ノア・スミス「意識高い系の起源に関する考察・後編」(2022年9月10日)

それ〔woke〕は〔アメリカ建国〕当初から私たちとともにあり、アメリカ社会の最深部に組み込まれた衝動だった。
[Noah Smith, “Thoughts on the origins of wokeness,” Noahpinion, September 10, 2022]

昔ながらのアメリカの宗教としての意識高い系

「待て、これはみんな、会衆派の奴隷反対運動家たちか?」

「お前は知りすぎた」

美しい百合の中 海の向こうで 主は生まれた
主の懐で 栄光と共に あなた方と私は変容する
主の死による贖罪の如く 我らも自由のために死なん
神は進み続ける
――ジュリア・ウォード・ハウ「リパブリック賛歌」 [1]訳注:歌詞は以下のサイトの和訳を使用した。https://www.worldfolksong.com/songbook/usa/battle.htm

ここからは、意識高い系(2010年代中盤あたりからアメリカで注目されるようになってきた、社会正義の運動、議論、態度)について考察しようとしているシリーズ記事の2つ目である。1つ目の記事「敬意の再分配としての意識高い系」〔日本語訳はここで読める〕では、アメリカの文化はますますその人口動態的・経済的な変化と両立不可能になってきており、意識高い系はこの矛盾を解決しようとする方法の1つとして出現してきた面があると論じた。しかしそれで話が終わるとは思っていない。意識高い系が出現したのには目新しい要因もあっただろうが、その考え方自体は全く新しいものではない。意識高い系は、非常に古くからあるアメリカの衝動とイデオロギーが、現代に現れたものである。私は、意識高い系を本質的に奴隷廃止運動とプロテスタントの組み合わせだと理解している。

意識高い系に対して大っぴらに大声で反対している人々の間では、このイデオロギーの起源には、ある種の物語があるとの説が、一般的になってきている。その物語によるなら、意識高い系とは、経済よりも文化こそが問題だと修正されたマルクス主義の一派であるというものだ。この修正は、主に20世紀初頭のヨーロッパの左翼知識人グループであるフランクフルト学派によって行われたと意識高い系の批判者たちは信じている。Twitter上の主要な反「意識高い系」論客の1人であるジェームズ・リンゼイは、社会正義や批判的人種理論、あるいは彼が「意識高い系」と互換可能な形で用いている他の用語は、フランクフルト学派やグラムシのようなフランクフルト学派にゆかりの知識人に作られたとみなし、しきりに名指している。

ジェームズ・リンゼイ:「私は30年間批判理論を学んできたが、文字通り『批判的社会正義』と自称して、フランクフルト学派、ポストモダニズム、文芸批評との繋がりを述べているこの運動が、批判理論に起源があるとは言えない」というのは、ありえないと言わざるをえない。

ジェームズ・リンゼイ:どちらも、文化革命と、革命的意識の発展/覚醒に焦点を当てている。フランクフルト学派の文献と意識高い系〔の言説〕の双方に現れる「批判意識」の必要性には、類似性がある。それが実際に実現した中国で何が起こったかを思い出そう。何千万人もの命が失われたのだ。

他にもたくさんの例があり、もっと挙げていくこともできる。リンゼイは、意識高い系の起源の物語についての本〔『「社会正義」はいつも正しい』〕も書いているが、この物語を信じているのは彼だけではない。デイリー・シグナルヘリテージ財団など、様々な場所で、同様の主張がなされている。

それゆえ反「意識高い系」は、意識高い系とは国外からやってきた共産主義のペテンであり、アメリカにこっそりと侵入してその伝統的価値観を堕落させることに成功した〔アメリカとは〕異質の考え方である、と信じている。

率直に言えば、私はこの起源の物語を全く信じていない。確かに、アカデミアにおいて、批判的人種理論や批判的法学研究を創始した研究者たちが、自らを伝統的マルクス主義者よりも、フランクフルト学派のようないわゆる文化的マルクス主義者と非常に近しいところにいると見なしていたことは事実である。そして、アカデミアで関心を引くために、批判的人種理論の研究者は先達の研究を引用しなければならなかったし、フランクフルト学派は、恐らく引用するのに最も便利な人々であったろう。

しかし、このことは批判的人種理論が実際にフランクフルト学派から影響を受けていたことを意味しない。手強い査読者#2とやりあったことのある研究者なら誰もがよく知っているように [2] … Continue reading 、引用は、真の知的影響力の指標というより、制度的なお追従になりがちなのだ。ブラッドリー・メイソンの素晴らしい記事が説明しているように、批判的人種理論の研究者たちが影響を受けていたのは、〔フランクフルト学派ではなく〕公民権運動、ブラックパワー運動、そしてもっと昔の奴隷廃止運動だったのである。

確認のために、人文学部に在籍している非常に意識高い系な私の友人らに、意識高い系な研究者はどんな作家からインスピレーションを得ているのか聞いてみた。返ってきたのが以下のリストである。

・W・E・B・デュボイス
・ゾラ・ニール・ハンストン
・ラルフ・エリソン
・ジェームズ・ボールドウィン
・フランツ・ファノン
・シルビア・ウィンター
・オードリー・ロード
・ジューン・ジョーダン
・アンジェラ・デイヴィス
・パトリシア・ヒル・コリンズ
・コーネル・ウェスト
・キンバリー・W・クレンショー
・カンビー・リバー・コレクティブ

 他の意識高い系の友人との会話から考えると、以下のような人物もリストに加えていいかもしれない。
・カレン・E・フィールズとバーバラ・J・フィールズ
・ロクサーヌ・ゲイ
・タナハシ・コーツ
・イブラム・X・ケンディ

フランクフルト学派の人間はこのリストには1人も挙げられていない。ここに挙げている作家はすべて黒人で、ほとんどが黒人系アメリカ人〔ブラック・アメリカン〕である。そしてこれは、黒人系アメリカ人が大変長い間、アメリカ社会をどう変えるかについて非常に真剣に考えてきたという、とても重要な事実に気づかせてくれる。ヨーロッパの一部左派の学術的的貢献に焦点を当てれば、数世紀にわたりアメリカに存在してきた、黒人によるはるかに豊かな思想の水脈を無視することになる。

そして、意識高い系の白人を知る人なら誰でも、彼・彼女らが黒人の知識人や作家に注目し、信奉し、一生懸命にその著作を読んでいることを知っている。対照的に、フランクフルト学派について尋ねられても、意識高い系の白人は概して、煮え切らず、冷淡な態度をとる(ある友人は、私の問いかけに対して「アドルノはジャズを憎んでいた」とだけ答えた。これは事実であり、彼は確かにジャズを憎んでいた!)。

さて、フランクフルト学派の思想が、常に背後に潜んでおり、知的黒幕となっている、と論じることはできる。これはいくぶん反証不可能な仮説なので、私なりの「社会運動とはそんなふうに動いていないのだ」とする仮説をぶつけてみよう。アカデミアの思想の背後に潜んでいる力は、他のアカデミックな思想ではなく、大衆による社会運動と、喫緊の政治状況からの切迫感なのだ。メイソンが書いているように、1970年代の批判的人種理論の研究者にとって、喫緊の政治状況とは、レーガン革命に抵抗し、公民権運動やブラックパワー運動を続けようとする欲求を意味した。

しかし、より重要なのは、批判的人種理論は、意識高い系運動の一端を占めるものにすぎないということである。批判的人種理論は、意識高い系運動の隅をうろつくマニアな少数派にすぎない。ストリートのレベルでは、意識高い系の運動家はアドルノやマルクーゼではなく、タナハシ・コーツの著作を読んでいる。意識高い系の思想や態度の一部には、古臭いヨーロッパの知識人の用語や世界観が取り入れられているかもしれないが、ストリートのイデオロギーのほとんどは、ストリートのレベルで自生的に生じたものである。

そして、意識高い系な人々の多く、特に意識高い系運動で数的に多数を占めている白人にとって、そうしたストリートのイデオロギーは、非常に古いアメリカの伝統から生じたものだ。このイデオロギーは、プロテスタントの影響を強く受けた奴隷廃止運動に由来している。

キリスト教奴隷廃止運動と「意識高い系の大覚醒」 [3]訳注:Great Awokeningの訳。詳しくは前編を参照。

先日、ジョージ・フロイド殺害のかどでデレク・ショーヴィンに有罪判決が下ったのを受けて、アメリカ下院議長のナンシー・ペロシは以下のようなツイートをした。

アレックス・モエ(NBCのレポーター):ペロシ議長はCBCとの記者会見で次のように発言しました。「ジョージ・フロイドさん、正義のために自らの命を犠牲にしてくださりありがとうございます。あなたと、正義を支持する世界中の、何千、何百万もの人々によって、あなたの名前はずっと、正義の代名詞となるでしょう。」

この発言は明らかに無神経で、厳しく非難された。ジョージ・フロイドは殺人の被害者であり、殉教者ではない。フロイドはアメリカの罪のために自らの命を犠牲にすることを選んだわけではなかった。しかし、明らかに新約聖書に由来するこの議論の構図は、意識高い系のキリスト教的な起源を指し示しているように思う。

18世紀と19世紀の奴隷廃止運動は、原初的な意識高い系運動だった。この運動はキリスト教徒の運動家によって始められたが、社会が黒人に課してきた束縛を打ち破るのを助けたいという、聖戦的な願望を含んでいた。奴隷廃止運動の思想は、会衆派キリスト教会(そしてクエーカー、最終的にはカトリック教会)によって、第二次大覚醒の一環として広まった。南部の教派は奴隷制の支持者に取り込まれていったが、南部の外では、キリスト教は依然として対立勢力〔奴隷廃止派〕の中心だった。この理由の1つは、黒人の聖職者が、白人の会衆派キリスト教徒に対して説教を行うことがあり、宗教的用語で奴隷制を激しく非難していたからである。

このように、奴隷廃止運動の起源についての非常に多くの物語が、キリスト教と関係している。イギリスの偉大な奴隷廃止運動家であるウィリアム・ウィルバーゴースは、英国国教会において反奴隷制を掲げたクラパム・セクトのメンバーだった。アメリカにおいて、長老派の牧師だったジョン・ランキンは、重要な奴隷廃止運動家の1人であった。彼は「地下鉄道」(the Underground Railroad)における重要人物であり、彼の著作は、ウィリアム・ロイド・ガリソン、セオドア・ウェルド、ハリエット・ビーチャー・ストウといった有名な奴隷廃止論者の回心を促した。

ジョン・ブラウンもまた、キリスト教の起源の物語を持っている。彼は聖職者を目指していたが、目の炎症によって学業を止めざるを得なかった。ブラウンは後に、会衆派の教会を反奴隷運動の拠点とした。ブラウンは、ハーパーズ・フェリーの戦いを実行し奴隷所有主を攻撃したとき、その聖戦を明示的に宗教的な用語で表現した。黒人の命を奪おうとしていると感じられるシステムと闘うために、警察の包囲網を襲撃して自らの目を撃ち抜かれたブラック・ライブズ・マターの抗議者たちに、ジョン・ブラウンの響きを聞き取らざるを得ない。

黒人であり保守のライターであるジョン・マクウォーターは、意識高い系の批判者であるが、2015年2020年に書かれた2つのエッセイで、意識高い系運動において普及しているキリスト教のモチーフを明確に突き止めた。キリスト教と意識高い系の共通点は、片膝をつく(kneeling)というスタイルだけではない [4] … Continue reading 。キリスト教が、イエスは人類の罪のために苦しみ死んだと考えているのと全く同様に、意識高い系は周縁化された人々(特に黒人を指すが、他の多くのグループも指している)がアメリカに固有の人種差別、ミソジニー、その他の不正義のために苦しみ、死んだという考えを中心に展開している。キリスト教は、自らが罪から逃れることは永遠にできないと定めていながら、教徒に罪との永遠の戦いに自己犠牲を強いるため、イエスの犠牲を利用しているが、意識高い系も自らが人種差別から逃れることはできないと定めながら、白人に人種差別やその他の不正義に対する永遠の戦いに自己犠牲を強いるため、周縁化された人々の苦しみを利用している。などなど。

マクウォーターが、以上の説明を意識高い系への批判として述べていることを思い出そう。そして、長い間政治的なキリスト教は自らと敵対する右翼側であると考えるのに慣れてきた多くのリベラルなアメリカ人にとって、意識高い系とキリスト教を結び付けることは、自らの誤りを示すもののように思えるかもしれない。しかし、宗教的、あるいは疑似宗教的な熱意は、どのような政治的立場にとっても、常に社会運動を突き動かす重要なファクターとなってきたことを思い出すのは重要である。人間をよりよき世界のための聖戦へと動機づけるのに、神聖なものへの信仰は必要ないかもしれないが、しかし信仰は常に聖戦を手助けする。そして、意識高い系は疑いなく、キリスト教が力を持っていた時代が遠く昔の話となり、他の選択肢が愚かで不愉快な消費主義だけになった若いアメリカ人に、〔人生の〕意味と目的を与えている。

キリスト教思想と、社会不正義に対する戦いへの熱意を結び付けた運動は、意識高い系だけに限らない。キリスト教世界では、「解放の神学」として様々な形態でありふれている。

また、そもそもキリスト教は周縁化された人々のための運動として誕生したことを思い出そう。右翼のキリスト教徒においてさえも、その原動力は部分的に残っている。

W・カマウ・ベル:2021年のビンゴカードで、「意識高い系になったパット・ロバートソン」のマスを持っていた人間がいただろうか? [5] … Continue reading

意識高い系は非常にアメリカ的な現象である

意識高い系は、キリスト教由来の要素を超えて、単純にアメリカの伝統であり、アメリカの民主主義と改革運動の歴史からその精神力を獲得している。アメリカの歴史を紐解けば、今からだと意識高い系だと見なせるような心情を示した有名なアメリカ人の例をたくさん見つけられる。奴隷廃止運動に身をささげたラルフ・ウォルド・エマーソンは、南北戦争について以下のようなことを言っている

南北戦争の初期、[エマーソンは]戦争への準備を見学するためにチャールズタウンの海軍造船所を訪れて、「おお! 火薬はときに素晴らしい香りがする」と言った。1861年7月、タフツ大学での演説の冒頭で、彼は、「大砲の野蛮な音は、人間の原初的な心情を示すものとして、今日最も詩的な響きがする」と述べた。

そして、南北戦争より前に、北部で生まれた、50万人の武装した過激な若者による、「ワイド・アウェイクズ」(the Wide-Awakes)という反奴隷制運動が存在した。

(「意識高い系」(woke)という語は、ワイド・アウェイクズから来ているわけではないが、同じ語や概念が繰り返し現れるという現象は興味深い。)

南北戦争時、そして南北戦争後の急進派共和党は、現代では意識高い系と見なされるような様々な態度をとっていた。急進派共和党は、非白人移民と白人は平等だと考え、国境開放を支持すらしていた。

https://twitter.com/Noahpinion/status/1082048048400748544

ノア・スミス:さて、アメリカで非白人移民と白人移民は対等であるべきだと考えられたことは無いと主張する人がいる。しかし、そう考えていたグループが少なくとも1つは存在したのだ! それは、南北戦争後の急進派共和党である。急進派共和党は基本的に、当時の「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」 [6]訳注:社会正義戦士。意識高い系とほぼ互換的に用いられる語。 だった。

50年代、60年代、70年代の、公民権運動とブラックパワー運動の時代は、意識高い系の大爆発を伴っていた。今日のブラック・ライブズ・マター運動を突き動かすのと同様の心情の多くが、当時の運動家、抗議者、ヒッピー、急進派、その他の様々な異議申し立ての担い手たちの間で見られた。そして、批判的人種理論自体が、1970年代に始まったことを思い出そう。実は、意識高い系が非常にアメリカ的であるという事実は、意識高い系が思ってもみない重要な事柄の1つなのだ! the World Socialist Websiteのインタビューで、南北戦争を研究する歴史学者のジェームズ・マクファーソンが、反人種差別はアメリカの重要な文化的DNAの1つであることを指摘して、1619プロジェクト [7] … Continue reading を批判している。

奴隷制への反対、人種差別への反対も、アメリカの歴史において重要なテーマでした。

18世紀のクエーカー教徒から、南北戦争以前の時期の奴隷廃止運動家、南北戦争とレコンストラクション(南北戦争復興)期の急進派共和党、1909年に設立された異人種間組織であるNAACP、1950年代から60年代までの公民権運動まで、奴隷制や人種差別、人種主義と闘ってきた白人はたくさん存在してきました。アメリカの歴史のほとんど最初期から存在してきたのです。

また、アメリカ独立革命には非常に社会的な側面も存在します。独立革命は、ヴァージニア州の奴隷所有主の間で起こった奴隷解放運動は言うまでもなく、アメリカの半分にあたる北部の州における奴隷制の廃止とも同時に起こり、また独立革命はその1つの要因でもありました。反奴隷制は独立革命から生じたのであり、それが消えることはありませんでした。

意識高い系はそれゆえ、ヨーロッパのマルクス主義者による侵略でも、近年の発明でもない。それは〔アメリカ建国〕当初から私たちとともにあり、アメリカ社会の最深部に組み込まれた衝動だった。そしてまたこれからも、常に私たちとともにあるだろう。これ〔現代の意識高い系〕は最初の「意識高い系の大覚醒」でないように、最後の「意識高い系の大覚醒」にもならないだろう。誰がこの聖戦への信仰を押し返せるだろうか?

しかし、意識高い系はアップルパイ [8]訳注:原語はas Amercan as apple pieで、非常にアメリカ的であることを意味するスラング。 と同じくらいにアメリカ的であるにしても、その疑似宗教的な性質によって、重要な問題が生じている。この行き過ぎた状況を私たちはどのように押しのけられるのだろうか?

意識高い系は、今回の復活には妥当な理由があったにしても、行き過ぎたところがたくさんあるからだ。このシリーズの次のエントリではより詳細に踏み込むつもりだが、行き過ぎはあまりにもたくさんある。勤勉さや進歩といったポジティブな性質を白人と同一視すること、非妥協的な文化的検閲、不気味で非生産的であろう企業の研修セミナー、サンフランシスコの教育委員会の不適切な発言、様々なばかげたパフォーマンス的なでたらめ1619プロジェクトの誤り、などなど。私は、ジェームズ・リンゼイや反意識高い系に加わる気は全くない。私は現時点では、意識高い系の行き過ぎを、危機というよりも不快なものと見ており、アメリカには〔意識高い系よりも〕はるかに大きな問題が存在すると考えている。しかし、こうした行き過ぎは、理性的で分別のあるアメリカ人に、意識高い系が手に負えなくなるほど勢力を増すのを留めるのに、どのようにして流れを押し返せるかという問題を突きつけている。

運動が、信仰という燃え盛る内なる光に付き動かされればされるほど、批判はますます難しくなっていく。信仰とは、知的な意味でのどんな些細な批判すら許さないばかりか、批判されると迅速で戦闘的な反応を引き起こしがちだからだ。1980年代から90年代に、南部の小さな町で、公立学校からキリスト教保守を締め出すために闘った人々に、誰でもいいから聞いてみるとよい!

「宗教」を蔑称として使うべきではないが、宗教的、あるいは疑似宗教的な運動は公的空間において対処するのが非常に難しいというのは事実である。アメリカは政教分離によって、政治的なキリスト教の力を制約する制度的な口実をいくらか得たわけだが、意識高い系は教会ではないので、意識高い系を国家から分離するものは何もない。社会的・文化的な変革を断行する上で意識高い系を非常に力強くしているのと同じ信念の力が、今後数十年にわたってアメリカを、めちゃくちゃで、へとへとに疲れるような政治的闘争へと至らせるだろう。

References

References
1 訳注:歌詞は以下のサイトの和訳を使用した。https://www.worldfolksong.com/songbook/usa/battle.htm
2 訳注:論文の査読は複数の研究者が行い、著者には匿名で査読コメントが返されるが、最も辛辣なコメントを行うのは査読者#2である、という「あるある」を念頭に置いていると思われる。
3 訳注:Great Awokeningの訳。詳しくは前編を参照。
4 訳注:スポーツ選手などが人種差別の抗議の意味で片膝をつくことと、キリスト教の宗教儀礼において片膝をつくことの類似性を指摘している文章と思われる。
5 訳注:ダンテ・ライト射殺事件で、テイザー銃と実際の銃を間違えたという供述を、キリスト教右派の代表格であるパット・ロバートソンが批判していることに対する衝撃を表現したツイートと思われる。
6 訳注:社会正義戦士。意識高い系とほぼ互換的に用いられる語。
7 訳注:ニューヨーク・タイムズ誌記者ニコール・ハナ-ジョーンズが呼びかけ人となっている、アメリカの歴史を、奴隷制や黒人系アメリカ人の貢献を中心に記述しなおす運動。黒人奴隷が最初にアメリカに連れられてきた1619年をアメリカの歴史の起点とするという考えからこの名前がついた。ドナルド・トランプが批判するなど、アメリカにおける文化戦争の主戦場の1つとなっている。
8 訳注:原語はas Amercan as apple pieで、非常にアメリカ的であることを意味するスラング。
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