Last Week Tonight〔ジョン・オリバーが司会を務めるアメリカの諷刺系ニュース番組〕は政策の解説が非常に上手い。昨年、同番組はスケジュールF(公務員の政治化計画)を深く掘り下げていた。数週間前、私はこの番組のプロデューサーたちと、トランプによる政府への攻撃に関して議論したので、その回のエピソードが配信されるのを見るのを楽しみにしていた。このエピソードでは、私がこれまで書いてきた中核的な問題のいくつかが、簡潔かつ誰にでも分かるように説明されている。喜んでシェアしたい。
そういうわけで、私がJournal of Policy Analysis and Managementに載せた論説をシェアするのも言い訳が立つだろう(この記事で簡単にまとめている)。
トランプ政権は現在、パフォーマンスの名の下に、迅速な行動が必要だと主張している。では、質の高い査読つき論文はなんと言っているのだろうか?
公務員の政治化(politicization)は国家行使能力(state capacity)とパフォーマンスのどちらも低下させる。例えば、52カ国のクロスナショナル・レビューでは、非政治的な資格任用制(merit-based hiring)と任期なしの雇用保護が、高いパフォーマンスと腐敗の低さに相関していることが示されている。ジョージ・W・ブッシュ政権期の政策プログラムの中から、政治任用の公務員が運営したものと資格任用の公務員が運営したものとを取り上げ、その評価を比較すると、政治任用がパフォーマンスの低さに結び付いていることが分かった。歴代の国務省監察官の報告書は、外交分野で資格任用の公務員の方がパフォーマンスが高いことを発見している。ある種の分野では、資格任用制の導入記録を見ることで、資格任用によりパフォーマンスが改善したという直接の証拠を得られる。資格任用制の利用により、警察署は暴力犯罪の減少において良いパフォーマンスを発揮した。郵便制度の研究によると、1880年代に資格任用制が導入されてから郵便のパフォーマンスは向上した。
政治化が国家行使能力を掘り崩す因果メカニズムは複数存在する。ここでは、政治化が政府職員の技能やインセンティブに及ぼす影響に焦点を当てよう。
- 政治的忠誠が優先されることで、〔政権と〕政治的な関わりは強いが能力の低い人間が政府職員となる。
- 公務員は、職場環境の政治化が進むと退職しやすくなる。
- 政治化によって、穏健派の職員が過激派(zealots)の職員に置き換えられる。資格任用の公務員は、政治任用の公務員よりもより穏健な政治的見解を持つ傾向にあり、党派的アジェンダをすぐ実行しようとする政治任用の公務員に比べ、自身の政治的選好を抑えなければならないという職場の規範に慣れている。過激派は誤りを犯す可能性が高く、自身と同じ連合に属さない集団を無視する傾向にある。
- 政治化によって、経験豊富な管理職が経験の乏しい管理職に置き換えられる。平均的な政治任用の公務員が公職に就く期間は18-24ヵ月だ。政治任用と資格任用の公務員のパフォーマンスの差は、前者がその仕事に特有の経験を欠いている事実で説明できる。資格任用制導入後の郵便局のパフォーマンスの向上は、(特に選挙がある年の)離職数の減少のために生じた。
- 〔政治任用制において〕政府職員は、自身の技能を維持したり発展させたりするための投資をする理由が乏しい傾向にある。職員個人は、簡単に解任され、専門性が評価されない環境において、自身の技能に投資するインセンティブをほとんど持たない。アメリカの資格任用制の歴史は、この専門性発達のモデルと整合的だ。終身雇用によって、職員が公共セクターにとって非常の有益な技能の構築に投資するインセンティブが生み出された。政治化に直面している現代の公共サービスの管理職は、専門性に投資する可能性が低い。
- 政治化は無駄と腐敗を招き寄せる。調達プロセスは政府支出の大きな割合を占め、国内の裁量支出の約半分である。公務員の能力への投資は調達のコストを減らし、請負業者を管理する能力を増大させる。一方でコンサルタントへの依存は、インフラのコストの高さと相関している。民間の供給者に公共サービスの提供を任せる場合、十分な監視能力を維持することは、無駄を減らす上で決定的に重要だ。例えば、メディケアの過剰支出を監視するための公務員への支出は、1ドルごとに24-29ドルの節約をもたらす。歴史的に見ると、資格任用制は、政治家が再選のために政府支出を行う能力を制限してきた。資格任用が支配的な場合でも、政治任用の公務員が比較的多い省庁は、非競争的な契約を行う可能性や請負業者との取引額が高く、これは公共支出において政治的なひいきが存在することを示している。
トランプは大量解雇によって、一連の政府機関で独立した監察官を排除した
トランプ政権は独立した規制官を解雇するためにより大きな権力を求めている
議会への書簡は、ドナルド・トランプ大統領が連邦職員のパージと官僚制に対する最大限のコントロールをやりやすくしようとしていることを示している
政治化は、民主的な応答性(responsiveness)の向上という大義によって正当化できるかもしれない。より政治化された体制は、狭い意味での為政者によりよく応答するようになる。だがそれは同時に、2つの仕方で民主的な応答性を掘り崩す。
第一に、応答性には政策目標の達成能力も含まれている。そして、国家行使能力の弱体化はこの種の応答性を掘り崩す。例えば、政府機関の能力が低ければ、大統領は最も強力な政策決定の道具(ルール策定)を効果的に用いることができなくなる。それゆえ為政者は、官僚制を信頼していない場合ですら、非党派的な資格任用の公務員に自律性を与える方が、政策目標を実現しやすい。
第二に、政治化は他の〔狭い意味での為政者以外の〕正統性を持つアクターや、他の正統な価値(例えば透明性)への民主的応答性を低下させる。政治化が進行した政府機関は、議会や一般市民からの情報開示要求に応答しにくくなる。特に、対立している政党のメンバーが情報開示要求を行った場合、求められているのが政策に関する情報であれ支持層へのサービスに関する情報であれ、議会への応答性の欠如はひどくなる。現在、民主党議員はトランプ政権が何を実行しているのかに関する基本的な質問に関して、政府機関から直接の回答を得られていない。
民主党はDOGEの財務省の支払いシステムへのアクセスに対する調査を求めている
国家行使能力は重要だが見えにくい
トランプとDOGEは資金の節約を約束しながら、政府を焼き畑式に破壊し、国家行使能力を直接に棄損している。一方で、国家行使能力(政府が一般市民のための仕事を実行する能力)は抽象的な概念だ。国家行使能力の擁護は、有権者が(特に、長期的で目に見えにくい)能力への投資に報いないことが多いため、ますます困難となる。
例えば、有権者は災害後の救援のための政府支出を行った政治家には報いるが、災害の被害を減らすための予防的な支出には報いない。パフォーマンスの失敗は罰するが、卓越したパフォーマンスには報いない。それゆえ政治家は、当座の目に見える失敗を避け、失敗が起こった後でそれに対処するインセンティブを持っている。しばらくの間目に見える形で利益をもたらさないだろう、長期的な国家行使能力への投資を行うインセンティブは持っていない。
こうした一般市民の選好と政策決定者の反応によって、将来性や実績を根拠に国家行使能力を擁護するのは難しくなっている。比較的安定した民主主義国では、公共セクターの役割に関して広範な合意が存在し、公務員がそれなりによく機能しているなら、そうした擁護論は不必要だろう。現在のアメリカの状況は明らかにそうなっていない。
国家行使能力を無視すること(アメリカは何十年もそうしてきた)は、それなりにきちんと機能している国家に暮らす人々のぜいたく品というだけではない。国家行使能力それ自体の劣化をもたらす要因にもなる。国家行使能力の重要性は、それが欠如しているときにこそ明白となる。国家行使能力を自明視すれば、政治化を受け入れるのは簡単だ。過去数年、アメリカにおける公務員の機能といった、かつては決着がついていたかに思えた問題が再び掘り返され、政治論議の中心となった。この動きは、国家行使能力の存在自体が民主的価値への正統性のない攻撃だとする政府理論に突き動かされていた。
国家行使能力を構築するのは時間がかかるが、掘り崩すのは簡単だ
国家行使能力は、異常事態のショックや反民主的な環境に脆弱であり得る。例えば、リコンストラクション期以後のアメリカ南部における白人の政治エリートは、再分配を制限するために地方政府の官僚機構の能力を弱体化させた。レントシーキング目当ての政治エリートたちは、国家行使能力によって緊密な説明責任を負わされるなら、それに反対するかもしれない。
現在のところ、世界で最も裕福な男〔イーロン・マスク〕は、大金持ちの大統領〔ドナルド・トランプ〕の指示を受けて、政府サービスを削減する非常に怪しげなプロジェクトを指揮している。その大金持ちの大統領は、自身を保護し敵を追い詰めるために、自分個人に忠誠を向ける法的インフラを構築している。これを国家行使能力に対する未曽有のショックと述べても不公平ではないだろう。
国家行使能力は、フォーマル、インフォーマルな公共セクターの慣習(前者としては例えば雇用保護、後者としては例えば組織規範)に依存している。そうした慣習は、政治家と公務員の広範な取引(bargain)に組み込まれている。取引の条件は、少なくとも部分的には外から見えないようになっている。そうした慣習に関する合意が存在しない(そうした規範が尊重されていない)ことが明らかとなれば、公務員が取引を信頼し続けるのも、明確に破られている取引条件を再構築するのも、困難となる。
例えば、政府職員の多くが公共利益に奉仕したいという動機づけを持っているとの重要なエビデンスが存在する。そのため、公務員が長期的な視野と自律性によって仕事で力を発揮できる、という取引条件は、有能な労働力を惹きつけ保持するための効率的な方法なのだ。だがそうした取引は、公務員の雇用保護や自律的な活動への委任に関する合意に依存している。この合意は、共和党が公務員を不正な「ディープステート」の一部だと非難したことで、アメリカ政治において消失してしまった。
政治アクターが取引条件を変更し、公務員の自律性の低下と政治化がもたらされることで、公共への奉仕の動機づけを持つ職員は離職する可能性が高くなる。その上、潜在的な公務員希望者に対して、再び魅力的な取引を再構築できると説得するのも難しくなるだろう。
DOGEの政府に対する焼き畑式の攻撃(マスクに仕える若く無知な従者たちは、公務員を使い捨てのゴミかのように扱っている)は、長期的な負の影響をもたらすのではないかと私は懸念している。マスクと政府の解体業者たちが去っていった後、将来の政府はいかにして、公共への奉仕を真に気にかける人々を惹きつけるような取引を再構築できるだろう?
まぁなんにせよ、Last Week Tonightで紹介されていた動画を読者へのプレゼントとして貼っておこう。