけど,日本の出生率は東アジア地域のどこの国よりも高かったりする:

『ブルームバーグ』の Gearoid Ready が記しているとおり,低出生率と言えば日本を思い浮かべる理由はただひとつで,日本が先陣を切ったからにすぎない.

また,ウィングフィールド=ヘイズはこうも主張してる――日本は高齢化問題への解決策としての移民を受け入れていないんだそうだ:

移民の流入に対する[日本の]敵対心は弱まっていない.日本の人口のうち,外国生まれは約 3%にすぎない.これに比べて,イギリスは 15% だ.(…)出生率低下への解決策として移民の流入を拒否した国がどうなるか見たければ,日本は最初に見るのにうってつけの場所だ.

1990年代や2000年代だったなら,これはかなり公平に特徴を述べた記述になっていただろうね.でも,ウィングフィールド=ヘイズがここで10年過ごしていたあいだに,日本への移民流入政策は大幅に変わっている.彼は,これに気づいてしかるべきだった.元首相の故・安倍晋三によって実施された変化について2019年にぼくが『ブルームバーグ』に書いた記事からちょっと引用しよう:

近年,安倍政権は大きな変更を採用した.これによって,おそらく,移民の流入が続くことになるだろう.2017年に,日本は,技能労働者が永住権を得るファーストトラックを設けた.2018年には,ブルーカラー就労ビザの数を大幅に拡大する法案を可決した.さらに――これは非常に重要――同法案はそうした移民の就労者がのぞむなら永住権を認める道筋も用意する

こうした変更によって,正真正銘の移民受け入れが実現する.一時的なゲストワーカー政策とは異なる(新しいビザを記述するさいに「ゲストワーカー法」という呼び方がよくされているが,実態はちがう).これにともなって,いずれ,日本に暮らす市民はもっと民族的に多様になるだろう.永住者は,5年経過後に日本の市民権を申請できる.

BBC ですら,当時,こうした変化の一部を報道している

こうした政策その他の結果として,日本に暮らす外国生まれの労働者の人数は,安倍政権になってほんの数年で倍増している.

Source: Bloomberg

ウィングフィールド=ヘイズが引用してる「3%」って数字は,ほんの数年前の 1% に比べれば劇的な増加と言っていい.東京そのものが,いまや国際的な都市だ.2018年の時点で,20歳を迎えた若者の8人中1人は,日本生まれでない人たちだった.

さらにもうひとつ,職場における女性の役割という例もある.企業の管理職に女性が足りていないとウィングフィールド=ヘイズがくどくど言っているのは,正しい.でも,彼はひとつ言い忘れている.彼が日本に暮らしてた期間に,その割合は 11% から 15% に増加してるんだよ――社会の大変革ではないよ.でも,日本がまるで変わらずに停滞してるって話でもない.

「職場全体での女性の存在感では先を行っているものの,管理職女性の割合ではいまだに日本は世界の平均を下回っている」(Source: McKinsey

さらに,これと並行して,大量の女性が労働力に参加している.いまや,日本の女性就労率は,アメリカを上回っている

古くさい決まり文句にさようなら

つまり,ウィングフィールド=ヘイズは2010年代の日本にずっと暮らしていながら,彼の日本認識は1990年代で止まってしまっている部分が多いように思える.(本人が認めているように)日本語をあまりよく話せないとはいえ,彼のまわりで起こっていた大きな変化に,彼は気づいておくべきだった.

ともあれ,読者のなかには,こうたずねる人もいるだろうね:「で,それがどうして重要なのさ?」 たしかに,日本が停滞しているという非難をなにがなんでも反駁してやろうというぼくの姿勢には,個人的な苛立ちによる部分もある――決まり文句のような文化的本質論によっていまだに「日本といったらこういう国でしょ」と昔のイメージを抱いてしまっている西洋人は,あまりに多すぎる.そのことへの苛立ちでこういう反駁を書いてる面はある.80年代バブルとその崩壊って切り口で日本を考えるのは,サムライの伝統だの『菊と刀』だので日本を考えるのに比べれば,まだしも馬鹿げてはいないとは思うよ.でもさぁ…かんべんしてよ.

ただ,もしかすると,この議論の掛け金は少しばかりあるのかもしれない.日本がより開かれたグローバル化された国になれば,西洋のアイディアや意見によって日本がよりよい方に変わる可能性がある.外から日本を見る視座は,2020年代のすごく差し迫った問題を日本が解決する助けになりうる――企業の硬直化,技術面の低迷,などなど.ただ,「日本と言えばとにかくこういう国」と西洋人が決めてかかってしまったら――琥珀の中で固まってしまった国・文化だと日本のことを考えてしまったら――いまここにある日本に提供できるものは大してないだろう.実際の日本は,すごく変化に富んでいて変わりやすい場所だ.

[Noah Smith, “Actually, Japan has changed a lot,” Noahpinion, January 24, 2023]
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