アメリカ帝国の衰退と終焉について後世の歴史家たちが語るとき、過激化したビリオネアたちが果たした役割は、その記述において中心的位置を占めるだろう。彼らは徒党を組んで、メディアを支配してデマを撒き散らし、政府の業務に違法な仕方で介入し、反キリスト者をやっきになって攻撃し、腐敗した大統領から恩赦を買って刑罰を免れた。彼らの持つ富を羨ましがっていない人々でさえ、彼らがもう少しふるまいを改めれば安心することだろう。
幸運にも、アメリカにおいてこの問題の深刻さを大幅に軽減し得るような改革案は、少なくとも片手で数えられる以上は存在する。不幸なことに、こうした賢明な改革案は、説明するのに少なくとも5分はかかるので、現在の政治環境において採用される見込みがない。そのため、進歩派たちははるかに単純なプランを旗印にし始めた。それが富裕税だ。これは、内容だけで言えばひどい代物だが、説明が極めて簡単であるという利点を持っている。悪いのはビリオネアたちだ、だから彼らからお金をとろう!
富裕税は、実のところ「スロピュリズム(slopulism)」の完璧な実例だ。スロピュリズムとは、短く効果的なフレーズを生み出せる一方、専門家ならほぼ全会一致で退けるような政策アイデアのことを言う。税制の専門家たちが富裕税の提案にまともに取り合わない理由は、残念ながら、説明するのがちょっと難しい。主たる問題は、富裕層たちが富裕税のない国へと逃げてしまうことではない。問題は、富裕税が余計なものであることだ。富に課税することで達成できることのうち、資本所得への課税で達成できないことは何もない。そして、資本所得には既に税が課されている。であれば、込み入った行政手続きを必要とする富裕税を新設するのではなく(富裕税を実行するには複雑な申告要件を新たに課す必要がある)、既存の所得税制を修正することで、富裕税によって達成したかった目的を実現するべきだ。具体的に言うと、アメリカにおける資本所得や相続税(のいずれか、あるいは両方)の扱いを適切に修正すれば、富裕税の支持者たちが指摘してきた問題の多くに対処するには十分だろう。
税に関する世論がこれほどひどい有様である理由の1つは、ほとんどの人が、富とは何か、富に課税するとはどういうことかを理解していないことにある。この混乱の一因は、私たちが税について考える際、所得税をモデルにして考えることに慣れてしまっていることだ。問題は、所得がフローである一方、富はストックであることだ。フローとストックの区別を説明する際、経済学者はよく、浴槽に水を溜める様子とのアナロジーを用いる。ここで、蛇口から浴槽に流れ込む水がフローにあたり(これは、率、すなわち一定時間あたりの量として測らなければならない)、浴槽に溜まった水がストックにあたる(これは、単純な量として測ることができる)。
浴槽のアナロジーを用いれば、我々の社会において富が既に課税対象となっていることは容易に理解できる。そのように見えないとしたら、それは、課税されているのが資本のストックではなく、フローであるからに過ぎない。人は所得を得たら、それを消費するかどうかにかかわらず、税を支払わなければならない。そのため、あらゆる貯蓄は課税されている(つまり、水は浴槽に流れ込む時点で課税されている)。富裕税の支持者たちは、浴槽に流れる水のフローに課税するのに加えて、浴槽の水位を毎年計算し、浴槽に溜まった水にも課税すべきだ、と言っているのである。ここで大きな疑問が浮かぶ。「なぜそんなことをするのか?」。浴槽に溜まったストックに直接的に課税することによって達成できるが、浴槽に流れ込むフローに間接的に課税することでは達成できない目的とは、いったいなんなのだろう?
富と浴槽の水とのアナロジーは、ある重要な点で成り立たない、ということは認めよう。浴槽の水位は水を加えない限り上昇しないが、富は、貯蓄の追加的なインプットがなくとも、時間の経過とともに増大し得る。これは、資産が収益を生んだり、資産の市場価値が上昇したりするためである。こうした考慮事項は、お金のフローだけでなくストックにも課税すべき理由になる、と思われるかもしれない。だが、これが実際に示しているのは、富の増大分を所得として扱い、適切に課税すべきであるということだけだ。現行の税制において、富から生じる所得(配当、利払い、キャピタルゲイン)は全て、「所得」として申告しなければならず、納税義務を課されるが、それはこのためだ。ここでも、課税されるのはフローであり、ストックではない。つまり、水位の上昇分は所得として課税されるのである。
この資本所得の扱いは、長らく所得税を巡る論争点の1つとなってきた。すなわち、貯蓄は二重課税されているという問題だ。進歩派は一般に、これを税制の特徴と捉え、バグとは見なさない。それは富の大規模な集中を防ぐ効果を持つからだ。残念ながら、この二重課税は、一般市民の貯蓄も罰するという意図せざる効果を持っている。つまり、お金持ちになるためではなく、退職後の生活水準を維持したり、住宅を購入したりするために貯蓄している一般市民が巻き添えを食らってしまうのだ。この問題を回避するため、所得税制には様々な修正が施されており、一般市民の貯蓄は2回の課税ラウンドのうち1回を免除されるようになっている(アメリカにおいて、2回の課税のうち1回を選択的に免除する仕組みが最も明確に見て取れるのは、通常のIRA(個人退職勘定)とRoth IRAの違いだ。通常のIRAでは、所得を貯蓄に回す時点での課税が免除されるかわりに、その後に蓄積された資本所得は課税される。一方でRoth IRAでは、所得を貯蓄に回す時点で課税されるかわりに、資本所得に対する課税は免除される)。
そのため、住宅資産の形成や老後の蓄えのために貯蓄を行っているアメリカの中間層は、実質的に、貯蓄に対する2ラウンドの課税のうち一方を免除されている。対照的に、住宅ローンを完済し、退職口座も限度額に達して、なお金融資産を保有するほど裕福なアメリカ人は、資本に2度の課税を受けることになる。1度目は所得を得た時点で、2度目は、資本が生み出した所得のフローに対してだ。富裕税の支持者たちは、こうした資産に対して、3ラウンド目の課税を追加しようと言っているのである。
こうした課税の公正さについて疑問を抱く人もいるかもしれない。だが、それすら問題ではない。3ラウンド目の課税がどんな効果を持つにせよ、それ以前のラウンドでの税率を変更すれば、その効果は簡単に相殺できるからだ。どの段階でも、羽をむしられるのは同じガチョウなのだから、個々のラウンドでどれだけ羽がむしられるかは、実のところ問題ではない。富裕税に対する最も深刻な反論は、次のようなものである。富裕税は、価値評価が難しくなりがちな資産に対して、非常に複雑な申告要件を課すのに(例えば、ジェフ・ベゾスの新しいヨットはどう扱うべきだろうか? あるいは、ヨーロッパで有名な例を挙げるなら、イケアの経営支配権にはどれほどの価値があるだろうか?)、現行の所得税で実現できないようなことは何一つ成し遂げられないのだ。まともな判断力のある人間なら、アメリカの税制を見て、「必要なのは租税行政をもっと複雑にすることだ」などとは言わないだろう。
ここで、もう1つ言及しておくべき点がある。近年、富裕税の支持者の多くは、富のストックに対する直接的な課税を支持する論拠として、キャピタルゲイン課税の限界を指摘してきた。ここまでの議論では、次のような想定が置かれていた。富から便益を引き出す唯一の方法は、それを消費に使うことである。そして、消費に使う〔ために資産を売却して現金化する〕ことで初めて、評価額の上昇した資産へのキャピタルゲイン課税が発生する。だが、〔富を直接に〕消費に使うことなく(したがってキャピタルゲイン課税を発生させず)、富のストックから便益を引き出せるとしたらどうだろうか? これは、フローだけでなくストックそれ自体にも課税すべき根拠にならないだろうか? 実のところ、支出することなしに富のストックから便益を引き出す方法は存在する。相対的に流動性の高い資産を蓄えていれば、それを担保としてお金を借りることができ、借り入れたお金は消費に充てることができる。所得税制は負債を完全に無視するため、原理的には、富裕層はこれを利用して租税を回避することが可能だ。
この基本的なアイデアは、プロパブリカ〔アメリカの独立系報道機関〕によって近年人気になった主張の根底にあるものだ。それによると、アメリカの富裕層は、いわゆる「買って借りて死ぬ(buy-borrow-die)」戦略を用いて所得税の支払いを回避している。これは、大雑把に言うと次のような主張だ。資産によって生じる配当や利払いとは違い、キャピタルゲイン課税は毎年支払う必要がなく、資産の売却時にしか支払い義務は発生しない。そのため、資産の価値が大幅に上昇しても、納税義務を直ちに発生させないことが可能となる〔つまり、資産を売却しなければよい〕。さらに、企業もこのことを知っているので、株主に利潤を分配する際、配当金を支払うのではなく、自社株買いを行うことが多い。そうすれば、投資家は利益を、通常の所得としてではなく、キャピタルゲインとして(つまり株式の価値の上昇として)受け取れるので、納税を遅らせることができるからだ。
もちろん、納税を遅らせることは、納税を回避することと同じことではない。支払われる実質的な納税額が同じなら、十分に忍耐強い国家にとって、納税が今行われようと後で行われようと問題にならないはずだ、と考えたくなるかもしれない。加えて、未実現のキャピタルゲイン〔資産売却によって現金化されていない含み益〕は、資産の所有者にとって何の役にも立たない。資産を売却しなければ、お金を消費に使うことはできないからだ(そして、資産を売却すれば納税義務が発生する)。ここで、この戦略の2つ目の部分(借りる)が登場する。資産の所有者は、資産を売却するかわりに、それを担保としてお金を借り、借り入れたお金を現在の消費に充てることができるのだ。そうすれば、納税義務を発生させずに済む(もちろん、借金に対する利子は支払わなければならないが、そのコストは、資産を現金化したときに支払わなければならない税金よりも低いであろう)。
ここでも、「だから何だというのか?」と考える人もいるだろう。HELOC(住宅価値を担保とするローン)の利用者は基本的にこれと同じことをしているのだ。ここで、この戦略の3つ目の部分(死ぬ)が登場する。アメリカでは、金融資産の所有者が死亡すると、その資産の価値は「ステップアップ」される。つまり、相続人にとっての資産の取得価格は、元の所有者が死亡した日の時価となる〔いわゆる「ステップアップ税制(Step-up in basis)」〕。そのため、相続人は資産を売却しても、故人が生前に蓄積したキャピタルゲインへの税を支払わずに済む。よって、資産に対する課税の第2ラウンドを免れることができるのだ。こうして、国家は忍耐強く待ち続けていた税収を取り逃すことになる。
富裕税の支持者の中でも洗練された部類の人々は、富裕税を導入すればこの抜け穴を塞げる、との議論を行うことが多い。これは、「買って借りて死ぬ」戦略がどれほど広く利用されているかを巡る論争を生じさせた(ソーシャルメディアでのお喋りを眺めていると、誰もがこの戦略を利用しているかのように思えてくるかもしれないが、Edward FoxとZachary Liscowが最近発表した実証的な推計によれば、この戦略は多くの人が考えるほどには利用されていない)。だが、より重要なのは、この抜け穴を塞ぐためのもっと簡単なやり方が存在するということだ。これは、「買って借りて死ぬ」戦略を利用して租税から上手く逃げおおせることのできる国が、西洋諸国の中でアメリカだけであるという事実に現れている。
実際、富裕税を課すことなしに「買って借りて死ぬ」戦略を排除するやり方は、3つ存在する。借りる、買う、死ぬ、という3つの段階のそれぞれにおいて、この戦略が効果を発揮するのは、アメリカの税制に固有の特徴のためだ。第1に、「買う」段階で言うと、資産価値が上昇しても直ちに納税義務が発生しないのは、アメリカのキャピタルゲイン課税が発生主義ではなく実現主義であるためだ。つまり、納税義務が発生するのは、資産価値が上昇したときではなく、資産が売却されたとき(すなわち利益が実現したとき)なのだ(同僚のロビン・モーガン(Robin Morgan)が、この点を明確化する素晴らしい論文を書いている。富裕税を支持する人々が求めているのは大抵、資本に対する発生主義の課税に過ぎず、これは文字通りの意味での富裕税を新設しなくても実現可能だ)。だが、所得税制を発生主義に転換させることは可能である。実際、ヨーロッパの一部の国は、資本所得に対して発生主義の課税を行っている。
第2に、「借りる」段階に関して言うと、アメリカは、公共セクターの財源を所得税に強く頼っている点で異常な国だ。ヨーロッパの福祉国家のささやかな秘密の1つは、所得税収を補完するために、税率20%ほどの「付加価値税(VAT)」〔日本の消費税にあたる〕に頼っていることだ。付加価値税の重要な特徴は、それが消費に対して課されることだ。そのため、貯蓄は課税されない一方、借金〔による消費〕は課税される。これは、税制における資本の扱いをよりバランスのとれたものにするのに役立つが、利点はそれだけではない。ヨーロッパでは、この付加価値税の税率の高さのために、借金によって消費支出を行う人は、アメリカで同じことをする人ほど税から逃れられないのだ。付加価値税の導入は、重大な制度変更ではあるものの、アメリカの連邦税制に対して実行し得る改善策の中で群を抜いて重要なものである。付加価値税は、効率性を高め、公正性を促し、所得税の引き下げを可能にするだろう。
最後に、アメリカの税制における最もいらだたしい特徴の1つは、相続資産の評価額が「ステップアップ」されることだ。「死ぬ」戦略を封じるために、資本に対する発生主義の課税を行うといった複雑な税制を導入する必要はない。必要なのは、資産の所有者が死亡した時点で、キャピタルゲインが実現したものと見なすことだけだ〔つまり、死亡時に、資産がその時点の時価で売却されたと見なし、キャピタルゲイン課税を行えばよい〕。これは、例えばカナダで実際に行われているやり方だ。こうすることで、抜け道は塞がれる。国家は依然として、キャピタルゲインに税を課せるようになるまで忍耐強く待たなければならないが、最後には回収できるだろう。つまり、ビリオネアが死ねば、遺産から税金を徴収できる。
こうした改革のどれも、政治的には容易に実行できるものではない。様々な勢力が絡み合い結託して、アメリカの遺産税をめちゃくちゃにしてきたため、政治的闘争なしに遺産税を建て直すことは明らかに不可能だ。付加価値税の導入は、原理的には党派を超えた支持を得られるはずだが、そのためには、現在のアメリカの政治家には期待できない水準の合理性と真剣さが必要となる。そして、資本所得課税を発生主義に転換させることは、複雑であり、恐らく賢明なものでもない。だが重要なのは、こうした改革のいずれも、富への直接的な課税よりは優れているだろうということだ。
富裕税の唯一の大きな美点は、それが発するメッセージにある。イーロン・マスクやピーター・ティールに怒っている人々にとって、富裕税は、この怒りを動員する最も直接的で直観的なやり方だ。残念ながら、敵を罰したいという欲求は、租税政策の健全な基盤にはならない。アメリカの税制が過去数十年の間、超富裕層たちの際限ない所得増加に対処してきたやり方には、大きな問題がある。だが、望ましい解決策は、新たに複雑な税を設けることではなく、既存の税制を修正することだ(そして、重要なのは、内国歳入庁(IRS)における記録管理のデジタル化を完遂し、こうした税をきちんと運用できるようにすることだ)。真剣な国家、あるいは少なくとも真剣な政党なら、目立った目標物に飛びつくのではなく、こうした課題に焦点を当てるだろう。

〔本エントリは、政治学者のヤシャ・モンク(Yascha Mounk)氏が創設したオンライン・マガジンPersuasionに掲載されたものであり、ジョセフ・ヒース教授の許可に基づいて翻訳・公開している。〕
[Joseph Heath, Wealth Taxes Are Slopulism, Persuasion, 2026/8/13.]