マーク・コヤマ「脱成長についての付記」(2026年9月10日)

ディラン・サリヴァンとジェイソン・ヒッケルがWorld Development誌上で発表した論文〔…〕は論争の武器としては効果的であっても、真剣な学術文献と呼べるものではない。

最近、ケイトー研究所のSubstack、Human Progressから依頼を受けて、脱成長論についての記事を執筆した。以下で記事の全文が読める。

この記事では、なぜ脱成長を(政治運動としては真剣に受け止め始めるべきかもしれないが)学術的議論としてはあまり真剣に受け取るべきでないのか、という理由を明らかにしている。

ここで、この記事の背景にある経済史に関してもう少し深掘りしてみるのが有益かもしれない。そのためには、ディラン・サリヴァンとジェイソン・ヒッケルがWorld Development誌上で発表した論文「資本主義と極度の貧困:長い16世紀以降の実質賃金、身長、死亡率の国際分析(Capitalism and extreme poverty: A global analysis of real wages, human height, and mortality since the long 16th century)」を取り上げる必要がある。この論文は影響力があり、発表から3年しか経っていないにもかかわらず既に181件も引用されている。加えて、ヒッケルが一般向けの著書で行っている主張の多くは、この論文を主たる論拠としている。だが、この論文は論争の武器としては効果的であっても、真剣な学術文献と呼べるものではない。

その理由を以下で見ていこう。

* * *

サリヴァンとヒッケルは、彼らが言うところの「標準的な公式ナラティブ」をひっくり返そうとしている。これは、スティーブン・ピンカーやハンス・ロスリングと結び付けられてきた主張で、ジャレッド・ルービンと私が『「経済成長」の起源』において用いたものでもある。すなわち、人類の約90%は、1800年以前まで極度の貧困下にあったが、資本主義によって世界人口の大部分がこの貧窮から抜け出すことができた、という主張だ。

サリヴァンとヒッケルは、このナラティブを用いるかわりに、実質賃金、成人男性の身長、死亡率のデータに依拠して議論を行っている。彼らの中心的主張は、1500年以降の資本主義の勃興により、人類の厚生が「劇的に悪化」したというものだ。人々の厚生が改善したのは、北西ヨーロッパでは1880年代以降、その他の地域では20世紀半ばになってからのことであり、それをもたらしたのは、労働組合の結成と、医療や福祉のような財の公的供給であった。

資本主義が勃興したタイミングで人々の生活水準が悪化した、という彼らの主張は、次のような証拠に基づいている。

このデータはロバート・アレンの研究に基づいている。アレンは、経済史研究者だけでなくその他の社会科学者の間でも非常に有名な人物だ。これらのデータが最初に発表されたのは2001年のことであり(それもExplorations in Economic History誌において)、Google Scholarによれば1982件も引用されている。〔だが〕近世において実質賃金が低下したという発見は、サリヴァンやヒッケルが考えるほど、主流派の意表を突く決定的なものとは言えない。経済史研究者は、少なくとも1935年にドイツでヴィルヘルム・アーベル(Wilhelm Abel )の『ヨーロッパにおける農業の変動』(“Agricultural Fluctuations in Europe”〔未邦訳〕)が出版されて以来、このことを認識してきた。ヘンリー・ケイメン(Henry Kamen)の『鉄の世紀』(“The Iron Century”〔未邦訳〕)は、1550-1660年の時期に、大陸ヨーロッパ全域で生活水準が低下したとの見方に基づいたものだった。

そのため、問題になっているのは、事実そのものではなくその解釈だ。ここで指摘しておきたいのは、サリヴァンとヒッケルがアレンの2015年の論文「高賃金経済と産業革命:再説(The high wage economy and the industrial revolution: a restatement)」を引いていることだ。この論文の主眼は、この時期のイギリスが高賃金であったという自身の推計を擁護するとともに、その高賃金が、部分的にはイギリスの市場経済と植民地拡張の産物であった、と論じることにある。そのため、この論文を、資本主義の勃興が実質賃金を低下させたことの証拠とするのは奇妙である。だが、これは脇道的な論点だ。

真に重要な論点は、ヒッケルとサリヴァンの論文の図4に示されている実質賃金の低下パターンが、完全に〔14世紀中盤の〕黒死病の結果として生じたものであるということだ。1425年以前のデータが存在する都市は、ロンドンとフィレンツェの2箇所のみであることに注意しよう [1]原注:フィレンツェのデータは、フィレンツェとミランでの推計の外挿であるため、依拠できるものではない。 。ロンドンにおける推定では、14世紀前半は、5世紀半に及ぶ記録において最低の値を叩き出した時期だ。ヒッケルとサリヴァンが図に示している生活水準の低下は、マルサスの論理を基調とする世界において、黒死病からの人口回復がもたらした結果に過ぎない。

アレン自身のデータを用いて、13世紀まで遡る形でデータを拡張してみると、黒死病後の実質賃金の急上昇こそが例外的なのであり、牧歌的に描かれる産業化以前の時代の生活水準は高くはなかった、ということがハッキリと分かる。とはいえ、黒死病以前のイングランドの人口推計については見解が分かれており、留保は必要だ。

ヒッケルとサリヴァンの議論は、資本主義が1500年に勃興したとの主張に基づいている。だが、この時期は偶然にも、ヨーロッパの人口回復が勢いを増し、土地や資源を再び圧迫し始めた時期でもある。では、資本主義が1750年、あるいは1800年に始まったとしたらどうなるだろう? 彼らの議論はたちまち崩壊する。同様に、資本主義の勃興が1300年にまで遡るなら、資本主義は実質賃金を急上昇させた(その後下落させた)と主張すべきだということになるのだろうか? タイミングの一致を根拠にした議論は、真剣みのあるものではなく、脆弱だ。

地域差に基づく議論はどうだろうか? 実質賃金の下落は、南ヨーロッパでは実際に生じ、しかも長引いた。これは、ヨーロッパ内部で生じた「小分岐(Little Divergence)」についての標準的なストーリーだ。だが、この解釈はサリヴァンとヒッケルのストーリーとは正反対であるように思われる。資本主義が生じ始めていたロンドンとアムステルダムでは実質賃金が上昇した一方、旧来的な封建制度が残存した地域や、大西洋交易の台頭から取り残された地域では、生活水準が停滞しているという議論なのだから。

これらの議論はどれも決定的なものではなく、深掘りしようと思えばさらに掘れる。だが、ここまでの議論だけでも、ヒッケルの議論を突き動かす(そして、『資本主義の次に来る世界』など彼の一般書における論拠となっている)ナラティブ全体の説得力は損なわれるはずだ [2] … Continue reading

[Mark Koyama, More on Degrowth, How the World Became Rich, 2026/9/10.]

References

References
1 原注:フィレンツェのデータは、フィレンツェとミランでの推計の外挿であるため、依拠できるものではない。
2 原注:サリヴァンとヒッケルは、自分たちのデータ解釈が、経済史を研究する学者たちの解釈と矛盾していることを多かれ少なかれ認識している。彼らは次のように述べる。「ここで我々が依拠しているデータを生み出した研究者の多くは、ここで概説してきたトレンドを、資本主義の勃興ではなく、マルサス的な人口ダイナミクスに帰している。……だが、研究者たちはこうしたダイナミクスそれ自体が政治・経済的システムによって形成されていることを無視している」。この議論はいささか論点先取的である。
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